歴史part3 (1946年から1947年)
楽しんでね。
1945年1月1日ー東亞連邦は、次の枢軸国からの亡命者や戦犯を積極的に受け入れた。
以下、東亞連邦に受け入れられた国を紹介する。
・ナチスドイツ
・イタリア社会共和国
・ルーマニア鉄衛団
・ハンガリー国
・ヴィシーフランス
・ブルガリア国
・他のヨーロッパの枢軸国
これらの亡命してきた人数は、80万人にも上るという。
1946年1月6日ー東亞連邦政府は省庁の定員人数を公表。
それは次のとおりである。
通常指定省庁
・国土省 5000人
・建設省 5000人
・運輸省 5000人
・資源開発省 8000人
・農林水産省 1万人
・宮内省 2000人
・統合国防省 5万人
・大蔵省 5000人
・総務省 5000人
・法務省 5000人
・郵政省 1万人
・総合産業省 7000人
・金融庁 5000人
・厚生省 5000人
・労働省 5000人
・自治省 5000人
・文部省 8000人
・文化省 5000人
・国民増加推進並びに国民生活特別保護省 5万人
・外務省 8000人
・国民啓蒙宣伝省 8000人
・経済企画庁 5000人
・科学技術庁 5000人
・警察省 5万人
・消防省 5万人
・総合連邦省 2万人
・検察庁 5000人
・特許庁 5000人
・海上保安庁 5万人
・環境省 5000人
・気象省 5000人
・観光省 6000人
・人事院 6000人
・内閣院 7000人
・国家公安委員会 2万5000人
特定秘密指定省庁
・国家安全保障省(秘匿) 25万人
・情報諜報省(秘匿) 25万人
・核並びに兵器開発省(秘匿)10万人
・宇宙開発推進省(秘匿) 10万人
・技術開発及び保護省(秘匿) 10万人
・電子並びに無線及び電波攻撃対策防衛反撃省(秘匿) 35万人
・軍事施設及び秘密施設特別推進建設省(秘匿) 15万人
・国民特別指導監督省(秘匿) 15万人
・日本政府並びに日本列島監視指導省(秘匿) 75万人(秘匿)
・アメリカ合衆国監視指導省 20万人 (秘匿)
・ソ連邦監視指導省 20万人 (秘匿)
・連合国軍監視指導省 20万人 (秘匿)
・支那監視指導省 20万人 (秘匿)
・欧米支配下植民地現地勢力監視指導省 35万人(秘匿)
・特別軍事行動部隊並びに特別治安維持部隊統合管轄監視指導省(秘匿) 50万人
計430万人
これの特異な点は、通常の省庁の人員数は比較的普通の規模感であるというのに、秘匿省庁の人員数においては、385万人と人員数が桁違いに多いという点にある。
なぜ、これほどまでに特定秘密指定省庁の数が多いかは2つ理由がある。
一つ目は、東亞連邦自体が、いざという時の本土決戦や戦闘に向けて、兵器開発や宇宙開発はもちろんなのであるが、核開発や地下基地建設にも特別な思い入れがあったこと。
二つ目は、共産主義者などの東亞連邦に敵対的な国家勢力やその隠密者に対し、非常に異様な執着と憎悪を向けており、東亞連邦が、
「必ずこの者たちは根絶しなければならない。」
という信念を持っていたからだと言われている。
そして、東亞連邦が何より「殺したい」や「根絶させたい」と思ったのが、天皇へと仇なす者や〈日本〉を侮辱する者らであった。
その理由は、4つある。
一つ目は、「天皇陛下は、東亞連邦の中枢的存在または精神的安定存在である!」と、東亞連邦の中枢部が考えていること。
二つ目は、「天皇陛下を扶けるために、東亞連邦が国家として成立しているのだ!」と、東亞連邦の中枢部が考えていること。
三つ目は、「日本(〈日本国〉とは別)は、東亞連邦国民や東亞連邦にとっての聖地または親的存在であり、それを破壊するのは、絶対に許されない!」と、考えていること。
四つ目は、「東亞連邦は、東亞連邦国民にとっての祖国にして愛すべき揺籠であり、偉大な天皇陛下と大日本帝国の遺産を受け継いでおり、我々が絶対に愛すべき陛下の国家である!」と、国民全体が考えていること。
この、4つの東亞連邦の考えが真の要因と言えるだろう。
1946年2月10日ー東亞連邦は「富国則人富」と題した人口増加政策を実施した。
また、「合計特殊出生率8.0」をできる限り維持する為の政策も並行して行った。
この政策らを行う目的には、2つの目的がある。
一つ目の目的としては、東亞連邦の人口を増やし東亞連邦の国力の強大さを示すため。
二つ目の目的としては、若者は国を支える宝という考え方があったため。
上記政策の主な内容としては、
・教育施設たる幼稚園の大規模造成
・子供1人あたりに毎月3万円支給
・子供5人以上の家族を対象として様々な優遇措置の施行。
・幼稚園・小学校・中学校の増設並びに高校の授業料無償化
