♯21 這怒の夢 Ⅲ
「ここは、学校…………?」
ヒロは今、見慣れた廊下のど真ん中に突っ立ている。
行き交う人達は楽しそうに談笑を交え、あるいは急いた様子で早歩き。至って普遍な、ありふれた風景だ。
スマホを取り出して時計を見れば、今は昼休みの時刻。なるほど、食堂や購買なんかに出向く人が多いのだろう。かなり人通りが多いのも、理解できる。
突然、ドンッと押された。
道行く人を押し退け、走っていく人影。そうとう慌ただしい様子だ。
「…………あれは、僕?」
走って行った生徒は、明らかに僕だった。
「どういうこと、なんだ…………?」
この学校に、ヒロ似の生徒は一人としていない。なにせ、生まれつき伽羅色の髪色で、だからこそ髪染め禁止の降谷高校でも、見た目の点で言えば目立っているのだから。
「おい、ヒロ。急にどうしたよ、走り出して」
「…………友也?」
ポンポンと肩を叩かれ、振り返ると、猫目短髪少年の友也が居た。
「おうよ。お前のダチにして、降谷市を牛耳る宿命を背負った男、高村友也だぜ!」
「そんな大層な設定持ってる高校生、そんないねぇよ……」
「まぁまぁ。それより、いきなり昼飯も食べずに教室出るなんて、どしたの」
「え?」
(本当に、どういうことだ?)
ヒロは首を傾げる。
「スマホ見てからスッゲェ慌ただしい感じだが。なに、エロサイトから請求来ちゃったか? ドンマイ!」
友也の言葉から推測するに、ヒロはどうやら昼食中にいきなり抜け出したらしい。スマホを見た後、突然。
そんな行動をした覚えが、ヒロにはあった。
「なぁ、今日って何曜日だっけ?」
「え? 金曜日だが。日本全国民がフライを食うことが義務にされる予定の日、だが」
「金、曜日………。あ、まさか!?」
頭に浮かび上がる、一つの仮説。
ヒロは、無意識のうちに走り出していた。
「あ、ちょ、ヒロ!? カムバーック、カムバーック!!」
✕ ✕ ✕
「くそ、何処に行った……僕!」
建物の屋根の上を走る。僕は、人目につくのを恐れて一般人くらいの速度で走っているはずだが、ヒロはアンノウンの異常な身体能力をフル解放して探し回る。
僕が走るルートは分かっている。
なぜなら、今ヒロがいる場所は、過去のーーあの悲哀な金曜日だからだ。どういう原理でこうなったかは知らないが、あんな目には二度と会いたくない。どうにか、この世界の僕を救わなければならない。
もしもヒロが金曜日に通ったルートと、僕が走るルートが変わらないのであれば、きっと見つけられる筈だ。
必死に目を見開いて周りを見回す。
見失っている間にも、僕もヒロも、倉庫にどんどん近づいて行っている。
『無駄な足掻きだと、気づけないのか』
ヒロは、ただひたすらに走る。もう二度と、自分が苦しまないように。鳴海が苦しまないように。
「何処だ何処だ、何処だ…………。ッ! 居た!」
人気のない栗山橋を必死に走り抜けている僕を見つけ、ヒロは全力で追いかける。
思いっきり僕の頭上を飛び越えると、ヒロは僕の十メートルほど先に着地。
走ってくる僕を止めようと、
「止まれ僕! 一旦止まれーーっ!!」
しかし、僕は止まることなく走ってくる。
「このまま倉庫に突っ込んだって、地獄を見るだけだ、止まれーーっ!!」
ヒロの言葉が届いていないのか、僕は目すら合わない。
僕は必死の形相だった。
強引にでも止めようと、ヒロは両腕で押さえ込もうとする。僕は、脇目も振らずに一直線にヒロの方へ向かってくる。
「止まってくれーー!!」
ヒロの両手は、僕の身体を押し戻した筈だった。
だが結果として。
僕はヒロの身体を透過し、そのまま走り去っていく。
行き場を失った両腕。
駄目なんだって。
ただ助けに行くだけじゃ、誰も助けられないんだって。僕に、一人で鳴海を救う力は無いんだって。
『そうだ、僕は弱いんだ。何かに抗うことなんて、到底できやしない。自分に何かが成せるなんて、僕は無力の癖に傲慢だ』
地に膝を突き、そのまま項垂れ、四つん這いになる。地面にポツポツと垂れた雫の痕は、きっとヒロの涙だろう。
このままじゃ、僕はまた地獄を見る。
たとえこの世界が夢であったとして、幻想であったとして、それでも傷つけられるのは僕だ。倉田ヒロなのだ。あるいは、鳴海花音なんだ。鳴海なんだよ。
「誰か、誰か…………助けてくれよ」
『そうやって、何時だって頼るのは他人か』
「もう、あんな目には…………」
『あんな目に合いたくないのなら、僕が選ぶべき手段は一つだろう?』
「もう一度、止めに行かなきゃ」
✕ ✕ ✕
目前にて繰り広げられる惨劇を見て、ヒロはむせび泣く。
自身の体躯は、幼馴染の姿をした外道によって、宙高く打ち上げられ、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、鎖に打たれている。
ポトリ。
何かが目の前に落ちてきた。赤くて気持ちの悪い、そんな物体が。
それを、ヒロは拾い上げる。
「右、腕…………? ………………うわぁぁぁぁぁ!?」
