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Cafe Shelly

Cafe Shelly 働いたら負け

作者: 日向ひなた

 コンピュータのディスプレイがずらりと並ぶ。オレはこの部屋が大好きだ。だからこの部屋から出ようとは思わない。

 世の中ではニートだ、引きこもりだと言われているが。見た目は同じでも、オレはそういう負け組人生とは違った道を歩んでいる。なにしろオレの資産はもうすぐ億に達しようとしているのだから。

 コンピュータのディスプレイに映し出されているもののほとんどは株式チャート。そして目の前のメインディスプレイには、オンラインゲームの画面。これがオレの仕事だ。いや、仕事というのは正解ではない。オレの趣味であり、オレの娯楽である。つまり、オレにとっては遊びであり、遊びでお金が生み出されている。

 親はまさかオレにこんな資産があるなんて知りもしないだろう。単なる引きこもりとは違って、食事の時間になればちゃんと食べに降りるし。部屋は散らかってはいるが、昼間はカーテンを開けて光も取り入れている。コンビニに買い物だって出るし。

 年齢も二十八歳になった。もちろん、こんな生活をしているのでリアルに女性とつきあったことなんてない。ネット上では彼女はたくさんいるんだけど。でも、リアルな人間関係はめんどくさくてやってられない。

「真司、あんたいつになったら外で働くのよ。ネットビジネスだかなんだか知らないけど、いい加減きちんと働いてちょうだい。定職とはいわないから、せめてアルバイトくらいしたらどうなのよ!」

「うるさいなぁ」

 こんな会話が母と毎日のように繰り返される。父はオレに対しては特に何も言わない。これはオレが反抗するのが怖いからだろう。高校時代に一度、引きこもりになったときにキレて大暴れしたことがある。それが尾を引いているのは間違いない。

「ごちそうさま」

 親と顔を合わせるのは晩飯のときくらい。といっても、一緒に食べているわけではない。親とあえて時間をずらして食べている。朝ごはんは食べない。夜中までゲームをして、起きるのは九時前だからだ。そこからすぐに株のチャートと向き合う。昼は買い置きをしていたカップ麺やスナック菓子などですませる。このライフスタイルが板についてきた。

 そんなオレだが、月に一度は必ずあるところへ出かける。ゲーム仲間とのオフ会だ。今、はまっているゲームは、パーティーを組んで冒険をするというロールプレイングゲーム。その冒険仲間と月に一度オフ会を開く。実は狙いはそこに参加しているミキちゃんである。

 ミキちゃんはオレたちのマドンナであり、男同士は紳士協定を結びあって抜け駆けはしないことを約束している。付き合えるのは、あくまでもミキちゃんから選ばれた人だけである。恋愛経験のないオレでも、ミキちゃんと少しでも一緒にいたいという気持ちだけは高まっている。

 そんな高嶺の花のミキちゃんがよく言っているのはこのセリフ。

「男の価値って、結局どれだけ資産を持っているかだと思うのよ」

 これだけを聞くと単なるお金持ち思考のように聞こえるが、更に奥がある。

「資産を持っているってことは、仕事もできる人だし、将来設計に苦労しないってことだから。でも、仕事ばかりしている人はダメ。人生の楽しみを持っていないってことだから」

 そう、そうなんだよ。オレもその意見に賛成。だからオレはこう思っている。

「働いたら負け。人生は楽しんでこそナンボのもんだ」

 今さら組織やお客さんにこき使われるのはゴメンだ。オレは今のやり方で、一人で資産を築いてきたのだから、このやり方を崩すつもりはない。

 おそらく、オフ会に参加するメンバーの中で一番資産を持っているのはオレだろう。他はフリーターだったり、働いていても聞いたことのない会社だったりする。

 そんなオフ会の前の日、オレはいつものようにオンラインゲームに参加。ゲームの中でチャットができるのだが、グループチャット以外にも個人的なチャットが行える。そこでなんと、あのミキちゃんから個別にチャットの誘いが入った。

「シンジくん、明日くるんでしょ?」

「もちろん行くよ」

「明日、一次会の後時間ある?」

 きたぁぁぁ、ミキちゃんから個人的なお誘いだ。これは何かを期待させる予感。ひょっとしたらオレもチェリーボーイを卒業できるかも。恥ずかしながら、この年令までそういった経験がないからなぁ。

