裏の顔
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う~ん、どうもいまいちだなあ。
いやあ、課題の絵の下書きをしているんですけれど、どうにもピリッとこないんですよ。まだよくできるんじゃないか、と心というかスピリットが訴えてくるんですよね。
やっぱり描き直すかなあ……でも、三度目だしなあ……。
――誰かに出すものなら、自己満足より期日を守った方がいい?
やれやれ、今日の先輩はド正論モードのようですね。ときどき、ダブルスタンダードとか通り越して、先輩の頭の中には何人も人が住んでいるような気がしちゃいますよ。ま、モノを作っていると一人で何人も生み出さなきゃいけないし、そうなるのも自然ですかね。
ときどき登場人物と作者を同一視する方とかいますけど、あくまでエンタメのための仮面。異常者を描いた人が異常者とは限らないものです。舞台を降りた後も役者を押し付けられるなんてたまりません。
世界も同じようなもの。私たちが生きているこの世界も、うまいことなじめた世界の一面に過ぎません。ひょいと仮面が「ずれて」見えてしまった面が、いまこうして不可解な話の数々にまじって、伝わっているのかもですね。
うーん、ちょっと休憩はさみがてら、話でもしましょうか。うちのいとこから聞いたことなんですけれどね。
いとこが小さかったころ、住んでいた家の洋間には絨毯が敷かれていたようです。
迷彩色で一面が彩られていたらしく、はじめて見る人は驚くだろうと話していましたね。
考えてみてください、あのジャングルさながらの色が床一面に広がっているんですよ? 私にとっては視覚の暴力のようなもので、部屋にいる間はずっとそわそわしちゃいそうです。
いとこは生まれてからずっと付き合っているものですから、すりこまれているらしく、そのことがごく自然なものに受け取れていたそうですね。
しかし、友達の家へ遊びに行く機会が増え、およそでの絨毯を見ていくうち、自分の家のような柄は見かけないことに気付きました。少なくとも、いとこが動ける範囲内では、ですが。
友達の家々では、似たような柄の絨毯を見かけることはありました。それがどうして我が家だけが個性を放っているのか。
素朴な疑問をいとこは、おじさんたちにぶつけたところ、こう返されたとか。
「あの部屋は、あの絨毯を敷くことそのものに意味があるんだ。そういうことにしておきなさい。もしも汚れや傷みなどに気づいたらすぐしらせなさい」
とのことだったとか。
いとこもはじめはそういうものかと思ったし、両親の大事なものかもとも考え、そのまま深くは突っ込まなかったらしいのですが。
問題は、そこからいくらか経った留守番の日にやってきました。
ひとりで留守番となると電話やお客が恐怖だったりしますが、このときは居留守を使うことが許されまして。まあ、気が楽だったわけです。
とはいえ昼間のテレビなどに興味を惹くチャンネルなどはなく、いとこの家にひとりで時間を潰せる娯楽も多くなく。例の絨毯が敷いてある部屋で本を読んでいたそうです。
ソファに腰かけ、テーブルにはミネラルウォーター。色がついている飲み物だと、こぼしたときに厄介なことになるのは目に見えています。
その点、水ならばたいしたことはないだろう……そういとこは踏んでいました。
飲むときにはこぼさないよう気をつけていましたが、問題は氷をコップに入れていたということ。
結露です。
コップの表面は湿り気を帯び、少し時間を置いてから再びコップを持ち上げるや、その底からぽたりと一滴。絨毯に垂れ落ちる水滴があったんです。
いとこも、落ちたそれにすぐ気づき、そばに置いていたタオルをすぐさま被せて拭こうとしたのですが、すぐ異変を感じ取りました。
臭い、です。
湿った土がかもす独特の香りが、鼻をつきました。そこへほどなく絡みつくのは、植物の放つ緑の香り……。
――あ、これまずいやつ。
いとこがそう思って、ソファから立ち上がるのと、垂らしたところからタオルを突き破り腕が一本飛び出してきたのは、ほぼ同時だったとか。
人間のものじゃありません。猫を思わせる三又で、その先にはナタを思わせる長い爪が飛び出ていました。
もう一秒、いやもう一瞬、飛びのくのが遅れれば、いとこの足は深々と斬られていたでしょう。かわされた爪の一撃はかわりにソファをえぐり、中の綿を舞わせます。
いとこは部屋を飛び出し、ドアを背中で閉めてから、おじさんたちが戻ってくるまでその場を動けずにいたそうです。
無理ないと思いますよ。ちょっとでもその場から離れたら、その間に何が起こってしまうか……私でも同じだったでしょう。
そしておじさんたちは帰ってくるや、いとこの様子から事情を察したらしく、その場をおじさんひとりが引き受け、いとこはおばさんと別室に待機。
その間、100分ほど。例の部屋からは獣のうなり声がとぎれとぎれに響いてきましたが、それがやがて聞こえなくなります。
帰ってきたおじさんは、身体こそ傷はありませんでしたが、服はズタボロでした。それはまさに、あの爪の生えた腕を相手にしたと思しきものと、いとこには見えました。
「どうやら、まだおさまっていなかったらしい……しばらく封印だな」
疲れた口調でいうおじさんは、心配げないとこを見下ろします。
「そう不安そうにするな。どうにかこの程度で済んだんだ。が、貯金を払ってしまったようなものだから、あそこを使うのはもう禁止だ。『世界の裏側』の一部だからな。やはり触れんほうがいいだろう」