科学世界からの脱却
現代の多くの人は、科学でこの世の真理を全て解き明かせると信じている。
本当だろうか
科学はデカルトから始まる西洋合理主義の系譜を持つ。
そして、デカルトは対象を細かく分け単純化することを思考の道具とした。
つまり科学は対象を単純化して扱うものなのだ。
しかし、この考えには限界がある。
たとえば?
将棋AI「ポナンザ」
佐藤名人を破ったこのAIは、人間の脳を模したディープラーニングという仕組みで学習する。
この仕組み、実は、ポナンザの開発者山本一成氏をして「何を学習しているのかわからない」と言わしめるものだ。
なぜ?
ポナンザを細かく分けても謎の文字列しか見えてこないから。
ディープラーニングのキモは謎の文字列の塊が複雑につながり合うことにある。むしろ、このつながりこそが本体だと言っていい。
このような構造を複雑系と言う。その分割してもなにも見えてこない性質ゆえ、科学では解明できない。
複雑系科学というものがあると言う人がいるかもしれない。
しかし、この複雑系科学で解明出来たものは?
経済学…解明出来ていたら世界金融恐慌は起こらなかっただろう。
コンピュータ…ポナンザの件を見る限り、解明したとは言い難い。
気象学…このごろ、天気予報はよく外れるきがする。
やはり、科学の考え方にとらわれる限り、この分野での進歩は難しそうだ。
…
科学にこだわるとここぐらいで停滞してしまう。
思考の遊びをする者にとって、停滞ほどもどかしいものはない。
ではどうするか?
科学の躍進とともに忘れられていったものにヒントがあったりする。たとえば、神秘主義とか。
神秘主義?神なんていないのに?
神秘主義で事象の因果を説明するとき、原因は、神はいない(たぶん)ので間違っている。
しかし、結果の方はかなり真実に近いものが得られる。つまり50%は解明できるわけだ。
本当?
たとえば、心理学はなぜ人の心がそのようにはたらくのかほとんどわかっていない。つまりエセ科学。
しかし、心理学はいままでに多くの精神病患者を救っている。
心理学は原因こそわからないものの、結果は真実に近似できるということだ。
複雑系である人の心をこのように解明していけるなら、他の複雑系も同じようにすれば解明できるはず、その一例が神秘主義というわけだ。
科学により隠されてしまった考え方を用いるのは、時代錯誤だし、胡散臭くも感じる。
しかし、真実をわかった気になって楽しむだけなら良いのでは?
※中二病に罹った高校生の戯言です。どうか生暖かい目で見守ってやってください。