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第1話 夏フェス行ったら遭難した

 今年もやって来ました。日本最大級のロックフェス『ジャパン・グレイテスト・ロック・フェスティバル』、通称『JGR』。

 R県R市にある龍神山の山中で行われている、日本を代表的する郊外型夏フェスだ。


 会場入り口まではシャトルバスで来れたが、ここからは歩きだ。都市型フェスと違って、郊外型フェスは歩く距離が長い。特に『JGR』は山の中のため、登山に来るくらいの気持ちで装備を整えておくとよいだろう。去年は蚊に刺されてかゆくて仕方なかったので、今年は虫よけスプレーも持ってきた。俺も今年3年目なので、その辺の準備は万端だ。


 今年も数多くのロックバンドが集結している『JGR』だが、今年のヘッドライナーは昨年15年ぶりに再結成したイギリスの伝説的バンド「ストーンクリーチャーズ」だ。

 今回見逃したら、次に来日した時に見ようという事にはいかない。なぜなら彼らは全員60歳を過ぎているため、毎年ツアーをやるような若い人気バンドとは違うのだ。今後そう何回も来日することはないだろう。

 これまで仕事が忙しくて見に行けなかったバンドが、そのまま解散してしまうという事が何度もあった。次のチャンスというものは、ない事が多いのだ。だから今回、彼らのライブは絶対に見逃せない。


 他にも俺の大好きな日本のロックバンドもいくつか出演するし、得意分野ではないがアイドルのライブも独特のノリが面白い。

 音楽だけでなく、ナイトメアステージでは夜に怪談をやってたり、唯一の屋内会場ハウスステージでは漫才が見れたりもする。

 またステージ以外にもキャンプを楽しみに来ている人や、たくさん出ている屋台を楽しむ人、楽しみ方は人それぞれだ。

 かくいう俺は、ボッチ参戦がっつりライブ見る派だ。しかし最前ブロックのモッシュゾーンまでは行かない。音楽をしっかり聴きつつ、自分のペースで楽しみたいからほどほどの距離から観覧する。

 今年もタイムテーブルをじっくり確認し、誰と誰を見るかをしっかり決めてから来た。

 逆に何も決めずになんとなくやってるライブを見る楽しみ方も楽しそうだと思う。いつかやってみたい。


 俺は少し手間取ってしまったが、キャンプゾーンに一人用テントを設置し終わり、ライブを見に行くための荷物をまとめる。大事な荷物はクロークに預けてあるし、どうでもいい荷物はここに置いておこう。

 軽いナイロン製のリュックの中には、タオル、替えのTシャツ、スマホとバッテリー、財布、日焼け止め、虫よけスプレー、500㎖のペットボトルが2本(水とスポーツドリンク)、塩飴、雨が降って来た時用のポンチョ、携帯用LED懐中電灯など……。荷物にならないように減らしたつもりだが、いろいろな物を詰めてある。


 それじゃあプレーリーステージで行われる一発目のアーティスト、ホウルナインヤーズを見に行こう。

 と思って歩き始めたら、飲食ゾーンで栄養ドリンクの無料配布をしていたので、思わず列に並ぶ。

 やばい時間が……。この調子だとナインヤーズに間に合わなくなる。

 でもタダだよ?無くなり次第終了だよ?仕方ないよね?


 配布していた栄養ドリンクをもらうと、俺はロスした時間を取り戻すため、再び足早に歩きだす。

 一曲目には間に合わないかもしれないが、俺は遅れてしまった時間を取り戻すため、去年見つけたプレーリーステージへの近道を通ってショートカットして会場へ向かう事にした。


 本来は運営会社の指示しているところ以外は立ち入り禁止だ。

 だが、去年もそうだったがなぜかこの抜け道の入り口には、他の所に貼ってあるビニールロープの柵が張っていない。

 見つかって怒られた時には、柵が張ってなかったので分からなかったと言い張ろう。そう決めて、ちゃっかり通らせてもらう。

 しかし、こんな便利な道なのになぜ誰も使わないのだろう?

