第37話 カプとライブラ
薄暗く、けれど怪しく光る部屋に、一体の生き物がいた。
その光は、昔ながらのブラウン管から発せられていた。
だがそれは尋常ではないほどの数。
数千ものブラウン管が、彼の世界一面には広がっていて、電源がついているものもあれば、真っ黒い画面のものもある。
そして、その端にまたひとつ、またひとつとブラウン管自体が追加されていく。
そのおかしな世界に、扉を開ける生き物が、またひとつ。
「やーやー。調子はどー?【くう……じゃなかったね。カプリコーン。」
地面につくほど長い髪をもつ、ぶかぶかの白い服を着た、少女がそこにはいた。
彼女は、飄々とした様子で、壁に体を預けながら、黒服の男に尋ねている。
黒服の男はため息をつきながら、振り返った。
彼と向き合った人間はおそらく言葉を失うだろう。
なぜなら、その男は、“人間”としてあるべきもの──“顔面”が存在していないからである。
「……ええ。順調ですよ。……それよりあなたはまだ仕事があるのではないですか?ライブラさん。」
顔はなくても、口があるかのように声が聞こえる。
そして、虚空にひっかかった眼鏡が彼の透明な目の位置を教えている。
彼はその眼鏡を、白の手袋をつけた右手で直しながら厄介そうに彼女──ライブラに問い詰めた。
ライブラはのらりくらりと交わしながら、どこからともなく“椅子”を取り出して、彼の前に座り出す。
「んー?いーよいーよそんなもん。わたしの仕事すぐ終わるし。それより他のみんなの方が大変そーだったなぁ。」
ぼやきながらブラウン管の画面を見るライブラに半ば諦めたように「左様でしたか」と言いながら、また彼もどこからともなく“コーヒー”と“カップ”を取り出して彼女に手渡した。
「私も別に暇なわけではないですからね。」
「またまたー。いつもこーやってお茶出してくれるじゃーん。みんな私を追い出しちゃうから、カプだけが頼りだよー」
椅子からその手足をバタバタと動かして、彼から受け取ったコーヒーをふーふーと息を吹きかけながら少しずつ飲み込む。
「……私もそれが正解でしたか。」
ライブラは、ほれ、と言ってもう一つの椅子を生み出し、自身の目の前に、彼にもまた座るように促した。
それに彼は渋々だが、大人しく従い、自分の分のコーヒーも取り出して彼女と向き合う。
「カプとは、私のことを言っていますか?省略するのが早すぎではないですかね……。」
「まーいーじゃん。長いじゃんカプリコーン。かわいいよー?カプちゃん。」
掴みどころがない話し方をする彼女に何を言っても無駄だと思ったのか、もうその呼び方に反応することはやめて、コーヒーを一杯口に運ぶ。
「……それで、何の用ですか。計画はまだ始まったばかりなのですよ。」
計画。そんな含みのある言葉だが、彼女は彼にそれを追求することはしなかった。
「んー何の用っていわれても、ただ遊びに来ただけだしなー。……強いて言えば、近況報告?」
「理由がないのですね……。」
「そういうわけでもないんだけどー……。ほら、みんな動き出したじゃん。だから唯一、暇で全部把握できてるこのわたしが、いっちばん忙しいカプちゃんに最新の情報をつたえよーかなーって思ったわけよー。」
整然と礼儀正しい言葉遣いの黒服とは違って、彼女は喋り終わるのにもかなりの時間がかかっている。
それでも、そんな彼女が喋り終わるのを、しっかり待ってから発言をする、あまりにも誠実な彼がいた。
「忙しいとわかっているではないですか。……それで、どのような最新の情報があるのですか?」
「よし。答えちゃおう。まずひとつめ。トラベラーが五千人超えたよー。目標売上たっせいー。」
飲み終わったのか、コーヒーのカップをどこかにしまって、空いた両手でバンザイをして告げた。
「それはそれは。幸先の良いスタートで良かったです。広報担当のおかげですね。」
「うんうん。いまやあっちの世界で大ブームになってるらしいよー。ま、みんなの負担増えちゃうから、とりあえず生産はストップしてるけどねー。」
彼はその言葉に、あたり一面に立ち並ぶブラウン管を一瞥して、息をついた。
「……ありがたいことです。私もここまで一気に増えると思っていませんでした。少し休憩が欲しかったところです。」
「あっちの世界で七日ぐらいすぎたら、今度は一万人入れる予定、っていってたよー。」
「それまでに私も効率の良いやり方を考えていくことにしましょうか。」
彼女は次に顔の前にピースを作って、“2”を表現し始める。
「ふたつめー。【異能】が10個、あたらしく生まれたよー。」
「ええ。私もすべて見ていましたよ。どれも素晴らしいものでした。」
「あそっか、カプちゃんはここで見られるんだっけ。じゃあ必要なかったかー。」
残念、と彼女は心にもなく呟いて、次は手で“3”の文字を作る。
「みっつめー。タウロスとピスケスが喧嘩したー。」
「早すぎないですか…………。」
「バルゴが仲裁してもう収まったけどねー。あっちの世界に影響は出てないよー。」
「出てたら大問題です。いつものことですが、一応、あとで二人に警告しておきましょう。」
次に“4”の文字を作り始める……とはいかず、彼女は突然何かを思い出したかのように手をポンと叩いた。
