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サクラサク

作者: 北瀬翔子

「サクラサク」




 ――独りが好き。だってその方が楽だもん。


 うそだ。こんなこと言う人のことを私は信じられない。そういう人は大抵すでにその時点で友達に恵まれていて、いつもと違う自分に酔っているだけだ。誰だって誰かと一緒にいたいと思うはずだしその方が楽しい。人は一人では生きられないっていうけど本当その通りだと思う。もし一人でも生きられるなんていう人がいたらそれはそうとう甘やかされてきた人か仙人ぐらいだと思う。


 独りは辛い。こんな単純なことを本当に知っている人はどれくらいいるだろうか。少なくとも私のクラスには誰もいない。


 朝クラスに入っても誰も私に気付かない。いや、気付いてないフリをしてるだけ。私はこのクラスに無視されてる。誰も私に挨拶なんかしないし目すら合わさない。私という存在はこのクラスには存在しないのだ。


 どうしてこうなったか。きっかけは些細なことだと思う。例えば私が人見知りでクラスに馴染むのが遅かったり、そのせいで女子のグループに入れそびれてしまったり、引っ込み思案な性格のせいで言いたいこともうまく言えなかったり。そんないろいろなことが重なって私は浮いてしまったのだ。


 いや、それだけならここまで酷くはならなかった。ただの付き合いにくい女子っていうぐらいの存在だっただろう。それがここまでなってしまったのは陽子のせいだろう。せい、というとなんだか語弊があるかもだけど、つまりは陽子が深く関わっているのだ。


 陽子はこのクラスの人気者だった。明るくて誰にも分け隔てなく接してしかもかわいい。男子からも女子からも慕われていたし、クラスのムードメーカー的な存在だ。そんな彼女だから私にもいつも声をかけてくれたし気にかけてくれていた。きっとそれが他の人には面白くなかったんだと思う。


 私たちの陽子を奪った! しかもそれが私のような地味で暗い女だ。クラスのみんなが疎ましく思うのも仕方ないと思う。でもそれと同時にこうも思う。なんて子供なんだろうと。そんな思考が伝わったのかクラスの目はどんどん冷たくなった。それに反して陽子はますます私を気にかけてくれた。もちろん彼女に悪意なんてないしただの同情だったのかもしれないけど、結果そのせいで私は今のような状態になってしまった。


 そしてクラスから私はこう呼ばれるようになった。


 ――ネクラ。


 私の名前のさくらと根暗をかけたものだ。バカバカしいとは思ったけどなんだか私にぴったりなような気もする。性格も暗いし外見も前髪が目にかかっていて暗く見えるんだと思う。でも性格も見た目も変える勇気はない。


 授業が終わると私はそそくさと教室から逃げるように美術室に向かう。誰にも邪魔されずひっそりと絵を描く。それは一種の儀式だった。辛い現実から目を逸らして妄想の世界に旅立つ。絵を描いてる時だけは何もかも忘れられた。私が描くのはいつも明るくて笑顔の子たち。昔友達に見せたら「似合わね~」と言われた。確かに私とは全く似てないけど、私が理想とする、なりたい人物を描くのはいけないことなのだろうか。


「さくら、一緒に帰ろう!」


 部活の時間が終わり道具を片付けていると、陽子が声をかけてきた。私たちは毎日一緒に帰っている。帰る方向も一緒だし同じ美術部なので自然とそうなっていた。これもクラスから嫌われている原因の一つだった。本当は断った方が陽子にも迷惑がかからないしいいのかもしれないけど、私にはそれができなかった。


 外はすでに暗く冬の冷たい風が吹き抜ける。寒さから守るように重ねた服はなんだか私とクラスの人との壁のように見えた。


「寒いね」


「うん」


 その一言で陽子は黙ってしまった。私はもともとおしゃべりな方じゃないけど私が黙っていても陽子はいつも一人で勝手に話を続ける。だからちょっと違和感。そういう日もあるのかなと私は勝手に納得してしまった。だけどこの時私はもっと考えるべきだった。陽子の寂しそうな横顔の意味を。


