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花月水都  作者: 篠義
1/2

そのいち

「あ、水都か? 俺や。・・・すまんけど、ちょと、ポカやらかして、しばらく東京へ出張や。十日ぐらいで帰れると思うから、待っててくれ。すまん、時間ないねん。ほな、またな。」


 返事をする暇もなく、携帯はいきなり鳴って、いきなり切れた。あんまり突然のことで、俺は呆然としているしかなかった。珍しいこともあるものだ、と、しばらくして、ようやく携帯を胸ポケットに直した。


 仕事を終えて帰宅したら、出張のためなのか、同居人の寝室は、綺麗になっていた。出張や残業の無い仕事を選んだはずだが、やはり、それなりのことはあるのだな、と、その寝室のドアを閉めて、ふうと溜息をついた。久しぶりに、ひとりきりになったのだと、その時に気づいて、少し笑った。






「御堂筋、電話。吉本から。」

取り次がれた相手の名前で、「え? 」 と、御堂筋はびっくりした声を出した。そりゃそうだろう、だって、相手は朝から職場で、ものすごい腹痛を訴えて、病院へ運ばれた相手だ。

「もしもし? おまえ、大丈夫なんか? 」

「おう、さっき、課長には報告した。盲腸やねん。」

「はあ? 」

「盲腸を切らなあかんのや。」

「う、え? もうちょー? え? 痛ないんか? 」

「今、薬で抑えてあるんやけどな。すまんけど、おまえに頼みがあるんや。ちょっと抜けてきてくれへんやろうか? 」

「そら、かまへんけど。」

 仕事の引継ぎもあるし、独り身であるから、何かと大変だろうと、課長も、すぐに許可はくれた。しかし、だ。吉本には、内縁の妻がいて、そんな心配は無いはずなのを、御堂筋は知っていた。何事だろう、と、慌てて、教えられた病院へ駆けつけたら、「すまんけど、家まで戻って、入院の荷物と保険証とかを取ってきたいねん。」 と、病室で拝む格好の吉本が、青白い顔で待っていた。

「おまえ、そんなん・・・」

「いや、おまえの言いたいことはわかってる。皆まで言うな。・・・とりあえず、鎮痛剤が効いてるうちに手続きとかせなあかんのや。頼むから付き合ってくれ。」

 確かに、急ぎではあるだろう。説明は後回しに、タクシーで、吉本の自宅へ同行した。保険証や通帳と印鑑、入院の準備を、よろよろと吉本は、自らで用意した。そして、それから、いきなり、「まあ、座れ。」 と、お茶を入れだした。

「余裕あるんかないんか、ようわからへんな。」

「余裕は無いけど、ここで説明しとく必要がある。・・・・俺の家の場所は覚えたか? 」

「・・・まあ、だいたいはわかった。」

「それから、これから、俺の嫁の携帯の番号を書いた紙を渡す。」

「はあ? そうや、嫁っっ、嫁は、どないしたんや? おまえの嫁っっ。」

「嫁は仕事や。・・・・ええか、おまえは、うちの事情を知ってる唯一の人間やから、おまえにしか頼まれへん。すまんけど、頼まれてくれ。」

「なんや? 」

 珍しく真剣な顔で、吉本が頭を下げた。そこまでされたら、御堂筋も、真面目に聞くしかない。「うちの事情」なるものを、御堂筋だけが知っているのも事実だ。職場で、さすがに、情報開示できる内容ではない。吉本の、「俺の嫁」が、同性であるということを、だ。

「俺の入院は、俺の嫁には内緒にする。急な出張で、東京へ十日出るって、さっき連絡しといた。だから、その十日のうちに、おまえ、適当でええから、うちの嫁とメシ食ってくれ。」

「え? 」

 依頼の内容が意味不明だ。相手が女性だったとしても、入院することを伏せるのはおかしい。さらに、なぜ、その吉本の女房と食事しなければならないのかすら、不明だ。

「・・・いや、もう、ほんま。うちの嫁は、『かなり人生投げかけている人』なんでな。俺がおらんと、メシ食うのすら面倒になるんよ。金は、俺が用意するから、頼む。」

「えーっとな、吉本。意味がわからんのやけどなあ。なんで、入院を隠す必要がある? 」

 そこで、吉本は苦笑して、「俺の嫁はな。俺が五体満足でないと、『人生全部投げてしまう人』なんよ。せやから入院なんて、もってののほかなんや。」 と、だけ言った。それ以上に、何かを聞ける様子ではないが、何かあるらしいとは、御堂筋も思った。だから、素直に、「わかった。」 と、だけ頷くことにした。

