♯29 兎の少女
降谷市を二つに分かつ、降谷川。
降谷川に沿って北に行けば、やがて降谷市を抜けて美山原市へと辿り着く。
逆に、川に沿って南に行けば、辿り着くのは小規模の荒野。小規模といえど、荒野の規模は町一つ覆うほど。
降谷市と港町である名波市の狭間に広がった荒野は、数年前に生み出された。
元は生命の溢れる山だったその場所は、一瞬にして朽ちてしまった。
命は尽く摘み取られ、大地も建物も崩壊した。自然物だろうと人工物だろうと、関係なしに消滅した。
ただ、一瞬のうちに″略奪″されてしまったのだ。
どれほど高名な学者達も、この荒野の原因を突き止めることは未だできず、今もなお研究は続いているも、進歩はまるで無し。殆どの学者は、匙を投げてしまった。
災害地が辺鄙な山だった為、犠牲者が出なかったのは幸いだろう。それでも、多くの罪無き命が摘み取られたのだ。
荒野とかしたその場所には、何故か一切の草木も育たない。ただ、粗く削られたような、醜いクレーターがあるだけである。
この荒野は、突発的な災害の地ーー隔離区域として、今もなお降谷市に爪痕として残っている。
✕ ✕ ✕
「相良うさぎ、です……」
『Trashy Rebellios』店内にて。
うさぎをモチーフにしたパーカーのフードを深く被り、継ぎ接ぎだらけの熊の縫いぐるみを抱えた、小学生くらいの少女。
銀髪に色白の肌、赤目。パーカーが夏物としては致命的な、モコモコとしたものであるため、雪うさぎを擬人化したような風貌であった。
件の少女である。
「この子が、例の暴走目前の?」
ヒロは隣の後藤に問う。
「ヒロっちと鳴海っちは初対面だっけか。そそ、暴走寸前なのはこの子達」
「…………達?」
一つ疑問を覚える。なぜ複数形なのだろうか、と。
後藤はいつの間にか相良のすぐ傍に立っていた。
「いやぁ、ウサちゃんまた一段と可愛くなっちゃったんじゃない? こりゃ将来有望だな~」
後藤の言葉に、相良の顔はみるみる赤く染まる。
どうやら照れ屋さんのようで、熊の縫いぐるみに顔を埋めると、黙り込んでしまう。
「こんな可愛らしい女の子、なかなか居ないよ。今人気の子役達にだってヒケを取らない……というか、見ようによっては勝ってるよねコレ。マジで」
後藤が一つ褒めるたびに、相良の肩はビクンと跳ねる。
後藤は本気なのか、からかっているのか分からない声音で、
「他の男が目をつける前に、俺が貰っちゃおっかな~。どう? ウサちゃん」
年端もいかない少女まで、ナンパの対象だとは。
ナンパ癖があることは前々から聞いていたが、対象の範囲のあまりの広さに、ヒロは少し引いてしまう。
拒絶の意思表示だろうか。
相良は熊の縫いぐるみを盾にして、後藤を阻む。
そんな相良の頭を撫でようと、後藤が手を伸ばすと、
「…………ったく、過保護っすよねぇ毎度毎度」
突然、後藤が苦笑いを浮かべた。
ヒロは目を見開いた。
相良の持つ縫いぐるみから、只ならない殺気を感じ取ったから。その命を宿さぬ両目から、生々しい視線を感じ取ったから。
後藤は頭を掻きながら、「失敗失敗~」と撤退。すると、縫いぐるみから放たれていたプレッシャーは途端に収まる。
「あ~毎度毎度懲りないなぁ、ユージは」
頭を掻きながら、俯く相良のもとにしゃがみ込む神谷。
どうやら途中からかなりビビっていたようで、相良は泣くのを必死に堪えていた。
子供の扱いが上手いのだろう、神谷が身振り手振りであやし、飴玉を渡すと、あっという間に相良は笑顔になった。
「もう大丈夫か? ウサ」
「…………うん。だんちょーありがとう」
