探偵はわらしべ長者を推理する
彼は地獄へ至る道を見ただろうか?
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「それじゃあ綾音さん。学校行ってきます」
「はいはーい。行ってらっしゃいな~」
私は鞄を車椅子に引っ掛け、万の修理屋を出る。
今いってらっしゃいと返してくれた女性は
辻 綾音さん。
以前は平常院家のお手伝いさんだった。
あの交通事故で私は両親と足の自由を失い
身寄りのなくなった私を綾音さんが
引き取ってくれたのだ。綾音さんは父親の
修理屋を継ぎ、私は学校に通いながら
お店の手伝いをしている。
手伝いと言っても本格的なものではなくて
Webページの編集や更新。綾音さんが
忙しい時は買い物と食事の用意を
担当している。
綾音さんは私が探偵の活動を
知っているので、依頼が来た時は
こっちでなんとかすると言って
くれてはいるがインスタント食品で
済ませてしまう傾向がある彼女を
夕飯時に一人にしておくのは気が引けた。
「何も用事ができなければ
まっすぐ帰って来ますので。」
「いいよ~。学生は遊んでなんぼなんだから。
友達の付き合いとかも
大事にしなきゃダメよ~」
綾音さんには今の私にとって親も同然だ。
学校に向かう途中に暁の家に立ち寄る。
この時間だ。どうせまだ寝ているに
決まっていると思いつつ、インターホンを押した。
「あいあーい」
インターホンが鳴り止まない内に
玄関がガラガラと開くと歯ブラシを咥えた
長身でロングヘヤーの女性が私を迎えた。
暁の姉の優梨さんだ。
「おはようございます。絃は起きていますか?」
「おお!琴ちゃんか。いつもありがとうね
うちのグータラが迷惑かけちゃって
今呼んでくるから」
優梨さんはそう言って家の奥へ
ドタドタと消えて行った。
優梨さんは戌神高校の3年生と
聞いている。絃は髪を二つ結いでお姉さんは
ポニーテールにしているが
髪を降ろすと本当にそっくりだな。
ドォゴォッン!!
・・なんだ今のは?
一瞬だが家全体が揺れた様に見えた。
「お待たせ琴ちゃん。ほいっ!」
深く詮索しない内に優梨さんは
グッタリした絃を引きずり
玄関先に放り出した。
「気をつけてね!」
そう爽やかに言い放つと戸をピシャリと閉め
家の奥へ戻って行った。
一方、玄関に放り出された絃は
ピクリとも動かない。
五秒後ビクッと体が跳ねたかと思うと
えずくような咳をした。どうやら
みぞおちを喰らい気絶していたようだ。
「・・お前、毎朝お姉さんと父親の
弁当を作っているんじゃなかったのか?」
「・・・・・二度寝」
正真正銘の阿呆だ、こいつ。
暁が回復するのを待ち、私達は
学校へと足を向けた。予定より
少し時間は経ったが、遅刻する様な
ことでもない。ゆっくり歩いて行っても
予鈴が鳴るよりは早く教室に着くだろう。
探偵をやっているとはいえ仕事ではないし
厄介ごとは無いに限る。
刺激が欲しいならそれらしい所に
出向けばいいのだ。普段から
刺激的な生活を求める者は少なからずいるが
私はごめんだ。日常は平穏なものでなくては
ならない、と私の中でこれは
いわゆる一つのルールでもあった。
「もし!そこのお嬢さん方や。待ちなされ!」
せっかく平穏を噛み締めているのに・・。
声の方を見ると、薄暗い袋小路にいかにも
怪しげで胡散臭い屋台と鷲鼻の老婆が
こちらに向かって手招きしていた。
屋台には意味不明な装飾が施されており
看板には「占い 一回1000円」と
おどろおどろしいフォントで書かれていた。
