第11話 もう失いたくない
奥の石板を見て決意を固めた俺は、その後アンと一緒に同じ道を引き返していた。
帰りも俺の現実世界での話や、アンのあの時アルスが面白かったエピソードなどの話をしていたら、あっという間にもう出口だ。
「ねえねえ!助けてくれるっていったことお父さんにも言っていいよね!?絶対喜ぶと思うんだー!」
アンのその勢いに微笑みながら俺は頷く。
「いいよ。俺に何ができるかわかんないけど、アンたちを助けたいのは確かだから」
「ふっふーん!じゃあわたし、早く伝えてくるね!」
そういって彼女は駆け足でその洞窟から出る。その速度は、上の街で見たのと同様に異常なほどで、俺はついて行くことができなかった。
これも【種族】としての差か、はたまた、レベル1の俺のステータスでは十年以上この世界で生きてきた少女にも足の速さで及ばないのか。
そんなふうに考えていながら歩いていたが、洞窟の出口、光のその向こうで、アンが何もせず立っているのを見た。
「……?どうしたの?」
あんなに上機嫌に走っていたのに、ぴたりと動かない。
それが気になって、俺も足を走らせずにはいられなかった。
「アン?いったいどうし──」
目を、疑った。
光が網膜を支配した。
薄暗い洞窟の光に目が慣れていたからではない、この光は、赤色だった。
赤。火の赤。
遠くから何かが破裂するような音が聞こえる。
肌が焼けるほどの熱気がする。
腐敗臭は消え、焦げた匂いがする。
木造の住居が全て燃えている。
「──火事ッ!?」
五感で感じる全ての情報、アンたちから聞いた【獣人】への扱い。
全てが一つの真実を導いているかのように俺の頭で組み立てられていった。
その末の最悪の予想。
これは、放火されている。
「……お父さん。どこにいるの?どこにいるの!?お父さん!」
アンは目の前の景色を呆然と眺めたあと、その言葉と共に、アルスを探そうと、その酷く燃えている町に無策にも足が向かっていた。
俺は、そんなアンを視界の端で捉え、はじめて意識を取り戻す。
今俺がすべきことはただ炎を眺めてる場合じゃない。アルスに託されたアンを守ることだ。
「待って!アン!」
俺は走り出し、アンのその手を掴むことができた。火に飛び込むことはどう考えても自殺行為だ。アンをそのまま進ませることはできない。
だがアンは俺の想いに応えない。
「……ユウキ、お願い、離して!お父さんを、助けなきゃ……!」
「でも、この先を進んだらアンが死んでしまうよ!アルスはきっと生きているはずだ!だから……!」
手を掴んだ俺から見えた、彼女の瞳から、燃え盛る街を背景に、大きな涙がこぼれ落ちていた。
「私は死んでもいい!それより、もうっ……!もう、嫌なのっ。──失いたくないのっ!大切な人を!」
もう失いたくない。
その言葉は俺の胸に、強く響く。
自分の命はどうでもいいからお父さんを助けたい。
その行動は、「一家の不幸を全て請け負いたかった」、そう願った俺が否定できるものではなかった。
そうだ。今進んだら、自分の手で誰かを助けられるかもしれない。どうしようもない死の運命を受け入れるのを待つだけじゃない。
俺が、進めば、命を救えるんだ。
「……わかった。進もう。アルスを見つけよう。絶対に死なせはしない。」
「……!ありがとう……っ!ありがとうユウキ!」
安心できるのはすべて助かってからだ。
俺たちははぐれないようにと強く手を繋ぎ、意思を持つように暴れ出す、火の海の中へと走り出した。
◇
「はぁ……っはぁっ……!洞窟で火事だ。酸素もきっと少ない。大声で探すのはやめよう、アン。これから向かう先はあの港への出口!きっとそこにアルスもいるはずだよ!」
数分の人探し。
喉が灼け、咳が止まらない。
もう時間は限界だ。
「……!うん、わかった。たしかにさっきからうまく呼吸できなくなっちゃってた。」
火事の経験がなく、身を守るための術も知らなかったアンに、いつだか学校で習ったことのある、煙を吸わないために鼻や口を覆ったり姿勢を低くしたりすることなどを教える。
まさか現実世界以外でこの経験が生きる時が来るなんて。
危険を突っ切って炭で肌を黒くしながら一心不乱に走る。
本当にいったい、何が起きているんだ。
これは、もう、明らかに放火だ。
なぜならこの町の住民は今アルスとアン以外いないからであり、もしアルスが何かをして偶然の事故で火を起こしてしまったとしても、あの短時間でここまで広がるわけがない。
ここには絶対に何かの意思が絡む。
街を燃やし、何かを炙り出しているかのような、誰かの思惑。
「……ッ!」
俺も酸素が足りなくなってきたか、ずっと、誰か名前も知らないものたちへの憎しみで思考がぐるぐると周り、意識をはっきりと保てない。
「……!ねえ!ユウキ、あそこ!……誰かいる」
