第17話 さらに希望は託される
「───何が、起きてるんだ」
全速力で走った。
だから肩で息をしていた。
俺は洞窟を抜けて、ボロボロの扉を勢いよく開けた。
その景色は、まったく、想像できるものではなかったんだ。
だから、俺は、足を止めてしまった。
最初に飛び込んできたのは、視覚、衝撃の情景。
次に感じたのは、嗅覚、強烈な腐敗臭。
どう描写したらいいのか。
俺が死んだ時、この街はあの人間達に放火され、燃え盛る地獄のようであった。
だが今は全ての炎が鎮火、いや、建築物が全て崩れていることから、燃え尽きていたと言った方が正しいだろう。
灼熱の拷問はそれで終わった。
しかし、次の惨劇がそこで待っていた。
死体の地面と、血の海。
まさに、それは人間界で起きている出来事として、認めたくない、『地獄』という言葉こそ相応しい光景だった。
「……っ、アルスッ!」
俺はただ足の向く方へ、一心不乱に駆け出した。向かう先は、あのゴミ捨て場。アルスと初めて出会った場所。なぜかは、わからない。でもそこにいる予感がした。疑う時間はもったいなかった。
町の中を走った。鋭い鉄を持った人間が血を流して倒れている。いや、人間だけじゃない。耳や尻尾の生えていたり、また大きかったり小さかったりする多様な種族、そう、獣人の死体も転がっている。
きっと、二種族間で戦いが起きたんだ。
空想家で心配性。頭では否定したいストーリーが勝手に紡がれていく。
おそらく、俺が死んだあとのあの三日間で、種族としての誇りを賭けた戦争が始まった。
結末は、この惨状。
血で血を洗い、流れる必要のない血がそれを枯らす。
よく見ると、人間は全員武装しているが、死体の獣人の中には女や子供も混じっている。
俺は吐いてしまいそうだった。
でも、それを飲み込んで、目に刻んで、走り続けた。
この戦を招いたのも、止められなかったのも、きっと俺のせいなのだ。俺の罪なのだ。だから、生きるしかない。そう決めた。
あまりにもリアルすぎる地獄に、心も身体も限界を迎えそうだったその時、俺はようやく、はじめてアルスと出会った、人間がこの街に押し付ける悪意が積み重なる、ゴミ広場に辿り着いた。
幸い、といっていいのか。この嗅覚は生ゴミの匂いも腐敗臭も何も感じてくれなかった。より強い匂いがこびりついて離れないから。
ゴミの山の中に、死体が埋まっているのを見た。
夥しいほどの血液が、血液だったものがいろんなものと混ざり合い、ハエの養分となって集られている。
その光景を見れば見るほど、俺ごときに何ができるんだ、そんな無念と絶望と諦観が現れる。
違う。違うんだ。その思考に俺は頭を振って、否定する。
今すべきことは、そうじゃないだろう。
彼を、見つけなければ。真実を、全て知らなければいけないんだ。
下を向くのはやめた。
上のあの街を睨みつける。
ゴミを捨てる大きな穴から、夕焼け色の光が差し込んでいる。
眩しいくらいに、嫌味ったらしいその僅かな光が、この街を照らしていた。
そして、俺はそこで初めて見たんだ。
死体の山に鎮座する、大きな赤い熊を。
「──アルスッ!?」
間違えるはずもない。あれは、あの大きな赤い熊の形をした優しきあのヒトは、人間によって迫害され続けたあの獣人は、アルスだ。
地面はゴミと、死体の山でできている。
それでも俺はそれを、踏みつけてその山を駆け上る。
彼は、生きているのか。わからない。わからないけど、ようやく会えたんだ。俺には見る義務がある。
ついに、頂上へ、辿り着く。
「はぁッ、はぁ、アルス、アルス!」
目の前の、彼は、目を瞑って寝ているようだった。
それは本当に、寝ているだけか。
彼は、右腕がなかった。それに、腹部に酷い傷跡。この状況から、俺は彼の最悪な結末しか想像することができなかった。
「だめだ、だめだ。だめだ!絶対に、死なせないッ!」
街に転がっていた死体と何が違うのか。
俺は、なぜこんなにも彼に生きていて欲しいと思っているんだ。
