♯34 前夜
隔離区域にて。
荒れ果てた大地の上、金髪の少女は腰を落としている。
地面を手で掬うも、灰のような砂が指と指の間からサラサラと抜け落ちていく。
少女は小さく溜め息をついた。
「なんで、こんな所に足を運んだんだろ私」
七月九日金曜日。
久しく学校に登校するも、一人とて友人のいない少女にとってそこはつまらない場所でしか無かった。
仮病を使って早退したのだ。
家に帰ろうと自転車を漕ぎ、しかし無意識に辿り着いたのは此処だったのだ。
ある一人のアンノウンが引き起こした破壊の爪痕たるこの地で、少女はただぼーっと周りを眺めている。
そこに情趣的なものは一切ない。趣深い自然など此処には残されていない。
ただあるのは灰の一色。
眺めるものなど何もない。
しかしある意味、全てが眺める対象だった。
少女は寝転んで、空を見上げる。
大きな青いキャンバスに、色濃く残った飛行機雲の一線。
少女は飛行機雲を目で追う。
廃れて朽ちて何もない大地とは対照的に、美しい青空だった。
ただその青空の美しさに目を奪われていたのか、何かに思いを馳せていたのか、とにかく少女は空を眺め続ける。
「気合、入れなきゃな…………明日」
少女は両の頬を思いっ切り叩いて起き上がると、灰の丘を降りていく。
自転車を停めた場所まで辿り着くと、少女はもう一度灰の大地に目をやった。
黄色と黒のテープで厳重に囲われている、隔離されている。
風が突然吹いて、灰が少し舞った。
少女は舞う灰が地に落ちるのを最後まで見届け、そしてその場を立ち去った。
✕ ✕ ✕
「さて、調子はどうかな?」
七月九日金曜日。
ヒロは夕凪の部屋に居た。
ここ数日、この部屋で放課後特訓していたのだ。
「…………ぶっちゃけ微妙っす」
「うん、今の二倍は早く蒼鉄扱えなきゃ話にならんわ。でもだいぶ鎧のモデリングは出来てきてる。自分の動きに合わせて鎧の関節部を変形させるのも、まぁ出来てきてはいる」
「そりゃあ、毎日数時間ここでやってたら…………ねぇ? おかげで宿題もゲームも全く進まなかったよこの野郎!」
「この野郎とはなんだ、この野郎とは! 君、この私ほ必死の指導があってここまだ来たんだろう!? その私に向かってそんな口を……」
「あんた初日以外、僕放ったらかしにしてずっとゲームしてただけじゃねぇかよ!」
ヒロは憤慨する。
正直、この部屋で特訓する必要がないレベルで放置状態だったのだ。
日々コツコツと何かをすることがまず苦手なヒロが、毎日ここまで自転車を走らせて頑張ったのだ。ほぼ独学で。
「いいか? 私は君じゃない。従って君の能力を使う感覚なんざさっぱり分からん。教えようなんて、ほぼないじゃん」
「んじゃ別に、一人で自宅でやってりゃ良かったじゃんか」
「それはさておき。トラウマの方、だいぶ治りは上々のようだよ?」
「実感ないけど」
「精神的な傷って、肉体的な傷と比べてすっごくわかりにくいからね。実感がないのは当たり前だよ」
夕凪は豪快にソーダーを飲む。ペットボトルの中身がみるみるうちに減っていく。
「もう少しで″鎖見たら発狂はするが、耐えれなくはない″レベルにまでは治ると思う」
「今はどんなレベル?」
「ん? ま、発狂して悶えて、運悪けりゃ意識手放すくらいかな」
「…………まだ重症じゃないですか」
「精神的な傷がそう簡単に癒えるもんか。素人がここまで頑張ったんだから上出来ってもんさ」
夕凪はプロのカウンセラーではない。
その割に、手慣れている様子ではあった。
「ま、精神的なものって、案外コロッと治ることもあるし」
「そういうもんすか」
「要は、君がどれだけ気にしないでいられるかだから。運良く簡単に乗り切れることだって少なくないし」
「結局、運次第ってこと?」
「きっかけがうまく降ってくるかどうか、ってことに関しては運任せにはなるわなぁ。それより、明日気をつけなよ」
「…………やっぱ、暴走してるアンノウンってヤバイ?」
