♯3 喫茶店での語らい
第三話です。
よろしくお願いします
目前に迫る拳。
躱すことも防御することもできず、拳から目を逸らすことしかできなかった。蒼鉄による防御も間に合わず、つまり男の殴打を僕はモロに喰らわなければならないわけで。
男が勝利を確信した笑みを浮かべる。あ、これ気絶コース待ったなしですやん……。
ゴスッ。
鈍い音を立てて吹き飛ばされる。そのままゴロゴロと十数メートルは転がされる。
飛ばされたのはヒロではない。
猪男が、だ。
突如割って入った第三者によって。
「グッ……な、だ、誰…………だ俺を殴りやがったのは!」
腹を抑え、苦悶の表情を浮かべながら男が声を荒らげる。対して、乱入者は至極平然と、僕と男とに挟まれた位置に。
乱入者は筋骨隆々の大柄な男で、髪型はやや長めの黒髪のオールバック。季節外れの長袖の作業服をまとい、右手には柄が一メートル以上の長さの大きなシャベルを抱えている。先程男を飛ばしたのも、このシャベルだ。ヒロに背を向けているため、顔は見えない。
逆に、乱入者の顔が見えている男は、先程までの威勢はどこへ行ったのか、「な、何でアンタがこんな所に……」と震える声で呟いている。乱入者はゆっくりと男の方へ歩み寄っていく。それに対してビクッと肩を揺らして男が後退る。
「お、おいノブナガさんよォ。まさか俺を始末しに来たのか?まだ殆ど暴れてないのにか?」
「…………いや。戦闘を見かけたから止めに入ったまで、だ」
ノブナガ、そう呼ばれた乱入者はあくまで平然と、淡々と述べる。そして、「始末されたいのなら、痛みを感じる間もなく楽にしてやるが。どうだ?」などと恐ろしい事を提案し始める。
ガシャン
男を脅す為か、ノブナガはシャベルでわざと音を鳴らす。
その音にビビり、一瞬で三メートルは距離を離す男。男の顔色が一気に青ざめ、血塗れの顔がさらに酷く見えてしまう。
ヒロはと言うと、この緊迫した空気に呑まれて口一つ出すことが出来なかった。
暫く続いた静寂は、男の怒号によって破られた。
「…………どいつもこいつも俺の邪魔しやがって。邪魔なんだよ!!消え、失せろォォォ!!」
男の裂帛の叫びと共に、放たれたのは炎の猪。同時にまたも煙が周囲を充たしていく。
白煙によって急速に塞がれていく視界、何処から突進してくるのか分からない火の塊…………ヒロの場合は、蒼鉄の鎧によって猪を無効化出来るからダメージは無いが、ノブナガはどうだろう。能力が何か分からないので、炎の猪に耐性があるのかどうか分からない。
ノブナガは一つ小さくため息をつくと、やはり焦りの無い、極めて自然な所作でシャベルを構える。
そして突然思い切り良く豪快に空を切った。とんでもない風切り音、突風と共に、周囲が突然晴れていく。身体能力が一般人とはかけ離れている異能力者、その一人であろうこのノブナガ。いくら身体能力が高くても、シャベル振るだけで煙を吹き飛ばす事ができるものなのか。ヒロの場合は巨大な団扇を作り上げたから対策できたけど。
突進してくる猪も、同じ要領でシャベルを振るい、その圧倒的なまでの風圧で猪を掻き消す。
…………は?
ノブナガはつまり、能力を使わずともシャベル一つで男の能力を無効化してしまったのだ。
………………………………は?
煙も猪も払われて、すっかり見通しの良くなった廃工場。もう使われなくなった機械や錆びれた建造物、そしてヒロとノブナガの二人以外、周りには何も無い。男の影も形もそこには無かった。
「…………消えた?あの男は僕達を殺すためじゃなく、逃げるために能力を?」
「本気で探せば直ぐに見つかるだろう。だが奴の潜伏先など些細な問題だ」
「?…………あ、助けてくれてありがとうございま……す?」
もしやノブナガの標的はあの男だけでなく僕も含まれます?と暗に問う。あの男ならともかく、この人には全く勝てる気しないんですが。
「君と争う気はない。君が、敵でないのならな」
そう言って、ノブナガは目だけこちらに向ける。
ノブナガの横顔は、如何にも強面といった感じで、オールバックの髪型や体格も相まって凄い迫力だ。失礼なことだけど、服装も踏まえれば工作員とかに見える。というか適役すぎる風貌だ。
ノブナガの鋭い睨みに、身が竦んでしまう。
これ程のプレッシャーは、これまでのおよそ十六年間で一度として体験したことはない。小学一年生の時に、六年生のガキ大将に睨まれた時ですら、ここまでビビリはしなかった。
「……少年、あの男とは一体どういった関係だ」
「え、あ、鼠と猪、じゃなくて、被害者と暴徒って感じですかね。昨晩会ったばかりですけど」
「そうか」
顎に手をやり、暫く何かを考え込む仕草をした後、ノブナガはスマホをポケットから取り出す。誰かと電話をしているのだろう、耳にスマホを当てること五分。
(早く帰りたいんですけどね、なんとなく帰っちゃ駄目な雰囲気なんですよ、厄介なことに)
更に五分が経過。計十分。この十分があれば家に辿り着いている。
「おい」
「は、はい!?」
突然声がかかって、振り返れば相変わらず見る者を圧倒する強面。
(よくよく考えたら、なんで僕、こんな所にこの人と居るんですかね?)