その罪を受け入れるというなら、命を平等に扱うべきじゃないか。地面に転がる別の命を踏みつけて自分勝手に他者の命を望む、それはあまりにもエゴな行動であるはずで。
返事をしても動かないままだったら、それを自戒することができたはずなのに。
彼に触れた瞬間、奇跡が起こった。
アルスの赤い血液を垂れ流す腹部の一部、そこに当てた俺の右手が突如発光し、徐々に彼の細胞が、まるで再生しているかのように、その穴を埋め始める。
何が起きているのかわからなかった。
だが、その現象が俺によって引き起こされていることは理解した。俺が死から生き返ることができたように、あの不思議な力がきっと働いている。
「…………っ。ユウキか……?」
彼は、目を覚ました。
声が聞こえてから俺は俯く顔を上げて、彼を見た。最初に飛び込んできたのは、彼の儚げな、けれど力強い優しい笑顔だった。
「来ると、思ってたぜ……。『〈トラベラー〉は、3日経てば復活する』なんて……、そんな莫迦げたお伽話、本当だったんだな」
彼は喋っていた、けれど、まだ苦しそうだった。彼の話を聞きながら俺は腹部を、この手で押さえ続ける。
「あぁ……っ!あぁ。来たよ、アルス。大丈夫、俺が絶対に治すから、だから」
俺のその言葉を遮るように、彼は彼の手で、腹部を押さえるその手を掴む。
「……治してくれて、ありがとな。……でも、もういいぜ。その能力、お前に傷を移してるだけ、なんだろ?」
彼が言ったそれによって、俺は腹部を貫くじわじわとした鋭い痛みに気づき始める。
なんだ、これは。自分から、血が出ている。
……いや、それでも構わない。俺は死んでも復活できるはずなんだ。俺が少しの痛みで苦しむだけで人の傷を治せるんだ。
だから、だから、そんな目をしないでくれよ、アルス。
「俺の夢はもう叶った。お前が叶えてくれたんだ。ユウキ」
俺が、俺が一体君に何ができたんだよ。まだ、なにも始まっていないじゃないか。
「俺も、アンも、この街のみんなも、ユウキのおかげでようやく自由になれたんだ。……ユウキがアンを助けるために、何度も死んで、何度も立ち向かったその姿を見て、俺は、かっけぇなって、そう思ったんだ。……そしたら、……なんでかな、俺はずっと体に刻まれ続けてた【奴隷支配】を、壊すことができた。……あぁ、簡単なことだったな、自由を手に入れるのに、守りたいものを守るのに、一番必要なものは、ゲホッ、ゲホッ!……勇気だったんだって」
俺が触り続けて、彼の痛みを吸い尽くしているはずなのに、彼は、血が絡まった咳を吐いて、とても苦しそうに喋る。
「もういい、喋らないで大丈夫だよ、アルス、まだ、生きられる。もう奴隷じゃなくなったんだろう、次の夢はまた生きて探せばいい、だから」
それでもアルスは俺を握る手を離さず、そして俺の手を腹部から離そうとする。
「長年の夢は果たした。……ユウキにはつれぇかもしれねぇな、……俺は、長く生きすぎた。しみったれた場所だが、ここは俺の故郷だ。仲間と一緒に、この場所で、眠らせてくれねぇか?」
だめだ、なんて言えるわけがない。
死んではいけない、というのも自分勝手なエゴであり、それを誰彼構わず振り回すのは、傷ついた人をさらに傷つける行為にもなる。
わかっているんだ。だからこそ、俺は涙で視界が滲んで、彼の顔がぼやけて、ついに、力が抜けて腕が外れてしまった。もう一度、彼の誇りあるその傷跡を埋める行為はできなかった。
「……ごめんな。……でも、まだ死ぬ前にユウキにいいてぇことはいっぱいあるぜ。……まずは、アンから、だな」
彼はそう言って右手で、何かを掴んで、俺に渡した。
アンから、?俺の目の前で、彼女はもう、死んだはずじゃ。
そんなことを思いながら、俺はそれを、硬い宝石のような白い石のようなものを受け取った。
「それは、アンの心臓。戦いの後、見つけた。その心臓が脈打ってたんだ。『これをユウキに渡せ』って。………俺の娘。生涯でたった一人の大切な娘。……そうそうと誰か、ましてや人間なんかにわたしてやるもんかって、思ってた。だけど、ユウキなら大丈夫だな、……託したぜ」