「もちろんあるよ」

 押さえられない興奮。けれど、ちゃっとでは努めて冷静に振る舞う。

「じゃぁ、終わったらみんなに見つからないように合流しよ」

「わかった」

 よし、これはかなり楽しみだぞ。ゲームに戻っても、なんだかちょっと浮かれているオレがいた。それがプレーにも出てたのか、やたらと無謀な行動に出てしまう。

「おい、シンジ、あまり個人プレーに走るな」

 このグループのリーダー格でもあるユウイチから警告される。こいつ、オレのことねたんでやがるな。なんて勝手に想像して、オレははしゃいだプレーを楽しんだ。これがオレの生き方だからな。

 この日のプレーの結果は散々だった。が、オレは満足している。オレ個人の点数は高くなっているから。他のメンバーの点数なんか知ったこっちゃない。強いて言えば、ミキちゃんの点数が上がるようなフォローだけは忘れなかった。これでオレに対してのミキちゃんの心象も良くなるはずだ。

 そうして翌日はオフ会。にこやかに乾杯からスタート、と言いたいところだったが。

「おい、シンジ、昨日のあれはなんだよ。おかげでオレのダメージかなりでかくなっちまったじゃないか」

 乾杯前にいきなりつっかかってきたのは、このグループの中でも荒くれ者として君臨しているタケシである。名前があのドラえもんのジャイアンと同じで性格も似ているので、みんなからはジャイアンと呼ばれている。

「それはジャイアンの技術が未熟だからだろう。それに、未だにろくなアイテムも持っていないのに、戦い方が無謀なんだよ」

 このゲーム、課金をすれば必要なアイテムを得ることができる。オレは金はあるので、できるだけ最高レベルのアイテムでプレイをしている。

「まぁまぁ、それにしても昨日のシンジのプレイは異常だったぞ。もうちょっと協力をして戦おうじゃないか。それに今日は楽しく、な」

 リーダー格のユウイチはいつもこうやっていい子ぶる。この中では唯一と言っていいほど、ちゃんとした社会人でもある。といっても、オレから見れば底辺層の会社に務めている負け組にしか見えないやつだが。

 こんな感じでオフ会が始まったものだから、今回はイマイチ場が盛り上がらなかった。結局オレはオフ会の間、一人で飲み食いをすることに。けれど、これが終わればミキちゃんとデートができる。頭の中はそのことでいっぱいだ。

 気がつけばオフ会も終了。そしていよいよお楽しみタイムに入る。けれど、ミキちゃんからは何の指示もない。終わってからどこで、どのように落ち合うのだ?

「じゃぁまた、明日!」

 そういって解散。それぞれが散り散りになっていく。オレは目線をミキちゃんにやるが、ミキちゃんはなんの反応もなくオレの視界から消えていく。おい、一体どういうことなんだ?

 呆然と見つめていると、ポンと肩を叩かれた。誰だ?

「シンジ、時間あるか?」

「えっ!?」

 肩をたたいたのは、リーダー格であるユウイチ。どうしてこいつが?

「シンジ、お前ミキちゃんを待っていたんだろう?」

「ど、どうしてそのことを?」

「それについて話がある。そこの店に入って話そう」

 ユウイチの後について、商店街にある二十四時間営業のファーストフードの店に入った。

「コーヒーでいいか?」

「あ、あぁ」

 ユウイチに言われるがまま、コーヒーをごちそうになる。

「どうしてお前がミキちゃんとのことを知っているんだ?」

 座るやいなや、オレはユウイチにそう切り出した。

「実は、俺とミキはつきあっているんだ。というか、同棲している」

 思わずコーヒーを吹き出しそうになった。

「お、おい、抜け駆けはしない約束だったろ。ど、どういうことだ?」

「同棲はみんなと知り合う前からなんだ。二人の関係は黙っておこうって、ミキとは話していたんだ。でも、今回あえてこんなことをしたのには理由がある」

「理由ってなんなんだよ?」

「シンジは働いていないんだったよな」

「あぁ、でもちゃんと金は稼いでいるぜ。こう見えてもオレは結構資産を持っているんだ。それの何が悪い?

