♯8 少女を追って
主人公、走ります。
ええ、もうそれはそれは走ります。
よろしくお願いします
ヒロはひたすらに走る。
邪魔な自転車はそこら辺のコンビニに駐めさせてもらった。
人の密度があまりに高く、目の前を阻む壁として機能してしまっているためなかなか進むことができない。多少アンノウンの高い敏捷力を解放して(一般人より少し足が速い程度になるよう調整して)、しかし人混みのせいで大した加速は見込めない。
何度も人とぶつかっては、睨まれたり小言を言われたり。ヒロは今、一応制服姿であるため、下手に悪目立ちすると学校に苦情が届けられそうで怖い。それでも駆ける。
見知らぬ人に「…………な特徴の人、見かけませんでした?」という風に尋ね回った。
人気のない場所ではこっそりアンノウンの身体能力を存分に振るって高所に飛び移り、目下を見回したりもした。
なぜこんなに必死なんだろうか。
もしかしたら、今後も何らかの形で会えるかもしれない。今日のように、すれ違うことがあるかもしれない。何なら今追いかけてる女性が、あの日の少女では無い可能性だってもちろんある。
『たられば』の話をすれば、幾らだって可能性は生み出せるし、幾らだって可能性を摘み取れる。可能性とは、結局のところ、自由に生み出せる気休めの種でしかない。植えるのも、また掘り返すのも思うがまま。
可能性とは、どこまでいっても"ただの可能性"であって、"確定した事象"ではないのだから。
と、わかっているのに。
今ヒロは今回の邂逅に拘って、追いかけている。
ストーカーみたいで気持ち悪いけれど、次いつ会えるか分からないという考えが背中を押している。
今はもう完全に行方を見失っている状態のため、勘に頼っての奔走。勿論、バッタリ会う確率はひどく低いけれど、こんなものは確率論じゃない。単なる運命力、縁の強さ。そう自分に言い聞かせて走る。
ビル群を駆け抜け、時折裏道に入ってみたり。一応コンビニなども立ち寄っては、店内を見回した。しかし、虱潰しをするには、都会サイドは複雑且つ広過ぎた。
体力がいくら人間を超えているにしても、ずっと駆け続ければジリジリと消耗していく。
早く見つけないとさらに探しようがなくなるという現実的な制限が、ヒロをつい焦らせる。
「くそ………………!」
何処だ何処だ何処だ何処だ。
地下鉄の可能性も踏まえて、地下へ。硬質の階段をタンタンと踏んで駆け下りていく。駅の出入り口には勿論たくさんの人がごった返してはいるが、ごぼう抜きで抜き去る。
都会サイドと名目されていようと、東京他主要都市と比べるとまだまだ都市レベルは低めな降谷市。電車の路線自体はさほど多くなく、複雑ではない。地下鉄もまた、然り。地下駅や地下街が栄えているわけでもないので、大抵の地下駅がただ大きなホーム一つ二つある程度の単調な造りとなっている。この駅もそれに違わず、コンビニすら見当たらない。
ホームをキョロキョロと見回す。
いくら単調な造りとはいえ、人が居ればその分人探しは難儀となる。今時頭を染めた金髪ギャルなんてそこら辺に居るわけで、黒リボンのバレッタもそこまで珍しくない。この二つを組み合わせた女性なんて探せば幾らだって居るだろうに、なんだってヒロは、歩道ですれ違った少女をあの日の少女だと断定したのだろう。
どうだっていいさ。
自嘲気味に笑い飛ばし、そのまま走る。索敵や追跡に向いた能力なら、苦労しないというのに。
同じ高校の制服も何人か見かけたが、無視。例え知り合いがその中に居たとしても、気にせずダッシュ。こういう時、知り合いと目が合うと気まずくなるんだよね。大して仲良くない相手だと声かけづらいし。
黒縁眼鏡の会社員、制服姿で群れる女子高生、朗らかに談笑する老夫婦、スマホとにらめっこする男、銀髪でギターケースを背負ったチャラ男、サングラスに黒服で強面の男、胸元開いたどエロイ黒ギャル、ベンチで読書する女性、子連れの家族ーー。
違う、違う違う、違う。どれもこれもそれもあれも、彼も彼女も、全部全部違う。該当しない、当てはまらない。
ここも外れか?
