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She

 空の色が濃くなっていく。日が暮れてきた。

 昼過ぎまで降っていた雨が上がって花火大会は無事に開催される。

 朝陽と久しぶりに明るいうちに顔を合わせ、外を歩く。何となくふたりは黙っていた。

 浴衣姿のまど香はゆっくりと歩く。袖の白椿が揺れる。

 朝陽は、まど香の結い上げた髪で小さく揺れる小さな鈴の飾りと、白い首筋ばかり見ていた。

 薄暗い空には星が現れ始めている。

 人が増えて、屋台の前の混雑を歩くうちに、距離は自然と近づいて、肩が触れた。まど香はそっと朝陽の後ろに下がって歩く。

 去年なら手を繋いでいたのに、何故か今年はできなかった。


「なにか食べる?」


 振り返って朝陽が聞くと、まど香は首を振る。会話が続かない。苛立ちを飲み込んで、そのままただ人波を歩いていた。

 学生たちの集団がはしゃいでいる。子ども連れの家族が笑っている。そんなざわめきに押されるように朝陽の歩く速度が少しずつ早くなる。まるで焦っているのを隠すみたいに。


 花火の見物席につくと、朝陽はレジャーシートを敷いた。キャンプ用だろうか。幾何学模様の厚手のレジャーシートは、今日のためにわざわざ買ったのだろう。


「有料席。安いところだけど、まあまあ広いね」

「そうだね」 

「暑いね」

「うん」

「今度はさ、テーマパーク一緒に行こうよ」

「うん、そうだね」


 まど香はぼんやりと答える。


「何かあったの? 今日元気ない」


 朝陽がたまらず訊ねた。


「そんなことない」

「つまらない?」

「だから、そんなことないって」


 否定するけれど、やっぱり答えが素っ気ない。


(でも、ここで逃げ出したくないんだ)


 会場では注意事項のアナウンスが流れ、いよいよ花火が始まるらしい。客席もざわき始めていた。

 朝陽はアナウンスを聞きながら昨日のことを思い出していた。

 実家に帰ったとき、弟に直接言ったのだ。

 ちゃんと彼女がいて、真面目に付き合っていること。瑠衣に負けないくらい美人だって自慢してやった。

 まど香にも、伝えなくてはならない。


「まど香」


 うつむいていたまど香が顔をあげる。  


「何?」

「花火好き?」

「どうかな」


 曖昧な答えだった。予想していた答えとは違ったけど、朝陽は構わず続ける。


「俺は好き」


 朝陽の子どもみたいな笑顔につられて、まど香も微笑んだ。


「去年までは、好きだった」


 見上げると、空の色は夜の入口。雲の端が少しだけオレンジがかっている。


「派手なくせにすぐに跡形もなく消えちゃうから、好きだった」

「今年は?」


 まど香はまたうつむく。

 答えようとしない横顔がもどかしくて、何か言おうとしたとき。

 花火開始のアナウンスに歓声が上がり、質問ごとかき消してしまった。

 けたたましい音に連れられ、花火は夜空に散った。

 真っ赤な花火が上がる。

 まど香の頬も赤く染まった。


「まど香」


 次の花火が打ち上がる前に、伝えなくてはいけない。

 そっと触れたまど香の指先はひんやりと冷たかった。朝陽は大きな手で包み込んだ。


「俺たち、ちゃんと付き合おう。やっぱりまど香なんだよ」


 まど香がゆっくり朝陽の顔を見つめた。


「一年って長いのかも」


 雪世への嫌がらせのために声をかけ、自分と似ているこの人を、結局好きになってしまった。

 傷つきたくなくてずっと言い聞かせていた。

付き合ってなんかいない。ただ傷を慰め合うだけ。昼間猫を被っている分、毒を吐き合ってストレス発散をしていただけ。

 でも、そんな日々が朝陽をかけがえのない人にしてしまった。


「変わってしまったみたい」


 前のまど香なら、雪世の家に泊まった朝陽を許せたかもしれない。 

 許せなくても、捨ててやればよかった。

 こんなに胸が苦しくなんてならなかった。

 サルビア色の花火が空に咲いた。

 失いたくなかった。

 それなのに、もう雪世は離れてしまった。


「まど香となら先に進めると思うんだ」


 朝陽の言葉のあとに、また花火の音が鳴り響いた。それに紛れて、まど香は立ち上がり、微笑んだ。


「ありがとう」

「じゃあ、一緒に」

「ううん。私はここにはいられない」


 花火と朝陽に背を向けて歩き出した。花火を見ることもなく歩くまど香を、朝陽は慌てて追いかける。


「俺はもうまど香に決めたんだよ」


 投げかけられた言葉はまど香を引き止めなかった。


「わたしも決めたの」


 強かな雪世。

 愚かな朝陽。

 踊らされた自分。


「ふらふら遊んで、いたずらに人を傷つけて、二人揃ってバチが当たったんだよ」


 まど香は、雪世を傷つけたいからという最低な理由で始めた。

 朝陽は、雪世と付き合いながらまど香に本気の彼女になってくれなんて頼んでいる。

 雪世にちゃんと別れも告げずに。 

 


「違う道を歩きたい。朝陽とだと駄目なんだよ。繰り返しちゃう」 


 まど香は空を埋め尽くす金色の花火を見上げた。


「そんなことない」


 朝陽はかすれた声で言っても、もう遅い。


「初恋の女の言葉に躍らされて、彼女を選別する男なんて狙い下げです」


 もう赤い花火は上がらない。

 まだ夏の始まったばかりなのに。甘い恋は花火と一緒に消えた。

 再び歩き始めると、もう朝陽は追ってこなかった。


(ここまでか)


 不思議とすっきりしていた。ちょっときれいすぎる別れに苦笑いが浮かぶ。それでも胸の痛みはしばらく続きそうだから、今夜くらい感傷に浸っていようと思ったその時、不意に肩を叩かれた。


「こんばんは」


 振り返ると、しばらくの間立ち尽くす。


「ーーなんでですか」


 まど香は自分の肩を叩いたその人の顔を激しく見つめいた。


「何でここにいるんですか、課長」




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