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第一章:再会は始まりの鐘1


 クローヴィア王国、首都クロムス―――。

 マリネアは六年ぶりに故国へ帰って来た。

 空は眩しいほどに青く晴れており、街全体も活気があって賑やかだ。

 中心の小高い丘の上に建つ王城を見上げ、その変わらぬ輝かしさと懐かしさにマリネアは溜め息をついた。


(クロムス……―――私の、街)


 六年前の真っ赤な夕暮れのあの日。信じていたリグリットに追われ林の中に逃げ込んだマリネアは、気がつけば清潔なベッドの上で寝ていた。

 見慣れない部屋に、一連の出来補とは全て夢だったのではないかと淡い期待も抱いたが―――それもすぐに打ち砕かれた。

 林を抜け、街道に倒れていたというマリネアを拾ってくれたのは隣国の裕福な商家シャーロッド家の主人だった。クローヴィア王国での行商の帰りだった彼は、傷だらけで意識を失っていたマリネアを屋敷に連れ帰り手厚く看病してくれたのだ。

 意識を取り戻したマリネアに、エリソン=シャーロッドは何が起きたのかを教えてくれた。

 クローヴィス王国四大公爵家であるユグノーチス家は国家反逆の罪で粛清されたということ。執行にはステインチュール家が―――リグリットの父が―――あたったということ。

 しかしそれは、ステインチュール家がユグノーチス家を貶しめるためについた嘘の報告による、偽りの罪状であった可能性があるということ。結果的にユグノーチス家は全滅、末娘であるマリネアも行方不明であり、生きてはいないだろうと思われているということ。

 マリネアは一気に気が遠くなり、目の前が真っ暗になった。確かになった家族の死。懇意にしていたステインチュール家の裏切り。それらは十二歳の少女が受け止めるにはあまりにも残酷だった。

 ショックで一時は心を閉ざしてしまったマリネアだが、シャーロッド家の優しい主人や夫人、明るい子どもたちに囲まれ、時間をかけて回復することができた。しかし、隣国でとはいえ死んだと思われているマリネアは屋敷の外にほとんど出ることもなく、六年の時を過ごしてきた。

 快適な部屋の中で何不自由なく暮らしながらも、思い返すのはいつもあの日のこと。

 シエラの家へ出かけるマリネアを送り出してくれた兄の最後の笑顔。両親の温かい腕。

 そして、冷酷に自分を見つめるリグリット。

 あの冷たい炎の映った瞳を、マリネアは生涯忘れないだろう。―――いや、一日たりとも、忘れることなどできない。

 エリソンはマリネアの身を案じ、ずっとここに居てくれていいと言う。家族も亡くし、帰る家もなくしてしまったマリネアにとって、それは申し訳ないほどありがたい言葉だった。

 けれど、マリネアはその優しさを振り切り、十八歳を迎えた後にシャーロッド家を後にした。

 六年も世話になっておきながら手紙一つ残して出て行くなど本当に白状なことだと思う。

 それでもマリネアは戻らずにはいられなかった。故国へ。自分から何もかも奪ったあの男の元へ。

 身の周りのものを鞄一つに詰め込んで、懐にナイフを一本忍ばせて。

 マリネアは、もう一度生まれ育ったクロムスの街へ帰って来たのだった。


 いてもたってもいられずこうして飛び出してきたが、さてどうしようかしら。

 マリネアは相乗り馬車から降ろされたその場所で、いまだ動けずにいた。

 街並み自体は六年前とほとんど変わっておらず、久しぶりに訪れたマリネアにも現在地を把握することくらいはできた。街のどこからでも見上げることのできる王城もあるので、記憶を辿ればどこへなりと行くことはできるだろう。

 しかし、どこに行くかが問題だった。

 一応行方不明、もしくは死んだと見なされているという自分が突然現れて、誰が信じてくれるだろうか。六年という月日で、身体も多少成長している。

 それに、冤罪とはいえマリネアは今や存在しない貴族の娘なのだ。国政の難しいことはわからないが、血縁の家を頼っても疎まれるかもしれない。

 それに。


(目的が目的だもの……。誰にも頼るわけにはいかないわ)


 辺りの喧騒がふいに遠退く。またあの炎と轟音が脳裏によみがえる。

 業火に包まれた屋敷と、その前に立ち塞がる黒い人影。


(―――リグリット)


 エリソンはマリネアのために、何度もクローヴィア王国に赴いて色々な情報を集めてきてくれた。

 ユグノーチス公爵家はクローヴィア王国の貴族から抹消されたということ。シエラが王妃になったということ。そしてリグリットは、ユグノーチス家を討った後すぐに父を亡くし、今ではステインチュール家の若当主として王国防衛軍最高司令官・総統の地位に就いているということ。

