第56話 それはきっとヒーロー
剣と拳、地上と空中、火の玉が飛び交うその戦場はもう直ぐ最終局面を迎えようとしていた。
一対一の戦いにしては恐ろしく長い十分間。
泥沼を演出するヒットアンドアウェイ戦法のせいか、両者のHPは戦闘開始後数秒とそれほど変わってはいない。
最終局面、つまりこの戦いの限界を迎えているのは、そのフィールドだった。
「……ッ!ここ、じゃあないっ、次は……!」
響く音。脆い瓦礫をトラは壊しながらゼノンを相手にしていた。
狙いはもう対峙するゼノンにも明らかだろう。囚われた子供の居場所を特定するために、閉ざされた部屋をずっと壊して探し続けているのだ。
だが攫った張本人であり、その子供が全ての希望である彼はもちろん扉の破壊を妨害するために動いている。
直接的な命のやり取りではなく、これは子供を軸とした攻めと守りに分かれた攻城戦。
そして、最後の砦は破壊された。
「──けて、だ…か、たすけて!」
ゼノンの守りを掻い潜り、トラは最後一際固い部屋の壁を蹴り崩す。
その破壊痕で防音の機能は崩れ去ったのか、おそらくずっと叫んでいた人質の子供の声がトラの耳にようやくはっきりと聞き取れた。
「ッ!そこか!待ってろ、今……!」
翼を一瞬折りたたみ、大きな力を蓄え、再び羽ばたく。
トラは勢いを増した推進力で、もう一度その部屋の扉を破り子供を助け出そうとしている。
驚異的なスピード。
しかし、それよりも速く、“何か”がその軌道を逸らした。
「させるかァッ!」
ゼノンは時間稼ぎのため消耗しないようにセーブしていた力を解放し、脚力ひとつで全速力のトラの横腹に蹴りを喰らわす。
体勢を崩しはしたもののHPが全損するほどの致命傷ではない。
やられたダメージを気にもとめず、トラはすぐさま立ち上がり再び子供の元へ飛翔する。
ゼノンは、まだ死なずに希望に溢れた目で立ち上がるトラを視界に収める。
「時間は、まだか……!?」
そう悔しそうに呟き彼は自分が今どうするべきか、瞬きの間、刹那の時間、葛藤する。
息の根を止めに追撃するか。
万が一のため、父の命令。子供の保護に向かうか。
ッ、そう彼は小さく息を吐いて、走り出した。
向かう先は、【龍人】の、子供。
戦闘の最中。いや、彼が“救われて”からずっと、彼の行動の指針となっていたのは、父の言葉であったから。
「──なッ!おい、いかせへんぞ!」
きっと自分を殺しに来ると思っていたトラだが、子供の元へ走り出したゼノンを見て、焦る。そして逸る気持ちが言葉となり、力となり、彼の翼を再び大きく動かした。
両者、最終目標に向かって同じ方向、全速力で走る。
ゼノンの方が初期位置の距離の優位はあった。
しかし、“助けたい”という想いのために限界を超えて動く羽は、人間の足の速度を超える。
扉目前五メートル。
トラは横をかわし、ついに、盗賊を抜き去った。
「よしッ、連れてここからすぐに逃げ──」
ゼノンの速度を超えて間に合ったのだ。
当然安堵する。
しかし、油断はしていない。
で、あるはずなのに、彼の視界は不意に揺れる。
平静を失う。手足が動かなくなる。
羽の感覚が、消える。
「──?」
頭の理解が追いつかないまま制御を失ったトラの体は、地面に擦りつくように乱暴に着地し、ついに扉には手の届くことはなかった。
「……ふぅ、ようやく、回ったか。間に合った。……これで全部、終わりだ。」
トラの頭上を背後から易々と飛び越えて、彼はそんなことを言った。
回った?何が。
トラは咄嗟にステータスを念じ、自分のHPバー、つまり健康状態を確認する。
そこに表示されていたのは紫色の背景に、ドクロのマーク。このゲームの中で一度も食らったことはないが、これは紛れもなく“毒”の状態異常であるということを彼は認識した。
いつ、いつだ。毒をもらったのは。
戦闘を思い返す。直接体に届くような致命的な攻撃は全部防いだはずだ。……いや、一度オレは皮膚、といってはおかしいが、紛れもなくこの身体にナイフが掠った。
感覚すらもない重症の箇所。
それは羽。壁を走って大きな隙を晒してまで確実に当てようとしてきた、あの、ナイフ。あれに遅効性の毒が塗り込められていたのか?