向かいのホームを見やる。
こちらのホームと同じく人がごった返している。見回すが、見当たらない。向こうも外れかな? そう思って目を離しかけた瞬間、凍りつく。
丁度トイレから出てきた金髪の少女に視点が定まる。髪に付けられた黒リボンのバレッターー。
ヒロが探している少女は、金髪のロングに黒リボンのバレッタ付けている。
走れ走れ走れ走れ。ひとまずは走れ。止まるな、急げ。
階段を上がって走って下りて。先程少女を見かけた場所まで走る。幸いにも電車はまだ来ていないので、少女がこのホームから出た可能性は低い。ただ、電車が来ていないということは、ホームのごった返すような人の多さが何一つ緩和されていないわけだ。その多さに一瞬怯むも、覚悟を決めて飛び込む。
「うおおおおおおおおお、おお! おぉぉぉ!? あ、すみません……どわっ、ちょっと通りますよ。あ、ごめんね、ってうぉっ危ねぇ………おぉぉぉぉぉ!!」
幾度の衝突を繰り返し、人様に多大な迷惑をかけているが、背に腹は替えられんと。すみませんすみませんと、口だけの乾いた謝罪句だけを述べて、人を掻き分ける。その行為すら次第に乱暴になっているのは、きっと焦りからだ。電車が来る前に見つけなければ……という。
「くっそ、頼むから見つか…………あ、すみません」
人とぶつかりながらキョロキョロと周りを見回す。
「あれ、は…………!?」
視界の端に映った、腰まで伸びた金髪。しかしそれは人工的に染め上げられたものではないものだと分かる。そして後頭部には、可愛らしい黒リボンのバレッタ。ちょうど、ヒロに背中を向けている身体の向きなので、顔は分からないが。
居た。
ヒロのこの時の心情としては、喝采を受けたかのような、言葉に表現し難い程の強大な歓喜の衝撃。一瞬思考が停止し、ただただ前方の少女にのみ意識が注がれる。あわよくば、一瞬息をするのを忘れてしまう程に。
ヒロは一瞬の間の後に、すぐさま少女の元へ向かう。約一ヶ月だ、あの日から。ようやく、あの時のお礼が言えるかもと。あの時どうヒロを治したかが知れるだろうかと。
「あの、すいません」
期待と緊張とを孕ませたヒロの、震える手が少女の肩を叩く。せめて、せめて変な顔になってないといいけど。
「はい?」
少女が振り返る。
その顔を見て、ヒロは衝撃を受けた。愕然とした。
「違う…………」
違う。
たしかに顔立ちはとても整っていた。どこかあの少女と似ているような気がするが、しかし違う。ヒロの記憶の中の少女とは、僅かに、その容貌とはズレていて。
「…………はい?何か?」
間違えた恥ずかしさやら自分の馬鹿さやらに冷や汗がダラダラと流れる。やばいやばいとやばい祭りが脳内でわっしょいわっしょいと神輿を上げて、さらにヒロの緊張は加速する。
「あ、しゅ、しゅみません。人違いれした…………」
結果噛みまくった。もう穴があったら入りたいどころか、そのまま生き埋めにしてほしいと言うくらいに恥ずかしい。これはもつあれだな、人間の思い出の中で最も禁忌の領域とされる、ある種のゴミ溜め場"黒歴史"行きだ。これはもう、家に帰ったら布団に包まって頭抱えて悶えまくること確定である。
足早に、そそくさと退散。改札を抜けると、そのまま走って地上に出る。膝に手を置きながら、荒い呼吸を繰り返す。呼吸の乱れは精神の乱れによるもので、体力的なものではない。だが精神的なものである故に、適当なやり場がない。
憑き物が落ちたかのように、もはや探索気力が失せ去ったヒロの身体は、非常に重たい。心に重石を幾つも乗せたような。
(あぁ、鳴海の買い物、反故にしちまったな…………。明日ちゃんと謝っとかねぇと。いや、家に居るかもな…………)
不意にそう思った。
きっと家に帰ったら、ふくれっ面の彼女が玄関で出迎えるのだろう。その時に謝ろうか。
そんな事を考えながら、ヒロはフラフラと帰路に着いた。
既に大きな過ちと大きなすれ違いを起こしていることに、この時点の愚かなヒロは気付いてはいない。気づくわけもない。
✕ ✕ ✕
「全くもう、ヒーくんは…………」
どうしても不服が口から漏れる。最も、それを抑えようとも思わないけれど。先程真剣な顔つきで駆けていった幼馴染は、一体何を思って走ったのか。考えても考えても、きっと本人にしか分からないことだろう。
まさか、さっきの金髪美少女にナンパしに行ったとか?
