第5話 独り
2035年12月1日。
ついにユナが生きている仮想世界、『Another World』というVRゲームが全国的に発売された。
事前情報はなし。あるSNSだけに掲載された「現実と変わらない五感」「三倍もの速度で過ぎる時間」「もう一つの世界」、それらを販売文句として売り出されたこのゲームは、ネット上の誰もが、そんなわけがないと一蹴してそれをバカにした。
だが俺はそれがどれだけ本物なのか知っている。ゲームのタイトルこそ聞いたことはないが、そのゲームのPVに出てきた都市や王国の名前が、悠那の話に出てくる固有名詞と一致している。
俺の手はすぐにそのゲームの購入画面へと動き、そして注文する。
購入した者は少なかったのだろうか。
朝に注文したものが昼過ぎに届く。
購入したものを受け取り、その大きな箱を破ると、確かにそれは見たことがある。
悠那がいつも手に抱え、そして被っていたヘルメット。
ようやく、悠那と同じ世界に行けるのか。
俺はまだそのゲームをプレイすることはしなかった。
今日もまた、病院に通う。
このゲームを手にしたことによって悠那と同じ世界に行けるのだと伝えるのは、病院で実際に会ってからだと思ったからだ。
俺はしばらくそのヘルメットを見つめて、そしてそのバイザーの向こう側を見ようとした。
「待っていてね、悠那。独りにはしないよ」
誰もいない家で俺は静かに呟いた。
──プルルッ、プルルッ。
ふと、大きく音が鳴り、ポケットが振動した。
それは電話が来たことを示す着信音だった。
宛先は、何度見たかわからない十桁の番号。
病院。
嫌な予感がした。
呼吸が次第に早くなる。
普段かかってくることはないはずだ。
治療法が見つかった?退院の知らせ?
前向きなことを考えるしか今の俺にはできなかった。
震える俺を抑えるように、その着信を受け取った。
『悠生くん!?大至急病院に来てくれないか!悠那ちゃんの意識が──なくなってしまった』
それは最悪の知らせだった。
「………え?」
口からこぼれ出たのは、消え入るような声だった。
自分自身の呼吸音が大きく聞こえ始め、眩暈がし、真っ直ぐ立っていられない。
電話越しに向こうから何か声が聞こえる。
だが俺の耳にはそれは入らない。
頭はもういっぱいだ。
体の震え、動悸がおさまらない。
落ち着くことなどできやしない。
家族の三度目の死、そんな未来を想像せざるを得ない状況。俺の宝物が全てこの世界から消えてしまう。悠那ともう会えない。認めたくない。絶対に認めない、認めない、認めない、認めない、認めない、認めない、認めない、
『悠生くん!聞こえるか悠生くん!!私たちが必ず助ける!絶対に生かしてみせる!だから、悠那ちゃんに会いに来てくれ!』
その声に、はっ、と混濁し真っ暗闇だった意識を取り戻すことができた。
そうだ、悠那がまだ死んだと確定したわけじゃない。
悠那の隣にいてやれなくて何が兄だ、家族だ。
塞ぎ込んでいるよりすることがあるだろう。
「絶対に、絶対に死なないでくれ………!」
俺はそう一人呟き、家を駆け出した。
外は、雪が降っていた。
悠那が入院している部屋の前についた。
俺は何故かその扉を開くことができなかった。
スライド式の負担がかからないような扉にしても、なぜかその手すりに触れると全ての力が抜けるような気がして。
母の時もそうだった、あの時、悠那の手を握って開いたあの扉を、俺は確かに重いと感じたんだ。
今日の雪は、激しかった。
今年初めての雪だった。
俺はふと、いつかの記憶を思い出して、頭にかかっていた白い塊を払う。
そうか、あの日も雪が降っていた。
悠那が倒れてから一年だ。
一年、俺は悠那とこの病院で会っていた。
余命があまり残されていないということは知っていた。でも、一年、通うたびに余命なんてなくてずっとこのままで、いつか治療法が発見されて、またあの家で二人暮らせると思っていた。ずっと、ずっと二人で。