 代々国の軍事を司り、王国軍を取りまとめるステインチュール家の嫡男であるから、ゆくゆくはその任に就くことはわかっていたし、幼いリグリットはそれを目指して日々訓練を欠かさなかったことをマリネアは知っている。

 しかし、その輝かしい知らせを聞いても、マリネアは少しも喜べなかった。

 当然だ。リグリットのその異例の若さでの昇進は―――ユグノーチス家討伐時の成果によるものなのだから。


 そこまで考えてマリネアは胸がうずくのを感じてぱっと顔を上げた。

 通り過ぎる人々が不思議そうに動かないマリネアを見ている。


(いけない、しっかりしなくちゃ)


 着いて早々怪しまれている場合ではない。とりあえず移動しようとマリネアはそそくさと歩き出した。

 足は自然と、歩き慣れた道に向かっている。


(―――うちの屋敷、もう何も残っていないでしょうけれど)


 そこで両親や兄や、スヴェンたち使用人が死んだのだと思うと、唯一生き残ったマリネアが一度も参らないというのはいけないような気がした。

 ひとまず屋敷を見て、それから考えよう。

 思いついたら即行動というマリネアの基本姿勢は今も昔も変わっていない。いつ何が起こるかわからないということを身をもって体験したからこそ、マリネアは今も自分のその感覚を大事にしていた。

 広い石畳の道を踏みしめるように歩く。身を隠すように六年間シャーロッド家の屋敷の中で過ごしたから、人々のざわめきや太陽の眩しさが新鮮で、少しだけ怖かった。

 道の両側には露店や市民の家々が並んでいる。クロムスでは、身分の高い貴族ほど街の外れに広大な屋敷を持ち、都と王城を守る砦のような役割を果たす。街中でちらほら見かける造りのよい建物は、ただの金持ちか下級貴族の屋敷であることをマリネアは知っている。

 首都には多くの貴族が住んでいるし、物資の流通もあるので馬車の行き来が激しい。大きな馬車が大きな音を立てて通り過ぎるのを横目にマリネアはぽつぽつと歩き続けた。


「―――まぁ、ステインチュール家の馬車だわ」


 誰かの呟きにマリネアは声のほうへ顔を向けた。

 同じように呟きを聴いた人々が次々と顔を上げ、マリネアの正面からゆるやかな坂を上がってくる黒塗りの仕立てのよい馬車を見つめた。

 華やかな街の雰囲気の中で少し異質な、ぴんと張り詰めた空気を纏っている。馬車の側面には剣をモチーフにした銀と青のステインチュール家の家紋が入っている。

 マリネアは他の人々と同じように、足を止めて、息さえも止めて、その馬車が通り過ぎるのを待った。

 こんなに早くリグリットに会えるとは思わなかった。

 今、首都にあるステインチュール家の屋敷には当主であるリグリットしかいないことはエリソンから聞いて知っている。他の家族はリグリットの父が亡くなった時に領地の別荘に引き上げたらしい。だから、今首都にあるステインチュール家の家紋入りの馬車に乗ることができるのは、リグリットだけなのだ。

 ここですれ違ったからといって、今のマリネアにできることはない。胸元のナイフ一本では心もとないし、じっくり計画を練らなければ一介の少女が国軍総統に対峙したところで何もできないことはわかっている。

 ただその顔を一目見ようと、マリネアは目を凝らした。馬車が近づいてくる。

 公爵ともあろう人が乗っているのに、馬車の窓には不用心なことにカーテンも引かれていなかった。おかげでマリネアは何にも邪魔されず彼の顔を見ることができた。

 六年前の面影はそのまま、成長し、骨格も男らしくなった精悍な青年がそこに座っていた。

 マリネアが憧れていた黒い髪も瞳もそのまま、ただ眼差しに鋭さが増しているような気がする。それは公爵家当主としての威厳か、国軍総統としての責任か。

 その凛とした横顔に―――マリネアは、一瞬目を奪われた。

 けれど懐かしささえ感じた邂逅は一方的なもので、決して幸福なものではない。

 マリネアは胸をぐっと抑え、すぐに気持ちを切り替えた。瞬きをした瞳が、固い意志の光を宿した。


(私は、あの男を―――)


 その時、ふと車上のリグリットが視線を動かした。無感情に前を見ていた視線が何かに引き寄せられたように見下ろした先に―――マリネアが、いた。

 馬車は構わず進んでいるというのに、二人の視線は長い一瞬の間その場で交錯し、お互いの顔をしっかりと見つめたあと、視界は流れ、繋がった糸はぷつりと途切れた。


「―――止まれっ!!!」


 低い男の声にマリネアははっとした。馬が嘶いて慌てて馬車が止まる。その音と、何事かと騒ぎだした人々の声を背にマリネアは目の前の路地に飛び込んだ。今捕まるわけにはいかない。

 背後の喧騒の中に、マリネアは懐かしい呼び声を聞いたような気がした。


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