Side#2 夕凪相談室
第一章最終話にして、煌上茜のサイドストーリーです。
よろしくお願いします!
ーー金曜日。
六月も下旬に入り込んだ今日この頃。
気温もなかなか暑さを感じるほどになり、夏の訪れを予感させる。
この暑さというものが厄介なもので、自転車を漕いでいるだけで汗が薄っすらと滲み、リュックを背負った背中がTシャツと張り付く。
好きなバンドのロゴ入り白いTシャツに、赤黒チェックのミニスカ。普段は下ろしている肩ほどまでの金髪は、黒リボンのゴムでショートポニーに結わえられ、風に吹かれてたなびいている。
市内の女学校に通う(サボり気味)、高校一年生ーー煌上茜は、今日もまた学校とはおよそ真逆な方向へ自転車を走らせていた。
今の時間帯、同級生達は二限目の授業を受けてる頃だろうか。金曜日の二限目は英語。イギリス人のクォーターであり、家庭で小さい頃から英語を使っていた茜にとっては、今更英語の授業を受ける必要性がない。
日本人は基本、髪色が焦げ茶。そんな国の中では金髪はかなり目立つ。外国人も髪を染めてる人だって日本には沢山いるけれど、それでもその整った目鼻立ちも相まって、やはり目立ってしまう。
だが、見た目の特異性など、煌上茜という存在の特異性に比べれば可愛いものなのだから。
煌上茜はアンノウンである。アンノウンと人間とではあまりに差があり過ぎる。
そう、人種や顔の造形の差など、どうでもよくなる程だ。
煌上の色白で非力そうな細腕も、電柱を折ることくらい造作もない。腹にナイフを刺されても、急所でないのなら一、二分で止血に至るほどの回復力。全速力の短距離走なら、高速道路を走る車をも超えるほどの敏捷性。拳銃の銃弾程度なら大した傷もつかない程の頑丈さ。鋭い五感に常人とは比べ物にならない思考速度。
アンノウンは人間の能力とは思えないほどの身体能力を持ってしまっているのだ。
そんな他人とはかけ離れた存在であるのだから、いまさら見た目ごとき気にする必要がないのだ。
アンノウン化してしまったおかげでそう考えられるようになったと思うと、どうしてもやるせない気持ちになってしまう。煌上がアンノウン化したきっかけは、酷く無惨なものだったのだから。
「早くしないと遅刻しちゃう…………」
もちろん、学校の話ではない。
入学以来散々サボりまくったサボりのプロである煌上にとって、教師の怒声などもう何の怖みも感じない。
煌上が焦っているのは、もっと別の人間との集合時間に遅れてしまいそうだからだ。その人本人はどこまでも自堕落なくせに、そのくせ他人には厳禁な、言わばどこまでも自分勝手な人なのだから。
自然と力強い踏み込まれたペダル。
グングンと加速していき、ポニーテールをたなびかせながら煌上は都会サイドを疾走する。
✕ ✕ ✕
「ーー五分遅刻。あと一分遅かったら会わなかったところだぞ」
「ほんっとうにごめんなさい! 言い訳の仕様もございませんはい!」
降谷市都会サイドの奥深く、裏通りの一角に位置する売れないバー『Trashy Rebellious』二階のある部屋の扉の前にて。
少し開かれた扉から覗かせた死んだ目が放つ厳格な視線に、少々圧倒されながらも、煌上は自身の遅刻を平謝りする。と、同時に呆れ果てていた。
と、いうのも。
「あのさー茜っちが来る時間に合わせてこちとらスタミナ調整したんだよ? 面会終了頃には一つくらいクエスト回れる分のスタミナが回復するように!」
「あはは、ですよね。夕凪さんの事ですからそこん所抜け目ないですもんね~」