朝だと言うのにその袋小路の辺りだけ塀越しに
生えた鬱蒼とした木々のせいで雰囲気はバッチリである。
「お嬢さん方に物運の相が出ておる・・。
どちらさんでもええ、この先最初に
手にした物を大事にしなされ。どんなに
粗末な物でも巡りめぐって
必ずお嬢さん方の富となるじゃろう」
占い師の老婆は予言めいた事をを告げた。
「よくわからないが、記憶には
留めておくよお婆さん」
胡散臭過ぎて無論真面目になんて聞いてはいなかった。
暁は眠気のせいで横であくびをする始末だ。
私達は再び歩き出そうとした。
「占い代、1000円」
「はぁ?」
あろうことか、老婆は占い代を請求してきたのだ。
「こっちは占いなんて頼んでないんだ。
あんたが勝手にやったんだろう」
「これ程はっきりした相ならほぼ
予言に近いもんじゃ、1000円くらい
払ってもよかろう」
馬鹿馬鹿しい、付き合ってられん。
「暁、走るぞ」
「あいよ」
私と暁は脱兎の如くその場を走り去った。
後ろから何か婆さんが喚いていたが
無視して学校まで走り続けた。
「ここまで来たらもういいだろう」
「・・ああ」
暁は壁に手をついて息を整えている。
ついさっきのみぞおちのダメージが
こたえたのであろうか。いつもだとこの距離
ぐらいでは息切れたりしない。
「・・・ん?暁、それは?」
暁が手をついた壁に一枚のポスターが貼られていた。
この近所のスポーツ店の宣伝だった。
「あー触っちゃった・・」
「え?まさかお前あの婆さんの占いを信じるのか?」
「ん~・・・あそこまで怪しいともしやってね」
暁は壁のポスターをベリッと剥がした。
まあ、たくさん貼ってあるしいいか。
私達はそのまま何事もなく学校へ着き
下駄箱で上履きに履き替えていた。
「お前いつまでそれ持ってる気だ?
どうせ婆さんの戯言だろう」
「・・・・・」
A3程のポスターはくるくると丸めて暁の
鞄の口に刺さっている。貼ったばかりだったのか
まだ裏側は真っ白で新品のカレンダーのように
テカテカと光っていた。
「遅刻遅刻遅刻ゥ~!
また先輩に怒られるよコレぇ!!」
廊下の先からドタドタという足音と
黄色い悲鳴が聞こえてきた。
「こら江森!!廊下を走るんじゃない!!」
「ひゃいッ!?」
すれ違った教師の突然の声に驚いたの
江森という女子は盛大に転倒し
持っていたプリントや文房具が
廊下に飛び散った。
「あらら・・・暁手を貸してやれ」
「ああ」
暁は散らばったペンや消しゴム、プリントや変な
キーホルダーがついたポーチを手際良く
拾い江森に渡してやった。
「ありがとうございますぅ・・」
江森は若干ベソを書きながら
それらを受け取った。
顔面を打ったらしく、そばかすが乗った
頬が赤く擦り切れている。
「・・大丈夫?顔傷いってるけど
洗ってからコレ貼れ」
暁はポッケから絆創膏を取り出し
それも江森に渡した。
「うう、ドジですみません・・・
あっ、メモ帳は!メモ帳その辺りに
落ちていませんか?」
私達は周辺を探したが、メモ帳らしきものは
見当たらなかった。
「あああ・・これから会議なのに。どうしよう・・・」
どうやらこの子は週に二回程の
行われている生徒会会議に行く途中だったようだ。
見ない顔だが一年生だろうか?
「あ、そ・・それ!それって使いますか?
できれば譲ってほしいです!」
江森の指差す先には鞄に指してあるスポーツ店のポスター。
「・・・いいよ。あげる」
暁はポスターを鞄から引っこ抜いて江森に差し出した。
「ありがとうございます!ありがとうございます!
