第30話 最期の別れ
「これで、終わったのか?」
瓦礫の山から落ちて、俺は空を仰いでいた。
雲ひとつない快晴だ。
太陽はまだ低いけれど、一日が始まっていた。
晴れやかな気分だ。
「あぁ終わった。終わったぞ、ユウキ」
俺の視界に広がる空を埋め尽くながら覗き込んだのは、可憐な、そして快活な少女だった。
「……本当に、ありがとう、カルナ。……アルスは?」
「ほれ、立ってみろ。……立派なヒトだな」
感謝の言葉を伝えつつ、俺は立ち上がり顔を上げる。
目の前には、太陽のような鮮やかな赤をする体毛を持つ、アルスが立っていた。
生きている、わけではなかった。
立つといっても、彼を支えていたのは植物だった。
だが、俺にはそれが意思を持つ行動のように思えていた。
だって、そこにはアンが願って生まれた植物と、死後もなお抗い続けたアルスがいたから。
俺は彼に近づいた。
そして、もう一度、彼の心臓に触れる。
冷たかった。
鼓動は感じなかった。
やっぱりダメか、って俯きたい気持ちもある。
けれど、俺は彼の遺言を受け取った。だから、俺は彼の死を受け入れているんだ。受け入れなければならないんだ。
でも、それでも、って相反する心が次々に生まれる。
俺は何も言葉が出てこなかった。
その時、死んでいるはずの彼の体が、手が動き出す。
どうして、なぜ、なんのため。
困惑はしている。次に何をするのかも想像がつかない。
しかし、俺はその手を攻撃だと疑うことなどしなかった。
その手が俺の頭を、ひとつ、優しく撫でた。
それはどこか懐かしいようで。
体温はもうないのに、温かくて。
それに言葉はつかなかった。
けれど、俺には彼の“言葉”が伝わっていた。
大きな手のひらは、やがて俺の頭からもずり落ちる。
彼の顔を見た。
とても、安らかな、顔だった。
「ありがとう。おやすみ、アルス」
これで彼に本当の眠りが訪れたのだ。
俺は後ろを振り返ってカルナを見る。
これからは俺と彼女の、ユナを探す旅だ。
「別れは済んだか?」
「うん。おかげさまでね。……そういえばあの幽霊はどこに消えたの?」
「そう、あいつなんだが……」
カルナがそれをどう退治したのか気になって尋ねてみれば、彼女は俺の後ろを指差していた。
なんだろう、と振り返ってみると、そこにはひとつ、不思議な生き物……のようなものがいた。
「〜〜♪」
それは、真っ白な雲の塊。
尾の生えたまるで人魂のような球体が、カラカラと鈴を響かせるような鳴き声と共に、ぷかぷかと浮いていたのだった。
「こ、これは?」
「あの取り憑いていたレイスだ。ユウキが獣人の体からこいつを引き剥がしてから、我は我個人が今使える唯一の権能でこいつを強制的に服従状態にさせた。そしたら……なぜか知らんが、ドロドロに濁っていたレイスの魂がこんなにも真っ白に清くなってしまった」
魂云々の話はよくわからないが、討伐するというより調伏させた感じなのか。
「それで、一度従わせたことで、我らの旅について来る気満々なのだが……どうする?こいつ」
なんと、同行、するのか。
先ほどまで親友を操った敵であった存在で、普通ならば許せるはずはないのだが……。
その先の決定をする前に、少し聞きたいことがある。
「この子はどうして暴れていたのかわかる?もう害意がないことは、なんとなく分かる。」
生きるために取り憑くのは仕方がない。しかしそれ以上に理由があるとしか思えないほどの暴走。
「それは、おそらく、怨念の影響だろうな。レイスという種族は、人や生き物の魂によって生まれる。その人物が死ななくてもレイスが生まれることはあるし、善人が死ねば人の役に立つレイスも生まれる。だがしかし、ある時一斉に、人に害意を振り撒くようなレイスが誕生する」
やはり、そうか。この子が生まれたのは。
「それは、戦争だ。恨みや憎しみがこもった怨念は、楽しい嬉しい喜ばしいことよりもはるかに死後に残りやすい。そうやって悪霊が生まれる。」
これが、戦うという選択の結果か。
「こいつは生まれたばっかりでただ心の底に刻まれた破壊衝動で動いていただけ。もう我がそれを書き換えてやったから、同じことを起こすことはないし、放っておいても無害だろうさ。」
無害と言われても、俺はこの子をここに置いていくことができなかった。
「……カルナ、この子も一緒に連れて行っていいかい?俺は、せめてこの世界だけでも死ぬことによって訪れる悲しみをなくしたい。そのために、死からうまれたこの子が必要な気がするんだ。それに、この子も、この獣人と人間の戦いの被害者、だから……かな。」
カルナはそう返すことはわかっていたと言わんばかりに、はっはっはと大きく笑う。
「わかった!支配権をユウキに移しておこう!」
「〜〜!〜〜♪」
そう彼女が言い、亡霊は嬉しそうに鳴いていた。
その時、何やら俺が起こしたわけではない足音や話し声が耳に入った。
ドッ、ドッという列を組んで、多数の人間が規律に沿って起こす、地面を揺らすほどの足音。
まさか、これが人間の援軍か。
そうだ、あの戦いの時、どこからか汽笛が鳴っていた。
あれは間違いなく、船の音。
朝一番、彼らは、今上陸して来てしまったのか。
俺はあたりを見渡す。
