♯38 無力
「死ぬかと思った…………」
煌上は思わず呟いた。
巨大な熊が大爆発を発生させる直前は、″死″を覚悟したものだが、どうやら一命を取り留めることはできたらしい。
身体中灰まみれになったことには不満があるが。
身体の汚れをパンパンと払っていると、上と下から呻き声が聞こえてきた。
「煌上っち……そろそろ首掴むのやめてくんねっすか?」
「煌上…………重い」
「女の子に何言ってんですか」
軽く憤慨した煌上が、自分の下にいる神谷の頭を叩く。
現在、三人はひどく不格好な体勢だった。
地面に作られた窪みの底に神谷が寝そべり、その腹を踏んづけて上に乗っている煌上が、後藤を窪みの蓋としているのだ。
後藤の″ダメージを喰らわない″という特性を活かして作った、即興のシェルター。
致死性の爆発を躱すのではなく、やり過ごすための手段として、煌上がパッと考え出したのだ。
三人は窪みから出ると、お互い愚痴り合う。
「ちょ、煌上っち! めっちゃ灰被っちまったじゃねっすかゲホッゲホッ。うへ、口の中にも入ってらゲホッ」
「俺を踏むんじゃねぇ! 重かったんだぞ!」
「だーかーら、女子に重いっていうなぁ!」
「コレ高級ブランドの服だったんすよ!? うわ裾凄く汚れてるんすけど! どうするんすか、大学の三人目の彼女のヨーコちゃんから貰ったんすけど!」
「こんな日にそんな服着てこないで下さいよ! てか三人目って……ん? 大学の?」
「重いものを重いって言って何が悪……ブフォ!?」
「団長はデリカシーなさ男ですか! そんなんだから彼女出来たことないんですよ!」
「腹殴んなよ、いてぇだろ!」
各々言いたいことを好き放題ぶちまけてはいるが、しかし三人の頭は冷静だった。
三人が生きてることに気が付いた巨大熊が、のっそりと歩み寄ってくる。
三人はいがみ合いながらも、目で動きを示し合わせると、突撃を敢行した。
見れば、巨大熊は多少傷が癒えたようだ。
煌上は「ふむ」と頷くと、斧に力を溜め始める。
白色のスパークが斧を迸り、徐々にその輝きを強めていく。
先までの攻撃では火力が足りなかった。思ったよりも巨大熊は皮膚が重厚なようで、耐久値を奪い切れないのだ。
故に、より力を溜めなければいけない。自分が出せる最大火力まではいかずとも、せめて本気の半分ほどまでは、スパークを練り出したい。
練るのに要する時間は約三十秒。その三十秒、熊の致死性の攻撃を掻い潜らなくてはならない。
それがどれほど困難なものなのか、到底分かっている。チャージしている間はどうしても、攻撃を躱すことしかできない。斧でガードすれば、チャージが途切れてしまう。
一度躱し損ねれば、死に瀕する可能性だってある。文字通り、命を懸けなければならない。
果たして、ここまで自分の身を、他人の為に危険に晒す必要があるのか。
つい生まれた後ろ向きな思考を、煌上はすぐさま振り払う。
思い返されるのは、辛く苦しい記憶。
煌上は息をグッと飲む。
目の前でかつての自分のように苦しんでいるのなら、手を差し伸べるべきなのだ。
かつて、自分がされたように。
きっと、それが恩返しだから。
「━━待っててね、ウサちゃん」
先を行く二人に続いて、煌上は灰の大地を駆け出した。
✕ ✕ ✕
巨大な灰の竜巻が、黄金の熱風とともに巻き上がる。
鎖の先端をレオルの足が固定している故に、鳴海は逃げ場を失い絶対絶命のピンチに陥っていたのだ。
金と灰が入り乱れた竜巻は、次第に勢いを弱めて小さくなり、やがて消えていった。
巻き上がった灰が空から降り注ぐ。レオルは微量の熱風を放つことで、自分に降りかかる灰を吹き飛ばした。
「もう少し、威力抑えるべき…………だったか?」
まだまだ本気ではないとはいえ、無防備な少女一人に対して過剰な威力だっただろうかと、レオルは軽く後悔の情を抱く。
レオルが踏みつけている鎖に沿って視線を動かすも、本来繋がれている筈の少女の姿はない。
鎖が切れて遠く彼方に消し飛ばされたのか、あまりの遠心力に振り回されて五体がバラバラになってしまったか。
いずれにせよ、防御の構えすらとれず鎖に繋がれていた少女では、とても耐えられない威力ではあった。たとえ、アンノウンであったとしても。
「死体がねぇんじゃ、埋葬も謝罪もできねぇじゃねぇか…………馬鹿なのか、俺は」
レオルは溜め息をつきながらその場に座り込む。その顔は険しい。
「ったく、やっぱ殺すのとか、後味ワリィんだよホントに。俺が喰いたいのは″命″じゃねぇってのに」