この!このご恩は 一生忘れません!!」
江森は頭をブンブン下げて感謝した。
どうでもいいが、なぜ言葉を繰り返して
喋るのだろう?口癖だろうか?
「あのあの!これはほんのお礼です!
はい」
江森は暁に何かを握らせるとポスターを
抱えて行ってしまった。
「何をもらったんだ?」
私は暁の握り拳を溶いて中を確認した。
出て来たのは先程拾ったポーチについていた
変なキーホルダーだった。妙な形と目に優しくない
色合いのキャラクターがデザインされている
なんともナンセンスなキーホルダーである。
「いらね~・・」
「なんのキャラだろコレ?アメーバ?」
スポーツ店のポスターが変なキーホルダーに
変わってもありがたみがない。
「何が長者の相だ、まったく」
私は甘く作った卵焼きを口に運んだ。暁はその変な
キーホルダーを眺めながら売店の
梅おにぎりをパリパリ食べている。
「・・見ようによれば可愛いかもしれない」
「・・・暁よ。あまり無理をするな
朝の一撃が回復してないのだろう」
かわいそうにと卵焼きを一つ口に放り込んでやった。
いつもなら残り物の弁当を食べているが
今日は父親とお姉さんに割り振った結果
自分の分がなくなってしまったらしい。
私達の学校には毎日昼休みになるとおにぎりや
パンを売りにやってくる店がある、昼を用意して
いない生徒や教員に大変人気だ。種類も豊富で
コンビニより格段に安くて美味い。
「・・ツナマヨ食べたかったのに。売り切れ・・・」
暁はぐったりと机に突っ伏して拗ねている。
人気のものは毎回飛ぶように売れるため
目的のものが他に入らない時もある。
「ツナマヨおにぎりぐらい明日作って来て
やるから、そう落ち込むな」
普段は何事にも無関心なのに
(自分の)食い物が絡むといつもこうだ。
「そこの女子~ズ。もといツインテールの女子。
その手に持っている物を拝見したいのだが
よろしいかな?」
いきなり声を張り上げ近づいて来たのは、小太りで
眼鏡をかけたいかにもオタクという男子生徒だった。
肩で息をしているのを見ると余程興奮しているのだろうか。
暁がキーホルダーを目の前でチラチラすると
餌を求める鼠のように手を伸ばして掴もうとしている。
「そ・・・そのっ・・キーホルダーは・・くっ・・」
「暁、その辺にしてやれ」
暁は面白がって机に登り、オタク男子の手の
届かない位置からキーホルダーで
釣りをして面白がっている。
「そのキーホルダーは先月に発売された
『Cyber-space:PSYCHO シーズン3』の
初回限定版についてくる主人公アリスたんの
相棒のQueueじゃないですか!
お願いっ・・・。僕に譲って貰えませんか?」
オタク男子は机に両手をつき頭を
下げて懇願してくる。どうやらこのアメーバは
アニメのキャラクターだったようだ。
サイバースペースは一期までは私も
見たことがあるが、こんなアメーバみたいな
キャラは見当たらなかったがな、と
一人首を傾げた。
「相棒はAsciiじゃなかったか?」
「おや?お主サイバースペースをご存知で?