「そ・れ・を! 分かってて遅刻したのか君は! ゲームのイベントってのはその期限内でしかプレーできないんだぞ! 効率いい素材集めできるのは今しかないんだぞ! ガチャだって今しかないんだぞ!? 常設キャラ以外が出るのが! 分かってるのか!」
「そうですね、夕凪さんソシャゲに全身全霊かけてますもんね。ネトゲは良いんですか?」
「エリアボスの再湧出待ちだよ! あと一、二時間は出てこないんだよ! だからこっち進めるんだよ!」
そう、この人ーー夕凪由香はゲームによってその日その日の生活が縛られた大学生(不登校歴数えしれず、単位ピンチ)なのだ。バイトも勿論していない。
「ーーまぁいいや、時間勿体無いから手早く進めるよ」
「あ、はい」
夕凪は扉を開けると、部屋の中に煌上を招き入れた。
相変わらず散らかっている。
部屋の中は真っ暗で、モニターやスマホの光だけが光源となっていた。床には複雑な配線やゲームソフトのパッケージが散乱していて、足の踏み場が一切ない。本棚には大量の攻略本や漫画、DVDが乱雑に押し込まれ、今にも本棚からズレ落ちそうだ。
詰まる所、この夕凪という大学生は引き篭もりである。
寝癖まみれの長い黒髪。眼鏡の奥には隈だらけの死んだ目。着ている高校時代のジャージはもうブカブカだ。
デスクの上にはスマホやデスクトップ、その他様々な機材、あとは黒い炭酸飲料やカップ麺、チップス類が置かれている。
誰がどう見ても分かる、完全な堕落部屋である。
夕凪はデスクの上をワチャワチャと漁ったり、引き出しから何枚も書類を引っ張り出しては床にぶち撒ける。
何かを探していたのだろう。お目当てのものを見つけたらしい夕凪は、座る場所がなくて立ったままの煌上に何枚かプリントを押し付ける。
「頼まれてた物。倉田ヒロと、偽名灰崎についての検索結果」
「ありがとう、ございます」
コピー用紙に刷られているのは、顔写真や大量の文字。これは、倉田ヒロや灰崎のアンノウンとしての側面を要約したものだ。
「ーーったく、これ調べるのに二日間かかりっきりだったんだぞ?めっちゃ働いたからな?」
「でも、夕凪さんにとってはその時間すら悦楽の一つでしょ?」
「その通り。まさにその通りだよ! 調べるまでの過程が趣味の範疇だからね! ここまで趣味に準じた仕事があるだろうか!? いや、ない!」
鼻息を荒げながらの夕凪の熱弁を、煌上は軽く無視して書類に目を通す。数分かけて書類に一通り目を通した。
「ーー今回の対象は、今まで以上に曖昧模糊とした検索結果だったろう。倉田ヒロについては漠然とした情報だけで核心は何一つ捉えられていない感じだろう」
「…………倉田ヒロの検索結果が微妙なのはもしかして…………」
「うん。単純に絞り込みの条件が足りなすぎる。現状入力てきた情報と言ったら、君や信永からの伝聞による情報。あとは信永が持ってきた戦闘シーンの動画だけだ。とはいえ、動画は煙や距離の影響で細かい顔のパーツまでは読み取れなかったしね。ウチの能力は入力した情報が多いほど、具体的であるほど正確な結果が得られる。逆を言えば、絞り込みが足りないと大した結果は得られない。倉田ヒロについての情報が曖昧なのは、それが一因だ。ただ…………」
「ただ?」
「ーーただ、この少年それだけじゃない気がするなぁ。根拠は無いんだけどサ」
そう、曖昧なのだ。ひたすらに漠然としている。普段夕凪が提示する情報は非常に緻密で正確なのだが、この紙に書かれていることは酷く不明瞭なのだ。
例えば、倉田ヒロについて。
=================================================
倉田ヒロ
【起因】・死の理からの解放
・特異との邂逅
【能力】????????