・女性の社会進出を大幅抑制し、専業主婦になることを強く推奨するキャンペーン
この6つが挙げられる。
また、上記の諸政策を実施した結果、1946年12月31日までには、以下の成果が現れた
・幼稚園の施設数が、1万を突破。
・自然増加ー3180万人
・人口増加ペースの上昇
・普通出生率の上昇。
・女性における専業主婦の割合が、65.9%から92.6%まで上昇。
これにより、1946年12月31日時の人口は、
前年人口ー5億6000万
+自然増3180万
+亡命者20万
よって、1946年12月31日時の東亞連邦の人口は、5億9200万人となった。
1946年4月10日ー日本国は省庁制と人数が導入された。
内訳については、以下の通りとなった。
・厚労省 5000人
・労働省 5000人
・宮内庁 3000人
・公安庁 5000人
・商工省 6000人
・逓信省 5000人
・郵政省 4000人
・文部省 6000人
・大蔵省 4000人
・法務省 5000人
・外務省 7000人
・農業省 3000人
・水産省 3000人
・林業省 4000人
・運輸省 5000人
・自治省 4000人
・建設省 6000人
・防衛省 8000人
・情報省 20000人
総合計12万人となった。
省庁制も、この日から運営されることとなった。
日本国は、経済においても有効な経済政策も実施した。
1950年までには、数多くの新しい有名企業が生まれて経済規模第5位となった。
そして、第二次世界大戦後において最も早い復興を成し遂げた元枢軸国となった。
その理由は、
1ー原爆や東京大空襲・その他の数多の都市への空襲も一切なかったこと
2ー1の理由により、人口も減少するどころか増加していたこと。
3ー1の理由により、設備も破壊されていないこと。
4ー早期の戦後を迎えることができたこと
5ー経済統制が無かったため。
また、連合国による、
対東亞連邦
対中華人民共和国
を意識した大規模な金の投資と技術の導入が行われた為に、日本が戦後十年も満たないうちに、世界第5位の経済大国にのしあがることができたというわけだ。
そして、日本の人口も大幅に増加した。
前まで4000万人だった日本の人口は、2年間の半ば強制的な人口増加政策と経済発展による国民所得の増加によって、人口は4500万人となった。
さらには、
・合計特殊出生率が8.0を記録
・年間の出生数において世界5位以内を記録
という2つの点において、日本政府にとっては願っても得られない成果が出た。
さて、ここまで大規模な人口増加が、これほど短期間に成し遂げられた理由は3つある。
一つ目は、戦後の動乱期において、日本人3200万人が東亞連邦に移住した事により、日本国人口の大幅な人口減少が見られたことに際して、国全体の危機意識が高まった事。
二つ目は、連合国軍最高司令官総司令部と日本国政府がこの事態を国家存亡の危機と感じて、なりふり構わない非人道的な人口増加政策をとった事。
三つ目は、「防共の盾となるべき国が虚弱だとアメリカ国民にも危険が及んでしまう。」
と考えたヘンリー・ウォレス米大統領と連合国軍最高司令官マッカーサーが、追加で10〜20億ドル単位での大規模な資金を投入して、経済的支援を行うと共に、日本国の東條英機総理に対して、
「国民を2年間で500万人増加させよ。」
という指令を出したからこと。
1946年6月12日ー「人口増加に関する法律」を制定。
今後5年間で子供を五人より多く産んだ人には、
・特別な待遇
・優先的な食料配給
・支援金の贈与
などが与えられる。
ただし、流産・早産によって赤ちゃんが亡くなってしまった場合は、女性の気持ちに配慮し、この法律は無効とされ特別な待遇・メンタルヘルスケアが与えられる。
上記の法律によって、一時期は合計特殊出生率10.5を記録した。
この時ばかりは、世界最高の合計特殊出生率の国家となった。
そして、この政策は今も継続して行われており、現在の日本(2025年)の人口は2億4300万人を記録している。よって、いまだに人口は増加し続けている。
世界からは、「前近代的で人権を軽視した政策だ!」と批判をされるも変更するには至っていない。
1946年6月15日ー東亞連邦は、大規模な博覧会と軍事パレードと見本市を初開催。
この時の盛況ぶりは、とても凄かったとのこと。
しかも、東亞連邦が作った製品は革新的で新技術も使われていた。
さらに、日本人やドイツ人などが多数移住しているおかげで、品質も日本と同じくらいの高品質で比較的安価だった。
それにより、海外の投資家・実業家がこぞって購入。
博覧会においても、1ヶ月の間に国中や海外から2000万人もの観光客が来会。