心、臓。
愚かな人間たちが追い求めた、魔法の心臓。
それを何も出来なかった俺に、託すなんて。
長い、葛藤の末。
俺は、それを畏れ多くも、ただ、抱きしめた。
そして、また、奇跡が起こる。
「……!これは、っ………!」
触れた次の瞬間、その心臓は光の粒子となって、アルスと俺が向かい合うこの空間を埋め尽くさんと言わんばかりに、まるで蛍の光のように、暗闇のこの街を照らす。
その景色があまりにも幻想的で、俺は思わず息を呑んでしまった。
「……綺麗だ。」
俺とアルスはその輝きを、言葉を交わさず、ずっと見ていた。
次に、声が聞こえた。
アルスでも、もちろん俺でもない、誰かの声。
それも、耳で聞いているのではなくて、頭の中に直接響いているようだった。
『ユウキ、お父さん、それにこの町も。みーんな大好きだよ。私の夢を絶対叶えるっていってくれて、ありがとう!だから、今度は私がユウキの夢を応援するね。……ほんとうに、大好きだよ。ばいばい!』
正真正銘最後の別れの言葉を告げられた後、無数に拡散された光の粒が一つになり、小さな、さっきまでの石の心臓と同じ大きさの塊になって、俺たちの目の前を照らした。
その光の塊は、ゆっくりと動き始め、そして俺へ、俺の心臓の中へと入り込んだ。
何が起こっているかはわからないが、あたたかい、アンの心が俺と今、一つになったのを、俺はこの身体の心臓で感じている。
まるで、それは文字通り自分がアンの分まで生きているようで、また、アンと共に生きているようで。
だからなのかな、この世界は仮想空間であるはずなのに、いつもより俺の鼓動は大きく、強く聞こえるんだ。
「………あぁ、ああ。ありがとう、アン。俺も、大好きだよ」
二つの魂を宿す心臓。
その部位を抑えて、俺は小さく震えながらそう声に出した。この言葉が天まで届くと、そう信じて。
「……、それがアンの言葉だ。……俺からも、ユウキにいいてぇことが、いっぱいあんだ。……はは、もちろん怖ぇことじゃねぇよ」
しゃがみこんでしまった俺を再び顔を上げさせたのはアルスだった。
彼は血を吐き出しながら、それでもかっこいい、そのワイルドな笑顔で俺をずっと見ていた。
治したかった。けど、俺は死を受け止めると、決めた。だから、何も言わずに、ただ彼の言葉を真正面から浴びる。
「まずは、そうだな、謝りてぇな。最初、お前を傷つけようとして、悪かった。……本当のこと言うが、俺はトラベラーだと知ったばかりのお前を信用なんてしてなかった。……そうさ、トラベラーだって、人間、なんだろ?アンを助けたっつっても、表面だけ甘い皮被って、俺たちを迫害してきた奴らなんていくらでもいた。だから、お前もそうだと思った。あの祠に連れて行かせたのも、お前を試して、そしてただ利用しようとしていただけなんだ」
俺はその告白を責めることも、憎く思うこともなかった。彼らが受けてきた差別は、俺の想像を超えていて、人間を信じることができないのは当たり前のことであるから。
「アンとユウキがあの祠を見ていた時、俺は、墓参りしてた。……『救世主がきた。本当にこいつは信用できんのか?』って、俺の仲間に。」
墓参り。アルスのかつての友人だった者たちの。
「……生まれた時からずっとここはこんなクソみてぇな場所だった。でも、みんな、希望を持ってた。『封印の間』なんてよくわかんねぇもんに書いてある、ただ一つの言葉だけを信じてた。」
救世主とトラベラーの文字が重なる。
「でもこの町の中で唯一俺だけは、そんなもん、信じてなんかいなかった。だって本当の救世主がいたら、俺たちはとっくに救われてもいいはずだから。」
おそらく、俺がこの世界に来るまでに死んでいった獣人の数は、数えられないぐらい、いた。
「……どこまで話してたっけかな。……あぁ、そうだ、あいつらに伝えたそのあと、放火が起きた。すぐに、上の人間がやったって気づいた。そして、不安になった。町の状態もだが、俺の娘が、アンが無事なのかって。あの人間は怯えてアンを置き去りにして逃げてねぇかなって」