アルスの死体。
あちこちに広がる破壊の痕。そして緑の植物たち。
さらにはその中心に、俺という存在。
これは、見られたらまずいな。
「どうしよう、カルナ、どうやって逃げよう」
捕まったら時間ロスなんてものじゃない。それに、それよりも、人間から、ここに眠るアルスに対して指一本触れさせたくないんだ。
『我らだけならおそらくなんとかなる。しかし、それではダメなのだろう?』
カルナも一緒になって、俺が望む最善の方法を考えてくれているようだった。
そこに大きな、迫力のある誰かの声が響く。
「総員ッ!戦火の原因を調査せよッ!住民の避難の準備は完了した!我らは第六王子の兵士、第七王子の戦力を削ぐ好機でもある!生きている何かに出会ったのならそれは敵である!だが利用できるような建物は壊すな!動けッ!」
きっとそれは、大きな兵を率いているリーダー格の誰かが言った言葉に違いない。
現に彼の命令に、ハッ、と規律のある揃った声が続いていた。
内容こそはっきりと聞き取れたが、その分、彼らとの距離はそう遠くないことを事実として突きつけていて、和解なんて選択肢も選べなさそうだ。
『とりあえず端に移動させろ、ここは目立ちすぎる。……ユウキが国を敵に回す覚悟があるならば、見つかったらすぐに植物を使え。我はどんな修羅の道でも共に歩んでやる』
俺はアルスを植物の力で、広場の壁際に移動させながら警戒していると、カルナはそんなことを言った。
……まったく。いい相棒だ。
俺は種を手に握りしめる。
無事にアルスを壁際の光が通らない路地裏の方まで運ぶことができたが、それでも絶対に見つからないわけではない。
一分程度の沈黙の後、ざっ、ざっという足音が直前まで迫って来ているのを、俺は静かに、緊張しながら、戦闘体制に入っていた。
「……ん?血の跡が続いている……」
兵士の誰かが俺の体から流れる血に気づいた。
それは間違いなくこの路地裏に繋がっていて、バレるのは、時間の問題。
覚悟を決める。
来い、絶対に逃げ切ってやる。
──キィィン。
その時、街に、不快な、聞く人の鼓膜を歪ませるような、耳を劈く高音が鳴り響いた。
俺含め、この島にいた人間全員が耳を塞ぐ。
それでも俺にだけ聞こえてくる声があった。
『これは……〈超音波〉ではないか!?』
〈超音波〉。
それはあの岩の熊を共に戦った、森を導いてくれた、コウモリの能力。
どうしてそう鳴いたのかはわからないが、その声は、街を調査していた兵士全員の目を奪っていた。
「総員ッ!森に不可解な魔物の動き、小規模のスタンピードが発生した!街の探索は一時取りやめ至急、制圧に向かえッ!」
そうしてゾロゾロと走り去っていく音が聞こえ、ついには、俺の血を追いかけていたあの兵士すらも興味を失ってこの街から消え去って行った。
「……本当に、ありがとう、みんな。」
『ふふっ、ふははは!情けは人の為ならず、とはこういうことなのだな!ユウキの行動が、この結果につながったのだ。さぁ、今しかない!彼を下に運べ!』
俺は急いで外に出る。
向かった先は崩壊した噴水。
あそこを壊してアルスがやって来たように、きっとあの下にはあの町が眠っているはずだ。
瓦礫を植物の力で退かせると、予想通り、そこには深い深い穴が広がっている。
もう迷いはしない。
俺は、その穴の中へと、命綱なしのダイブを決行した。
「──フッ!」
◇
次の衝撃がやってくるまで、体感、十秒。
「いっ……ッ、アルス!〈成長〉!」
着地も何も計算していないその強引な降り方によって、俺の足は確実に粉砕しただろう。
反射の言葉を寸前で耐え、俺に次いで落ちてくるアルスを、種をネットのように成長させて、優しく受け止める。
それは成功して、アルスの体は無傷なようだった。
ほっと一息をついてあたりを見渡す。
ここはゴミ山の頂上だ。
アルスと最後に別れた所だ。
眼下に広がる町をもう一度感慨深く見渡して、俺はその下へと駆け降りた。
アルスを眠らせる。
それはやっぱり、埋めてあげなければダメだろう。
走り続けてようやく、町を変わらず埋め尽くす美しい大樹を咲かす、その足元に俺は立った。
アルスの眼帯を埋めたその土を、俺は一つ撫でる。
すると、俺の手がまた光る。
これはアンの異能の範囲なのか、触れられた土が、大きく穴を広げ始め、それはやがて横たわるアルスの体と同程度の大きさになって、止まる。
「ここで、眠って、俺を見ていてくれ」
アルスを動かしていた植物の拘束を解いて、その土の上に優しく乗せて、俺は呟いた。
どうか、彼が仲間と同じ場所に行けますように。
「これで本当に、おやすみ。アルス」
俺はその棺桶に蓋をした。
木々が揺れる音がした。
洞窟の中に風なんて吹くはずもないとまた同じことを思う。
だがそれは確かに俺の頬をもう一度なぞる。
風につられて空を見上げると、広場の穴から光が漏れ出ているのに気付く。
その光は、大樹の根本を照らしていた。
アルスと俺を繋ぐ、獣人と人間の、誇りとエゴを賭けた戦いは、いまここに、全て終わる。
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───
序章、結。彼を弔って。