いや、それはないか。ヒーくんはクラスの女子と喋るのすらあまり得意ではないのだ。見知らぬ女性に話しかけるだけの勇猛さがあるわけない。
モヤモヤしていても仕方がないと、とりあえず籠の中にキャベツを突っ込む。籠の中には既に大量の食材や調味料が入っている。
この時点で、籠はかなりの重量を持っている。荷物持ちが欲しいなと思ってしまう。元々、ヒーくんを荷物持ちだなんて言ったのは冗談だったけど、本気でヒーくんが居てくれたらなぁ、なんて。
野菜コーナーを抜けて、鮮魚コーナーへ。ちなみに、あまりに重かったのでカートを持ってきた。カート本当に便利。これ考えた人本当にナイス。
鮮魚コーナーはもちろん、魚介類が立ち並ぶ。少し生っぽい臭いが昔は苦手だったけど、今はそこまで気にならなくなった。
ヒーくんはあまり魚好きじゃないけれど、何故かイクラがものすごく好きなんだよね。回転寿司行くと玉子やツナマヨ、イクラしか大抵食べない。中でもイクラはその中の五割ほどを占めている。人前では自重してるみたいだけど、家族や私と行くときは基本的にイクラ尽くし。その度に、ヒーくんらしいなぁと呆れ笑いが自然に生まれてしまう。
「イクラ、秋になったら沢山買おうかな。イクラ丼作ろ」
ヒーくんが丼掻っ込む姿を思い浮かべて、ふふっと笑みが溢れてしまう。
いやぁ、きっと頬に米粒付けてる事に気づかず、ソファでゴロゴロするんだろうな、なんてほぼ確実に起こるであろう未来を想像する。
しかしそれは秋の話。今は六月で、イクラはまだまだ旬には程遠い。いくらポイントお得だからって、高価な物をバンバン買うのは家計によろしくない。何より、お金を出すヒーくんのお母さんに申し訳ない。何を隠そう、今日の買い物は倉田家の冷蔵庫内物資の補給なのだ。
「今日の夕飯、何にしよっかな~。そういえば鶏肉が無いんだっけ」
今度は肉エリアに訪れる。豚肉、鶏肉、牛肉……部位も様々に取り揃えられていて、それらを見回しているうちに、幾多もの肉料理が献立候補に上がる。
口元に人差し指を立てて、うーんと悩む。ヒーくんは、肉料理は大体美味しい美味しいと食べるから何作っても問題はない。中でも、特にハンバーグが大好物で、デミグラスソースをたっぷりかけると、ものすごく嬉しそうな顔をする。多分あの顔は無意識に出たものだから、本人は無自覚なんだろうけど。
ミンチ肉と、不足している鶏肉を数パックずつ籠に入れる。脳内の電卓では、この時点で、お会計が三千円は超えている。
ちょっと豪快に買いすぎたなと、反省。お菓子は断念しよう。さっき十分デザート食べたしね。
パンコーナーで食パンを買うと、そのままレジに並ぶ。レジに並んでいる買い物客は家族連れの主婦が多く、制服を着ている私はどうしても目立つ。同じく制服姿のヒーくんが居てくれたら、幾分か悪目立ちも和らぐんだろうけれど。いや、傍から見たらカップルみたいに映るのかも。真実はどうであれ、二人の男女が買い物している様子は、どうしてもそう言う風に映ってしまうものだ。
毎朝一緒に登校し、毎日夕食を一緒に食べる私とヒーくんの関係は、周囲でよく噂になる。その度に幼馴染だから、近所だからと本当のことを言ってもあまり効果はない。噂される度に、照れた顔で目を逸らす彼は、私の事をどう思っているのか。大切に思ってくれているのか、それともいつも付きまとってしまっていることに対して煩わしいと思われているのだろうか。
ーー前者だったらいいなぁと、思う。少なくとも、小学生の頃まではきっとそうだったのだから。
✕ ✕ ✕
ポイント五倍デーなんていうのは勘違いでした。本日はポイント等倍デーでした。
ショッピングモールを抜けると、外は真っ暗。女子高生が一人で外出するには、ちぃ遅すぎる時間帯。自転車の前籠に今日の戦利品を乗せると、足早に帰路につく。どうしても、暗い道を一人でとなると、襲われるんじゃないかだとか、目をつけられるんじゃないか、なんて悪い方面の事柄が自然と想起されてしまう。