「…………行くぞ」
「……? 行くって、何処へです?」
「早くしろ。置いてくぞ」
「え、ちょ、え!?」
分かったことがある。この人は強面で大柄で剛健で、そして何より非常に直情径行な男だ。
✕ ✕ ✕
「ーーつまり、だ。俺達はそれぞれコミュニティのようなものを築いて平穏な生活を送る為の最善の努力をしているんだ」
「はぁ。そうなん……ですね?」
ズズッと珈琲を飲む。甘党であるヒロとしては、勝手に注文されていたブラックを飲みたくない。だが、問題はそれを注文したのが目の前に座る大男だということで。哀しいかな、自分よりも強い存在に喧嘩を売るような真似が出来るほど、図太い神経をヒロは持ち合わせてはいない。
あの廃工場から少し離れた、降谷川沿岸部田舎サイドの小さな喫茶店。店長の趣向なのか、アンティーク調に整った内装と、ゆったりとした曲調の店内BGM、何より店長が淹れる珈琲の味により、ちょっとした人気スポットとなっている。今も客はところどころでゆっくりと寛いでいる。ヒロもここに鳴海と勉強(宿題の答え写し)をしに訪れることが多々あった。その時は、カフェオレを砂糖でさらに甘ったるくして飲むのだが。
突然喫茶店に連れられ、話している内容は決して楽しい話ではない。異能力者ーーノブナガ曰く、アンノウンについて、だ。先程訊いていた話は、アンノウン達は基本何らかのコミュニティに属して情報交換、協力体勢を敷く事で円滑に日常生活を送っているそうな。アンノウンである事を一般人に知られると面倒事に発展するし、アンノウン同士で知られても争いに発展しかねないからだそうだ。
アンノウンと言う呼び名から、日本中に分布しているというコミュニティの存在まで、その何から何までが無知だったヒロとしては、暫く頭を捻り続けることとなったが。
「少年、君がそんな身体になってから、何回戦闘を行った?」
「えっと、数えてないのでアレですけど……パっと五回は思いつきますね」
アンノウンになってからの一ヶ月間、突然他のアンノウンに襲われることはあった。大抵は蒼鉄コーティングで相手の攻撃を掻い潜り、何とか一撃入れて怯んだ所を全速力で逃げる……という感じで無事生き延びてきたわけだ。
「その戦闘の中で、君から仕掛けたことは?」
「いえ、無いですね」
「…………では何故襲われたと思う?」
珈琲をゆっくりと飲むノブナガ。
ヒロは問いを反芻しながら、そういえばなんでだろうと考え始める。思えば、襲われてすぐは「何で突然!?」って考えるけど、逃げ終わった後は「逃げ切った」という満足感や「生きながらえた」という幸福感で他の事を考えはしない。
ヤバイ奴、という印象が生まれるために、受けた狂行の動機を深くまで探ろうとはしない。
その後は「あんな事があったなぁ」程度の思い出になってしまう。人間っていうのは案外、死にそうな場面に遭ったとしても、生き残ったと言う満足感以外頭に残らないものなのかもしれない。
「簡単に言うとだ、他人の平穏な生活の中に、君が踏み入ったからだ」
「踏み入った……? 僕はただ暮らしているだけなのに、ですか?」
踏み入ったーーもしくは踏み荒らした、憶えはない。
ヒロはただ、のんびりと、陽光の中揺蕩うような生活を続けていたいだけだ。そんなヒロが、わざわざ他人との間に争いの種を撒こうなどする筈がないし、やろうとも思わない。ニュースを見れば、なんで兵器を作るんだと憐れみ、なんで戦争を始めるんだと嘆き。戦うなら正々堂々サッカーで戦おう! なんてサッカー世界平和宣言を、さも有名なキャプテンのように訴える。勿論、嘘だけど。
そんな風に生きてきたヒロが、他人のテリトリー上に踏み入っていたとは、俄に信じ難いし信じたくない。
「そうだ。そうだな、例えば……例えばの話だ。君のクラスに転校生が来た。そいつはアンノウンだ。相手は君と仲間になる気はない。それどころか、君とは敵対関係だ。君はどう思う?」
「…………厄介だと、思いますね」
協定を結べないのであれば。下手すればヒロの日常生活を壊しかねない爆弾が、日常生活に溶け込んでいくわけだから。
一歩踏み入ればヒロの周り有象無象を破壊し尽くし、一歩遠ざければ目の届かぬ所で暴れまわり。適切な、それこそ牽制しあえる距離感、立場に居なければ、即座にゲームオーバー。