「…………悠那」
俺は息を吸って、吐いて、この扉を開ける。
そこには、悠那はいなかった。
いつも座っていた病床は、空白で、そこにはヘルメットも、悠那の私物も何もなくて、次の誰かを待っているような、そんな薄気味悪い綺麗さだった。
その部屋には、誠さんただ一人だけがいた。
彼は誰かの面影を重ねるように、窓の近くに立ちながら、ただしんしんと降る雪を見つめていた。その顔はとても神妙で、眼鏡が反射して彼の表情は見えなかった。
「……誠さん。悠那は」
もし彼のその下の表情が笑顔だったとしたら、俺の、この感情は変わっていたのだろうか。
「…………ない、……すまない。すまない悠生くん」
俺に気づいた彼は、直接目を合わせることはせず、小さな声でそう話した。
「誠さん、やはり、悠那は」
俺も声は出なかった。
「……悠那ちゃんは」
そう言葉を止め、俺と初めて目を合わせ、その眼鏡の奥は曇っていて。
「……2035年12月1日15時37分、不知火悠那様は、心筋症によって、衰弱し、逝去しました。」
二回目、二回目だ、この言葉を聞いたのは。
心筋症、衰弱、全てが二度目だ。
家族の死は、これで三度目だ。
「……ぁ、あああ、あぁ悠那、悠那」
口が塞がらない、感情が抑えきれずに声に出ていく。
目の前が白く霞み、真っ黒な世界を想像する。
あの家は、もう俺一人だけのもの。
家族は、完全に壊れてしまった。
「時間は引き延ばすことができた。だが、治療法が見つからなかった。昨日までは、何もなかったんだ」
彼の声は、ひどく沈んでいた。
「……あの仮想世界のベータテストが終了し、今日朝十時に起きるまで、心拍数が徐々に減っていた。昼過ぎ、悠那ちゃんは突然胸を押さえて倒れ、意識を失った。……オペをしようとした。止まりつつある命を吹き返すには心臓移植しかなかった。だが、彼女の特殊な病に適応する心臓であると確証はできない。僕たちは結局、彼女のために何もできずに、……命のタイムリミットは期限を過ぎてしまった」
彼は、苦しそうだった。
オペをしなかったことを、俺は責めることなんてできない。
だが、俺は、この感情の行き先を誰かに押し付けたかった。俺が悪いから全部俺を責めてくれ、なんて言ってくれたら喜んで誰かのせいになすりつける。
そうしなければ、俺は。
「……僕のせいだ。絶対に治すなんていったのに、なにもできなかった」
「……っ!」
そんな、言葉を、吐くなよ。
そんな苦しんで、言わないでよ。
そんな顔を、しないでよ。誠さん。
誰が悪い。そんなことは明白だ。
この病気だ、この病気を悠那に与えた、
──この世界だ。
「……失礼します」
一人の女の人が入ってきた。
彼女は見覚えがある。悠那の身の回りのお世話などをやってくれていた看護師だ。
彼女は俺に、死んだ悠那の顔を合わせてくれると言った。
うつろな感情のまま、連れられた先は緊急治療室のすぐ近くの個室。
開かれたその部屋には、一つの病床と、そして悠那がいた。
窓の奥は雪が降り積もっていた。
「……悠那」
俺は走った。
彼女の顔を見た。
安らかな顔をしていた。
いつものように、すこしゆすったら、目をこすりながら夢から覚めてくれそうだった。
だがそんなことは起きないと知っている。
悠那の手を握る。
悠那が、母にしていたように。
一つでは足りなくて、両手で握って。
その手に、雫がポタポタと流れていた。
悠那の顔が見れなかった。
「……ぁ、あぁ、あああ」
拾おうとしても、声がこぼれ落ちる。
悠那の、悠那のいつも暖かいその手は。
今日はとても冷たかった。
「あぁぁ……、あぁああ……ッ!」
雪が降る、この日。
悠那の心臓は永遠に凍り、それが溶け出すことは、もうなくなった。
妹キャラが、大好きです。