自分から遠ざけようと、ヒロは思いっきりぶん投げた。
それは、右腕の肘から先だった。状況的に、きっとヒロのものだろう。
次いで、ポトッポトッと降り注ぐ脚の一部。
こみ上げる吐き気を抑え込んで、宙で踊り狂う僕の体躯に目をやれば、もうあっちこっちがグチャグチャだった。
なんとか人としての形は残っているも、関節という機構は大方失っているように見える。誰がどう見たって、それはもう死に体の類だ。
灰崎は、もう嗜虐遊戯に飽きたのか、鎖を消し去った。
力なく墜落する、嗜虐人形。
とうに意識という名の吊り紐などありもしない。あの時、あんなボロボロになっていたなんて、ヒロは知り得なかった。
だからこそ、むせび泣く。
とめどなく襲いかかる吐き気と絶望は、抑えることができない。ガタガタと震え、自分の身を強く抱き締める。
そうでもしなければ、きっと平常を保てなかっただろうから。
瓦礫の中に埋まった僕は、きっともう立ち上がれない。
今、ゆっくりと、気絶している鳴海ににじり寄っていく外道に、抗える者なんてここには誰も居ない。
『僕が弱いせいで、僕も鳴海も死んじまう、なぁ?』
「…………まだだ、まだ。煌上達が助けに来てくれる、筈だから」
そうでなくては、今ヒロが生きているわけがない。ヒロと鳴海は、煌上達によって救われ、だからこそ、生きて日常に戻れているのだから。
きっとすぐ、あの皮肉屋な後輩達が助けに来てくれる。目の前で死にかけている僕を、ヒロを救ってくれるーー。
『煌上ちゃんに任せっきり、そんな弱い奴に、俺は席を譲らされてんのか? ふざけんなよ』
「…………弱くて何が悪いんだ。ただ力が弱いからといって、それだけで不幸になるわけじゃ、ない。もう、弱肉強食の世界じゃないんだよ、日本は。弱ければ弱いなりに、幸せに生きられる道に進めばいいんだ」
『その結果がコレとはな』
「……こんな世界に踏み込まなければよかったんだ。こんな、力で優劣を競う世界になんか…………」
『そんなもん、後の祭りだ。どれだけ今、僕がほざいた所で何も変わらんだろうが』
「…………じゃあ、どうすればよかったんだ」
『簡単な話さ。二つあるぜ? 鳴海を諦めれば、ここでこんな目に合わなかった。違うか?』
「鳴海を捨てる選択が、幸せなわけ『鳴海も所詮、他人だろうが。僕の命より、大切なものじゃあない』」
『人間、一番大事なのは自分だ。どれだけ綺麗事を取り繕っても、綺麗に生きようと心がけても、自分よりも価値あるものは、どこにもない。少なからず、僕にとってそうな筈だ』
「自分の身大事の為に、鳴海を捨てるなんて……!!」
『見捨てなかった現実も、見捨てる仮定も、両方鳴海は死ぬんだぜ? 鳴海が死ぬのは変わらない、ならせめて、無傷な自分を選ぶべきだろう』
「煌上達が、僕を助けに……『助けなんて来てねぇじゃねえか、今。見ろ、もうあと数秒で鳴海殺されるぞ』……!!」
長い問答の中で、横たわる鳴海の目前に立っている灰崎。鎖を鳴らし、今にも鳴海を殺してしまいそうだ。
「煌上、頼む来て! ノブナガさん、後藤さん、神谷さん、霧島さん!! 来て。早く来て今すぐ来てすぐにでも来て…………鳴海が、鳴海がぁぁぁ!!」
『誰も来ない。誰も、そんな都合よく助けになんて来れねぇんだよ。そんな都合いい世界じゃねぇんだよココは。仮面つけたライダーも、カラフルなヒーロー戦隊も、素顔隠した美少女戦士だって、何処にも居やしねぇんだよ』
「じゃあ、じゃあじゃあ鳴海が! 鳴海が死んじゃうだろう!! このままじゃ!!」
声を張り上げる。ヒロと鳴海を救ってくれた、誰かへ声が届けたくて。
しかしこの世は無情だ。
鎖が風を切り、鳴海の首へと迫っていく。
誰も何も、鳴海を守るものはない。
「鳴海ィィィィィ!!」
『焦るな。方法は二つと言ったろう』
灰崎の右腕を穿つ、紅い何か。
それはどうやら、鋭利な刃物の類のようで。どこからか投擲されたらしい紅いナイフの一撃は、鎖の一振りを中断させるには十分な威力だったらしい。
『あと一つ、二人とも命を救われて、俺もハッピーな最高で最低な手段があるぜ?』
「何だよ、それは…………。頼む、鳴海を救えるのなら……」
ムクリ。
瓦礫の山から立ち上がる、一つの人影。頭部のシルエットに二点、赤く輝く光点が。
『交渉は成功だ。今回は初体験サービスだ、無償で目の前のゴミ屑を殺ってやる』
殊更、先刻のマリオネットの比喩は正しかったようで。
ムクリと立ち上がった人影は、力無く両腕を垂らしたまま、フラフラとよろつきながら、灰崎の方へと歩いていく。
『この手段を選んだのはお前だ、僕。だから……』
人影は、体の欠損部を紅い鉱石で継ぎ足すと、即座に灰崎へと飛びかかった。
『目を逸らすなよ』
読んでいただきありがとうございました!
これからは毎週水・日曜日投稿にしようと思います!(執筆が追いつかない……泣)
かなり重い話が続いていますが、多分次も重くなると思います。楽しみにしててください(ゲス顔)
これからも宜しくお願いします!