逃げるしかない
「うっ…………」
俺は意識を取り戻す。
ボンヤリ眼に見えたのは水玉浮き輪と、それに掴まっている自分の腕だった。
他は一面が水、波は穏やかだった。
「……助かったのか?」
見回してみたが、近くに化け魚はいない。
穂織のクルーザーと、ゴムボートも見当たらなかった。
だんだん意識がはっきりしてきて、俺の頭は回り不安になる。
「海流に流されたか? まずいな、発見してもらわないと死ぬ。化け魚に食い殺されなかったのはいいけど、体温が下がり続ければ終わりだ。漂流して生還した最長記録は、七十五時間か……それ以前に、腹が減ってもちそうもない。はあー」
俺はため息をつくしかなかった。結局の所、助かるかは運である。
「えーい! うじうじ考えてもしゃーない。今できることをやってやる……あれ?」
俺は悲観的な考えは止めて、少し冷静になると、何やら違和感を抱いた。
気づいたことは三つ。
一つ、思ってる以上に水温があり暖かい。
二つ、波がない。体が全く揺れてないのだ。波が止まるなど、海では絶対にあり得ない。
三つ、何で森と陸地が近くに見えるんだ――!
島なら分かるが、遠くに見えるのはどう見ても山だ。
森林のある陸地も、少し遠いだけだった。
四、五キロくらいだろう、俺なら泳いでたどりつけそうだ。
体力的には苦しいが、やるしかない。
「岸壁が見えない。ここは湖か? 俺は海にいたはず……死んだのか?」
伝え聞いた三途の川ではなさそうだ。なにしろ亡者が見当たらない。
俺一人が亡者だったら話は別だが、それはないだろう。
「うーむ、仕方がない――いてっ!」
試しに自分の体をつねってみると、痛い。
痛覚はあるようで、神経麻痺はおこしてないようだった。
それでも生きてる確信が持てない。
次に水を舐めてみることにした。海水ならば塩っぱいはずだ。
「しょっぱくない!」
俺は両手ですくい、周りの水を飲む。
いやー、化け魚との戦いで、のどもカラカラだったのだ。
後で腹を壊そうが止められず、俺はガブガブと水を飲んだ。
これでようやく、俺は生きていることを確信した。
「ふうー、生き返った。よし、泳いで陸地に向かおう」
浮き輪をつけていて格好は悪いが、疲れ切っているのでまともには泳げない。
空腹は少し紛れたが、水だけでは力はでなかった。
俺はゆっくりと泳いでいく。
「森の近くに民家か、キャンプ場でもあればいいが――うっ!」
俺はうしろから殺気を感じた。
波が起きて、体が揺れる。何かが動いた証だ。
分かってはいても、俺は後を振り返りたくなかった。
いやだ! いやだ! いやだ!
絶対、見たくない!
しかし、水をきるような音は、確実に近づいていた。
「……うう、やっぱり!」
我慢できずに、振り向いてしまうのは人の本能、チラリと見ると背びれがみえた。
忘れようもない、奴だ!
そして、復讐に燃えているような赤い目が、俺を見ていた。
またもや、口を開けて襲ってくる。
「やっぱり死んでなかった! うおおおおおおおお――――!」
俺は死にものぐるいで、泳いで逃げる。
ナイフも体力も無くては、勝ち目はなかった。
だが奴の方がはるかに速く、俺はすぐに追いつかれた。
「誰か助けてくれー!」
俺は大声で助けを呼んだが、応える者はいない。
ガチンと、口が閉じられ、ついに噛まれる……