花火みたいな 2
遠くで花火が打ち上がる音を聞きながら、雪世は事務所から離れたところにある駐車場に車を戻していた。そういえば去年も同じことをしていた。朝陽との浴衣デートを夢見ながら。
一年も経てば、色々変化する。
仕事を一人で任されることが多くなったし、後輩もできた。
変化したからこその悩みもあった。
仕事が終わったら給油をして車を配送車専用の駐車場に戻さなければいけないのだけど、後輩は事務所の前の駐車場にそのままにして、忘れて帰ってしまうことが多い。雪世はそれを注意できない。
結局、全て雪世が戻している。
そのままにしていると、配送車以外の車が停められなくなって他の社員が困ってしまうから。
(舐められているんだろうな)
浅井さんならちゃんと注意する。注意するのも仕事のうちなのに。
戻し終えた車のエンジンを切ると、急に体が重く感じた。すごく疲れていた。
浅井さんの代わりに明日も出勤だ。疲れてもいられない。
(今頃、花火大会を観ているのかな)
そう思ったとき、電話がかかってきた。画面には浅井さんの文字。
「浅井さん?」
驚いて出ると、
「雪世ちゃん、やっぱり明日出る。無理言ってごめんね」
また突然だった。
「いいですよ。明日も出ます。全然大丈夫です」
「いいから。振り回してごめん。明日はキッチリ私が出る」
そう言ったら、急に黙ってしまった。
「浅井さん?」
何だか様子が変だ。
「浅井さん、大丈夫ですか?」
「うん、あのさ」
取り直して喋りだした浅井さんの声は少し揺れていた。
「私、結婚するんだ」
「えっ!」
雪世は目眩を覚えて顔を覆う。足元がふらついている。予想外のことに平衡感覚がおかしくなっている。
「朝陽とですか?」
唸るように聞いていた。
樋口さんと呼ぶのも忘れて。
電話の向こうで大きな笑い声が響いた。
「なんで朝陽なの。そんなわけないでしょ」
「え、でも」
「後藤さんだよ、後藤主任。後藤さんの家族に挨拶に行くから土日の休みを代わってもらったの。でも、後藤さんに仕事が入ったから、急遽今日中に帰ることになったわけよ」
雪世の先輩でもあり、現場のリーダーのような人だった。
「お、おめでとうございます」
お祝いの言葉が自然とこぼれ、浅井さんもありがとうと答える。
「雪世ちゃん。もしかして、まだ朝陽と付き合っているの?」
「えっ?」
雪世は答えられなかった。
まだってどういうことだろう。何故知っているのだろう。それを訊ねる前に、雪世自身朝陽と付き合っているのかどうか。もうわからなくなっていた。
「ちょっといい感じになったことはあったけどね。まあ、こっちからお断りしてやったよ。どう考えても二番手か三番手扱いだったから。そんなやつにすがりたくなかったのよね。三十路の浅井さんは、その辺りのダメな恋愛は経験済みだから、早々に手を引きました」
ダメな恋愛という言葉が胸の真ん中に引っかかった。
「自分のことをちゃんと大切にするんだよ。雪世ちゃんはいい女なんだから。羨ましいくらいなんだよ? 気づいてね」
雪世は大人になった気でいたかもしれない。
朝陽との秘密の関係を鼻にかけ、どこかで人を侮っていたのだ。
ーー事務の皆さんも知らないと思うけど、わたし、朝陽と恋人なの。わたしのこと下に見ているけど、みんなの憧れの朝陽とそういう仲なのーー
そんな中身のない思い上がりを大事に抱えていた。
でも、浅井さんは朝陽から早々に手を引き、カラカラと笑い、どこまでわかっているかわからないけど、生意気な後輩に優しい言葉を投げかける。
「じゃあね」
浅井さんが電話を切って、雪世はまたため息を吐き出した。更につきまとう疲れが更に重くなった気がした。
明日、急にポッカリと予定が空いてしまった。
(浅井さんと朝陽は終わっていたのか)
浅井さんは簡単に言うけれど、自分を大切にするってどういうことだろう。
答えが出ない雪世を笑うみたいに遠くでまた花火の音がした。
「うそっ!」
事務所へ向かう、ドアが空いているのか、一階の階段からすでに声がした。
「明日浅井さんが来るんですか!」
後輩の声だった。
仕事が終わって、事務所でおしゃべりしているのだ。階段をいく段か上がって、足を止める。
「随分驚くね。いやなの?」
課長の声が続く。
「それって課長の意見ですね? 浅井さんに言いますよ」
後輩と課長の笑い声。浅井さんの悪口に付き合うのは嫌だから、引き返そうとしたその時。
「じゃあ、雪世は休みですね?」
まど香の声がした。
「休みだよ。もともと雪世ちゃんの休みだったから」
「明日も雪世さんがよかったなぁ」
後輩が続いた。
(嫌われていなかったんだ)
ちょっと嬉しいと思ったとき、
「なんで雪世がいいんですか?」
まど香の鋭い声が響いた。
「めんどうな仕事を頼めるからでしょ? 浅井さんのいない日、雪世に色々押し付けてますよね。今まさに。給油しろって言われているのに車をそのままで会社前に置きっぱなしにして。スタンド行って、駐車場に戻すの、雪世が全部やってるんですよ。どういうことかわかってます?」
事務所が冷たく静まり返るのが外にいても伝わってくる。
「浅井さんがいる日は、みんなちゃんとやるくせに」
まど香は少し笑っているようにも聞こえた。
「本当に最低ですね。現場の人たち」
捨て台詞みたいにいう。いつもの営業スマイルはどうしたのだろう。
「浅井さんにはちゃんと告げ口しましたから、安心してください。いい大人なんだし自分の乗った車くらいちゃんと戻してくださいね。お疲れ様でした」
そう言い捨て、事務所からまど香は出てきた。
雪世に気づくと一瞬驚き、すぐさま睨んだ。
お前、盗み聞きしてたな、と、目ははっきりと語る。
そして、何事もなかったように黙って通り過ぎようとする。
「まど香」
雪世は呼び止めた。
まど香はやっぱり黙って睨みつけたので、思わず笑った。
「あのさ。わたし、仕事辞めるんだ」
まど香の目が零れ落ちそうなほど見開かれた。
「えっ!」
「課長以外の人に初めていうよ」
朝陽にも、浅井さんにも、他の仕事仲間にも言っていない。最初に言うのはまど香だと思っていた。
「明日、一緒に花火大会に行く?」
雪世を激しく見つめる。もう一言、何かが欲しいのかもしれない。
「それとも、誰かと約束した?」
わずかに動いた睫毛の向こうで、まど香の瞳はゆらりと潤んだ。
「とりあえず、鍵返してくるね」
まど香の視線を振り払い、雪世は事務所へ向かった。