残念ながらAsciiはウイルスを埋め込まれて
敵対勢力になり、アリスたんと死闘の末
敵のアジト共々消えていってしまわれたのです
・・・くぅ」
オタク男子の目には微かに光るものがあった。
何てことだ・・・Asciiはちょっと好きな
キャラだったのに、知らない間に
死んでしまったとは・・。
しかも、次の相棒がこんなアメーバみたいな
ものになっているなんてダブルショック。
ってなにを言ってるんだ私は?確かに
アニメにしてはメカデザインやストーリー演出は
凄かったし、サイバースペースを元にした
オンラインゲーム『World of ALICE』もアニメに
合わせてイベントが行われ多いに盛り上がった。
私も手を出したくらいだ。
「まあ、少しくらいは知ってる。
探偵をしているから情報に疎いわけには
いかんからな」
「探偵?・・ああ!例の車椅子探偵ですね。
噂はかねがね」
少しかしこまった様子で、姿勢を正す。
「で、話を戻すが。君はこの
キーホルダーが欲しいのか?」
「あ、はい。しかし無論タダで
譲って欲しいとは言いません」
オタク男子は懐中からカラフルな
封筒を取り出し、私達に見えるよう中身を見せた。
それは映画のチケットの様だった。
「先日、同志の一人から譲り受けたものの
三次元の映画には興味がない故
持て余していたのですよ。しかも恋愛もの
我らには悲しいかな無縁の代物ですね」
『イルカは星の夢を魅る』と言う
可愛らしいフォントのタイトルが
印刷されたチケットだ。これは確か
三日前くらいに放映が開始され
若いカップルから好評とされている映画だった。
内容に関しては、難病に侵された
女と男の僅かな時間を描いた
ありきたりと言えばありきたりの
ストーリーだが、監督がテレビドラマで
一山当てているので、監督名が
理由で見に行く人も多いらしい。
「キーホルダーとは釣り合わないかも
しれませんが、どうか
一つお願いします!」
またもや土下座する勢いで頭を下げてきた。
これはかなり必死だ。
「(どうする琴?)」
「(どうもこうも・・・
私達が持ってても仕方のない物だし
いいんじゃないか?)」
渡してやれと目で合図した。
「うわあああ!ありがとうございます!!
この恩は忘れません~」
オタク男子は何度も頭を下げて
スキップしながら教室を後にした。
何の変哲もないポスターから
キーホルダー、映画のチケットになった。
「偶然なのか・・・?
わけがわからないな」
私は首を傾げた。
「まあでも、映画チケットになる
なんて儲け物じゃないか?婆さんの
言う通りわらしべみたいな状況だった
としたら、この調子で
まだまだあるかもだね」
わらしべ?私の中である疑問が浮かんだ。
わらしべ長者の話では最後は主人公が
逆玉の輿となって終わるのだが
現実じゃそう上手く行くわけがない。
となると、手に入った物をどこで自分の物に
するかで損得が決まるのではないか?
今の段階ではチケットだが、次に交換する物が
今より価値のあるものとは限らない。ある意味
ギャンブルだと思った。どこで辞めるか
引き際が肝心になってくる。
「今辞めても二人共恋愛映画に
興味ないからな。どうしたものか」
「あたしも雑貨とかがいい・・・」
物運が上がっているのは認めるが
長者にはまったく期待していなかった。
そもそもまだ私達は学生だ。玉の輿などの
話になってはこちらも困る。
でも、絃の回答はどうだろう?
ぽけっとしてるように
見えてちゃっかりしているからな。
学校を終え特に依頼もなかったので
私達は帰宅することにした。
「チケットなんて欲しがる人いるのかな?」
暁はチケットをぴらぴらさせて遊んでいる。
こうでもしないと「君達映画のチケットって持ってる?」
なんて聞いて来る人など百パーセントいないからである。
「あ」
指に挟んだチケットが一枚風に
さらわれ空中を木の葉のようにくるくる舞う。
暁が掴もうとするがチケットの
変則的な動きで手は空を掻くばかりだ。
「おい。そっちは河原だぞ」
一様声をかけるが、暁は聞こえていないようだ。
夢中でチケットを追っているせいで
周りが見えていないらしい。
「でやっ!とった!!」
ジャンプでギリギリ指でチケットを
取ったはいいが、河原は暁の位置から坂に
なっており、着地もままならない暁は
そのまま転げ落ちた。
「おわっ!?」
「きゃああ!?」
私が慌てて駆けつけると、暁と若い男女が
もみくちゃになって倒れていた。
どうやら丘の下道を二人が歩いているところに
暁が転げ落ちてきたらしい。
「あたた・・・なんだなんだ~」
「あなた大丈夫?すごい勢いで
転げ落ちてきたけど」
女性の方が目を回している暁を
抱き起こした。暁は「うう・・」と呻きながら
身を起こすがふらふらしてて
足取りがおぼつかない。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
私は河原を降りながら二人に声をかけた。
「いやいや、僕らは大丈夫だよ。
ちょっとびっくりしたけど」
男性の方はヘラリと笑って答えた。
「ユウキ~ダイジョウブ?