アルスはゆっくりと喋る。
「祠まで全速力で駆けつけたが、もうそこにはいなかった。……アンのことだ、どうせ、俺が心配だって、あの燃える町の中に飛び出したかもしれない。それから俺はアンを探しに、町を走った。……そこで、みつけた。ユウキが、アンを庇っている姿をな」
彼の瞳が、俺をまっすぐと貫く。
「俺は、かっけぇなって思った。お前のおかげでアンは俺がつくまでに殺されずにいれた。だから、こいつは、仲間たちがずっと願い続けた、正真正銘本物の救世主なんだって、そう信じた」
あの時の、あの行動は無駄ではなかった。
それを第三者から告げられることは、何もできなかったと嘆いている俺に、深く響いていた。
「それは、やっぱり間違いじゃあなかったぜ。捕まっちまって動けなくなってる時、俺は、あの人間たちに対する憎しみと、……諦めでいっぱいだった。」
彼の声がだんだんと掠れていく。
「……あぁ、ずっと、俺の人生諦めまみれだったな。……力だけはあった。かつて闘いでは誰にも負けたことはなかった。でも、獣人だから、人間じゃないから、俺は、自分が守りたかったもんも、……アンの両親も守れなかった。」
10年前にも引き起こされていた、白狐の心臓をめぐるその事件にも、アルスは関与していたのか。
「全部、獣人として生まれたことが、この結果なんだって思ったよ。……でも、お前が、あの時、ユウキが!……何度でも立ち上がった。……なんでついさっきばっか知り合ったやつを自分の命を懸けてまで助けることができるんだって、思った。……それと同時に、俺はお前から、立ち向かう勇気をもらった。人間だろうがなんだろうが、本当に大事なのは、ユウキのような、助けたいと思う強い心なんだって、知った」
もう、彼は限界に近かった。
それでも、彼も俺も、ずっと話をし続けそれを聞いている。
「俺は、アンを、ユウキを、全てを失ってから、ついに、動くことができた。……一心不乱に戦い続けた。いままでみたいに、命を惜しむために、人間に媚び続けるんじゃなくて、命を、未来の命まで助けるために、戦うことをユウキから学んだから。そして、戦いが終わった。……ユウキは、またここに来るって、そんな予感がした。だから、俺は生きて、アンからの贈り物を届けることと、そして、謝罪をするために、ここにいた」
アルスは目を瞑りながら、その場所に、いる。
「……あぁ、なんか、目が開かなくなってきやがった。……ユウキ、ちょっと近づけ」
俺は言われるがまま、大きな赤い体に近づいて、「ここにいるよ」と言った。
そして、次の瞬間、頭に優しい感触と温かい温度が伝わってくる。
祠に行く前、アルスにしてもらった、あの、撫で方。
「俺は、ユウキのおかげで、最高の死に方ができそうだ。………さっき夢は果たしたっていったよな。いま、新しい夢が出来ちまった。」
撫でられながら、俺はあぁと頷いて、その夢を受け取る準備をした。
「俺の夢は、ユウキが望んだ、変えた、その世界を、見届けること」
俺の、望む世界。また、俺は死ねない理由が、増えてしまった。
「お前は絶対なにかを成し遂げられる。その果てを、見てぇんだ。それが、俺の、最後の、夢。………ユウキ。」
彼は俺の名前を呼んだ。
頭に来る感触は止んだ。そして、次に来た感触は、全身を覆うほどとても大きなものだった。
温かい。安心する匂いに包まれながら、俺も、その大きな体を抱き返す。
アルスの、ゆっくりとした鼓動が全身に、大きく響く。
「じゃあな。託したぜ」
鼓動が、さらに遅くなり、そして、やがて、完全に止まる。
彼が俺を抱きしめる力が抜けているとしっていても、俺はしばらくずっと、彼を抱きしめ続けていた。
アルスが、今、死んだ。
俺の腕の中で、別れの言葉を聞いて。
彼は、幸せな死に方だと言った。
「…………」
あぁ、もう、俺は迷わない。
だって、生きる理由をいろんな人にもらったのだから。
みんな死んだなぁ。