ヒロ は めのまえ が まっくらに なった!どころでは済まされない。
これを、厄介と言わずして何と呼ぼうか。
「人は、他人に秘密や弱みを握られ、露見される危険がある場合、それを排除しようとする。暗殺や社会的排除が行われるのは、大概それが理由だ」
そう言って、ノブナガは珈琲に口をつける。
その表情には抑え難い何かを孕んでいるようで、今まで微動すらしなかった表情に初めて変化が。ヒロは心理学者でも無ければ、メンタリストでも無い。ことに、心情の読み合いにかけては然程強くないヒロが読み取れるわけがないのだが、微々たる表情の変化が少し、頭の中では印象に残った。
「君を襲った彼ら、もしくは彼女らも、その大抵は好戦的なのではなく、むしろ自身の平穏を守るために君に攻撃を仕掛けたのだろう。能動的であり、ある意味では受動的だ。迎撃なんだよ。少しでも自身の正体が広まる危険を摘むための」
「…………僕、いつの間にか人の生活を踏み荒らしかけてたんですね………。自衛のためとはいえ、一発殴るのはまずかったんですかね?」
先程もそうだ。男の顔面に拳を入れたけど、実際はそこまでしなくても逃げる隙を造るくらい可能だった。
勿論、切羽詰まったあの状況で、冷静に力の匙加減やその後のプランを練れるほど、ヒロの頭は高スペでも無ければ平静でも無かった。間一髪男の攻撃を避け続けてみせただけであって、もしも顔面に直撃していたならばヒロの身体は今頃どんな目に遭っていたかわからない。
だから、仕方のないことだと切り捨てることは簡単だ。誰もその選択を責め立てないだろうから。同情心を焚き付けて、人の良心に縋ることができるから。極めて自分にとってお得な選択だ。何も別に、ヒロはあの男に同情したいわけではない。
けれど少しの罪悪感も感じずに力を振るうのは、きっと平和的ではない。正しい感覚ではない。
「…………結局彼らは君が何の危害も加えていないのにも関わらず、先に手を出した。気にしなくていい、自業自得だ」
それに、とノブナガは短く切る。ヒロは話の続きを待ち構える。
「先程の男は好戦家だ。狂ったかのように戦闘のきっかけを見つけ出しては、問答無用に暴れ倒す。そういった性質の人間なんだ」
「好戦家…………。さっきの男のこと、知ってるんですか?」
もし、何か知っているなら僕の知り得ない弱点を知りたい。二日連続のエンカウントのせいか、どうにもまたあの男と邂逅しそうな。
「知らない、と言うのが正しいだろう。彼の素性の一切知らないからな。だが君は奴とはもう関わらない方がいいだろう。何より、アンノウンについての情報は、知り得ただけで軋轢の元となりかねん。アンノウン関係の情報交換とは狭く密に行われるべきであって、あまり広く回らない方がいい。君がもし、平穏な日常を過ごしたければこの先は言えん。アンノウンの世界には、あまり踏み込まない方がいい」
「分かりました、聞きません」
あんな凶暴な奴と既に二回出逢ってる身としては、もう二度と会いたくないものだ。いやはや、むしろなんで二回も戦ったんでしょうね。
珈琲を口に含む。やはり、この苦味と共存できる気がしない。
「…………これはおまけだ。昨晩のあの男と、今日以降のあの男は切り離して考えろ」
「え?それってどういう…………」
「さて、俺はもうそろそろ行くが、何か聞いておきたいことはあるか?」
ヒロの問いに対する答えはない。ただ黙って、ノブナガは珈琲を一気に飲み干す。そしてスマホをまた取り出し、幾度か文字を打つとこちらに向き直る。
聞きたいこと、かーー。山ほどあるけれど、寧ろ聞きたいことがあり過ぎてどれから聞けばいいのか分からない。こういう時は大抵、後々あれを聞いておけばよかったと後悔するものだ。
そして何より、山ほどあると言いつつも、本当はパッと思いつかないものなのだ。咄嗟に「欲しいものはない?」と聞かれて、頭真っ白になって何も答えられなくなるのと似ている。元々欲しかった物があるのにそれが咄嗟に出てこなくて後で後悔しちゃうんだよな。