ナンカスゴカッタネ!」
なにやら違和感を覚える言葉を使う
少女が向こうの方から走ってきた。
碧眼、淡い金髪ショートカットに
白いワンピースを纏った
ファンタジー作品に出そうな容姿をしている。
男女の方は至って普通の日本人だ。
二人の子供ではないだろう。
「ごめんねララ。心配かけちゃって」
女性が優しく微笑んで少女の金の髪を撫でる。
この子と二人はどういう関係なのだろう?
親族なのだろうか?
「そうだ君達!この辺りって詳しい?
この子迷子みたいでさ~。困ってたんだ。
僕らは用事でこの近く来ただけだから
右も左もわからなくて・・」
「交番まで連れて行って貰えないかしら?」
なるほど、この子はただの迷子だったようだ。
しかも、この様子だとかなり参ってる。
この子は日本語はあまりわかってないのだろうか?
しかし、見たところは外国人の少女だが女性に
「このお姉ちゃん達に連れっていってもらってね」
と言い聞かされると「ハーイ」と
元気良く返事をした。
なんだ、日本語は通じるみたいだ。
「構いませんよ。
交番ならすぐそこですし」
「ありがとう。
じゃあ僕らはここで」
二人は私達にお礼を言うと
丘を登って行ってしまった。
やれやれ、面倒な役を買ってしまったな。
「あ・・・」
目を回していた暁が調子を戻したようだが
なにやらチケットを見つめて
やや顔を青ざめていた。
「どうした?」
「・・・チケットが・・」
暁がチケットを目の前に差し出して来た。
私はそれを受け取りまじまじと確認する。
「!?・・・これは」
よく見ると、『イルカは星の夢を魅る』の
チケットには間違いはないのだが
半券が切られている。
ようするに使用済みのチケットだった。
「さっきのカップルと
入れ違ったのかも・・・」
「うっそ・・・だろ・・」
丘を駆け上り、二人を探したが
もう姿はなかった。私達はしばらく
呆気に取られていた。
「??ドウカシタノ?オネエチャン」
碧眼の少女は私の袖を
引っ張り顔を覗き込んで来た。
ぽけっとしている私達を心配しているようだ。
「映画のチケットが迷子に・・
わらしべもここまでだな」
「エイガッテナァニ?」
「ん~でっかいテレビかな」
暁は碧眼少女を肩車して楽しそうに話している。
「君なんて名前?」
「ララエル!ミンナララッテヨンデルヨ」
「ララか。綺麗な名前だね」
まあ、いいか。そもそも虫が良すぎる話だったのだ。
期待していたわけではないが
ちょっとわくわくしていた自分が
恥ずかしく思えてしまう。
私が一人頭を抱えていたその時
ぐるるぅという低い音がどこからか
聞こえてきた。
「オナカスイタ・・・」
鳴ったのはララのお腹だった。
どれくらい迷っていたのだろう?