「あ、せやけど、手は出すなよ。」

「あほかっっ。俺は完全無欠のノンケじゃっっ。」

「いやいや、わからへんで、俺かって、元はノンケやねんから。」

 病人でなかったら、殴ってやりたいと御堂筋は思ったが、さすがに、それはやめた。ここで惚気るのが、吉本の性格だ。腹が据わっているというか、いつでもどこでもマイペースというか、とりあえず、自分が手術しなければならないということにたいする不安は皆無らしい。

「わかった。ほな、おまえの金で、せいぜい旨いもんでも食わしてもらおうやないか。」

 という程度の意地悪を言うに留めておいた。すぐに、病院に取って返し、吉本は、翌日には手術ということになった。慌しく検査に引き立てられていく吉本は、その合間に、御堂筋と仕事の打ち合わせをして、どうにか一日の予定を終えた。携帯電話が使えない場所なので、電源は切ってある。

「・・たかが十日・・・されど十日・・・・一週間までは大丈夫やけどなあ。」

 電源の落とされた携帯の画面を睨んで、吉本は溜息をつく。別に大病でも重病でもない。だが、知れば、自分の嫁は、人生を投げる。だから、絶対に教えない。


 翌日、予定通り、手術は始まった。下半身麻酔なので、大変、暇だ。意識はしっかりしているので、考えるぐらいしかすることはない。

 まさか、盲腸が暴れるなんて思いもしなかった。五体満足の老衰家系だっていうのが自慢だったのに、入院する羽目になるとは思わなかった。正直に、そう告げたら、同居人は、なんと返事しただろう。たかが十日、されど十日。たぶん、「あ、そう。」で忘れられて、たぶん、誘われるままに女とどうにかなって、そのまんま生きていくだろう。

・・・・十日というのは、同居人にとって、そのぐらいの時間だ。・・・・・


 学生の頃、たまたま、同じ授業をとった。それも、不人気で俺と同居人だけしか生徒がいなかった。俺は、それを齧ってみたいと思ったからだったが、同居人はバイトとの兼ね合いで、その時間が空いていたからだった。

 どういう経緯か知らないが、同居人は高校ぐらいから、同じバイトをしていた。それも、夜の割のいいバイトではなくて、昼のバイトだ。それなのに、信じられない時間給を貰っていて、学費も生活費も、そこから賄っていた。

「親は? 」

「・・・・さあ?・・・」

 授業を終えて、缶コーヒーを飲む間だけの雑談は、弾むことも無く、いつも、無口に、ふたりしてコーヒーを飲んだ。まあ、煩くなくて、俺は、結構気に入っていたのだけど。そこでする雑談で、少しずつだが、浪速の生活とか周囲全般のことが、朧気ながら掴めていくのが楽しかった。親がどうしているかわからないが、接点はないらしい。だから、独りで黙々と働いて学生生活を送っている。大学への進学も、高校の担任から薦められての事で、当人は、どちらでもよかったそうだ。

「図書館が自由に使えるというメリットと学食は、生活の足しになった。」

 勉強がどうとかいうのでも、交友範囲が広がったというのでもないところが、浪速の変わったところだと、俺は思っていた。


 夏休み明けに、顔を合わせたら、不思議そうにされた。だが、気にせずにいたら、元に戻った。よそよそしいのは、いつものことだが、無口に輪をかけていたのだ。

「おまえ、そんなんで、バイトは、うまいこといってるんか? 」

「・・・まあ、おおむねは・・・人と喋ることはない仕事やから・・・」

 湯気のあがるコーヒーに、そろそろ寒いと、俺は気付いた。

「しかし、寒なってきたな? 」

 授業も後期になると、冬になる。学内のベンチで、缶コーヒーを飲むのは、辛くなってきたな、と、俺は思った。喫茶店でも入ろうか、と、誘ったら、「もったいない。」 と、つっぱねられた。