「勿論それもあるよ」
夕凪は真剣な顔でヒロに向き直る。
「アンノウンの能力っていうのは、普段は五割も力出てないの。それ以上は力の制御が難しくなってしまうから」
「コントロールできる出力に、自動調整されているってことか」
「そういうこと。その出力の上限は、能力を使い回してればどんどん上がっていく。出力を上げれば上げるだけ、人の理から吹っ飛んでく」
「強くなるってことですよね」
「ついでに、制御が効きにくくもなる」
「…………制御を失ったら、暴走する?」
ヒロの問いに、夕凪は頷く。
「能力を最大まで引き出せる代わりに、自身では一切操れなくなる。暴走の作用は人それぞれで、理性を失うものもいれば、意識は残っているけど勝手に身体が動くもの、暴発して身体の一部に異変が生じるもの、何かを失ってしまうもの」
「━━相良の場合は、どれですか」
「ぬいぐるみの操作が全くできなくなる。彼女以外の物は全て攻撃対象。壊れるまで、どこまでも暴れる」
「ビームとかバリアできるんだっけ?」
「そ、文字通り派手な奴をドカンとね」
「制御できないってことは、とにかくビーム乱射って感じ?」
「うん。これは予測だけど、マジでやばいと思う。むしろ、ただ乱射するだけなら楽な方さ」
ビーム乱射も、ヒロには十分にヤバイと思えてしまう。
「まぁ、新人な君はさすがに大きな役割与えられてないでしょ。直接うさちゃんと戦うことはないはずだけど?」
「あ、そういや見張り役に割り振られてたな。鳴海と一緒で」
「仲良し幼馴染コンビが見張りか、イチャイチャしてて敵の介入を許さなきゃいいけどね」
「…………敵?」
ヒロは思わず問うてしまう。
「そ。敵。君も見たんだろう、カリバーンとかいうわけわからん集団を」
パッとあるイカれた宣教師の顔がヒロの頭に浮かび上がった。
「…………大崇信マウル」
「そう、ソイツが所属してる団体さ。人間アンノウン問わず惑わせて、入信させる」
「そいつらが、なんでこっち側の事情に介入を」
「妨害、ただの妨害だよ」
カリッとかりんとうを食べながら、夕凪は笑う。
「イカれた奴らの考えなんて、理解しようとするだけ無駄さ。だから、そう深く考えちゃ駄目」
「……明日、ほんとに介入なんてされるのか?」
「多分ね。それらしい動きもあるし」
「団長には言ってあるの? それ」
かりんとうを砕く音。
「…………用心し給えよ? 倉田ヒロ」
「まぁ、一応新しい戦闘スタイルも開拓したし、頑張りますよ。相良ちゃんの為にも」
「もしかして君、ロリコン?」
「違うわ!」
咄嗟にヒロは否定する。
「ま、君の性癖はなんでもいいんだけど、最後に一つ忠告しておこうか」
「はい?」
「君がもし暴走したら、碌でもないことが起こるよ」
夕凪の顔はもう笑ってはいなかった。
「正直、うさちゃんレベルのヤバさではないよマジで」
「それってどういう……」
夕凪はスッと椅子から立ち上がると、ヒロを部屋から追い払う。
「はいもう帰った帰った。明日、頑張り給えよ。ウチも今から頑張ってレイド挑むから!」
「ゲームかよ!」
ゲームのために、ヒロは部屋から追い出されてしまった。
パタンと閉められたドア。
相変わらず、慌ただしく理不尽な人だ。
ヒロは不満げにドアを睨み、暫くしてバーを立ち去った。
✕ ✕ ✕
夏の夜、蒸れた空気に満ちた帰り道。
月を見上げ、ヒロは溜め息をつく。
「なんだか、面倒ごと巻き込まれてばっかだな僕」
ヒロは、アンノウンになったあの日以降の自分に同情する。次々と面倒ごとに巻き込まれ、その度に奇妙な出会いをし、苦しい思いをし続けている。
報われない自分の不幸さに肩を落としながら、幼馴染の待つ自宅へと向かっていった。
読んでいただきありがとうございました!
次回はようやく二章の終盤にさしかかります。説明のやたら多かった二章ですが、こっからは戦闘の連続です。
次の更新は恐らく水曜日になると思います。よろしくお願いします!




