♯27 鳴海の苦悩
倉田家。
ヒロの両親が仕事に忙しく、滅多に家に居ないので、鳴海はほぼ毎日ヒロの家で家事をしている。
これは頼まれたからではなく、鳴海自身が勝手に始めたことであって、この習慣に対し嫌気などは一切沸かない。
今日も元気に鼻歌を歌いながら部屋の掃除をしていた。
あらかた全ての部屋も掃除し終え、少し休憩、とソファに座り込む。ピカピカに磨かれた窓から、雲一つない晴天が覗き見れる。
「ヒーくん、どっか出かけたみたいだけどどうしたんだろ…………」
鳴海が来たときには、既にヒロは家に居なかった。ヒロの母親から渡されているスペアキーで勝手にお邪魔しているのだ。
ヒロが休日出かけるのは珍しい。何せヒロの友人は大抵の場合家が遠く、遊びに行くには不都合が多い。またヒロの家から駅までは自転車でも二十分ほどかかるのだが、面倒くさがりなヒロはその距離すら苦痛なのである。
そのヒロが出かけるということは、漫画か小説の新刊が発売したか、新しいゲームが発売したか、無理やり予定を組まされたか、この三つくらいしか鳴海は思いつかない。
しかし漫画やゲームを買いに行くなら、鳴海と一緒に行くのが常なので、鳴海が置いて行かれた以上、前者二つは除外される。
残るは後者なわけだが、鳴海が外出を提案すれば、家事を手伝ってくれている恩返しのつもりか、すんなり受けてくれる。だが他の人ではなかなかそうもいかないものなのだが。
だとすれば、よほど特別な相手なのだろうか。
ここまで思考が回ったところで、鳴海はハッとなった。
「……………………ま、まさかデートとかじゃないよね?」
鳴海も恋する思春期真っ盛りの乙女、その手の方面に思考が行き着けば、そこからは幾つも可能性が想像されてしまう。
「え、ヒーくんが仲良い女子ってそんな居たっけ? 他クラスの女子とはあんまし交流無い筈だから…………暮らすの女子で脈ありそうなのは……。あ、そういえばユリが「倉田くんって意外と優しそうだよね~」とかなんとか言ってたような。あーあとハルっちもなんか褒めてたし。…………え? 意外とヒーくんって女子から高評価じゃん!?」
アワアワと、鳴海は慌て始める。
よくよく考えてみれば、ヒロももう高校二年生。彼女ができたって可笑しくないのだ。
「…………遅れを取っちゃったのかぁ、私」
グテ~と沈みこむ。もしもヒロに彼女ができたのなら、鳴海の通い妻は要らないお節介となってしまう。つまり、鳴海は用済みとなってしまうのだ。
鳴海の表情が翳る。幼馴染のリア充化を本来は祝うべきなのに、しかしどうにもそんな情は沸かなかった。
「今頃ヒーくん、何処に居るんだろ……」
コンコン、窓を叩く音が聞こえてくる。
見ると、リビングの大きめの窓の向こうには煌上が居た。
「…………え? 煌上ちゃん?」
急いで窓際まで駆け寄ると、煌上が誰かを背負っているのが見えた。
「おぉ、ホントに先輩の家事手伝いしてるんですね。…………じゃなくて、入れてください~。先輩が気絶中なので」
「え、あ、うん?」
何故煌上がヒロを背負っているのか、そもそも何故休日に一緒に居るのか、というか何故気絶しているのか。
幾つもの疑問を無理やり飲み干して、鳴海はヒロと煌上を部屋の中に招き入れる。
先程まで自分が座っていたソファにヒロを寝かせる。ヒロの服はあっちこっちが破れていて、しかし身体には傷がなさそうだ。
「…………えっと、煌上ちゃん? どういう状況だか説明してくれるかな?」
「二人で美山原市に行ってたんですが、途中でアンノウンの野郎共に襲われまして」
「…………二人で?」という鳴海の小さな呟きが聞こえなかったのか、煌上はスラスラと説明を続ける。