そこまでトラは考察した。
その推理は当たっている。
ゼノンが使用したとっておきのナイフは、【星級職】や強力なユニークモンスターにも通用する、一回限りの使い捨て毒ナイフ。
腕利きの【暗器鍛治師】しか作れず市場で出回るのは数本で、桁違いの額と交換。
傷をつけてから666秒後に毒の効能が発揮され、どんな耐性を持っていたとしても、必ず動きを止める、そんな代物。
しかし、推理がたとえ的外れでも当たっていても、もうそんなことに意味はないとトラは知っていた。
ゼノンが扉に手をかける。
そう、今この瞬間に子供を助け出さなければいけないのだ。動けなければいけないのだ。目の前に、困っている人がいるのに。助けられない。
──あぁ、嫌や。また、オレの力が足りんくて。
トラは、「自分は清く美しい心を持ったヒーローなんかではない」、とそう思っている。
【情報屋】だなんてジョブシステムにすらないものを名乗って活動を続ける。
彼の、そのオリジン。
かつて自分を導いて光を照らしてくれた人のように、集団の前を張って人々の象徴となることは向いていないと思っている。
いろんなことが、あったから。
だからこそ、情報というあまりにも広すぎる海を支配し、地味で感謝もされない汚れ役を自ら買って出るのだ。
それは本物の“ヒーロー”が、誰かを助けられるその手助けをするため。
彼に取ってのヒーローの定義は、自分ではない誰かを『助けたい』と本気で想い、そのために命を張れる存在。
初めて会った時、ユウキを、ヒーローだと言った。
その定義は助けられる、助けられないじゃない。
たかがゲーム。VR。
多くの人はいまだにそう思っているだろうこの世界で、ユウキは“生きて”いた。なによりも悩み、そして何かを抱え、自分に言えないことも隠していることをトラは会話の中で気づいていた。
そういう人こそ、予想外の危機に真っ先に飛び込めるヒーローの器であると考えていた。
自分はどうか。
果たしてヒーローになれるのか。
牢屋に囚われ、解放した子供たちを思い出す。
彼らの言葉、目線、その全てが自分を憧れていた。
彼らをこの地下から救い出す。
これは、偽善なのか。
NPCだと認識した上での行動なのか。
助けたい、この想いは嘘なのか。
(いや、違う。)
誰にも明かしたことのない、彼の本当の素顔。
いつもおちゃらけて道化を演じ続ける。
それが今、崩れ去る。
冷静さは失われる。
しかし、情熱は思考を動かし続ける。
自分の手足は、もう、動かない。
でも、でも。
「──まだ、助けられるッ!」
動けないけれど、声は出せる。
それがなんだっていうんだ。
だが、その衝動が未来を変える。
「──ここでしたか。ハヌル。」
トラでもゼノンでもない、第三の足音。それがあまりにも早すぎる速度で近づいていた。
扉に手をかけ、開き、青い鱗に包まれた囚われた子供が俯いたままのトラの視界に映ったとき、もうひとりの青い鱗の種族がゼノンを片腕で吹っ飛ばしながら子供の手を、取った。
「……お前、さんは……いったい」
声で気付くことはできたかもしれないが、トラはやってきた青い鱗の種族、【龍人】が全身鎧を纏うヨンガンだとは知らない。
だがしかしそれが、自分に足りなかった最後のピース、救いの手であったことは理解した。
「トラさんが崩した建物と、その声のおかげで場所がわかりました。時間を稼いでくれていたことで、いまこうして、間に合いました。」
ヨンガンはまっすぐに倒れるトラの瞳を見つめる。
それは子供達が語った、“ヒーロー”に向ける眼差し。
「──本当に、ありがとう。」
トラは、その言葉を受け取った。
長く抱え続けた後悔が、浄化されるような、そんな感覚がしていた。
「っ、……さん、お父さん、お父さん!お父さんっ!よかった、ぼく、ぼくずっと怖くて、暗くて、会いたくて──」
