花火みたいな 3
駐車場でまど香が待っていた。
「送ってよ」
車の前に立つ私服のまど香は相変わらず綺麗だ。女の雪世でもちょっと見惚れてしまう。
「いいよ」
鍵を開けて、二人で車に乗り込んだ。
いつになく重たい空気だった。
「明日の花火だけど」
少し進んだところで、まど香から切り出す。ウインカーの音が鳴り止んで、
「先約がある」
はっきりと言った。誰との先約かは聞かなくてもわかった。
「そっか」
雪世は前を向いたまま答える。
「ごめん」
「いいよ。何となくわかってたから」
まど香がこちらを見た。
「何をわかってたの?」
気に障る言葉だったのだろう。運転中だから表情はわからないけれど、怒った気配というのは感じる。
「色々だよ」
「なんでそんな腹立つ言い方するの?」
今日のまど香は苛立ちを隠さない。
「知ってるって何? 思わせぶりなこと言わないで」
「ーーごめん」
いつもどおり謝る雪世に、更に怒りを重ねていく。
「だからっ……」
なにか言いかけたまど香を遮り、今度は雪世が切り出した。
「朝陽のことだよ」
前を見たまま、雪世は話を続ける。
「朝陽、去年の一日目は浅井さんと花火を観ていたらしい。でも今年は違うんだって。どうしたんだろうね」
「何言ってんの?」
「昨日、私の家に泊まった時、指輪を持っていたの。明日は朝陽と会うんだよね。きっとその時まど香に渡すんだと思っている」
赤信号だ。ブレーキを踏む足は汗ばんでいる。大きく深呼吸しても胸の動悸はどうにもならない。
「ケジメをつけるつもりなんだよ、朝陽」
まど香は黙っていた。少し震えていたかもしれない。
それから笑った。何かを誤魔化すようで、それでいて乾いた笑い声だった。
「なにそれ。朝陽が昨日泊まったの? 雪世の家に? 雪世って朝陽と付き合ってたの?」
「わからない」
本当は付き合っていたと言いたかったが、もうわからない。それに、まど香には言わないと決めていたのだ。
「でも、泊めたんでしょ?」
「うん。わたしの好意を知って、そんなことになった。それだけ」
「朝陽が浅井さんとか、わたしとかと会っていること知ってて?」
「うん」
「怖っ」
信号が青になった。車は走り出す。
「怖くていいよ」
まど香にはわからないと思ったのだ。
人に好かれたことがある人にはわからない。
浅井さんはああいうけれど、次があるなんて雪世には信じられなかった。
「黙っていたほうが良かった? 知りたくなかった?」
隣でまど香がシートベルトをしたままうずくまる。
「怒るよね」
まど香が顔をあげる。
「ううん」
ゆっくりと首を振った。
「何となく、わかっていた」
まど香も別に気にしないふりをしていた。お互い恋に本気にはなれないと知っているから、平気で他の女にも手を出している。そんな気配はあった。でも、わからないふりをしていた。去年までは。
今年になって、朝陽は少しずつ変わったのだ。
まど香を避けたり、そうかと思ったら水曜日以外も会おうと言ったり。
まど香は朝陽の変化に戸惑っていた。
胸の痛みも無視できなくなっていた。
(どうしてだろう)
黙り込むまど香の横顔をちらりと観て、雪世はこのとき気づいた。
二股を責めたり、まど香に教えて、別れてほしいと頼むことだってできた。そこまでやらなくても、何となくアピールすることで二人の間に波風を立てることもできた。どうにでもできたはずだ。計算高いやり方も、直球勝負も。
それなのに、朝陽が雪世とも付き合っていることを隠してきたのは、朝陽を失いたくないからだけじゃない。
(ああ)
雪世は小さく笑う。
(まど香に嫌われたくなかったからだ)
居心地がよかったんだ。ちょっと毒舌なくせに、繊細なまど香の存在が。
もう少し早く気づきたかった。
「でもさ。朝陽は最近、まど香にしか会っていないと思う。昨日泊まりに来たのは、わたしは違うって確かめるためだったんだろうね」
ついには別れを言い出さなかったけど。雪世は保険にされていることに気づいていた。
もし、まど香に断られたときのための保険。ズルい。
今まではそれでもよかった。
時はただでは過ぎてはいかなかった。少しずつ雪世を変えて、欲張りにしたのかもしれなかった。
「わたしは仕事を辞めて、やってみたかったことに挑戦する。この仕事をして少しだけ自信もついたから」
ちゃんとまど香には話したい。そんな思いがこみ上げて、胸が熱い。
「わたし、まど香のこと好きだった。わたしのこと嫌いなくせに、今日みたいにかばっちゃうところとか。影で好き勝手言ってるくせに私の前では良い人ぶる人より、まど香のほうが信用できるの」
雪世は駅前のロータリーをくるりと回り、いつもまど香を送る時停めている場所に、いつもどおり停めた。
「駅だよ」
そう言って助手席を見て、今度は雪世が黙ってしまった。
まど香は泣いていたのだ。しかもぐしゃぐしゃの大泣きだった。
「どうして泣くの?」
「知らないよ」
鞄からタオルを取り出し、まど香は顔を拭いた。
ハザードランプの音が車の中でうるさい。
「明日からどんな顔で会えばいいの?」
「いつもどおりの営業スマイルでいいよ。来月末にはいなくなるから」
「やだよ」
またタオルに顔をうずめる。
「やっと先に進めるよ。朝陽はまど香を選んだんだから」
まど香は顔を上げた。
「答えは決まっていたの。雪世が教えてくれなくても」
雪世はうなずくと、助手席のシートベルトを外す。
まど香はタオルをしまった。
「じゃあね」
車を降りると、まど香がドアを閉めた。その音はーー怒っていない音だ。振り向かずにまど香は駅へ吸い込まれていく。
ポツポツと雨が降ってきた。フロントガラスに水玉模様を作る。
雪世は逃げるように発車した。
まど香の後ろ姿を最後まで見送ったら、雪世も泣いてしまいそうだった。