「身体の傷は直したんですけど、服直すの忘れてました。ああ、ご心配なく。今から直しますので」
煌上がそっとヒロの身体に触れる。
黒い光が一瞬発せられる。
見れば、ものの見事に服は元通りになっていた。
「傷は治してあるので、直に目は覚めると思います。ただ…………」
「…………ただ?」
煌上は目をそばめ、
「気絶したのは怪我とかじゃなくて、トラウマが原因なんですよね……」
「トラウマ…………トラウマって、もしかして鎖の」
鳴海は思わず目を伏せる。
鳴海がやったのではないにしろ、鳴海の鎖がヒロを瀕死に追いやった。身体の骨肉がグチャグチャになるまで、殺さずいたぶられたのだ。
「敵が先輩に鎖を見せたんです。といっても、見た目は一緒でも、市販の鎖ですが、でも先輩は過剰に怯え始めました。結構根深そうですよ、このトラウマ」
「…………日常生活にもかなり支障でるよね? 鎖なんて、そこら中で見られるわけだし。見る度にヒーく……倉田くんが気絶するのは困るよ……」
工事現場やホームセンター、行列の仕切り……街に幾つもあるであろう鎖の、その一つ一つにトラウマを抉られては、まずヒロの精神が持たないであろうと、鳴海は考える。
その鳴海の危惧を、煌上はサラッと解く。
「安心してください。今日先輩と一緒に美山原市を歩き回ったんですけど、一回も変な反応しませんでした。鎖の類を何度も見かけたんですけどね」
「そっか。そうなんだ…………」
ホッと鳴海は息をつく。
「これは推測なんですけど、多分先輩、『自分に鎖が向けられる、振るわれる』っていう状況に反応してるんだと思います。ボコられてるシーンでも思い出されちゃうんでしょうね、鮮明に」
「倉田くん……私を助けに来たせいで」
「もう過ぎたことじゃないですか。たとえ先輩が鳴海先輩を見捨てても、どの道先輩は苦しむ羽目になるんです。『僕が鳴海を殺したんだ』……って感じで。だから鳴海先輩がそんな風に思う必要はないですよ」
煌上の言葉に、少し前向きになる鳴海。大層な激励ではなかったが、暗い思考の澱に沈みかけていた鳴海の、気持ちが軽くなるには十分だった。
「まぁ、このまま先輩のトラウマを放置するわけにはいかないです。精神の不安定って結構″暴走″を起こしやすくしちゃうんで」
「えと、メンタルクリニックとかじゃ駄目だよね…………?」
「そうですね、無理です。先輩の場合、トラウマを語るには、アンノウンについて説明しなきゃならないので」
「じゃあ、倉田くんのトラウマはどう解消すれば…………」
「時間をかけて、少しずつカウンセリングでもしましょうか。団長や夕凪さんならそういうの得意なんで」
夕凪とは、『Trashy Rebellios』に引き篭もっている、メンバーの一人だそうだ。鳴海もヒロも、まだ一度とて対面していない。
だが取り敢えず、ヒロのトラウマ克服の術があると聞き、鳴海は胸を撫で下ろす。
と、同時に。
思考に立ち込める一つの疑問。次第にその疑問は大きなものになっていき、つい抑えられず口に出して問うてしまう。
「そういえば、煌上ちゃんはなんで倉田くんと一緒に居たの?」
「へ?」
煌上は小首を傾げる。質問の意図がわからない、といった顔だ。
「急にどうしたんですか?」
「え、あ、いや…………その、もしかしてデート、かなぁって」
純粋な疑問をぶつけられ、つい鳴海はしどろもどろになってしまう。
その鳴海の言葉に、余計煌上は「?」と首を傾げる。
「えと、男二人で休日出かけてたんでしょ? 倉田くんと」
「ああ、はい。頼まれましたので」
(え、ヒーくんから誘ったの!?)