其れは、天を舞う翼をも捕える真紅の檻
=================================================
能力名が不明。こんな記述のされ方は、今まで見た事がない。
次いで、能力の説明がおかしい。信永が撮った動画では、倉田ヒロの能力は青い鉱石を作り出すことだった。それなのに、この能力説明欄には"青い鉱石"に関わるフレーズが一切無い。それどころか、"真紅"と記述されている。これは現実の倉田ヒロの能力と大きく違っている。
「能力説明が妙に中二病風なのが謎なんだよなぁ。ウチの能力ってば毎度つまんないくらいお堅い言葉で説明してくれちゃうもんだから、見てても楽しくないんだよねぇ」
「この、"天を舞う翼"って何でしょうね。鳥ですかね」
「さあね」
そう言って肩をすくめる夕凪さん。
それよりも、と夕凪は煌上の持つプリントのある一部分を指差す。
「ウチとしては断然こっち。灰崎の検索結果に度肝を抜かされたよ。灰崎に関しては何回も能力で検索してきたわけだけど、今までよりもより細かく記述されている。今までは能力の概要だけだったけど、今回は副作用もしっかり書かれている」
「それで、改めてどういう能力なんですか? あの着ぐるみ野郎は」
「"対象の姿や身体能力、異能をパクることができる""致命所を負うと、一段階前の姿に戻る"っていうのは前から判明していた」
「十分チート能力、ですよね」
そう、チート能力なのだ。能力をパクるだけでも相当の能力だと言うのに、さらに使える能力のストックも増える。マトリョーシカのようなものだ。一回やられても、中からまた別の姿が現れて、それが壊されてもまあ中から現れて。パクればパクっただけ、内包する層の数は増えていくのだ。
「んで、新規に得た情報がデメリットの部分。これがまた重ったるいんだなぁ…………」
「書いてある通りなら、結構副作用重めですよね。まぁ能力のチート加減も納得できる、丁度いいぐらいの副作用でしょうけど」
"コピーする度に人格崩壊。自分という存在の摩耗。記憶の劣化"
「ーー灰崎の嗜虐性も、この副作用が原因かもね。暴力的行為に手を出しても、性的行為に手が出ないのはこの"自分という存在の摩耗"が関係しているかも。毎回手頃な少女を捕らえて甚振るだけ甚振って、けど純潔は守られているのはそういう事なんだろうねぇ」
「…………………………」
「今までは本名が導き出せなかった。だからこそ、灰崎という偽名を呼称として使っていた。でもそうか、灰崎の本来の名前なんて、もうその存在が消えているんだから検索できないんだよ」
「本人は、自分の能力の副作用に気づいているんですかね」
「どうだろう。"本来の自分"が消えかかっている間はまだ副作用の実感があったんじゃない? けど"本来の自分"が完全に消失した後は、もう摩滅するもの無いからなぁ…………」
歪な人格も、徐々に形成されたものだとして。本人がそのことを自覚してないとしたらどれほど哀れなことか。元がたとえどれだけ善良であろうと、知らず知らずのうちに悪性の塊になっているのだから。
「そう、ですか…………」
「それで? この二人の情報をお取り寄せしたのには何か理由が?」
「あー、いやちょっとですね? 面倒なことになってまして」
「…………信永の話、かな?」
信永からの推論混じりの報告が本当なら、倉田ヒロは灰崎に狙われている。それは恐らく月曜日の敗北からでた恨みだろう。能力の副作用によって残虐性の塊となった灰崎は、きっとちょっとした事でも因縁をつけてくる、厄介な暴徒となったわけだ。
「それなら、君は今すぐ向かうべきところがあるんじゃないか?」
夕凪の言葉に、煌上は首を傾げた。
その仕草に、夕凪はああそうかと納得したかのように頷きながら、
「これを見給えよ」
夕凪はスマホを少し弄ると、煌上の方へと画面を見せつけた。
画面には一件のメールが映っている。
「…………!!」