 さすがにオレも半分キレている。ミキと同棲しているだけでなく、なんとなく上から目線で働いていないことを責められている気がしたからだ。

「余計なおせっかいと思われるだろうけど。俺はシンジの才能がもったいないと思ってる。その才能をもっと人のために役立ててみないか?」

「おいおい、オレの才能って、ユウイチはオレの何を知っているっていうんだよ?たかがゲームの中だけでのつきあいだろう?」

「シンジ、お前株で儲けているだろう?」

 言われてドキッとした。どこでそんな情報が漏れていたんだ?そんなこと、オンラインゲームの中では一言も言ったことがないのに。

「おい、それをどこで知ったんだよ?」

「まだ他にも知っているよ。お前が持っている資産、もうすぐ億に達しそうじゃないか。高校のときにひきこもりになって、それから独学でトレーダーの知識をつけている。だよな?」

「だから、それをどこで!?」

 目の前のユウイチが少し怖くなってきた。こいつ、どこかでオレを監視しているのか?

「俺はこう思っている。そのトレーダーとしての才能を、多くの人のために役立ててほしいって。お前の独自の理論で株の学校をやってみるのはどうだ?最初はゲーム仲間からでいい。その中の何人かが育って、それなりの利益が出るようになればそいつらから授業料をいただく。成功報酬型の株の学校だ」

 ユウイチはオレの質問には答えずに、勝手に話をすすめる。だが、オレはそんなつもりはない。どうして人のために働かなきゃいけないんだ。めんどくさい。

「おい、いい加減にしろよ!オレのことをどこで知ったかはしらねぇけど。人のために働く?それで金は入ってくるのかよ。そんな無駄なことはしたくねぇんだよっ!」

「なるほど、じゃぁお金が入ってくれば人のために働いてもいいってことか?」

「そうだな、今よりも稼ぎがよくなるんだったらやってやってもいいかもな」

 するとユウイチはバッグの中からなにかを取り出してきた。

「これを見ろ。俺が今まで人のために動いてきて稼いだ結果だ」

 ユウイチがオレに見せてきたもの、それは預金通帳。そこには今のオレの五倍近くの金額が示されていた。

「これは俺だけじゃない、ミキも一緒になって稼いだものだ」

「おい、ユウイチ、お前は確か三流企業に勤めてたんじゃなかったか?そこでこんな額になる給料をもらっているとは思えねぇんだけど」

「あぁ、その通りだ。副業をやっている。けれど、それはシンジのような株とかの投資でもなければ、ネットワークビジネスでもない」

「じゃぁ、どうやってこんなに稼ぐことができてるんだ?」

「人のために働いた。それだけのことだよ」

「だから、具体的には何をやってここまで稼いだんだよ?」

「詳しくは今のところ話せない。企業秘密だ」

 なんだかモヤモヤする。ユウイチがミキと同棲していること、二人でこれだけの額を稼いでいること。さらに、こんな稼ぎがあるのなら、今の会社をやめてしまって、悠々自適な生活を送ればいいのにと思うこと。ユウイチへの嫉妬心が芽生えてきているのは確かだ。

「じゃぁ、お前はオレに、みんなのために株の学校をやらせようっていうのか?」

「そうだ。そのための準備は俺の方でやるよ。お前は講師として来てくれればいい。そしてお前には講師料が入ってくる。どうだ?」

 ここでふと思いついた。

「じゃぁ、講師料として一時間あたりこれだけの額、用意できるか?」

 俺は両手を広げた。つまり一時間あたり十万円だ。

「なんだ、それくらいなら十分準備できる」

 ユウイチはあっさり言いのけた。おいおい、そんなに簡単に言っていいのか?

「ただし、条件がある」

 なんだ、その条件とは?

「明日の日曜、俺とミキをここまでにしてくれたところに一緒に来ること。そこである人に会ってもらいたいんだ」

 そらきた、やっぱりネットワークビジネスの勧誘の手口じゃないか。まぁいい、会うだけなら大したことはない。断ればいいんだから。

「わかった。で、明日どこに行けばいいんだい?」

「じゃぁ、明日の十一時に駅前の噴水のところで待ち合わせよう。お昼はごちそうするよ」

 ふん、そうやって飯で釣っておいて、結局はオレをネットワークビジネスの仲間にしようってんだな。まぁいい、こうなりゃこいつらの化けの皮を剥いでやろう。

 この日はこれで解散。日曜なら相場も休みだから、珍しくオレは翌日早めに起きて準備をした。

 翌日、オレは指定された時間に待ち合わせのメッカである駅前の噴水に向かった。すると、すでにユウイチとミキちゃんがそこにいた。ひょっとすると他に仲間がいるんじゃないか、と疑ったがそれはないようだ。