「でも、寒いやんけ。」

「なら、やめようか? 俺は、これが朝飯やから、付き合おうとったけど、別に、おまえと一緒することはあらへんしな。」

「え? 」

 授業は午後一番で、終わるのは二時だ。その時間に朝飯と言われて、びっくりした。よくよく尋ねたら、朝は食べずに、朝昼兼用なのだという。しかし、たかだか、350mlの缶コーヒーだけが、それというのは、恐ろしい。

「晩飯は? 」

「コンビニかスーパーの半額の弁当やけど? まあ、最近の弁当は、カロリーが高いから一回食べたら、一日分のカロリーは摂れるんで便利や。」

「はあ? 」

 バイトは、別に時間制限がないのだそうで、夕方から深夜まで六時間とかいうことでも可能らしい。日曜以外に、毎日、どういう時間でも六時間働けば、ちゃんとした給料がもらえているというのだ。時間給ではあるが、それは最低賃金で、そこに出来高が上乗せになるらしい。

「ほんだら、これから? 」

「おう、これから、夕方出て、深夜まで。」

「めしは? 」

「途中で、弁当を買う。深夜までやってると、夜食代もくれる。」

「どんな仕事やねんっっ、それっっ。」

「別に、事務仕事。資格が無いから安いけど、そこは経験年数で、カバーしてる。」

 なんてことはないように言って、そいつは席を立った。コーヒーを飲み終えたのだ。変わったやつだと思ったが、ちょっと尊敬もしていた。親におんぶに抱っこの俺は、バイト代は、全部がこづかいになった。それに比べて、浪速は、それで全部を賄っていたからだ。

「ほんだら、晩飯食おうやないか? 」

「え? 今からか? 」

「おう、俺がおごる。」

「・・・・おごってもらう意味がわからん。だいたい、来年には、縁が切れるような人間と親しくなって、おまえに、なんの得があるねん? 」

 バカにしたように、浪速は、それだけ言うと、スタスタと歩き出した。俺は、浪速の言った意味がわからなくて、腹を立てた。たまたま知り合ったのだから、付き合いが続けばいい、と、俺は思っていた。だが、あいつにとっては、たまたま一年、授業を一緒に受けるだけの人間だと思われていたのだというのが悲しかった。


・・・・あー、あん時、いきなり、喧嘩とかしなくてよかった・・・えらいぞ、若い俺・・・


 ぼんやりと、過去の思い出に浸っていると、退屈はしなかった。下半身のほうから、カチャカチャと機械音が聞こえている。切られている感覚というのは、あまりない。ただ、内部に何かが入っているというような、あやふやな感覚があった。下半身が分離しているというような感覚で、体験談として、嫁に聞かせてやれないのが残念だ。



 確かに、浪速と顔を合わせるのは、その授業の時だけだった。学部が違うので、どうしても同じ授業というものにはならない。一週間に一度しか会わない相手だし、来年には、会えなくなる確率は高い。

「あれ? 寒いから、やめるんちゃうかったっけ? 」

「いいや、やめへん。先週のあれは、ちょっとムカついたけどな。俺は、出来た縁は大切にしたいと思うほうや。せやから、メルアドとか携帯ナンバーとか交換しておかへんか? 」

「あらへんで、そんなもん。」

 金がかかるものはない、という。貧乏人が持つものではないとばかりに笑われた。電話もないで、と、ご丁寧に付け足された。

「なんかあったら、どうすんねん? 」

「なんか、って? 」

「せやから、急に具合悪なって、ヘルプ頼みたいとか、あるやろ?」

「そのままくたばってたら、治るやろう。それで治らんかったら、俺は仕舞いってことでええんちゃうか? 」

「なんじゃっっ、それはっっ。」

「なんじゃって、だいたい、生き物っていうのは、自己治癒能力っちゅー有難いもんがあるんや。ほとんどは、それで治る。クスリは、それを促進させるもんであって、あったら便利っちゅーグッズやないか。」

「おまえは弥生人か? 」

「うーん、それよりはマシやろうな。ほな、帰るわ。」

 人間は千差万別だと、浪速から教わった。そんな考え方の人間がいるとは思いもしなかった俺は、正直、頭を殴られた気分で見送った。俺は、丈夫過ぎるほど丈夫なので、そういう目に遭ったことはないが、普通は、そういうことを考えるだろう。だのに、あれは考えていなかった。