「『栗山橋前の倉庫にて、倉田ヒロが灰崎と戦闘を開始している模様。俺は今市外に居るから救助には向かえん。誰か代わりに行ってくれ』…………信永からだねぇ。倉庫から離れた位置にいるのに戦闘開始したことを知っている、おそらく倉田ヒロから連絡でも受け取ったのかな」
「………………」
「行かなくていいのかい?」
煌上は黙りこくる。唇を噛み締めながら。
「栗山橋前倉庫なら、自転車で五分とかからないじゃない距離じゃないか。本気で走ればもっと早く着ける。生憎ウチは戦闘力皆無だからどうにもできないけど、茜っちならその辺問題ないじゃろう?」
「…………店長や後藤は?」
「店長は仕入れ中、後藤はウチの分もキャンバフライフ満喫中。ついでに言うと紅葉はこの時間滝に打たれてるだろうし、雪村は連絡取れない。ウサは言わずもがな。君しか助けに行ける人、居ないぞな」
「………………」
煌上はやはり、黙りこくっていた。血が垂れてしまいそうな程に唇を噛み締めたまま。
「…………茜っち、そんな倉田ヒロに会うのが怖い?」
ハッと煌上は顔を上げる。そんな様に、やはりねと夕凪は苦笑する。
「自分のせいで、倉田ヒロの人生はとち狂った。自分が判断を謝らなければ、"選定剣"の連中は逃走せず。倉田ヒロは轢き逃げされることはなく。茜っちの能力を受けることは無く」
「…………だから、倉田ヒロからしたら私は忌むべき存在で」
沈む煌上の表情を見て、やれやれと夕凪は溜め息をつく。
「茜っち。それは逃げだよ」
毅然と告げられた言葉に、煌上はぐっと息を呑む。
レンズの奥から見える双眸が、普段の引き篭もりの腐ったそれとは違う。人生の先輩としての、あるいはよき相談者としての優しくてしかし厳しい、そんな眼差しだったから。
いろんな感情が混沌とした茜の心、その奥底までを見据えたかのような、そんな瞳だったから。
「逃げてるだけだよ、茜っちは。倉田ヒロに会うことから」
「それは違…………」
「違うくないよ、違うくない。茜っちは自責の念から目を背けてるだけなんだよ。申し訳ないってずっと思い詰めて、謝罪しに行くことを引き伸ばして引き伸ばして、一ヶ月経っても謝罪しには行かなくて、逃げた分だけ臆病になったんだよ。弱くなったんだよ」
「ッ………………」
「茜っちが抱いた自責の念は、このままじゃ晴れないよ。時間経過では霞ませることは出来ても、本質的には丸々残ったまま。余計苦しくなることだってある。今行動した方が、後の君は幸せの筈なんだよ。…………いや、言いたいことはこういうことじゃない。説得しようとすると損得勘定につい走ってしまうのはウチの悪い癖だなぁ。これで一度人生失敗してるのに、この癖ばかりはどうも治らないのよなぁ」
タハハと笑う夕凪。そこには僅かに自虐的なものが含まれているように、煌上は感じた。
「あ~なんて言ったら良いのかねぇ。うむぅ、うむ。そう、茜っちが抱えている自責の念。自責って言うのはその字の通り、責任なんだ。茜っちは倉田ヒロをこっちの世界に引き込んでしまったことに対して責任がある。なら、茜っちは倉田ヒロがこれ以上危険に遭わないよう動くべきなんだよ。違わないよね?」
煌上は視線を落としたまま、小さく頷く。
何か思いついたらしい夕凪がポンッと手を叩き、
「…………そもそも。何であれ今は"倉田ヒロの生存"が優先なんだよ。茜っちをどうにかして"倉田ヒロと引き合わせる"ことなんかどうでもいい。茜っちの自責の念を宥めて取り除く必要なんてサラサラリンと無いわけだねぇ」
「…………たしかに、そうです、けど…………」
「だからさ、茜っちがもしそんなに倉田ヒロと会うのが怖いなら、会わなきゃいい。喋らなければいい。目を合わせなければいい。過激な手なら、倉田ヒロを気絶させてしまってもいい。倉田ヒロが生存するのなら。倉庫外から灰崎を狙撃しちゃえばいいよ。サッと倉庫に入ってパパッと事を済ませて帰っちゃえ。倉田ヒロを居ないものと扱っちゃえ」