「来てくれてありがとう。じゃぁ早速行くとするか」

 ユウイチが先導して、オレとミキちゃんがあとからついていく。どこに連れて行こうというんだ。

「ごめんね、昨日はなんか騙しちゃって。でもね、これからのシンジくんのためを思ってそうしたの」

 こんなにかわいいミキちゃんからそう言われたら、何も反論できない。にしてもユウイチの野郎、こんなにかわいいミキちゃんと同棲しているだなんて。なんてうらやましい。

「ここだ」

 連れてこられたのは、街なかにある路地。ユウイチはその中ほどにあるビルの二階を指している。

「ここは?」

「カフェ・シェリーという喫茶店で、ここのマスターにぜひ会って欲しいんだ。シンジもきっと人生に対しての価値観が変わるぞ」

 ここのマスターがネットワークビジネスの親玉か。油断しないようにしないと。

カラン・コロン・カラン

 店の扉を開くと、心地よいカウベルの音。同時に聞こえる女性の「いらっしゃいませ」の声。さらに、コーヒーと甘い香りがいい感じにブレンドされた空気がオレを包み込む。

「マスター、こんにちは」

「おぉ、ユウイチくんにミキちゃん、いらっしゃい」

「今日は友だちを連れてきました。ぜひマスターに話をしてもらいたくて」

「そうか、じゃぁカウンターがいいかな。ちょうど三席空いているよ」

 そうしてオレはカウンター席へと誘導された。あらためてお店を見回すと、カウンターに四席、お店の真ん中に丸テーブルで三席、窓際の半円型のテーブルに四席。小さな喫茶店だが、狭いと感じるほどではない。ちょうどいい空間、という感じだ。

「こちらが友達のシンジ。今は株の取引を中心にやっているんです」

「ほう、株取引か。私も興味はあったけれど、そういうのには疎くてね」

 ここで思い出した。このことを聞こうと思っていたんだった。

「ユウイチ、お前オレのことどうしてそこまで知っているんだよ。オレが株で儲けていることなんて、誰にも話したことないはずだけど」

「確かに、ゲーム仲間には話してないだろうけど。でも、お前の母親はどうなんだ?」

「母親?うちの家族には株をやっていることは話したけど、儲けているなんてことは…」

 言っていないつもりだが、オレがこうして留守をしている間に勝手に部屋に入って、預金通帳を見るくらいのことはやっているかもしれない。そう思うと、ゾクッとした。

「で、でも、どうしてお前が母親のことを知っているんだ?」

「シンジ、お前家族のことをどれだけ知っている?」

「家族のこと?」

 そう言われると、ウチの家族が何をしているのかよく知らない。もう十年以上も引きこもり生活をやっているので、家族と大した話をしたことがない。

「シンジ、特にお前のお母さんはお前のことを心配しているんだぞ。けれど、同じような親同士で何かできないかと考えて、今は俺たちと一緒になって活動をしている」

「活動って、お前たちは何をやっているんだ?」

「ミキ、あれを出してくれるかな」

「はい」

 するとミキちゃんはバッグからパンフレットを取り出し、オレに差し出した。

「今度講演会をやるの。最初にこの方面では有名な先生が講演をして、そのあとみんなで座談会を開いて、お互いの悩みを打ち明けるという会なの。シンジくんのお母さんも実行委員として動いてくれるのよ」

 内容は引きこもりの子供を持つ親の悩みを打ち明ける、というもの。

「で、俺たちはこういった講演会やイベントのプロデュースをしているんだ。集客のお手伝いや会場の手配、イベントの企画を立てたりしている。その報酬として、利益の50%をいただいている。それが積もり積もって、あんな額になったんだ」