「ハヌルッ!」
囚われた子供は、自分だって同じ年齢なはずなのに、みんなを守るために自ら犠牲となり、いつだって優しく、負けない強さを持っていたと、トラは聞いていた。
眼前のその子はいま、年相応に泣いている。甘えている。
この子もずっと、怯えていたんだ。
我慢して、誰よりも未来を見て。
父を、待っていたんだ。
ハヌルの言葉の途中で、ヨンガンは抑えていた想いがコントロールできないように熱く、強く抱きしめて、頬に涙を流す。
「目を、離してごめん。助けにこれるのが遅くなってごめん。もう、二度と離さないよ、ハヌル……!」
そうやって、特別な種族の父と子は再び互いに触れ合うことができたのだ。
感動も喜びも数秒抱き合ったぐらいでは全てが消化しきれないだろう。だが、ヨンガンは子供の体からゆっくり手を離し、地面に倒れ伏すトラの方を見た。
駆け寄り、懐のアイテムボックスから取り出したのは一つの瓶。
それはとても美しく、精巧な作りをした造形だった。
「トラさん、これを。」
瓶の蓋を開け、中の液体を振りかけるのではなく、直接トラの口元に押し当て飲ませる。
動かせないのは手足だけで口は変わらず動かせる。
受け入れるままにその液体を飲み干した。
体の痺れが取れる。支配権が元に戻る。
ステータスのドクロのアイコンは消えていた。
「──っ、うご、ける。……これは[万能回復薬]……?」
別名、神薬。どんな困難な傷跡も状態異常も治せるという高価な薬。
本来ならばそれを水で百倍に希釈して、簡単なケガを治せるように扱うのが普通の、それほど大事なもの。
トラがかけられた毒は『動きを止める』ことを目的としたもので、放っておいても死に至ることはない故に[万能回復薬]でない限り治せない状態異常である。
しかし、死に至ることはないからこそ、万が一に死んでもトラは復活するトラベラーであるからこそ、わざわざそんな強力な薬をここで使うことはあり得ないような判断だった。
それを知らないヨンガンではなかった。
息子の命の恩人。子供達のヒーロー。
そのせめてもの祝福、懺悔としてヨンガンは彼をこの場に生かし続ける選択を取ったのだ。
「……ありがとう。あなたはヨンガンさん、やな。今声で気づいたわ。……そんなかっこいい姿してんのやったら最初から見せてほしかったわ。」
これは皮肉でもなんでもない。青い鱗、金色の瞳、逞しい体がとてつもなく頼りあるものに見えるのだ。
「あぁ……、そういえば言ってませんでしたか。改めて、子供たちを守ってくださってありがとうございます。はやく、地上に──」
息子の手を引いてトラと共に出口を探しに行こうとするヨンガン。
それを遮るものが現れる。
「──待、て。待て……ッ!」
ヨンガンの片腕で吹き飛ばされ、壁に激突したゼノンだ。
仮面は破損してヒビが入り、かろうじて彼の素顔を隠している。体を覆う外套はボロボロだ。
AGI、DEX特化のビルド。不意打ちに食らった【龍人】の攻撃ひとつでかなり消耗させられた。
だがHPバーはもう満タンで、トラを助けている間に手持ちの回復薬で体勢を立て直していた。
一応体力を回復させたのは正面から戦うためのものではない。
ただの保険。
まだ、勝負は終わってない。
クールタイムが上がった。
こちらは一度体に触れれば勝ちなのだ。
ワープ先の再設定には時間がかかる。
指定先は牢屋のまま。
それでもいい。数秒あれば、僕は子供を連れてどこまでも、ランゴルチュア山脈の向こう側までも、いける。
父の、僕の本当の父の願いを、叶えられる。
「──〈華麗なる〉ッ、〈誘拐〉!」
希望にむけて、己の必死の形相をボロボロの仮面に隠して託して、手を伸ばすゼノン。
ヨンガンはそれに気づいていち早く戦闘モードに切り替える。
迎撃の構え。