縫いぐるみで口元を隠しながら、照れたように上目使いで神谷に笑う相良。神谷に頭を撫でられると、相良は目を閉じて気持ちよさそうにしている。
微笑ましい光景だ。
さっきの後藤のナンパ劇が忘れ去られてしまうくらい、微笑ましい光景である。
ちなみにヒロは店の壁に寄りかかりながら、神谷と相良の件を静観していた。と、いうのも、相良に一応挨拶をしておこうと思い、タイミングを伺っているからだ。
ちなみに、一緒にバーに来た鳴海は、後藤に何やら話しかけられていた。
「倉田」
突然名前を呼ばれた。
振り返ると、そこには大柄な男、信永が居た。
「どうしました? 信永さん」
「うさぎと会ったついでに、紹介したい奴がいる」
「あ、はい」
信永に招かれるがまま、バー内の階段へ。
相良と一言も喋ることができなかったことは残念だったが、そのうちゆっくり話す機会があるだろうと考え、割り切る。
木製の階段を上り、二階へ。
いくつかある扉の中の、その一つの前で信永は止まる。
「ここだ」
扉の向こうから、銃撃音とポテチを食べる音が聴こえる。時折、「あぁクソエイムした、クソゥ」だとか、「コイツ雑魚過ぎwww」なんて声も聴こえてくる。
「…………ゲーム中、ですかね?」
「……………………ああ」
扉の向こうから、「はい二十キル超え一位~」という歓喜の声が聴こえてくる。
「相当やりこんでる感じなんですかね。何のゲームか知りませんが」
「……大学にも行かず、バイト先に勝手に居候するくせ一切働かず、一日中ゲーム、テレビ、惰眠を繰り返す、引き篭もりなんだ」
そう言いながら、信永は眉間を揉みほぐしている。余程の引き篭もりなのであろう。
「引き篭もりゲーマーの名は夕凪由香。コミュニティメンバーとしては、それなりに古株だ」
「そうなんですか」
「なかなか自分勝手な性格をしているから、扱いが難しいなんてレベルではない」
「はぁ……」
「自分に優しく、他人に厳しくをモットーに生きているような奴だ」
「うわぁ…………人間の逆手本みたいな感じですね」
「少しでも面倒になると、問答無用で追い返される」
「げ、難儀なひとですね」
「頑張れよ」
ポンと肩を叩かれた。
「いやいやいや、そんな嫌な情報ばっかり教えられたら、入る気失せるんですが!」
「事前情報は必要だと思ってな」
「その通りですけど! もっとこう、会話のアドバイスとかくださいよ……」
「頑張れよ」
もう一度ヒロの肩を叩くと、信永は立ち去っていった。
無責任にも無理難題にも程がある。
コミュ力が特別高いわけでもないヒロを、何のアドバイスもなしに送り出すのは、些か配慮が足りないのではないだろうか。
必死に信永の名を呼ぶも、わざと聞こえないふりをして、階下に消えてしまった。
呆然と、ヒロは立ち尽くす。
「嘘だろ、おい…………」
信永も信永で、大概適当で自分勝手な節があると、ヒロは内心毒づく。
ここで立ち止まっていても仕方がないと、どうにか踏ん切りを付ける。
どの道、会うことにはなるのだ。何を戸惑うことがあろうか。
強引に自分を納得させて、ヒロはドアノブに手をかける。
「……………………行くか」
面倒くさい人との対面は、ひどく気が進まない。前情報が前情報なだけに、どうしても先が思いやられてしまう。
それらを強引に呑み込んで、ドアノブを捻り、ドアの向こう側を覗き見ようと頭を突き出せば、
「遅いんだよぉぉぉ!!」
見事なフォームのドロップキックが、ヒロの顔面めがけて飛来した。
読んでいただきありがとうございます!
テスト期間に入るので、投稿ペース落ちるかもしれません。水曜日に投稿するつもりですが、もしかしたら土日になるかも……。
喉飴が効かないレベルで喉痛いですが、頑張りますよ……