 正直驚いた。ユウイチたちがやっているのは立派なビジネスだ。しかも、人の役に立っている。でも、それだけであんな額になるなんて。

「俺はあの利益をまるまる自分たちのことに使おうとは思っていない。次の案件のための投資に使おうと思っている。シンジにもちかけた株の学校も、その一つだよ」

 今、ちょっと心が揺れている。それが何なのかはよくわからない。

「ところで、ここのコーヒーを飲んでみないか。面白い味がするぞ」

「あ、あぁ」

 半分空返事で答える。意識は別のところにあるのが自分でもわかる。

「じゃぁ、マスター、シェリー・ブレンドを三つお願いします」

「かしこまりました」

 そう言うとマスターはコーヒーを淹れる準備を始めた。

「シンジ、お前は働くってどういうことだと思っている?」

「働く?そんなことやったら負けだと思っている。俺は人に使われるなんてゴメンだ。そもそも、金を稼ぐのにどうして人の命令を聞きながら動かなきゃいけねぇんだ」

「なるほど、働くということは金を稼ぐこと、と捉えているんだな」

「違うのかよ?ユウイチだって会社勤めして働いてるじゃねぇか」

「うん、会社には行っている。けれど、お金を稼ぐために会社で働いているわけじゃない」

「じゃぁ、何のために会社に行ったり、イベントのプロデュースなんてことをやってるんだよ?」

 どう考えてもユウイチの言っていることが理解できない。ミキちゃんはどうしてこんな男についていこうと思ったんだ?まぁ、オレより少しくらい顔がいいのは認めるが。

「シンジくん、私ね、ユウイチの考え方に共感したから一緒にいるの。ユウイチは人のために働いているのよ。働くっていう言葉の意味を知ったら、シンジくんもわかると思うの」

 働くっていう言葉の意味?なんだ、それは。

「俺はその言葉の意味をマスターから教えてもらってから考え方が変わったんだ」

 その言葉でオレはマスターの方を見た。ちょうどコーヒーを淹れ終わったところで、こちらに差し出そうとしていたところだった。

「おまたせしました。シェリー・ブレンドです。飲んだらぜひどのようなお味がしたか、教えて下さいね」

 働くの言葉の意味、これも気になるがコーヒーの味というのも気になる。オレは早速コーヒーを口にした。

「うまいっ」

 思わずそう言ってしまった。家の中で缶コーヒーやインスタントコーヒーを飲むことはある。が、喫茶店でわざわざコーヒーなんて飲むことはない。それだけに本格的なコーヒーの味というものを初めて体験した気がする。

 が、ただうまいだけではない。なんだか気になる味がする。これはなんだ?

 その味の正体を確かめるために、オレはもう一度コーヒーに口を運んだ。

 確かにうまい。だがそれは単純な味ではない。たくさんの何かが絡み合って一つの味をなしている。そんな感覚を受けた。そうだ、まるで今オレやユウイチ、ミキちゃんがはまってやっているオンラインゲームと同じだ。

 このゲームは一人では楽しめない。何人かでパーティーを組んで他のパーティーと戦い合うというもの。お互いの得意なものを組み合わせて戦うと、最強となる。

 が、この前のオレみたいに誰かが単独行動をしてしまうと、とたんにパーティーはバラバラとなり負けてしまう。お互いがお互いを助け合う。それで目的を達成できる。まさに今飲んだコーヒの味と同じだ。

「お味はいかがでしたか?」

 マスターの言葉にハッと我に返った。オレは今、頭の中の世界に入り込んでいたようだ。

「あ、えぇ、とてもおいしかったです。なんというか、たくさんの味が絡み合って、一つの味を形成しているって感じがしました。これっていろんな豆をブレンドしているのですか?」

「まぁ確かにオリジナルのブレンドコーヒーではありますが。そうですか、たくさんの味が一つの味を形成している。そういう感想は今までなかったですね」

 どういうことだ?他の人は別の味がするってことなのか?

「シンジくんが今求めているのって、もっとたくさんの人と何か一つのことを成し遂げたいっていうことじゃないの?」

 ミキちゃんがそう言い出した。いやいや、オレは今まで一人で過ごしてきたんだから。そんなものを求めているなんて…そう思ったが、よくよく考えてみると、オンラインゲームを始めてからはそういうものを求めているのかもしれない。それがオレの本音なのか?

「まぁ、そんな気持ちがないわけじゃないけど」

 ミキちゃんの手前、ちょっとカッコつけたい自分がいたのは否めない。けれど、それがオレの本音なのか、まだ疑問でもある。

「シェリー・ブレンドは嘘はつかないからなぁ。俺もシェリー・ブレンドのおかげで、今の自分の使命に気づいたんだよ」

 ユウイチがそう言う。どういう意味だ?