それでは、ダメだ。触れるだけで能力が発動する。
トラはそれに気づいていた。
だからこそ、前に出る。
「ここは、オレに任せて。ヨンガンさんは子供達の救助、お願いな。」
優しい言葉。
安心させるように。
矢面に立つ、ヒーローのように。
「ようやく、解析が終わったわ。」
トラは、自分自身の二つの手で、四角を作り出す。
それは子供の遊び、ジェスチャーでよく見られる形。
パシャ、という擬音語が似合いそうな、カメラの形。
「──〈笑って笑って〉!」
かなりの勢いでこちらに向かってきていたゼノンは、その異能のスキル名を呟いた瞬間、ぴたりと止まる。
全ての運動エネルギーが一瞬でゼロになるように。
思考すらも、すべて、刹那がシャッターに切り取られるように。
「──?」
止められている間もその景色を見ることはできる。動きも喋りもできないが。
自分に何が起きているのか彼は理解できていない。
それもそのはず、初めて見せられた技であり、ゼノンが毒を回るのを“時間稼ぎ”として待ったように、トラがゼノンの動きを止めるために“時間稼ぎ”として待ったとっておきの異能であるのだから。
「同格や格上には時間がかかる。けど、不可能やない。」
トラが呟きながら止まったままのゼノンに近づく。
トラの異能【切り取られた刹那】のスキルには〈被写体分析〉というものがある。
それは相手のステータスを覗き見る〈看破〉や〈鑑定〉のようなもの。
大きく違う点は二つ。明かされる情報はSTRなどステータスや残りHPなどではなく、被写体の生年月日から血液型までにわたる個人情報であること。
そして、時間をかければ、どんな相手であれその情報を完全に掌握できるということ。
まさに破格の異能。
戦いにおいて、情報がどれほど大きな影響を与えるか、知らないものはいないだろう。
恐ろしいことに、その能力の真価は別にある。
それはトラの〈笑って笑って〉という撮影した被写体の動きを止められる能力のその困難な発動条件を満たすための能力であるということ。
束縛スキルの条件は相手の個人情報を全て把握すること。そのうえでの撮影で、ようやく一定時間動きを止められる。
動きを止められる時間は相手によって変わるが、同格ではせいぜい1分にも満たない30秒程度。
しかし戦いの最中でその隙はあまりにも大きすぎる。
束縛のスキル、その無茶苦茶な束縛を可能にするスキル。
それら二つを併せ持つ異能。
トラは、間違いなく、『Another World』サービス開始二週間の中で最強クラスのトラベラーである。
「まさか、お前さんが一番、隠したい秘密ってのがこんなもんとはな。……まぁ、納得か。」
強すぎる〈被写体分析〉には当然代償も存在する。
それは解析を早くしたり、被写体本人が無意識のうちに隠したいと思っている個人情報には、支払う対価、自らの個人情報を被写体に聞こえるように宣言しなければならない。
今回の場合、それは“名前”だった。
だからこそ、彼はゲームを超えた現実での名前、鷹見虎太郎という名を名乗ったのだ。
「さぁ、素顔を見せてみぃや」
もう、ゼノンの一番の秘密を、彼は知っている。
ゆっくりと近づき、そして、そのボロボロの仮面を剥いだ。
「──ゼノン=イドリーシー!」
仮面はもう、幼い少年の顔を隠さない。
齢十五、マフィアの幹部にしてはあまりにも、まだ子供。
彼はゼノン=バーグラと名乗った。
そう信じていたかったから。
本当の……いや、あの時確かに自分を家族だと認めてくれた父のことを、ずっと、愛していたから。
久しく呼ばれた真名。
それがひどく懐かしくて、苦しくて。
動けないはずなのに。
彼は涙を流していた。
『イドリーシー』という苗字は一度出てきています。
忘れてもかま……、うん……、まあ構いませんよ。