「よっつめ……というか、そういえばお願いがあったんだ。」
「なんですか?簡単なものでお願いしますよ。」
すると、ライブラは立ち上がり、長い髪を引き摺りながら、電気の消えたブラウン管の前に立ち止まる。
そして、それに手を当てて、彼に振り返って言った。
「面白い、“声”が聞こえたんだ。」
それを聞いて、顔こそはないが、いかにもいぶかしむような声色で彼は質問した。
「面白い、とは?」
彼女はその疑問に答えるべく、ひとつひとつ、彼の元へと歩きながら話し続ける。
「たくさん聞こえてくるトラベラーの心の声。そのなかにひとつ、とびっきり輝くような、懐かしい【願い】の声があったの。」
「それはどのような?」
「んー、憎しみ?恨み?怒り?……ちょっと違うなぁ。でもそれには確かに、負けてられない、って強い願いがあったんだー。」
「ほう。良いことではないですか。」
何が良いこと、だと考えたのかいまいち理解はできないが、彼女はそれに首を振って否定する。
「いいことなんだけどねー、そのあと、すぐに聞こえなくなっちゃったの。おそらく、そこで生まれた【異能】の影響かなぁ。こんなに聞こえないのは、わたしと同じ力のみんなぐらいだよ。」
「あなたの能力の範囲外に逃げることができるほどの、【異能】、ですか。それは興味深い。……私がたまたまその方を観測していたのなら特定できましたが、そのようなカタチの【異能】は記憶にない。おそらく誕生の瞬間を見逃したのでしょう。」
彼がそういうと、彼女はやっぱりかー、と言いたげに手を額の上に持ってきて、口を開ける。
彼女はオーバーなリアクションをする癖があるようだ。
「……それでは、ここで、提案があります。」
「……なんですか、改まって。」
ビシッと背を正したのも束の間、すぐに元の猫背に戻り、彼のメガネの奥の見えない瞳を見つめた。
「その子をいっしょにさがしてほしいなーって。ね、おねがい、カプちゃん。」
少し間を置いた後、何回目かのため息をついて、彼はかぶりを振った。
「忙しいと言っているでしょう。……仕事が落ち着いたら手伝いますよ。」
「ですが。」
「ですが!?」
「お願いだよー。ここですぐにいいよ、っていってくれたら、暇なわたしがカプちゃんの仕事の半分を手伝うよー。」
「どれだけ暇なんですかいったい……。」
「そーしーてー。わたしの能力ならこのブラウン管全部に“音声”つけてあげることもできちゃいます。」
「…………ほう。」
彼女は腰に両の手を置いて、むふーといいながら自慢するように自己アピールを欠かさない。
最後の言葉に、むっと反応した様子を見せた彼を見て、彼女は好機だと感じた。
「お、やっぱり音声欲しかったんだね。」
「……ええ。見るだけでは味気ないですから。……いいですよ。仕事の合間に見ておくとしましょう。どのような特徴の人なんですか?」
「んー、わからない。」
「わからない!?」
「だってわたしが聞こえたのは声だけなんだもーん。あでも、“世界が嫌いだ”なんてことを言ってたよ。」
「なぜまたそんな物騒な人を気に入ってしまったのですか……。それなら特徴からトラベラーを特定するのは不可能そうですね。」
彼は、そんなバカな提案にも最後まで付き合ってあげようという優しさを見せるかのように、顎に手をあてて、良い方法を考えている。
「……それならばジェミニのところへ行って、行動の『ログ』をさらって確認した方が良いのでは?」
「それも思ったんだけどー、あの子苦手っていうかー、探したいんだけど、そんな簡単に見つけ出しちゃうのは嫌だっていうかー。」
「……わかりましたよ。私の元でなんとか探してみようと思います。声は覚えているのですよね?」
「もちー。波形の質までばっちり。」
「了解です。でしたら、あなたの能力で、音声と共にあの世界を監視することができるようになれば、時間はかかりますが、できるでしょう。」
その言葉に彼女はうれしそうな満面の笑みを浮かべて、黒服に抱きついた。
彼はそれに照れこそしないうえに、またひとつため息をついた。
しかし、その声色はどこか優しかった。
「……やめてください。まだ私は飲んでいる途中です。火傷しますよ。」
「わたしたちはやけどなんてしないけどねー。」
「……それなら、邪魔です。」
「おーはっきりいうねー。」
「私も学びました。……ですが、追い出すことはしません。私もその【願い】を持つ人物が気になってきました。……これからよろしくお願いします。ライブラさん。」
「ふふふ、うれしいねー、こちらこそよろしくー。カプちゃん。」
彼らは、その後もその空間で会話を続けた。
一人は、ブラウン管の世界に住んでいる、顔のない、黒服の男。
一人は、客人として訪れた、地面に垂れ下がる終わりがみえないほどの髪を持つ、気だるげな少女。
この場所はいったいどこなのか。
そのブラウン管は何を写しているのか。
彼らはどのような存在であるのか。
そもそも【ヒト】であるのか。
それを知るものは、黄道十二星座の名を冠した“彼ら”と、それらを創り出した【親】しかいない。
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