「…………。それ扱い酷すぎません? 倉田ヒロの」
「ははは、かもね。要はもっと気楽にしろってこと。別に倉田ヒロに謝りに行くわけじゃ無いんだから。気負う必要性なんて全くないんだからさ。ああ、かといって灰崎との戦闘に対しては楽観視するなよ? いくら茜っちより格下とはいえ、相手はアンノウンなんだから」
気休め程度の弁論だろう。
けれど、少しだけ煌上の内情は前向きになった。たとえ気休めだとしても、それでも煌上にとって人生の先輩である夕凪の言葉は、たしかに影響を与えたのだ。
「ーー栗山橋前の倉庫、でしたっけ?」
「そそ。さぁさ早く行き給え。長居し過ぎだぞ、スタミナ回復しちゃってるよ全く勿体無い。ウチは自堕落生活に戻るとすんぜフハハハハ…………」
引き篭もりモードに戻った夕凪は、身体の向きを百八十度変えるとスマホを片手にキーボードを弄り始めた。どうやらスマホとパソコンの二刀流でゲームをするらしい。
煌上はまだ少し重い身体を、やや強引に立ち上がらせる。
ペコリと腰を折って頭を下げて、『Trashy Rebellious』を出た。自転車に素早く跨り、颯爽とペダルを踏み込む。
迷いも自責もふっ切れてはいないけれど、それでも行かなきゃならないーー使命感に背中を押され、少女は走る。
✕ ✕ ✕
倉庫の姿は豹変していた。
この倉庫は、煌上の記憶では取り立て特別さなど一切無い、酷く普遍なデザインの倉庫だったはずだ。およそ灰っぽい色合いの。
では。
これは何だというのだろう。
倉庫のあっちこっちから生えている、紅い棘。倉庫の窓ガラスは無くなっていて、代わりに紅い何かが嵌め込まれている。
そっと、いかにも硬そうな紅い何かに触れてみて、茜は気づく。
これが、鉱物であることに。
倉庫にポッカリと空いた、人一人通れそうなほどの風穴越しに倉庫内部を覗き込む。
「………………え?」
倉庫内部の様子を見て、驚嘆の声が自然と零れた。
紅い鉱物は赤白く発光しながら、倉庫内部の床や壁、機材その他諸々、およそ全てを覆っていた。
煌上はふと、"赤く凍てついた"という表現が妥当だと思った。倉庫そのものが紅く氷結したように見えたから。
暫しの呆然の後、ハッと我に帰って倉庫内部に足を踏み入れーー壁の風穴付近を覆っていた紅い鉱物のあっちこっちから、突如赤い棘が煌上めがけて迫った。
「ッ…………!!」
咄嗟に煌上は自身の能力を発動。
何も無かった両の掌の中にいつの間にか現れた、凝った装飾の双斧。
煌上の能力のほんの一端であるその斧を振るって迫る棘を砕き斬る。
とめどなく押し寄せてくる棘の群れを、危なげなく淡々と破壊していく。
「倉庫の中には入れさせないってこと、です、かっ!」
棘の群れの中に見つけた、一つの隙間を見逃さずに転がり込む。ローリングで棘を躱しながら、倉庫内に浸入。した瞬間に足元の床が一瞬赤く発光。
悪い予感がした煌上が、棘を躱しながらも床から離れようと、跳躍した途端。
地面から大量の棘が現れる。
一瞬、ギョッとしながらも斧で確実に砕く、砕く。しかし、いくら砕こうとも、なおとめどなく生み出される巨大な棘。
次第には天井やそこら辺の機材を覆っていた紅い鉱物からも棘が現れ、四方八方三百六十度多方から大量の棘に襲われる。その一つ一つを、二本の片手斧で破壊していく。しかし、この状況が落ち着く気配はない。
「キリがない…………こうなったら!」
右腕にありったけの力を込めて、煌上は跳躍する。迫り来る棘を蹴って軌道を変えて、左手の斧を振るいながら、次々と棘を躱していく。
棘を足場にして跳躍を繰り返し、上昇に次ぐ上昇。
天井を思いっきり蹴飛ばして、真下へと豪速で突進。紅き凍土へと落雷するかの如く、爆音とともに着地。
瞬間、着地地点から半径三十メートルが崩壊した。
着地地点から波濤の如く押し寄せる白光が周囲の遍く全てを消失させたのだ。正確には、光の奔流を浴びた物体が徐々に朽ちていき、最後霞のように消えていったのだ。