 周りには自分以外誰もこの道を歩いていない。


 もたもたしていたら、遠くからナインヤーズの代表曲distanceのイントロが聞こえて来た。


「ヤバい、始まっちゃった!」


 デン、デン、デ、デン、デン


「ウォウォウ、ウォオー!」


 山の中、一人なのに遠くに聞こえる音楽に合わせて歌い出してしまう。我ながらテンション高いな。でもフェスなので許してほしい。これが都会なら恥ずかしい。

 デン、デン、デ、デン、デン


「ウォウォウ、ウォオー!」


 繰り返されるイントロのフレーズに、ついついさらにテンションが上がる。

 早く会場で聞きたい。一緒にコールアンドレスポンスしたい。そう思いながら歩を進める。


 すると、さっきまで気付かなかったが、人がいた。


 今歩いている山道の少し先に、道端の大きな石に座っている女の子がいたのだ。

 やばい、今の俺の歌声聞かれたか?フェスとは言え、人気のないこんなとこで一人で歌っていたのを聞かれたかと思うと、ちょっと恥ずかしい。

 だが恥ずかしがっていたらさらに恥ずかしいので、ここは堂々としていよう。

 そう思いながら、黙って俺は歩く。


 ……女の子がこっちを見ている。

 ヤバい、やっぱりさっきの歌ってるところを見られて、変に思われたかもしれない。

 どちらにせよ、俺は会場に行くために女の子の座っている場所の前を通過しなくてはいけない。黙って無視して通り過ぎるのも気まずい。とりあえず挨拶をしておこう。


「こ、こんにちはー」


 俺は女の子に会釈をする。


「こんにちは」


 女の子は、座ったまま何だか妙なものを見るような目で俺を見つめている。

 やめてくれ!その変な奴を見るような視線をやめてくれ!

 すると、女の子が話しかけてきた。


「あの……どこへ行くんですか?」


「へ?」


 ああ、そういえばここはあまり知られていない抜け道。JGRのオフィシャルガイドにも載っていない道だ。初めて通る人は、道がどこに繋がっているかも分からないだろう。


「ああ。道に迷ったの?俺は今からプレーリーに行くつもりなんだけど、もしプレーリーじゃなければ俺が来た方に行けば大通りに出るよ」


「プレーリー?あ、いえ、迷ったというほどではないんですが、ちょっと歩き疲れちゃって休憩してたんです」


「そっか。山道って結構疲れるもんね」


 そうは言っても、その女の子の装備は、しっかりとしたブーツに寒くないよう上着も着ている。登山としての準備はできているようだ。

 たまに都市型フェスに行くつもりで、Tシャツ短パンで上着を持たない若者がいる。そういう子が突然の雨や夜間の寒さなどにやられて震えているところを見かける。JGRに来るのなら、寒さ対策が必須だ。

 この子はその辺大丈夫そうだなと思って見ると、リュックがごつい。麻でできた口元が絞れる形のバッグだ。微妙に重いんじゃないか?俺もリュックだが、断然軽い薄手のナイロンタイプの物を持ってきている。


「荷物が重いんじゃないの?荷物は必要最低限にして、少しでも軽くした方がいいよ」


 俺は初心者にアドバイスをするのが好きで、よく初対面の人に対して語ってしまう癖がある。もしかしたらウザいと思われている時があるかもしれない。


「本当ですね。次は気を付けます」


 この子は素直に返事をしてくれた。俺の語りをまじめに聞いてくれるなんて、良い子だ。

 よく見るとかわいいし。

 小柄で華奢、髪はショートカット、フェスでよく見かける綺麗なお姉さんたちとはちょっとタイプが違って、いかにも女の子という感じだ。


「あと女の子が、こんな人気のないところで一人でいると危ないよ。まだ時間が早いからと言っても気を付けて!」


 夏フェスはとても楽しいが、一部の心無い者によるスリや性犯罪の危険性がある。

 こんなかわいい女の子が、こんな人気のないところにいるのを悪い男に見つかったら危険だ。


「すいません、気を付けます」


 おっと、説教臭くなっちまったかな?