よく見てみれば膝も数ヶ所
擦りむいた跡もある。
「よーし。ラーメンでも食べるか。
あたしが奢ってやろう」
「ラーメン?オイシイノソレ?」
「あ・・暁。まさかとは思うが」
「安心しろ。うちの店じゃない」
そ・・・そうだよな。そうに決まっている。
暁の味覚が正常で良かったと胸を撫で下ろした。
「オイシカッター!」
店を出る頃には日もすっかり暮れ
夕闇が町を飲み込みつつあった。
ララは余程腹が減っていたのか
醤油ラーメン三杯もたいらげた。
代金は仕方なく二人で出し合うことにした。
「お前体のどこに収まってるんだ」
「?」
ララを膝に乗せてお腹を触ってみるが
ラーメン三杯が入っている気配がない。
それよりまず体重が驚くほど軽いのだ。
見たところララは四、五歳なのだが
仔犬ぐらいの重さしかないことが
少し不気味に感じた。体の観察で
もう一つ妙なことに気がついた。
首の下、背骨に沿った辺りに小さな
翼のようなものがくっついていたのだ。
触ってみるとふわふわした綿の
ような感触で、付け根は肌に同化している。
羽は一枚一枚純白で美しく
若干だが発光しているような気がする。
「クスグッタイヨコト~」
ララは身をよじらせてケラケラ笑った。
感覚もあるようだ。
「これは本物の羽か?」
「ウン。ララ『テンシ』ダモン」
うーむ。天使か・・・
人間の想像した『天使』の
イメージとこの子の
容姿は限りなく近いが
そんなことあり得るのだろうか?
「じゃあ、飛べたりするの?」
「ンートベナイ」
ララは口をすぼめて
拗ねたように言った。
飛べないことを気にしているみたいだ。
「さあさあ、交番へ向かうぞ。
親御さんもきっと心配している」
「エー。モットコトト
イトトアソビタイ」
「じゃあお母さんに頼んで
今度は公園でブランコ大車輪みせてあげような」
「ヤッター!!ララ、ラムダにオネガイスルー!」
夜の道を通り、私達は交番へ向かった。
そんなに遅い時間でもないのに
関わらずやけに人通りが少ない。
ララ一人だったらと考えると、という
嫌な想像がついてしまう。
空には分厚い雲が蓋をして
月明かりもなく、湿った生温い風が
ゆっくり肌を舐めるようで私は
気味の悪さを覚えた。塀の向こう、電柱の影
明かりのない家の窓、様々な所から
誰かに見張られているような
殺気にも似た視線を感じる。
「琴、止まれ」
暁が短く、張り詰めた様子で言った。
「どうした?」
「前方のあれはなんだ?」
前方に目を向けると、闇が
ぐにゃりと歪んだ。
ぎょっとしつつも目を凝らして見ると
体全体が黒く、四つ足で目が鈍く光る生き物が
こちらをじっと見ている。闇に溶けた体の
せいで輪郭がわかりずらいが
大型犬ぐらいの大きさだろうか?
ぐるる・・と呻き声を上げたように
聞こえたが、奴と私達の距離はそこそこあった。
なのに、何故四方八方から
呻き声が聞こえるのだろうか?
「なんだ?あのも○のけ姫の
祟り神みたいなのは?」
「しかも、一匹じゃないぞ」
姿は一匹しか見えなかったが、おそらく囲まれている。
「ララ、アレキライ。ララノコトタベヨウトシテクルノ」
ララが私の服をぎゅっと掴み、怯えながら呟いた。
タベル?・・・食べるだって?人を襲うような
生物が町をうろついているなんて
この町では聞いたことがない。
「あたしがいくよ」
ずいっと暁が前に出た。
「おい・・馬鹿な考えはよせ・・」
「様子見だ。弱ければ蹴散らせばいいし。
ヤバかったらトンズラすればいい」
暁が戦闘の体制に入ったのを察したのか
黒い怪物達は唸り声を上げ突進して来た。
暁は体制を低くし、正面の一匹を蹴り上げた。
「(硬っ!?)」
素手では無理だと思い
身を引こうとした時にはもう遅く。
暁はでかい前足で弾かれるように
私達の足元まで吹っ飛んで来た。
「あ・・・ぐぅ・・」
「暁!?大丈夫か!!?」
信じられない自体に私は狼狽していた。
なんなのだこれは?暁は消え入りそうな声で
「逃げろ・・」と言っているが
私は軽くパニックになって何も考えられなかった。
車椅子のバッテリーはまだ残っているが
地面に膝をついている暁を担いで逃げるのは無理だ。
そうこうしているうちに黒い怪物は
じりじりとこちらとの間合いを詰めてきている。
「ヒカリ・・・ァァ・
・カミ・・・ザントゥ・・・」
「ワタ・・セェェ」
呻き声だと思っていたものは距離が
詰まるごとに何かを呟いているように聞こえた。
だが私には何を言っているのか理解できなかった。
「くそ・・化け物め」
私は暁とララをかばうように前に出た。
思えば私は暁に守られてばかりだ
今回は私が守らねばならない。
ぐっと手に力がこもる。生温かい空気のせいか
この状況のせいか、汗がさっきから滝のように流れ出る。
しかし、非力な私でどれくらいもつだろうか?