ペダルを踏む足が、自然とその回転数を上げていく。いくらこの店から家までが然程遠くないとはいえ、片道十五分以上はかかる。
どんなに明るく人通りの多い道を選ぼうと、数箇所は明らかに危険スポットを通ることとなる。一応スマホをすぐ出せるようにはしているし、防犯ブザーもバッチリ装備済みだけど、やはり心許ない。こんな時ヒーくんが居てくれたらなぁ、なんて淡い期待を抱く。まぁあんな細腕じゃあ不良さん達に太刀打ちできるわけないんだけどさ。
ヒーくん、今頃家で私のご飯待ってるのかなぁ。もしかしたら痺れを切らして勝手に食べてるかも。きっとヒーくんのダラけた性格と料理スキル的に、カップ麺辺りで済ましちゃいそう。いや、私の夕食を諦めるや否や、多分すぐにお湯沸かしてカップ麺を作っちゃうなぁ。
それはまずい。健康的にも私の主婦力のプライド的にも非常に、まずい。仕方がない、さっさと帰ろうか。
都会サイド特有の栄えたビル群を抜け、少し殺風景な廃工場エリアに差し掛かる。
川辺に立ち並ぶ、人気なく錆びれた工場の様は、昼夜問わず不気味な面影。夜などは、特に。なにせ千切れたワイヤーや捻れた鉄パイプのシルエットが幾重にも重なって、一種の巨大なお化けのようにも見えるのだから。
このエリアの脇を抜けて、この市で一番大きな橋、降谷橋を越えれば田舎サイド。あとは老舗並ぶ大通りを抜けて住宅街に出れば、直ぐにもヒーくんの家。もしくは、その近所の私の家。田舎サイドは田畑も多く、拓けているので、物陰の多い都会サイドに比べて幾分か安心できる。代わりに墓所が多めなので、取り憑かれそうで怖いとも考えてしまうけれど。
まずは、この廃工場エリアを手早く抜けておきたい。全速力で漕ぎ抜ける。人通りもまるで居らず、それに少し恐怖を覚えるも、自転車の加速で振り払おうとする。
数十メートル先の工場から、一つの人影が現れるのが見えた。
照明の光がちょうど当たっていない場所のため、また月が雲に隠れていて月光が全く無いため、本当にシルエットしか見えない。黒塗りの人間は、私の軌道上で立ち止まったまま。
少し不気味さを感じたのもあるけれど、何より交通のマナー的な感覚で、道路の脇に逸れる。これで、人とぶつかる事も無いはずだ。自転車を目一杯漕いで、そそくさと通り抜けようとする。漕ぎ進め、視界の縁に人影を捉え、そのまま通過していく。タンクトップ姿の大柄の男性だと見て取れた。
ガシャンッ。
自転車は転げ。
「っあ…………!?」
肺から強制的に息を吐き出させられ、路上に転がり。咽ることも動くこともできぬまま、何が起こったのかも分からぬまま、しかしジンジンと突き刺すような痛みの、体中を襲うのを耐え。いや耐えることもできず、目頭が自然と涙を垂らす。
口からコポコポと何かが溢れるのを感じて、その液体を掬う。暗いのと、激痛によって朧気な意識が邪魔して、これが何なのか分からない。けれど、これはきっと。
自分の意識では止められない。口を塞ごうとも、直ぐに頬を叩いて体外に出ようとする。
じ…………こ……………? そ、それ……………と…………………も……………………?
ポタリと雫が溢れる。
閉じていく視界の縁に、アスファルトの地面を転がるキャベツの様が見受けられた。
唐突に、想い人の姿が思い浮かばれて。彼が夕食を待っている、だから帰らなくちゃと、数分前の思考に回帰する。
「ヒー………………くん」
そう、無意識に呟いた。それ以後の記憶は、重い緞帳によって迎えられた黒塗りの世界だけ。
読んでいただきありがとうございました!
なんだか不穏な感じに終わった第八話でしたが如何だったでしょうか。
一章の山場へとゆっくり迫ってきています。うまく盛り上げられたらいいんだけども。
次回はまた深夜に投稿しますのでよろしくお願いします!
冬休みの課題が、終わらない…………。(というか一切進めてない)