しかし疑問は多々あるも、その中で一際強く知りたいことが、ヒロにはあった。もっとも、こんなものは全く自身のこれからに関わりのないことかもしれないし、今はもっと別のことを訊いた方が有意義だと分かっていても。周りに呆れられるような愚問だとしても、それでも、訊いておきたかった。
「じゃあ、一つだけ。いいですか?」
「答えられる限りでは、な」
「探している人が、いるんです」
「…………」
あの少女がアンノウンである可能性がある以上、少なからず、ヒロよりもアンノウンの世界に深いノブナガを頼るのは、あながち間違いではないのだろう。
「僕、えっと………アンノウン、になった日に死んだんです。車に轢かれて。でもその時通りかかった少女に多分助けられたんです。金髪で、長髪を下ろしてて、後ろに黒いリボンが付いていて、とっても綺麗な人だったんです、多分。そんな事しか記憶に残っていないけれど。……………そんな感じの人、知らないですかね?」
死の瀬戸際で、薄い意識で、それでもあの美しい金髪は憶えている。
陽光に透かされ、美しく舞う金の髪。
ぼやけた視界の中で、唯一鮮明に見て取れたものだったから。逆に、そこに目を奪われ過ぎて他の事に目がいかなかったけれど。
ノブナガは黙って僕を見続けていたが、途中で顎に手をやり、考え込む。
「……………………………もしその少女と会ったらどうするつもりだ?」
ノブナガはヒロを、僕の奥底を測るかのように静かに問いかける。迷うことなく、ヒロは答える。
「お礼を言いたいんです。助けてもらったお礼を」
面白みもない、ただ真っ当なだけの動機。たったそれだけだけど、今のヒロにとっては最も重要なこと。シンプルに、ただありがとうと伝えたかった。向こうがヒロを覚えてなかろうと。もしかしたらヒロを助けてくれたのは彼女じゃないのかもしれない。けど、あのとき確かに彼女は僕に手を差し伸べようとしていた。
「………………そうか」
ノブナガはそう、短く呟く。その顔は、微かに微笑んでいるようにも見えた。安堵しているようにも。
「すまないが、心当たりない。だが見つけたら君が会いたがっている旨を伝えることを約束しよう」
「お願いします」
僅かながらに、少女に会う希望が見出だせた気がして、心の底から喜んだ。最も、彼女に繋がるヒントを得たわけではないが、それでも前進したような気がして。
ノブナガは手荷物を手早くまとめると、レシートを取る。ヒロも習ってリュックを背負い、財布からコーヒー代を出そうとすると、ノブナガは手でそれを制する。
「こちらの都合で付き合わせてしまったからな。ここは奢らせてくれ」
「いえ、そんな…………………じゃあ、お願いします」
喫茶店から出ると、空は橙が色付き始めていた。思っていたよりも長く話し込んでいたらしい。今日は父親は泊りがけで仕事、母親も帰りが遅くなるそうなので家事全般はヒロがせざるを得ない。リュックに今は隠れている、制服の焼け跡をどう誤魔化すかと考えていると、ノブナガに呼び止められた。
「少年、一つ提案がある」
「提案、ですか。どのような……」
「何、変な話ではない。先程話したアンノウンのコミュニティの事だ」
あぁ、そういえばアンノウンは独自のコミュニティを築いて情報交換しているんでしたっけ。
「最近、ここら辺のコミュニティのいくつかに不穏な動きが見られる。君のように、どのコミュニティにも属さないアンノウンは、勧誘されるか処分されるか、どんな目に遭うか分からない」
「しょ、処分…………!?そんな物騒な」
「自分のコミュニティに楯突く危険がある者は排除されることが往々にしてある。フリーのままでは明らかに危険だ」
「た、たしかに」
(アンノウンって血の気が多い連中ばかりなんですか?)
あの男を思い浮かべる。とんだ物騒な世界に踏み入ってしまったものだと、車に轢かれた日を少し恨む。
なんにせよ、ノブナガの言うとおりならこのままではまずい気が━━
「だからこその提案だ。うちのコミュニティに入らないか」
それは、先程の『アンノウンの世界に踏み入れるな』という警告を考えれば、まさに真逆な台詞だと、僕はヒロそう思った。
読んでいただきありがとうございました!
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