第4話「教科書一冊分の距離」
とある日の五時間目、日本史。
青藤七星は、机の中をのぞいて、固まった。
(……ない)
もう一度、カバンを探る。
それでも――ない。
(……うそだろ)
心臓が、どくんと鳴った。
日本史の教科書。
よりによって、今日に限って。
しかも。
(今日、あの先生じゃん……)
厳しいことで有名な、日本史担当の鬼橋先生。
忘れ物には容赦しない。
青藤七星は、そっと前を見た。
すでに先生は、教卓に立っている。
逃げ道は、ない。
(終わった……)
⸻
「じゃあ、教科書出して」
鬼橋先生の低い声が響く。
教室中で、一斉に紙の音が鳴った。
青藤七星だけが、動けない。
背中に、じわっと汗がにじむ。
(どうする……誰かに借りる?)
でも、席はよりによって一番前。
しかも授業はもう始まっている。
(今さら動いたら、目立つ……)
そのとき。
斜め後ろの席から、手が伸びてきた。
青藤七星は肘をつつかれ反射的に顔を向ける。
そこには、柳裏葉がシーというポーズで教科書を差し出していた。
(……え)
(いや、無理だろ)
青藤七星は、首を小さく振って、手で×を作った。
(大丈夫、平気)
そのつもりだった。
でも。
柳裏葉は、気にしていなかった。というか通じてなかった。
早く、と言わんばかりにひらひらと教科書を揺らす。
青藤七星は受け取るしか無かった。
⸻
授業中。
青藤七星は、まったく集中できなかった。
ノートを取りながらも、意識は別のところにある。
(落としたらどうしよう)
(先生にバレたら……柳も怒られる)
(ていうか、なんであんな迷いなく……)
ちらっと後ろを見る。
柳裏葉は、何事もなかったみたいに板書している。
(……強すぎだろ)
自然すぎる。
当たり前みたいに、誰かを助ける。
その姿が、やけに眩しかった。
⸻
チャイムが鳴った。
青藤七星は、内心でガッツポーズした。
(終わった……)
教科書を渡しながらそっと声をかける。
「……柳」
友人だという花葉玲奈と話していた柳裏葉が振り向く。
「なに?」
「ありがとう」
「いいよー、気にしないで」
あっさり。
本当に、あっさり。
「……ていうか」
青藤七星は、少し迷ってから聞いた。
「良くバレなかったな」
柳裏葉は、少し考えてから答えた。
「偶然っしょ。まーバレたらバレたで忘れましたーっていうだけだし」
「……そんな簡単に?」
(……いやいや…それはそれで柳も困るだろ…)
よくわからない感情。
でも。
確実に、前よりも、意識している。
「……柳ってさ」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
言葉は、飲み込んだ。
まだ、名前をつけるには早すぎる。
でも。
教科書一冊分の出来事は、
確かに、青藤七星の心に、深く残っていた。