生え床が煌上の周りから薙ぎ払われ、煌上に迫る棘は無くなった。
警戒しながら周りを見回す。
あれは、誰の。
一番現実的なのは、灰崎の能力であるという考え。灰崎が、これまで溜めてきたマトリョーシカの一層が持つ能力だという可能性。
しかし、今それを深く考えている時間はない。
先程とんでもなく大きな音を出してしまった手前、誰か一般人が来る前に倉田ヒロを救出しなくてはいけない。
恐ろしく広い倉庫の中、どの物陰の中に灰崎が息を潜めているか分からない。倉田ヒロが無事かどうかもわからない。
のんびりしていられない。焦る気持ちを無理やり押し殺して、倉庫内を探索する。
先程の大規模破壊で倉庫内を約ニ割方は破壊した。探索するのは残り八割。
地面に敷かれ、壁に貼り付いた紅い鉱物を、そこから生えてくる棘を掻い潜りながら、斧の一撃をもって砕いていく。
砕きながら歩くこと数刻。倉庫内の一箇所だけ全く紅い鉱物に覆われていない部分を発見した。
壁にもたれ、気絶している少女が一人。首にも手足にも枷が付けられている。ボロボロの制服や、血塗れの白い肌。恐らくかなりひどい暴力を受けたのだろう。
きっと灰崎の嗜虐趣味の被害者だ。
助けないと。
咄嗟に少女に手を延ばした矢先、
「ーーへぇ、ここまで突破できるなんて、相当強いんだなお嬢さん」
倉庫内に朗々と響き渡る、何者かの声。
即座に声のした方へと身体の向きを変え、斧を構え警戒態勢を整える。
「随分と警戒してらっしゃる。安心しろ、別にお嬢さんとやり合おうとは思ってない」
「…………その割には、随分なお出迎えだったけれど」
紅く覆われた機材の裏から誰かが姿を表した。
倉庫内を覆う鉱物が絶えず赤白く発光しているため、倉庫内は明るい。だからこそ、その誰かの姿が明瞭に見て取れた。
伽羅色の髪。男子にしては白めの肌はベッタリと血糊が塗られ、至る所に深い傷が刻み込まれている。右腕の肘から先、左脚首から末端、右脚の脛半ばから下は紅く輝いている。どうやら、紅い鉱物で身体の欠損部分を補っているらしく、義手義足として右腕両足に嵌め込まれているようだ。
見るからに満身創痍な、制服姿の少年。そのボロボロな様は、壁元に横たわる少女以上に見るに耐えない。普通なら死んでいて当然の負傷具合だ。
されど。それほどの傷を負いながらも、少年の両目はつり上がり、赤く輝く瞳は爛々と輝いている。
どこか狂気にも感じ取れるオーラをその少年は纏っていた。
「俺の仕業じゃあないさ。この"檻"が、言うことを聞かず血に飢えているせいだからな。その子の周りでは"檻"達大人しいだろ?俺が必死に抑えてるからなんだぜ」
壁にもたれかかったまま気絶している少女。その周辺にて輝いている鉱石からは全く棘は飛び出てこない。
少女のすぐ傍に居る煌上も、今は棘に襲われてはいない。
「灰崎は何処? それとも、あなたが灰崎?」
「灰崎? 俺が? 馬鹿言うなよ。俺はあそこまで加虐的にはなれん。灰崎ならそこでくたばってるよ」
そういって、少年は機材の裏の方に視線をやる。茜は警戒しながらも、その方へと歩み寄る。少年が押さえ込んでくれているらしく、少女かろ離れても棘は襲ってこない。
「…………何、これ」
機材裏にあったものは、紅い結晶の、塒を巻くかのように捻れた彫像。その渦に巻き込まれるかのように、一人の頭を垂れた少女が絡み取られていた。
黒い前髪にやや隠れた顔に生気はなく、傷と血とでどこまでも無惨な姿に成り果てていた。微かに唇が動いているので、恐らくはまだ生きている。
「この人、誰?」
「それ、灰崎。あのイカれた拷問殺人狂」
「これをやったのは、あなた?」
返事はない。が、少年はニヤリと口角をあげる。
「私から見れば、イカれているのはあなたの方に見えるけどね。この光景を見たら」
「俺が、イカれてる? まさか。最も効率良く攻撃し続けただけだぜ俺は。何度でも姿を変えて復活するコイツを相手にするのは面倒くさいからな、拘束して一方的に苦痛を与えたほうが早かったんだわ」