「そうそう、そのおかげで私もユウイチと同じ道をいくことになったんだよね」

「ミキちゃん、シェリー・ブレンドのおかげってどういうこと?」

「このコーヒーね、魔法がかかってるの」

「魔法!?」

 さらに意味がわからなくなってきた。どういうことなんだ?

「マスター、魔法の意味を説明してくださいよ」

 にこやかに笑いながらオレたちの会話を聞いていたマスター。ここで口を開いた。

「このシェリー・ブレンドは飲んだ人が望んだ味がするのです。その人が持っている願望や希望を味にして表現してくれます。中にはそのイメージが頭のなかに飛び込んでくる方もいらっしゃいます」

「そうそう、俺のときがまさにそうだった。あのイメージは強烈だったもんなぁ」

 にわかには信じられなかった。が、オレも今それを体験したばかりだったのを思い出した。

「じゃぁ、今オレが感じた味が、今オレが望んでいるものだっていうのか」

「本人は気づいていないけれど、そうだっていうことは結構ありましたよ」

 マスターがそう言う。

「そうそう、俺の時もそうだった。実は俺もかつてはシンジみたいに一人でなんでもやってやろうって、そう思っていたんだ。けれど、シェリー・ブレンドを飲んだときに『人のためになることをすすんでやる』ということへの願望があったことに気づいた。実はそれがほんとうの意味の『働く』だってことを、マスターから教えてもらったんだ」

 そうだった、今日ここに来た理由の一つがそれだった。ユウイチが会わせたいと言ったこのお店のマスター。この人にはどんな魅力が隠されているのだろう。

「マスター、『働く』の話をシンジにしていただけますか?」

「ははは、そんなにたいそうな話じゃないと思うけど」

 カップを磨きながら笑うマスター。なんとなく人なつっこくて引き込まれそうな感じがするのは確かだ。

「シンジくん、働くってどういう意味か考えたことあるかな?」

「えっ、働く、ですか?働くって何かをしてお金をもらうってことじゃないんですか?」

「確かに、何かをするっていうのは正解だね」

 マスターは相変わらずにこやかに笑う。その笑いには嫌味がない。むしろ好感すらおぼえる。

「たしかに働くとは『人が動く』と書くよね。じゃぁ、シンジくんがそのあたりをぐるぐると走り回ったら、働いたことになるのかな?」

「いや、それはただの運動でしょう。でも、オレが会社に勤めていて上司からそう命令されたら、それは働いたことになるんじゃないですか?」

「そこに何か意味を感じなくても、そう思うかな?」

「いやぁ、やっぱり意味がないと働いたって気にならないでしょ」

「では、どんな意味があったら働いたってことになるんだろうね?」

 働く意味、今までそんなこと考えたこともなかった。ただ金を稼げばいい、それが働くことだと思っていた。けれど、そうではない気になってきた。

「悩んでいるようだね。実は働くの語源ってあるんだ。働くとは『傍を楽にする』という意味があるんだよ」

 マスターは『傍』という漢字を紙ナプキンに書いてくれた。

「この漢字の意味、わかるかな?」

「えっと、端っこの方とか、そういう意味じゃなかったかな?」

「うん、その意味もある。もう一つはすぐそばにいる、という意味。つまりシンジくん、君の周りにいる人のことだよ」

「オレの周りにいる人?家族とかそういう人のことですか?」

「それだけじゃない。例えばユウイチくんやミキちゃん、そして私だったり。また、このお店のお客さんもそう。いや、この街にいる人もそこにあてはまる。つまり、シンジくんの周りにいる人全てのことだよ」

「いやいや、そんな見ず知らずの他人を楽にさせるって、そんなこと…」

「それをやったおかげで、一代で大企業を創り上げた人は何人もいる。たとえば松下幸之助さん。知っているよね?」

「はい、松下電器、今のパナソニックをつくった人でしょ」

「あの人は家電製品を日本中、いや世界中の人々へ届けて生活を楽にさせる、豊かにさせる、そして楽しくさせるために動いた人なんだ。その結果、多くの人が喜ぶことができたから、一代であんな大企業になるまで成長させることができたんだよ」