 それから何事もなく陽子もいつも通り日々は過ぎていった。終業式も間近に控えたその日もいつもと変わらないはずだった。


 それは本当にたまたまだった。聞き耳を立てるつもりはなかったけどたまたまクラスの人の話が聞こえてしまったのだ。


「ねぇ知ってる?」


「なになに?」


「陽子さ、転校するらしいよ」


「えー! マジで?」


「うんうん、だって私本人に聞いたもん」


「寂しくなるね」


 初め彼女たちが何を言ってるのか理解できなかった。ぽかーんと宙に浮いた気分。何か大事なことを言ってるはずなのに脳がそれを必死に拒否してる感じ。


「……陽子が転校?」


 口に出してやっと意味を理解することができた。でも理解することと納得することは違う。


「うそだ……」


 だってそんなこと知らない。陽子から何も聞いてない。信じられない。ああ、そうか、これはうそなんだ。どうせでまかせに決まっている。陽子に聞けばすぐわかる。いつもみたいに明るく「そんなわけないじゃん!」って笑い飛ばしてくれるに決まってる。


「ね、ねぇ陽子?」


「なに?」


 陽子と話していた子から非難めいた視線を受ける。だけど今回はそれにひるむことはできない。すぐに終わる。そう自分に言い聞かせて続きを話す。


「陽子が転校するって聞いたんだけど……うそ、だよね?」


 あとはただ首を一回縦に振るだけ。なのに陽子は呆然としていて身動き一つしない。数瞬の後陽子は絞り出すように声を出した。


「……ど、どうしてそれを?」


 どうして? どうしてってどうして? それがわかった瞬間、私は走り出していた。後ろから私を呼び止める声が聞こえたけど今止まるわけにはいかなかった。残酷な現実から少しでも遠く離れようと走って走って走った。そうしてたどり着いた場所は美術室だった。いつもと変わらない独特の匂い、紙と木と絵具とが混ざり合ったその匂いに安心感を覚える。


 ここに来ると嫌でも陽子との記憶を思い出してしまう。一緒に絵を描いて一緒に帰って一緒に同じ時間を過ごした。陽子が私と一緒にいるのは同情なんかじゃない。友達だから。でも友達ならどうして私に転校のことを教えてくれなかったの? 一つの疑念が不安を呼び起こす。信じたいけど信じきれない。どんどんマイナスの思考へと傾いていく。しかしそれは扉が開く音に遮られた。


「陽子……」


 振り向くとそこにいたのはやはり陽子だった。私がここまで苦しんでいる元凶。でもこのもやもやを晴らすのも陽子しかいないように思えた。聞こう。二人きりの今が絶好のチャンスだと思った。


「やっぱり、転校するの?」


「……うん」


 恐る恐るしかし今度はしっかり肯定した。最善で最良のわずかな可能性は消えてなくなった。


「どうして私に教えてくれなかったの?」


 そうこれこそが私が最も聞きたかったこと。私にだけ秘密にしていたわけ。


「そ、それは……」


 陽子は言葉を探すように黙ってしまった。きっと陽子には仕方ない理由があったから言えなかったのかもしれない。例えばクラスの人に口止めされていたとか。だけど、今この状況で言えないのはどうして?


「どうして言えないの? 私たち友達じゃないの?」


「ち、ちがっ……」


 何が違うの? どうして何も教えてくれないの? なんで? どうして? 疑問が疑問を呼びどんどんわからなくなる。わからないのは陽子のことだけじゃない、自分のこともだった。私は何を求めていたのだろうか。陽子と友達だって確かめること? 友達なのに転校のことを教えてくれなかった理由? それを聞いてどうするの? 今の私には答えを聞いたところでなにも信じられない。結局いつまでたっても禅問答を繰り返すだけ。


 それがわかった瞬間、私は背筋が凍った。つまり私はもう陽子のことを信じていないのだ。それはもう陽子とは友達とは言えないということになる。陽子にばかり友達であることを求めて私は陽子のことをちっとも考えていなかった。……最低だ。私は最低だ。こんな私にはもう陽子と一緒にいる資格なんてない。


「ごめん」


 私はまたしても逃げ出した。教室からも美術室からも逃げて私はどこに向かえばいいのだろうか。行先なんてない。もう私にはどこにも居場所はなかった。だけどあれ以上あそこにいることもできなかった。これからは正真正銘の独りぼっちだった。


 それからの私は今まで以上に他人を避けた。陽子ともできるだけ会わないようにしたし、顔すら合わせないようにした。そうやって私はますます自分という存在が消えて行った。それがいいことだとは思わないけどそうしなければ心が保てなかった。


 そして月日は過ぎて終業式の日を迎えた。だけど私は学校に行くことができなかった。陽子と別れるのは今でも何より辛かった。きっと陽子も私がいなくて清々してるに違いない。だから私はここから出ない。外の世界は私には眩しすぎる。熱くてやけどをしてしまう。