アンは大声を出さなかった。
見つかったのがアルスならきっと一目散に駆け寄るはずだ。そうしなかったのは、それが、アルスではない別の誰かだったから。
それは、【人間】だったから。
「──おーい。【白狐】さーん。どこにもいねぇのかー?」
彼は、汚れ一つないほど輝く金色の髪を持ち、鎧を纏っている。
左腰には、剣を納めている。
どうみても、その姿は、この火で困っているようには見えない。困ったものを進んで救助するように見えない。
むしろそれよりも、【白狐】、アンを誘き出すために火を放ったかのようだった。
「……あれは、絶対に会ってはダメだ。気づかれないように出口に向かおう。」
逃げの選択。あの鎧はきっと、上の街で見た衛兵と同じものだ。もし戦うことになっても、未だレベル1の俺と幼いアンでは勝てるわけがない。
そう、見つからないように引き返す。
だが、その選択が遅かったのか。
偶然にも近くの木造の建物の土台が崩れた。
──轟音。
俺たちはその被害には巻き込まれなかった。
束の間の安心。
だがしかし、その音が、まずかった。
この状況下では特段珍しいものではないが、人は大きな音がすれば、否が応でも振り向いてしまう。
「おー派手に燃えてんなぁ…………、って、……おい、おーいおいおい見つけちまったぜ!おい!おめぇら!ここにいるぞ【白狐】ォ!」
見つ、かった。
これはヤバい。一瞬。だが俺にはその光景が刻まれる。俺たちを見つけた時の彼のその歪んだ笑顔が。
「──ッ!!アン!逃げるぞ!」
「う、うん!!」
彼女は俺より足が早い。だから彼女が全力を出せるように握った手を離して、二人で全力で出口へと走る。
もう少しで火の手が広がらない住居区の外に出る。もう少しだ。もう少しだった。
先回りされ、目の前の道が封鎖されるまでは。
「いたぞ!間違いねぇ、【白狐】だ!……?なんか人間もいるけどこいつ誰だ?」
鎧を着ているものは一人ではなかった。
彼らは大声で連絡を取り合っていた。
前は塞がれ、後ろからは俺たちを見つけたあいつが迫ってくる。
どうする、どうする!?
捕まってただですましてくれる奴らなわけがない。おそらく、この放火の犯人。
そして【白狐】、きっとさらに言えば【白狐】の心臓を狙っている。
助けなければ。でもどうやって?俺には力も何もない。あぁクソ、頭を巡らしても、この状況で走ってきた限界か、頭痛がひどい、なにもいい策が思い浮かばない。
だが思考を止めてはいけないことだけはわかっている。
誰かを、アンを守ることができるのは、今この場には俺しかいないからだ。
一度、深く息を吸う。
勇気が、生まれた。
すぐにアンの手を掴んで、それを握りしめる。彼女を庇うように前に出る。
「おいおい、そこの人間!おめえどっからきた?なんでそいつと一緒にいる?……まあいいか。別にその動物差し出せばなんも危害は加えねぇよ。」
危害は加えない、その言葉が本当の可能性もある。人間に優しい上の世界を見れば十分信じられる。だが、今この場で俺がどうなるかは関係なく、アンを離さないのが俺の全てだ。
「断る!あなたたちはいったい何者だ!なぜこの子を追いかける!どうして、どうしてそんなにも【獣人】が憎いんだ!」
真実を知ってから初めて会った人間。彼らに対する怒りを無意識のうちに声に出してしまっていた。
その言葉を聞いた目の前の人間は、すこし驚いた顔をしたあと、ヘラヘラと嘲りながら答える。
「憎い……?おいおい憎いわけねぇよ。だって獣人がいてくれるおかげで俺たちはこーーんなにも豊かに暮らすことができるんだからよぉーーっ!」
絵に描いたような、下衆の笑み。
俺の彼らへの恐怖という感情は、この時、なにか別のものに変わった。
「……お前、まじでどうやってこの島に入ってきたんだ?用があんのはそこの【白狐】の心臓だけだったんだが……、危険思想のやつは別に殺したって構わねぇよな。」
そいつは鞘から剣を抜いて、躊躇せず俺たちにそれを向ける。
危険思想。それはいったい誰のことを言ってる。命を平等だと、そう思わないことこそが危険じゃないか。
彼らは、じりじりと俺たちとの距離を詰める。
後ろからも前からも逃げられない。
手が震える。
情けないことに、俺はその圧に押されてしまった。右足が後ろに引いてしまった。
そして、アンの肩に触れた。
「……ぁ、ぁ、っ」
俺はその時、この手に伝わる震えが自分のものではなく、アンのものであるということに初めて気づいた。
「……ッ!近づくな!俺の命ならくれてやる!だがこの子は絶対に渡さない!」
アンが怯えている。俺は立ちすくむべきじゃない。ここで引くわけには行かない。俺の命なんて、彼らが求めてなどいないし、分が悪すぎる提案なのはわかっている。けどなんとか彼らの隙を作ることができれば、きっとアンの足なら逃げ切れることができるだろう。そう信じて俺は無様にも声を上げた。