鳴海は愕然とした後、巨大な敗北感に打ちひしがれる。
「…………そっか、何したの?」
どうにか笑みを作り、さらに踏み込む。内心、ぎこちない顔になってるだろうな……と思いつつも。
「何もまだしてないです。何かしようとする前に襲われちゃったので」
「あ……そうなんだ」
鳴海の頭の中では幾つもの推測が生まれる。
ショッピング、カラオケ、映画、ゲームセンター、ボウリング、カフェ……デートスポットなど、山ほどある。
「歩きながら駄弁るのはそれなりに楽しかったですけどね~。結構私、先輩からかえましたし」
「からかう…………」
(超仲いいじゃん!)
軽いからかいすらネタにできる関係にまで発展していたなんて。出会ってまだ一週間程だというのに。
それだけ二人の相性がよかったということだろう、きっと。
(悲しいけど、この二人の中に私入れないや……)
乙女の恋の悩みは、より暗く増長されてしまう。やはり、そろそろヒロの通い妻の任も解任なのだろうか。
「逆に鳴海先輩、何してたんですか?」
突然の問いかけに、思わず「へ?」と声を上げてしまう。
「後藤先輩から、今日誘われませんでしたか?」
「え、後藤さんから? 何を?」
何故後藤さんの名前が出てくるのだろうか、と鳴海は首を傾げる。
「団長から、二人を修行的なことさせるよう言われたんですよ。私は先輩を、後藤先輩は鳴海先輩を、それぞれレクチャーしろって感じで」
「………………へ? 修行?」
「はい。来たる七月十日の為に、あとは普通に自衛用に、最低限の力を付けてもらおうという計らいでしょうね」
「え、デートとかじゃないんだよね?」
「違いますよ~」
「よかった~」
本日何度目かも分からぬ安心した顔を浮かべる鳴海。その様子を見て、煌上は、
「わかりやすいですよね、鳴海先輩」
「えぇ!? …………そうかな」
「そうですよ。心と表情が一致してますよ。先輩が好きなんだなぁ~って、傍から見たら丸分かりです」
鳴海は顔を赤らめ、髪を撫でる。当人としては、自身が分かりやすい性格だとは思っていなかったのだ。
「鳴海先輩はそれでいいと思うんですよね。どうせなら、もう人前でも『ヒーくん』呼びしちゃえばいいんじゃないですか?」
「…………そ、それは恥ずかしいと言いますかなんといいますか」
照れた鳴海は、俯いてしまう。煌上は、その様を見て、やはり分かりやすいなと苦笑い。
幼馴染二人の時間を邪魔するのも気が引けたので、
「じゃあ私はこれで失礼します。先輩の修行は明日にでもしますよ。あーあと、明日お二人ともバーに顔出してください。件の少女達に引き合わせたいので」
「あーうん。倉田くんにも伝えとくね」
煌上は立ち上がると、倉田家を出ていった。
残されたのは鳴海とヒロの二人だけ。
「気にすることはない、って言われたけど、そう要領よく考えられるわけじゃ無いんだよね正直」
無駄な罪悪感だと頭では分かっていても、それを切り離すことはできない。背負っても辛いだけなのに、手放すことも苦しくなってしまうだろうから。
幼馴染を危険に遭わせ、心に傷跡を生ませてしまった自分を、鳴海は許せなかった。
未だ解消できない罪悪感に、眉間を揉みほぐす。
「ごめんね」
たとえ無意味な言葉だとしても、鳴海は呟いてしまう。
どうか、もう幼馴染が苦しむことのないように。
意識のないヒロの顔を見て、切に願った。
読んでいただきありかとうございました。
最近ご無沙汰だった鳴海が出せたました。完全に自己満足の回です。
次回は水曜日に投稿します。
よろしくお願いします!