 そう言われると反論できない。

「俺たちもその話を聞いて何かできないかと思ってやり始めたのが今の事業なんだ」

 ユウイチがそう言う。その成果はすでに金額として目にしている。

「だからね、シンジくんが株で儲けているっていう話を聞いて、それを多くの人に伝えてもらえないかなって、そう思ったの。ぜひ力を貸して欲しいな」

 働く、今まで自分が周りを楽にさせたり、楽しませたりということなんて考えたことがなかった。けれど、自分の働きによって周りの人がそうなるのも悪くはない。

「私も今の仕事を初めて、多くの人がこのお店で笑い、楽しみを見つけることが生きがいになっています。おかげさまで、こうやってお客様が新しいお客さまを連れてきてくれる。本当にありがたいことです」

 マスターの言葉はなぜか心にしみた。オレは今まで株で金を稼ぐことしか考えていなかった。引きこもっていてもそれでいいと思っていた。けれど、それじゃダメなんだ。もっと外の世界に出ないといけない。こうやって人と出会って語り合うのも悪くはない。

「人の喜び、それが自分の喜びになる。そして、人生の成功とはどれだけ人を喜ばせたか、その数である。でしたよね、マスター」

「はい。これは多くの成功者と呼ばれる人がそう言っています」

 ユウイチの言葉、人生の成功とは、か。オレは金を稼ぐことが人生の成功だと思っていた。けれど違うのか。ここで何気なく残ったコーヒーを口にした。

 この時の味、少し冷めたコーヒーなのに熱く感じる。心の奥が燃えてきた、燃えて燃えて、今にも走り出しそうな感じ。

「ユウイチ、やるよ、オレ、やるよ」

 自分でも驚いた。口の方から先に言葉が出てきた。なんだかわからないが、オレの中にある何かがそうしろと叫んでいる。

「そうか、やってくれるか!」

 ユウイチはすごく喜んでオレの言葉を受け入れてくれた。ミキちゃんも同じように喜んでいる。

「早速だけど、もう走り出す準備はできている。シンジがやってくれると信じていたよ。よし、早速集客作業を開始するぞ!」

 ユウイチはとても張り切っている。今はこの流れに乗ってみるか。

 この不思議な喫茶店、カフェ・シェリーに来て自分が変わった。間違いなく変わった。働くということに対しての意識、人を喜ばせるという使命感、そして、そこで自分という存在が役に立つという周りから認められる感覚。こういったものが一気に自分の中に流れ込んできた。

 この日は早速今後の動きについて打合せを行った。二ヶ月後から株の学校をスタートさせるとのこと。それまでにオレにはおおまかなカリキュラムを組んでほしいと言われた。受講生はリアルで受講するコースと、その様子をインターネットで閲覧して受講するコースの二つが設定されるとのこと。その準備はすべてユウイチの方でやってくれる。

 そうして始まった株の学校。オレはユウイチが敷いてくれたレールの上を走ればいい、という状況。面倒なこともなく、非常にありがたい。

 今回の受講生はユウイチとミキちゃんも含めて十名程度。年齢もオレと同じくらいの若いやつもいれば、そこそこいっている人もいる。中にはどこかの社長か重役か、という恰幅のいいオヤジもいる。

「こんにちは、シンジといいます。今日からみなさんに株取引で勝つには、というコツをオレの実際のトレード実績からお伝えします」

 今回の株の学校は、株取引の基本的なことがわかっている人を対象にしたもの。なので、基本的な用語の説明とかは省いて、とにかく実践で成功した例、失敗した例を話せばよいということ。そこで質問を受けながら答えていくという形式なので、オレもやりやすい。

 こうして一回目が終わった後、ユウイチが集まっているみんなにこう切り出した。

「今回の株の学校、いかがだったでしょうか。よかったら一人ずつ感想をお聞かせいただけますか?」

 すると、一人目からオレに対して「悩んでいたところがよくわかった、ありがとうございます」という感謝の言葉を聞くことができた。その言葉を聞いて、胸が熱くなってきた。

「シンジ、どうだった?」

 生徒がみんな帰ってから、ユウイチが感想を求めてきた。

「ユウイチ、こんな場をつくってくれてありがとう。今までオレは働いたら負け、人の命令なんかに従うもんかと思っていた。でも違うんだな。確かに人の命令には従いたくはない。でも、人のために動くというのは気持ちがいいもんだ」