「おいおいお前さんの命なんていらねぇよ。そいつの心臓にはこの島の全てがかかってんだ。天秤は傾いてすらもねぇんだよ!」
そいつが醜悪に話すのを聞きながらアンに小さく耳打ちをする。
「アン、俺が囮になる。どうかその隙に全速力で逃げてくれ。」
俺の言葉を聞いて、アンはこの手をきゅっと強く握った。
「いや……っ!そんなことしたらユウキが死んじゃう……!それなら私が大人しく心臓を差し出すよ……っ」
ここで、物語のヒーローならば即答していたはずだった。
「それは絶対にダメだ」って。
でも俺はすぐに答えられなかった。
もちろんアンを死なせるわけにはいかない。
だが、頭によぎったんだ。
俺は知っている。命を残された側の気持ちを。
自分が犠牲になればよかったとの思考を。
だから俺は迷い続ける。
「……大丈夫。俺は『トラベラー』だ。きっと死んでも復活できる。だから……!……頼む。行ってくれ」
もう奴らとの距離は少ししかない。
完全に捕まったらもう希望がない。今が最後のチャンスだろう。出口はあと少し。
この先の行動はアンの、選択に委ねた。
「──それでも、それでも嫌。私は、ユウキが死んじゃう姿を見たくない!」
………そうか。
それならば、ただ囮になって死を待つのをやめよう。
楽になる選択肢を捨てよう。
両方生き残る。その未来を掴むためにこの子と共に立ち向かうんだ。二人で生きれる道を探すんだ。
やってみれば、案外彼らと戦えるかもしれない。アンが無事でいられるかもしれない。
嗚呼、神でもなんでもいい。俺に助けられる力をくれ。
「随分とそいつと仲がいいんだな。お前を殺してから【白狐】をいただく。」
彼は大きく剣を振りかぶりながら、走り出す。
致命傷を受けることを予感した。
それでも避けてはダメだ。後ろにはアンがいる。
ならば、刃を受け止めろ。反撃のチャンスはきっとくる。
そして、剣が力強く振り下ろされる。
訪れる痛みを予測してそれに堪えられるように目を瞑っていた。
だが、いつまで経ってもその痛みはこなかった。
目を開けると、そこには大きな、赤い熊が立っていた。
「──待たせたな。かっこいいぜ、ユウキ。」
彼は、アルスはその刃を腕で受け止めていた。その腕には、傷ひとつついていない。
「アルス!」「お父さん!!」
アルスは生きていた。俺たちを死の寸前で助けてくれた。その奇跡に、彼の名前を呼ばずにはいられなかった。
「……!?その傷、お前まさか!?」
その人間は、あまりの状況に困惑しているように見えた。
「【人間】が。俺の娘と、ダチに手出すんじゃ……ねぇよッ!!」
剣を受け止めながら、アルスはその屈強な右足でその人間の腹を思いっきり蹴り飛ばす。その威力は想像以上で、人間を二十メートル以上飛ばし、いまだ燃えている民家に激突させ、騒音と共に大きな穴を開ける。
アルスは続いて、俺たちの後ろからずっとそれを見ていたもう一人の人間を睨みつける。
「お前は『緋傷』!?……その傷、本物だ!十年前に闘技場で死んだんじゃねぇのかよ!」
「昔の話をすんじゃねえ。……それと、いろいろあるが……。てめぇら俺たちの町に火ィつけてんじゃねぇよ!」
彼は今度はその右手で相手の腹に全力のストレート。その手の速さも、人間の吹っ飛ぶ速さも目に追えないスピードだった。粒に見えるほど、この町の奥まで飛んだ人間は、もはやその安否を確認できる距離にはいない。
「……お、お父さん!お父さん!!」
敵もいなくなったこの状況でアンは真っ先にアルスの元へ走って抱きついた。俺もそれに続いて自然と歩き出す。
「おうおうアン!心配かけてごめんなぁ、大丈夫だったか?」
「……うんっ!あのね!ユウキがいっぱい守ってくれたの!」
そう言ってアンは俺を指差した。守ってくれた、そう言ってくれたが、俺はアルスが来なかったら結局何も果たせないままだった。それは否定もできない事実で、不甲斐なさで彼らの顔をよく見ることができない。
「そうかそうか。……ほら、ユウキ、おめぇもこっちこい」
手招きされるがまま、アンが抱きつくアルスのすぐそばまで来る。
何をされるかと警戒していれば、彼は空いたその左手で、俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「……!ちょっと、アルス?」
「まぁまぁ照れんなユウキ。……アンを庇ってる姿、走りながら見えたぜ。駆けつけるのが遅くなってごめんな。でも、お前のおかげで間に合った。アンを守ってくれてありがとな」
アルスはとても大きな人物だった。
俺は、その大きな手で頭をワシワシと撫でられながら、こんな人になりたい、そう思った。
強いね、アルス。