「にしたって、方法が…………!!」
「言ったろ。最も効率の良いって。それとも何か? 俺のやり方にケチでも付けよう、なんて寸法か?」
「ケチでも何でも付けるよ。こんなのは灰崎と変わらないやり方じゃない。非人道的にも程がある」
捕らえられた少女の身体に十数本と刺さった、半径一センチ程の太さの紅い杭。私見、急所は全て外されている。
が、周りに飛び散った血の量は相当のもの。
どれほどの苦痛だったから、想像すら到底及ばない。
「ーー文句あるか。俺の成すことに」
激憤をどうにか抑えているのか、しかし明らかに漏れ出ている激情。肌にビンビン伝わってくる、凄まじい殺気。
少年は髪をかき上げ、歯軋りする。かき上げられた髪は、その大半がパラパラと元の位置へと戻っていくも、右瞼上の前髪だけはかき上げられたまま残る。
大地が揺れる。
否。煌上が踏みしめている床。それを覆っている紅い結晶が、突如変形を始めたのだ。
視界に映るは、幾本もの紅い棘。あるいは格子。
鋭く光る棘を見て、より一層煌上は警戒を強める。
斧の柄を両手は強く握りしめる。
「能力、開帳」
斧に迸る白いスパーク。倉庫内のあらゆる光源を上回るほどの白光が煌上の周囲に纏われる。
「俺を否定するのなら、それただ一つで天への冒涜。挙句、歯向かおうなど。……然るべき罰を受けよ」
隆起する大地。凍土から無限に生み出される紅い刃。幾本もの紅光が絡み合って複雑に織られ、宙を無限に舞っては赤い軌跡を描き、終煌上茜へと高速で肉薄する。
「ーー散れ」
煌上の纏っていた光は瞬時に幾つもの光帯に分裂し、白いスパークと共に宙を乱舞し始める。
倉庫内を幾つもの破壊が満たしていく。
砕く音、爆ぜる音、風を薙ぐ音、地を震わす圧倒的な衝撃。
白と赤の光が視界を彩っていくーー。
✕ ✕ ✕
豪華な部屋であった。
綺羅びやかなシャンデリアが天井に吊られ、赤と金を貴重とした最高級の調度品を照らしている。
壁の額縁には、さぞや有名であろう画家の、美しい絵画が飾られている。
玉座のような、金の装飾が施された赤い高級椅子には、赤い液体の入ったグラスを携えた銀髪の少女が腰掛けている。
窓からパタパタと、赤毛の蝙蝠が部屋に舞い込んでくる。少女は蝙蝠を手にとまらせた。
「━━ふむ、興味深い能力よな。あれが暴走によるものなのか、それともまた別のものなのか。なんにせよ、余はあれを見定めなければならない。オバッド、お主はどう思う?」
蝙蝠を少女が優しく撫でると、蝙蝠の体は赤く輝き、次第にその輝きは巨大となって部屋中を満たした。
光が収まると、蝙蝠の姿はもうなくなっていた。代わりに、椅子のすぐ傍には一人の白髪の老執事が立っていた。
「━━私見ではありますが、あれは本質なのではないかと」
「そうか、そうか。お主がそう言うなら、きっとそうなのだろうな」
フフッと少女は笑うと、グラスに口を付ける。
「いつか余の城へ訪れぬかな、かの少年。いや、招くのもまた一興か。少年がこの先、どのように歩んでいくのか興味がある。もっとも、余の目には破局が色濃く見えてはいるが」
窓の外を覗けば、もう日はとうに暮れ、闇夜が見えている。
「同時に、大成するようにも見える。まるで、あの男を見ているようだ。……フフッ、こうも心躍るのは久しいな」
少女はグラスの中身を飲み干し、隣の老執事にもう一杯注がせ、一言零す。
「余はローザ・フィギス・ヴァンビアーナ。少年よ、せいぜい貴様の生涯を以って、余を興じさせよ」
読んでいただきありがとうございます!
これにて一章もとい、倉田ヒロが煌上茜との再会を果たすまでの物語は終わります。
二章第一話は一応、明日の深夜0時ぐらいに投稿します。以降は毎日更新が維持できなくなると思いますが、極力投稿ペース落ちないようにがんばります。
たくさんのPVいつもありがとうございます。(ついでに感想評価ブクマくれると更に嬉しいなぁ……(/ω・\)チラッチラッ)