「だろう。ほら、こっちにもっとシンジが喜びそうなものがあるぞ」

 それはインターネットの中継で見ていた生徒からの感想。そこには多くの人が感謝の言葉をオレに向けてくれていた。こんなオレでも、人を喜ばせることができるんだな。

 とはいえ、中には厳しい言葉を書いている人もいる。ちょっとここがわかりにくい、こういう言い方はよくわからない、など。でも、必ず最後には「ありがとうございます」という言葉が述べられている。

「こういった厳しい意見ほど、ありがたいものはないんだ。そこを修正していけば、もっといいものになるよって教えてくれているんだからな。だから、こういうところを謙虚に受け止めていくことが大切なんだ。マスターが言っていた松下幸之助さん。あの人も謙虚だったと聞いている」

 そう言われると、これはユウイチに従うしかない。

「わかった、次の講座ではもっとうまく伝えられるように工夫をしてみる」

「うん、それでいいんだ。シンジ、なんかお前いい感じで貫禄がついてきたな」

「えっ、そうなのか?」

 貫禄、といってもオレにはピンとこない。だが、ミキちゃんがこんなことを言ってくれた。

「シンジくん、ほんとうの意味でお金持ちって感じがしてきた。今まではどっちかというと小金持ちって感じかな?」

「なんだよ、それ。どこが違うの?」

「うぅんとね、小金持ちってさ、オレお金持ってんだぜって臭いがプンプンしてくるの。だからどちらかと言えば人から嫌われる感じかな。でもね、今日のシンジくんはみんなのためにがんばってるって感じがするの。真のお金持ちって、そういうところがあるから信頼されるんだよね」

 真のお金持ち。そう言われて悪い気はしない。人のために頑張るって、そういうことなのか。これがほんとうの意味で働くっていうことなのか。

 ミキちゃんからそう言われると、さらに嬉しくなってくる。まぁ、残念ながらミキちゃんはユウイチのものだから、オレの彼女にはならないけど。

「でさ、そんなシンジくんに一ついい話があるんだけど」

「いい話?なに、それ?」

 何の話だろう?

「参加者に若い女の子がいたでしょ。あの子、私の友達なんだ」

 確かにいた。ちょっとかわいい女の子だった。実は話をしながら、非常に気にしていた。

「あの子がね、さっきLINEで講師の人を紹介してほしいって連絡があったんだ。シンジくん、チャンスよ、チャンス!」

 うそっ!こんな経験は生まれて初めてじゃないかな。ひょっとしたらオレに春が訪れるかもしれない。

「シンジ、人のために動くとお金だけじゃなく、こういった人的な利益も得ることができるんだぞ。どうだ、これからももっと人のために働いてみたいと思わないか?」

 オレは無言で、そしてやたらと首を縦に振った。もう言葉にならない。こんなにいいことがあるんだったら、もっと早く人のために働いていればよかった。

 思えば引きこもりになってから、人の役に立つなんてことは考えたこともなかった。その逆で、むしろ周りの人たちを嫌いになって、バカにして、自分の力だけで生きていこうと思っていた。けれどそれは大きな間違い。人のために働いてこそ、自分というものの価値も見いだせるんだ。

 こうしてオレの新しい人生が始まった。その日以来、オレは外に出ていろんな人と出会うのが楽しくなってきた。

「シンジくん、おまたせ」

 今日はミキちゃんから紹介してもらったさくらちゃんとデート。さくらちゃん、ミキちゃんの同級生で看護師をしているとか。でも、将来に不安があるので、株で資産をつくっていきたいということでオレの講座を受けてくれたらしい。

「今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「うん、オレの人生を変えてくれたお店に連れて行くよ。さくらちゃんもそこで、ひょっとしたら人生が変わるかもしれないよ」

 オレに働くことの本当の意味を教えてくれたあのお店、カフェ・シェリー。マスターには感謝しきれない気持ちでいっぱいだ。あれから訪れていないので、近況報告も兼ねてさくらちゃんを連れて行こうと思った。

 働いたら負け。そう考えていた自分が恥ずかしい。それはほんとうの意味の働くを知らない人の言葉だ。実はあれから、オレの資産も順調に増え続けている。人に教えることで、自分の取引スタイルを見直せたからだ。おかげでオレの資産はあっという間に億を超えてしまった。

 ほんとうの意味で働くこと。人に喜んでもらうことで、自分にもこうやって新しい喜びが与えられる。人の喜びが自分の喜びに変わる、これがあるからこそ、人は働けるんだな。


<働いたら負け 完>

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