・・・・おまえ・・それってことはやな・・・・・

・・・・誰とも親しないって、暴露したようなもんやぞ・・・・・・

 連絡する必要が無い。連絡する手段も無い。それは、連絡する相手がいないことを物語っている。


 次の週も、ふたりして狭い教室で顔を合わせた。開始の時間になっても、肝心の教授が来ない。

「休講通知は出てなかったよな? 」

「なかったな。」

 一時間半の授業時間のうち、開始から一時間が経過すれば、勝手に休講とみなされる。それまでは待っているしかない。

「おまえ、下宿はどこやねん? 」

「駅の向こう側。」

「俺もそうやねん。近所なんかな? 」

「・・・さあ?・・・」

 だらだらと喋って、一時間が経過した。やはり、その日は休講で、いつもより半時間早く身体が空いた。いつものように、自販機に向かう浪速の肩に手を置いた。

「待て。」

「なんや? 」

「メシ食おう。」

「いや、せやから、俺は、これを。」

「奢らせろ。」

「レポートでもやらせるつもりか? 」

「おまえの下宿探訪の旅としゃれ込もうやないか? 連絡する方法がないねんから、連絡場所ぐらい把握させてもらおう。」

 下宿先がわかれば、そこへメモを貼っておくという連絡手段だって使える。いろいろと考えて、確実に、浪速を掴まえられる方法を考えた。

「えーっと、俺の下宿を知って、何かメリットがあるんやろうか? 」

 


・・・・・・めっさあるっちゅーんじゃゃ、ぼけがっっ・・・・・

 のんびりと、思い出に浸っていたら、「麻酔のかかり加減がわからなくなるので、寝ないでくださいね。」 と、揺すり起こされた。眠っているのではないのだが、目を閉じていたらしい。機械音が、カタカタと聞こえているだけの単調な時間は、とても退屈で、「終りました。もう、眠ってもいいですよ。」 と、声をかけられて、俺は、ほっと目を閉じた。




 浪速の下宿は、とんでもなく古いアパートで、辛うじて風呂とトイレが一体になったユニットバスだけはあったが、それ以外は、三畳ばかりの空間があるだけの部屋だった。

「狭いなあ。」

「そうか? 寝れたらええんやから、こんなもんやろう。」

 結局、コンビニで弁当とお茶を買って、その部屋を訪ねた。とりあえず、どんな場所なのか知りたかったからだ。テレビも年代モノのやつで、リモコンがない。

「音はいるか? 」

「いいや、なくてええ。俺、テレビは、あんまり見やへんねん。」

「ああ、俺もなんや。たまに、教育放送とかスポーツを見るぐらいや。」

 万年床を部屋の隅に片付けて、ふたりして、弁当を食べた。本当に何もない部屋で、あるのは、教科書と思しき本と、図書館のタグが貼られた本ぐらいだった。

「休みは、何してるん? 」

「寝てる。後は洗濯したり近所を散歩したり、本屋で立ち読みするぐらいかなあ。おまえは? 」

「似た様なもんや。コンパとかある前は、服を買うけどな。」

「コンパかぁー、あれは面倒や。一回行って懲りた。・・・なんていうか、ゆっくりさせてもらわれへんのが辛い。」

「そうか? 呑んで騒いで暴れるっていうのは、ストレス発散すんぞ。」

「なんや、ストレス溜めてるんかいな? 吉本。」

「え? ないか? ほら、レポート重なったりとか、バイト先の人間関係とか、いろいろとあるやないか。」

「ないで、そんなん。」

「はあ? 」

 まあ、後から考えたら、こいつにはなかっただろうと納得はした。誰にも期待しないから人間関係が疎ましいなんてことは感じなかったはずだからだ。ぽつんと、独りで立っているから、何にも支えられていないから、こいつは、揺れることはない。だが、本当は、それは寂しいことだということを知らない。

「なあ、浪速。今度は、俺のとこを探訪しようやないか。」

「・・・え?・・」

「うちも似たり寄ったりやけど、クッションとぬいぐるみがおるねん。」

「はあ? おまえ、そういう趣味なんか? 」

「ちゃうちゃう。うちのお袋の趣味なんや。でも、興味湧いたやろ? ついでに、こたつがあるで。」

 「こたつねぇー。」 と、浪速は首を傾げていたが、次の週は、本当に提案に乗ってくれた。そして、彼は、こたつに入って、「これ、ええなあ。」 と、しみじみと呟いた。

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