暁はこの様子では、私など一瞬かもしれない。
黒い生物はもう目と鼻の先まできている。
もうこれまでなのだろうか。
私は目を固く閉じ覚悟を決めた。
「グギャア!!」
突然怪物が潰れた悲鳴を上げた。
目を開くと黒い怪物の上にロングコート
マフラー、中折れハットを身につけ、細く黒い剣の
ようなもので生物を貫いている姿が
目に飛び込んできた。
マフラーは顔の半分を隠し、帽子も深く
被っているので顔が見えないが、帽子と
マフラーの間から見える碧眼と二メートルは
ある体格から男性を彷彿とさせた。
「ギ・・・ギィ」
黒い生物は体を貫かれてもなお息があるようで
苦しそうに足をバタつかせている。
「・・・・・・」
コートの男は足で頭を踏みつけ
とどめと言わんばかりに剣を少し
引き今度は勢いよく剣で体を刺し貫いた。
黒い生物は短く鳴き、今度は動かなくなった。
コートの男は生物から剣を抜き
大きく一振りさせ周りを見渡した。
次はどいつだ?と威嚇している。
その行為に恐れを成したのか
周りを取り囲んでいた嫌な視線は
散るように消えた。
「!」
コートの男と目が合った。
表情の見えない相手はこちらの
向かって歩いてくる。血塗れの剣が
雲から僅かに顔を出した月明かりに
照らされ、妖艶な光を放っていた。
自然と鼓動がまた速まる。
私は息をごくりと飲み
警戒心を飛ばした。
「ア!ラムダ!!」
今まで私の胸に顔を沈ませていた
ララが明るい声を上げ、車椅子から
ぴょいと飛び降りてコートの男の方へ走る。
な・・・あいつがララの保護者?
保護者にしては怪しさMAXの見た目に
私は愕然とした。もしララを警察に
届けて普通に迎えに来たら
絶対に引き渡さなかっただろうな。
「ラムダ~コワカッタ」
「・・・・・」
コートの男は膝にすがってくる
ララの頭を優しく撫で、ひょいと担いで
肩にちょこんと乗せた。
そうして私の目の前まで歩いて来た。
近くで見るとまるで柱のようだった。
厚着をしているのでハッキリと
体格はわからなかったが、スマートで
長身といったところか。近い距離なのに
私と相手の目線は随分
離れていた。(上下の距離で)
コートの男は暫く無言で私を
眺めていた。
「(なんだ・・・?何故黙っている?)」
すると、男が懐中から小さな
メモ用紙を取り出してスラスラと何かを
書き、私に手渡した。
[お怪我はありませんでしたか?]
