幕間
赤兜の背びれが見えた。スピードを上げて俺達に向かってくる。
疲れ切ってる俺達は、逃げられない。
「フローラ、魔法は使えるか?」
「もう無理、魔力がつきたわ……」
「そうか……」
俺は目を閉じ、覚悟を決める。
「フローラは泳いで逃げろ! 奴は俺が引きつける!」
「無茶よ! 死んじゃうわ!」
「まだ俺にはリンダからもらったナイフがある。そう簡単にはやられない!」
「やめて――――!」
フローラは大声を上げ、俺を止めようとした。目から涙をこぼしている。
だが、四の五の言ってる暇はない。このままでは二人とも奴に殺される。
俺はナイフを口にくわえた。
これで二度目か……同じ手は通用しないだろう。奴は頭がいいからな。
泳ぎだそうとした俺の頭上を、何かが飛んだ。
見上げると黒い線のようなものが見える。よく見ると、それは矢だった。
何本もの矢が、赤兜めがけて放たれていた。
「矢を撃ちまくれー! 勇者殿を助けろー!」
「おお――――!」
ロビンさんの声が後ろから聞こえる。
振り返れば、小舟に乗った亜人達が、弓を構えて次々と矢を放っていた。
赤兜に矢の雨が降り注ぐが、一本も刺さらなかった。やはり頭だけではなく鱗も固い。
それでも奴はひるんで、動きが止まる。
「おりゃ――――!」
そこにリンダが槍を投げつけた。唸りを上げて風を切り裂き、飛んでいく。
もの凄い速さだった。いかに怪力を発揮したかが分かる。
リンダが狙ったのは赤兜の残った片目、奴は大慌てて水に潜った。
かなりビビったように、俺は見えた。
「ちっ、外したか!」
わずか数センチ、槍は外れた。おしい!
それから赤兜は姿を現さなかった。逃げ去ったのだろう。
俺とフローラはボートに引き揚げられて、みんなに助けられた。
あんだけ自信満々に、「勝つ」と言ったのに失敗してしまい、顔向けできない。
浜辺に着き、ロビンさんのとこに行こうとするが、俺はめまいがして倒れてしまった。
「……ごめん、ロビンさん。みんなごめん、船をなくしちまった……本当にすま……」
「海彦!」
フローラの声が聞こえたのを最後に、俺は意識を失う……。
◇◆◇◆
「今回の勇者はどうかな? 兄者」
ロビンに聞いたのは、ダークエルフ族長でハイドラの父親、アラン。
「鼻っ柱がやや強いが、積極的でいいんじゃないか。責任感もある。神怪魚に立ち向かう度胸もある。前の勇者はあっさり消えたからのー、それに比べたらはるかにマシじゃ」
「確かに海彦は頑張っとる。だが……」
「この失敗で逃げださなきゃよいがのうー、ひょひょひょ!」
「おばば様、嫌みを言うのはよしなされ。海彦は敗れはしたものの、二度も戦って生き延びております。これは褒め称えるべきじゃ」
「ひょひょひょ、まあな」
「…………」
女神の湖の砂浜で、焚き火を囲んでいる者達がいた。
部族の族長達が夜半に集まっていた。他に人気はない。
メラメラと燃える火に照らされ、顔が見える。
三人は腰をおろし、オークの族長だけ立ったままの姿勢だ。
リンダの父親であり名は、オグマ。
亜人達の中で身長は誰よりも高く、二メートル三十センチもある巨人。
胸板も厚くて、着ている革鎧をはち切らんばかりだ。筋骨隆々、腹筋割れもすごい。
寡黙な最強戦士である。
エルフ族のロビンとアラン兄弟も、筋肉質で精悍な体つきをしていた。
ホビットのおばばについては一切不明。
老婆は仮の姿で、本当の姿を見た者は誰もいない。族長達ですら知らなかった。
それでも全員、数百歳の年齢だ。この世界では、ようやく老齢期にさしかかったところだ。
「昔はもっと強かったんじゃが……」
ロビンは愚痴るが、今でも海彦よりはるかに強かった。
全員がその気になれば、神怪魚を倒すのはたやすい。
実際、異界人がいない時代には、族長達が片付けていた。
やって来た勇者にたいしては、別なことを望んでいる。
「しかし、此度の勇者召還はおかしい。女神のお告げが全くなかった」
「そうじゃな、異界人は祭壇から現れるのが常じゃが、湖から来よった。もしかすると海彦は、ヘスペリスに偶然来たのではないのか?」
「迷い人か!」
「何か波乱の予感がするのう……」
「女神の力が弱まってるような、気がする」
「うむ……」
オグマがうなずく。
全員、予兆を感じており不安げな面持ちだ。
「この先、何が起きるかわからん。警戒はすべきじゃ」
「賛成だ兄者、皆に鍛錬に励むように言っておこう」
「薬や食料の備蓄も、増やしておこうかのう」
「再び、『災厄の日』が迫ってるのかもしれん。我らが幼い日に聞かされた神話じゃ、もはや知ってる者は誰もおらん。伝承ゆえに、本当に起きるかどうかも分からん」
「そうだな……」
しばらく誰もが口をつぐみ、火の粉を見ながら考えに耽っていた。
族長たちは星を眺めている。
「ところで、海彦のあっちの方はどうなんだ? 兄者」
「それがのう、どうも奥手のようじゃ。リンダにはかなり好意を持ったようじゃが……」
オークの族長は、ポキポキと指をならす。
怒ってるようでもあり、喜んでいるようにも見える。無表情なのでよく分からない。
「フローラと毎日一緒にいるわりには、手をだしてきた様子はないな」
「不能では困るな」
「いや、フローラの性格のせいじゃろ。あんなに気が強くては、誰だって萎えるわ」
「何だ、ハッキリいっとらんのか? 兄者」
「いや、勇者の嫁になる話は教えとったが、すっかり忘れておるのじゃろう。儂の言葉なぞ、右耳から入って左耳から出ていっておる。美しく育っても女らしさが全くないので、同族の男すら避けとる。このままじゃ、嫁の貰い手がないわ!」
「……まあ、うちのハイドラも女ばかりに、ちょっかいかけておるしなー。何を考えとるか、さっぱり分からん……」
「「はあー……」」
エルフ兄弟はため息をつく。娘に悩まされている父親だった。
「ひょひょひょ、異界人を婿にするのは我らの習わしじゃ。これは絶対に曲げられん。となるとロリエに頑張ってもらうしかないのー。海彦に少女趣味があればよいが……」
「難しいのう……」
「人間の王も黙ってはいまい。娘を送ってくるに決まっとる」
「海彦の取り合いじゃな、誰を娶るのやら……女神のみぞ知る、といったところか」
「うむ」
最後にオグマがうなずき、集まりは散会となった。
族長達の思惑を、海彦はまだ知らない。
◇◆◇◆




