プロローグ
キィと扉が開いて、彼が入ってきた。
私は、椅子に座り珈琲を飲んでいた。
彼が入ってきたのはわかったけれど、あえて背中をむけたまま私は彼を待った。
ゆっくりと扉を閉める音、近づく足跡。男がつけるには少し甘ったるい香水の匂い。
そして、そっと後ろから抱きしめられる。指と指をからませると、耳元に彼の甘い吐息がかかる。
こんなこと、やめなければいけないのに。
手をほどいて、用件を聞いて、立ち去らなければいけないのに。
背中にあたる彼の体温だけで、私はどうにかなってしまいそうだった。
「―――ルカ」
耳元で囁かれる。
その名前で呼ぶのはやめて、と言おうと思った。
けれど、懐かしいあのときの気持ちが甦り、私はゆっくり振り返った。
目と目があう。少し戸惑ったような、甘えているような瞳。
あれからもう何年たっただろうか。お互い年を重ねたはずなのに。
こんなのイケナイのに。
私はゆっくりと目をとじて彼にゆだねた。
少し間をおいて、彼の唇が私の唇に触れる。
確かめるような、いとおしむような、長い長い時間に感じた。
そっと唇ははなすと、彼は消えそうな声で言った。
「―――愛してる」
最初で、最後の彼から私への、愛の言葉だった。