 そうだ、そういえば今はゆっくり話してる暇はなかった。くだらない話をしていると、ライブを見る時間がどんどんなくなってしまうじゃないか。


「それじゃ」


「あ、呼び止めてすいませんでした」


「いえいえ」


 そう言って俺は女の子の前を過ぎ去る。

 かわいい子だったんで仲良くなりたい気もしたが、それよりも俺にとってはライブの方が重要だ。

 俺は再びプレーリーステージへ向かって歩き始めた。


 急いでいるからと言って、走ってはいけない。

 山道の移動は、とても疲れるものだ。

 走ったら一気に体力を消耗してしまう。コツコツと歩くのが一番早い。

 だが、それは道を間違えていない事が前提だ。

 おかしい。さっきからずっと山道を歩いているが、最初ちょっと聞こえていたナインヤーズの音漏れが、今は全然聞こえてこない。

 これはもしかして……


「道を間違えたか?」


 どこか途中で分かれ道ってあったっけ?ぼんやりしてて覚えていない。もし間違えていたら、このまま進むと会場からどんどん離れてしまう可能性がある。

 もし合っていたら戻るのは時間をロスしてしまうだけだが……。

 やはり音楽が聞こえなくなったのは、会場から離れているからだろう。

 俺はスマホを取り出し、今山のどの辺にいるかを確認するため、MAPアプリを起動する……。

 ――圏外だった。

 おかしいぞ。フェス会場全体で各社携帯電波完備のはず。するとずいぶん会場から離れてしまったのかもしれない。やはりどこかで道を間違えたのだ。


「くそっ」


 思わず足元の石を蹴ってしまう。

 悔しいが一旦戻ろう。


 ナインヤーズは見れないかもしれないな。それどころか、最悪の場合山道に迷って遭難する可能性もある。やっぱりガイドに載ってない道を通っちゃだめなんだ。

 俺はひどく反省しながら、来た道を戻る。


 山道は、一度通った道でも反対から見ると全く違う景色に見えてくる。俺はフェスはいろいろ行った事があるが、登山となるとほとんど経験がない。そう考えるといろいろと不安が込み上げてきた。

 これで元の場所に戻れなかったら最悪だ。

 そんなことを考えながら、道端の大きな岩を見つける。


「あっ!」


 思わず声が出る。ここはさっき女の子が座ってた場所だ。とりあえずここまでは戻ってこれたぞ。少しだけほっとした。この辺りで音漏れが聞こえなくなったんだ。もう少しで会場に戻れるはず。

 音漏れが聞こえないかと耳を澄ます。すると。


「誰かいますかー?」


 声がする。……だが、どこから声がしたのか分からない。

 俺はキョロキョロ辺りを見回すが、辺りに人影はない。

 ま、まさか、お化け?

 山奥だけに怖い……。


「すいませーん!誰かいたらちょっと助けてくれませんかー?」


 もう一度声がした。

 今度は、はっきり聞こえた。幽霊の類ではないはずだ。

 助けを求めているようだ。

 さっきここですれ違った女の子の声のようだが……。


「どこですかー?」


 俺は声の主に尋ねる。


「ここでーす!」


「えっ?どこ?」


 俺は周囲を見回すが、人影は見当たらない。

 そもそもこの抜け道はあまり知られていないため人通りは全くない。

 かつて人通りのあった道であろう跡はあるが、現在では積もった落ち葉に人が踏んだ形跡もない。

 もしかして……。

 山道の横の斜面を覗き見る。まさか足を踏み外して、ここから滑落したとか?


「ゴクッ……」


 俺はつばを飲み込む。

 この斜面を落ちたのだとしたら、大けがをしている可能性もある。もしそんな大変な状況で、それを助けに行っていたら俺はライブを見れなくなるじゃないか。

 一生に一回しか見れないかもしれないライブと、見ず知らずの他人の怪我、どちらが大事かと言えばそれはもちろん……


「大丈夫ですか?」


 人命だ!俺は斜面を降り始めた。

 落ち葉で足場が悪く、すぐに滑りそうだ。ここで俺まで滑落して怪我をしてしまったら、二重災害になってしまう。

 俺は十分に気を付けながら、斜面に生える木から木へと移動するように、少しずつゆっくりと降りて行く。


「おーい?」


「ここでーす!」


 声をかけてみると、返事が返ってくる。やはり下から声がするようだ。

 大きな声だ。声の感じからしてそこまで弱っている感じでもなさそうだ。


「今行くので、ちょっと待っててください!」


 俺は声のする方に返事をして、ゆっくりとさらに斜面を降りて行く。なんとか怪我をせずに下まで降り切ると、そこにはまた山道があった。一旦平坦な場所に降りられて安心する。

 さて、助けを求める声はどこからだ?


「呼び止めちゃってすいません!」


 声はするけど人影はない。

 怪談が始まるにしては、夜にはまだ早い。

 俺は声のする先を改めて見てみる。人影はない。

 だが、視線を降ろすと、そこには一匹の黒い猫がいた。


「あ、気付いてくれた。上にいらしたんですね。わざわざ降りてきてくださってありがとうございます」


 間違いない。猫が人間の言葉を喋っている。


 これが、ライブを楽しむために夏フェスに来たはずの俺の、奇怪な夏の体験の始まりだった。

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