ぼやくレオルの声音は儚く縋るようだった。
きっと彼の心情は暗かったのだろう。
だから。
一瞬反応に遅れたのだ。
不意に危険を肌で感じ取って、その場から飛び退く。
同時に、先程までレオルのいた場所が蹴撃される。
すらっと伸びた色白の足が、灰を巻き上げ空を切る。
「そんな……不意打ちできたと思ったのに…………!!」
「━━どうやってあの竜巻を耐えた……いや、避けたのか」
改めてレオルが見れば、鎖が切れたにしては切り口が綺麗だった。ダメージで切れたのではなく、人工的に切り離されたように見て取れる。
「なるほど。″鎖を自在に切り離せる″っていうのも、能力の一部ってわけか」
レオルの踏みつけていた鎖が突如霧散し、代わりに鳴海の手元に新しい鎖が現れる。
「今のは、一本しか鎖を出せないっていう証明なのか、それともそういうフリなのか……?」
「………それを、言うわけない、でしょ?」
負傷のせいで途絶え途絶えな鳴海の言葉を聞き、「だろうな」とレオルは頷く。
「んじゃま、続きやるか? 正直俺は乗り気じゃねぇが。さっさとあの巨大熊喰って帰りてぇ」
「熊を食べる……? あれ、ぬいぐるみだよ」
「知ってる」
レオルが跳躍したのと、鳴海が鎖を放ったのはほぼ同時だった。
跳躍により鎖を回避し、そのまま空中から鳴海に襲いかかる。
レオルは鳴海を踏みつけようとするが、鳴海は身を翻してそれを躱し、そのまま回し蹴りを放ち━━。
「……え!? うあぁ!?」
鳴海は完璧なタイミングで蹴りを放ったつもりだったのだ。レオルが着地し、その次の動作に映る直前に、蹴りが直撃するように。
だが、想像以上だったのだ。レオルの動作速度は。
瞬く間に三発ほど軽い蹴りを背中に入れられ、鳴海は吹き飛ばされる。
「は、はや……ガハッ」
空気を強制的に吐き出され、思わずふらつく。
鳴海が体勢を整えきる前に、レオルはさらに追撃を加える。
鳴海の右肩、太腿、脇腹など各所に、数発の軽い打撃が加えられる。
一発一発は重くないものの、防御もままならなかったため、鳴海はそのまま崩れ落ちてしまう。
膝に地をつき、苦悶の表情を浮かべる鳴海。
レオルは「ふぅ」と一息つくと、
「これだけ力の差を見せつければ、十分だろ」
レオルは手をひらひらさせながら、鳴海に問いかける。
「…………私を退けたら、相良ちゃんの所に、行くんでしょ?」
「…………一応、そういう命令だし。俺の目的の成就に一番手っ取り早いからな。あぁ、でも倉田ヒロについてはあんたからぜひ聞かせてくれ。幼馴染なんだろ、詳しいはずさ」
「…………それは口が裂けても教えないから」
「そか。なら今回は諦める。痛めつけて問うのはどうにも後ろめたいからな。だから、今回は代わりに退いてくれ」
「やだ。両方言うとおりにしない」
断固として、鳴海は拒否を取り下げない。
「我儘だぜそれは。常にいい方だけを選ぶなんてのは、無茶なもんだぜ」
レオルは窘めるように語る。
鳴海は膝立ちすらままならなくなり、地に手をつく。
「どの道、もうあんたは抵抗できねぇ。だろ?」
「…………万全の状態でも、まともに抵抗出来てなかったよ、私は」
「…………そうだな」
鳴海の体は限界で、もう立ち上がることもままならなくなっていた。
「なら、私を無視して、先に進めばよかったじゃん…………余計な手間もないし」
「…………そうだな」
レオルは目を瞑って頷くと、
「本当にそうだ。何、馬鹿正直に付き合ってんだかな」
レオルは歩き始める。熊が暴れる戦地に向けて。
「行かせ、ない…………!」
いくら声を振り絞ろうとも、立ち上がる力は残されていない。
レオルは、ゆっくりと鳴海を抜き去っていく。
どんどん遠ざかる背中に対して、鳴海は無力感を噛みしめる。
どうにもできないもどかしさと、傷の痛みとが、一気に鳴海を襲って、涙が零れ落ちる。
人生で一番苦しかった日、″人間″がいかに弱い存在か知った。いくつもの、苦痛を与えられ続け、しかし鳴海にはその状況を改善する術はなかった。
(結局、命を懸けて助けに来てくれた幼馴染まで傷ついて、やっぱり何もできなかった私は、どこまでも弱かった)
(だけど、私も″人間″じゃなくなった)
(初めは戸惑ったし、自分が気持ち悪かった)
(でも、強くなれたんだと考え直して割り切った。割り切れたのだ)
(けれど、結局私は弱いままだった)
読んでいただきありがとうございました。
連続で主人公でない回でした。そろそろ活躍させましょうかね……。
これからもよろしくお願いします!