綺麗な文字だ。と、思った。
「(筆談・・・?)」
男はまたメモ用紙を渡して来た。
[ララは私の連れです。
少し目を離した時にいなくなって
しまいまして
随分お世話になったようで]
「あ・・いや・・・、ああ私も
字で書いた方がいいですか?」
[いえ、耳は聞こえますし
普通に話してもらって構いません]
喉が悪いのか?コートの男は随分
丁寧な口調で私に伝えた。
どうやら敵意のある者ではない。
ひとまずは安心だった。
「こちらこそ助かりました。
あなたが来てくれなかったら
もっと悲惨な事態に
なっていたと思います。」
[奴らは光のない夜に
時折現れるのです。人間を襲うことは
あまりないのですが
我々のような者には牙を
剥きましてね。おそらく
ララを狙っていたのでしょう]
その子を?一体なんのために?
[それより、そちらの
お嬢さんは大丈夫ですか?]
「あ!暁大丈夫か!?」
車椅子から落ちる勢いで
私は暁を抱き起こし顔を
ペチペチ叩いた。
「たたた・・・えーと、うん。
なんとか。骨折れてないみたいだし
休んでれば治るよ。」
ぐったりしているが大丈夫そうだ。
私は急に目頭が熱くなって
暁をぎゅうと抱きしめた。
「まったく毎回毎回無茶しやがって・・・・」
「・・・・ごめん・・なさい」
泣きそうな私の頭を
暁がぽんぽんと叩いた。
私が落ち着いたのを見計らって
コートの男がまたメモを渡した。
[では、我々はこれで。
あと、今後は我々のような者には
関わらない方がいいでしょう。
きつい言い方で申し訳ありませんが
あなた方の為にも]
それだけ渡して、コートの男は
夜の闇へ溶けるように歩いて行った。
「マタネ~コトオネエチャン!
イトオネエチャン!」
肩車されたララが笑顔で
手を振っている姿が
闇に消えるまで私達は
それを見ていた。
翌日の登校時
「おはよう。体は大丈夫か?」
「ちょっと筋肉痛・・・」
暁はだるそうにあくびしてみせた。
「お前の回復力どうなってんだか」
こっちは心配してあまり
眠れなかったと言うのに
呑気にあくびして・・・
「それよりさ、昨日は楽しかったね」
「はぁ?・・・前半はな。
後半戦はひやひやしたぞ」
「そうだ。これ」
暁が私にて渡したものは
小さな石ころで作られた
ブレスレットだった。
「ララがあたしらにってくれた」
石に糸で通しだけの粗末なものだが
できは悪くない。石といっても
形も色も様々な物を使っていて
綺麗だった。
「なあ、つまり私達のわらしべの成果は・・・」
「結果的には『命拾い』
になるのかな・・?それとこの
手作りブレスレット」
思っていた物は手元に残らなかったが
命は助かった。ということだ。
「なんじゃそりゃあああああ!!」
「文字通り命、拾ったね」
そんなわらしべ聞いたことないぞ。と私はヘナヘナの萎れた。
どこだかわからない黒い部屋
僕は部屋の中央に佇み、静かに泣いていた。
その側に一つの影が音もなく
忍び寄り、僕と同じくらいの
人間の姿に変化した。
「ありがとうツカサ、僕は大丈夫」
僕はそっと体温のない手で
ツカサを撫でた。
ツカサはそれに答えるように
手にすり寄った。
「たまにね、変な夢を見るんだ。
はっきりと思い出せないのだけど。
誰かがね、僕を殺している夢。
彼は泣いていて、でも笑っている
ようにも見えた。僕はどうして
泣いているの?って言おうと
するんだけど彼には届いて
いないみたいなんだ。
その姿が、酷く悲しいんだ。
僕を殺した後
彼はどうなるのだろう?
血の海で一人涙を流している
彼を思うと、とても悲しい
気持ちになるんだ」
そう言うと、また静かに涙を流した。
涙は下には落ちず、雪のように
叶の周りをふわふわ浮かんでいた。
ツカサがその涙の水球を
そっと摘むと、ぱりんと音を立てて
砕け散った。
あの時死んだのは私だった
私が殺したのは
私自身だったはずなのに
何故