第1話「九月のはじまりと、名前の話」
九月に入っても、暑さはまだ夏みたいだった。
朝の教室は、エアコンが効くまでむわっとしていて、
制服の襟元に汗がにじむ。
「……まだ夏休み終わった感じしないよね」
私はそうつぶやきながら、うちわ代わりにノートをあおいだ。
「わかる。九月なのに残暑って反則」
前の席に座る友達、二藍 すみれがうなずく。
夏休み明け。
二学期のはじまり。
でも気分は、まだちょっとだけ、夏休みの続きみたいだった。
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HRの終わり、担任の先生が入ってきて黒板に大きく書いた。
【後期委員会決め】
「静かにしろー。今日決めるからなー」
教室に、軽いため息が広がる。
委員会。
正直、面倒くさいと思う人も多いはずだ。
でも私は、そこまで嫌いじゃなかった。
誰かの役に立てるのって、嫌いじゃないし。
「裏葉、また図書委員?」
友達が聞いてくる。
「うん、そのつもり」
私は迷わずうなずいた。
本が好きだし、静かな場所《ところ》も落ち着く。
それに――
将来、保育士になりたい私にとって、
本と関われる場所は、どこか安心できた。
⸻
結果、私は希望通り、図書委員になった。
そして放課後。
委員会メンバーは、指定された空き教室に集まることになった。
「えーっと……ここだよね」
元 生徒会室。
中に入ると、すでに何人か座っていて――
窓際の席に、ひとりで座っている男の子が目に入った。
黒髪で、少し長めの前髪。
机に肘をついて、ぼんやり外を眺めている。
……あ。
同じクラスの、青藤七星くん。
話したことは、ほとんどない。
でも、名前と顔は知っている。
どこかつかみどころがなくて、
いつもマイペースな人、っていう印象。
(……空いてるし、隣いいかな)
私は軽く息を吸って、彼の隣の席に座った。
椅子が小さく音を立てる。
その瞬間、青藤七星がちらっとこちらを見た。
「……あ」
「あ、ごめん。うるさかった?」
「いや、全然」
そう言って、ふっと小さく笑う。
……なんだか、涼しげな人だな。
暑いのに。
⸻
しばらくして、全員が揃い、自己紹介をする流れになった。
順番に名前を言っていく。
「柳 裏葉です。よろしくお願いします」
私の番が終わって、次。
「……青藤 七星です」
低すぎず、高すぎない声。
どこか淡々としていた。
私は、思わずそちらを見る。
(ななせ……どういう字を書くんだろう……)
改めて聞くと、ちょっと不思議な名前。
可愛い響きだけど、男の子。
でも、なんとなく――
きれいだな、と思った。
委員会の説明が終わり、解散になったあと。
みんなが帰り支度を始める中、
私は、なぜかそのまま席を立てずにいた。
そして、気づけば――
「ねえ、青藤くん」
自分でも驚くくらい、自然に声が出ていた。
「ん?」
青藤七星が、少しだけ首をかしげる。
「……ななせってさ、どんな漢字書くの?」
「七つの、星」
「へえ……響きは可愛いけど、七つの星ってあれだよね。北斗七星。道標みたいで、かっこいい名前。」
一瞬。
青藤七星の動きが止まった。
まばたきもせず、柳裏葉を見ている。
「……え」
「あ、ごめん、変だった?」
慌てて付け足す。
「……いや」
青藤七星は、少し視線をそらしてから、ぽつりと言った。
「……そんなふうに言われたの、初めて」
「え?」
「俺、自分の名前……あんまり好きじゃなかったから」
意外だった。
こんなにきれいな名前なのに。
「そうなの?」
「うん。女の子みたいって、よく言われるし」
柳裏葉は思わず首を振った。
「そんなことないよ。すごく素敵だと思う」
すると――
青藤七星は、小さく笑った。
さっきより、ずっとやわらかく。
「……ありがとう」
その笑顔を見たとき。
柳裏葉の胸の奥が、ほんの少しだけ、あたたかくなった。
このときは、まだ知らなかった。
この何気ない会話が、
彼の心に、静かに残り続けることを。
そして、
私たちの恋の始まりになることを。