 部屋にはカッカッという時計の音だけが響く。早く時間が過ぎて欲しいと思うのにまるで私に意地悪をするかのようにゆっくり進む。目をつぶり何も考えないことを考える。そして気付くと眠りに落ちていた。途中インターホンが鳴る音がしたが家には私しかいないし起きていたとしても出る気はしなかった。


 それが陽子だったとわかるのは翌日だった。朝郵便受けに私宛の封筒が入っていたのだ。差出人を見ると陽子の名前があった。だけど開けるのは怖かった。なにかよくないことが書いてあるのではないか。私はまだ陽子を疑っていたのだ。そしてそれがとても恥ずかしかった。自分のなんていやらしいことか。もう陽子とは会うことはないのだ。そんな彼女が最後に残したもの。それはきっと彼女の本心がわかるだろう。私はこれを見なければいけないと思った。彼女の最後の言葉、思い。それを知るのが私の陽子に対する礼儀でありけじめのような気がしたのだ。


 慎重に封を切り取り出すと、しかし出てきたのは一枚の絵と桜の髪留めだった。さくらちゃんと書かれた絵には私の似顔絵が描かれていた。その顔は明るくて笑顔の私だった。桜の髪留めが前髪に着いていておでこが覗いていた。たったそれだけで私の印象は大きく変わって、ちっとも暗い雰囲気はしなかった。そしてよく見るとその髪留めはいつも陽子がしているものだった。


 他に手紙なんて入ってはいなかった。きっとこれで伝わると思ったんだろう。いや言葉では伝わらないなにかを伝えたかったのかもしれない。美術部なら美術部らしく気持ちは絵で伝える。そしてこの時になってやっと私はわかった。陽子の思い、そして陽子は私のことを友達だと思ってること。理屈じゃない。そんな思いがこの絵からひしひしと伝わるんだ。思えば陽子は私のことを一度もネクラなんて呼んだことはない。でもそれは当たり前のことだった。陽子から見る私はこんなにも明るく生き生きしているんだもの。私はなんてバカなんだろう。陽子はもういない。失ってから気付いてももう遅い。


 陽子は私にとって太陽みたいなもの。みんなを明るくしてみんなの中心。私はその陰でひっそりと生きてられれば十分だった。でももう彼女はいない。私はこれからどうすればいいのだろうか。この絵みたいに明るく生きられるのだろうか。ーー生きたい、こんな風に生きたい。それは考えるまでもなく出た答えだった。独りは嫌。みんなと楽しく生きたい。昔からわかってたことだ。でもどうしてこんなにも理想とはかけ離れてるのか。単純だった。私は逃げていたのだ。勝手に自分の性格を暗いと決め付けてみんなと仲良くする努力もしなかった。


 笑顔の練習。本当は自然に笑えたらいいんだけどたぶん上手く出来ない。だから練習。鏡の前で一生懸命やってみる。だけどどうしても上手く出来ない。陽子みたいな明るい笑顔を目指しても出来るのはぎこちない表情だけ。ただ笑うだけなのにどうしてこんなに不器用なんだろう。


 ふと封筒に入っていたもう一つのものを思い出す。陽子の着けていた髪留め。私は鏡の前に立つとその髪留めを着けてみた。元から私の物だったようにそれはぴったりと私に馴染んだ。


 ーー私はさくらと一緒だよ。


 そんな声が聞こえた気がした。今度は自然に笑えた。


 ありがとう。陽子ありがとう。そしてごめんね。笑い顔がいつの間にかくしゃくしゃに歪んでしまう。笑わなきゃ、そう思うほど視界はかすみ嗚咽が漏れる。今までの楽しかった思い出があふれ、私を少しずつきれいにしていく。太陽が照らすように私の影は消えてなくなった。


 窓からはまだまだ冷たい風が吹き込むけど、それは少し春の匂いが混じっていた。


 始業式の日はまだ少し寒さが残っていて桜もまだ咲いてなかった。でもそれはなんだか私に似合ってる気がする。まだつぼみだけどそれはこれから咲くってことだよね。それが少しいとおしく感じる。


 桜は冬の寒い日を我慢して我慢していつか暖かくなるのをじっと待って、そして咲く。桜咲く季節は必ず冬の後にやってくる。


 そっと髪に手を伸ばす。そこには彼女からもらった大事な宝物。ひんやりと冷たい感触はするけど同時に確かな暖かさを感じた。


 新しい教室の前で深呼吸を一つする。自然に笑顔がこぼれた。これからが大変なのかもしれない。でも大丈夫、私は大丈夫。もう独りなんかじゃない。だから私は扉を開けるとみんなに聞こえるように言ってやった。


「おはよう!」


挿絵(By みてみん)

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