売り上げに関しては、脅威の5兆円にも上った。
この時、海を超えた向こうの列島内では、恐怖が渦巻いていた。
日本国政府内では、東亞連邦に潜むスパイによって、全省庁のすべての人員が記録されたリストを入手した。
その内容には、驚きの声と不安と恐怖の声が混じる。
(ちなみに、東亞連邦は15の秘匿省庁を絶対に国内外へは公開してはいなかった。)
そのリストには、(国防の観点から秘匿)と書かれた省庁が10つもあった。
しかも、その10つの省庁の人員数が、430万人のうち385万人とほぼ全てを占めていた。
その中でも、
「日本政府並びに日本列島監視指導省(秘匿)ー75万人」
「特別軍事行動部隊並びに特別治安維持部隊統合管轄監視指導省(秘匿)ー50万人」
「核並びに兵器開発省(秘匿)ー10万人」
「電子並びに無線及び電波攻撃対策防衛反撃省(秘匿)ー35万人」
「情報諜報省(秘匿)ー25万人」
の5つは、日本国政府関係者に「ヤバいぞ。」という冷や汗をかかせたからである。
日本国政府は、
「この「特別軍事行動部隊並びに特別治安維持部隊統合管轄監視指導省」というのは、特殊部隊や日本国政府には知られていた大規模な動物及び薬品実験部隊の所属省であろう。
「電子並びに無線及び電波攻撃対策防衛反撃省」は、日本国政府や全世界各国からの放送をジャミングするのが目的であり無害。
「核並びに兵器開発省」に関しても、核開発とジェット機開発が今の主な目標であろう」
と考えた。
日本国政府も「ヤバい」とは感じたが、ここまではまだ良かった。
核技術に関しては、東亞連邦の先を一歩リードしていたから。
また、アメリカ製のジェット機を350機くらい貰って保有しているから。
しかも、「特省」と「電子省」は日本に対しての省ではなく、主に、対象としては東亞連邦国内の指導と監視のための省庁だったから。
問題であったのは2つある。
「日本監視省」が、明らかに前々に自分たちの動向を逐一大陸から監視していた「監視部隊」が巨大化し、より組織化された精鋭組織であること。
「情報省」も前々からスパイを送り込んできた「情報庁」の進化形であるということ。
この2つである。
しかも、その人員数は100万人。
明らかに桁違いであろう。
日本のスパイ組織である情報省の2万人とは、比べ物にもならない。
日本政府は、大変にこれを危険視して警戒した。
その報は、当時間接統治をしていたアメリカ合衆国並びにGHQ及び連合国軍(潜在敵のソ連と内戦中の中国は除く)にまで到達した。
そして、瞬く間にアメリカ政府内に広がった。
1946年8月30日ーアメリカ合衆国は、CIAとFBIの調査員を東亞連邦に送り込み、東亞連邦の内情を伺いながらも情報収集に勤しんだ。
また、東亞連邦の3つ諜報組織の規模及び能力やその脅威度を調べた。
ある日、一枚のレポートがおくられてきた。
「東亞連邦の諜報機関に関する報告書」
この1万ページにもなる膨大な報告書の内容は、大まかにまとめると次のとおりである。
・東亞連邦の諜報機関はとても成熟している。
・とてつもなく手強い。
・強大な力を東亞連邦内で有している。
・「日本監視省」の他には、
「アメリカ合衆国監視指導省」
「ソ連邦監視指導省」
「連合国軍監視指導省」
「支那監視指導省」
「欧米支配下植民地現地勢力監視指導省」
が明確に存在している。
また、それぞれに、
20万、20万、20万、20万、35万
の職員を有していること。
・日常的に、他国にスパイしていること。
・アメリカ合衆国・日本・ソ連邦・中華民国・連合国軍最高司令部の、高い地位についている可能性も確実視。
・彼らの当面の目的は、
1ー日本を正しい姿に戻すこと。
2ー聖戦完遂を実行させること
3ー天皇を日本国から拉致すること。
4ー日本が、東亞連邦を併合するようにすること。
・彼らの諜報員は、一般人に溶け込んでいる。
・彼らは、外国の諜報員を見かけた場合、拉致監禁や尋常ではない尋問若しくは人体実験を行うこと。
・その外国のスパイに対し、狂信的で苛烈な日本語教育及び日本化及び皇室崇拝教育及び天皇崇拝教育を、秘密施設で詰め込んで施して送り返すということ。
以上のことが、アメリカ・日本・連合国軍に知らされた。
「東亞連邦に諜報・策謀の面で関わる際は、特別な配慮と十分な審議を持って臨まれることを、強く推薦する。」
との文言が、各国首脳部に伝えられた。
1946年9月12日ー東亞連邦は、
「産業製品の国産化とニューインダストリアル(新産業)に対する補助及び商業の6カ年発展政策」
と銘打った政策を、施行開始。
今後5年間で、約80兆円を支出し、
・現行のすべての地下資源採取施設に対して。6年間で10兆円を支出し、設備投資を補助。
・新産業の電力産業・タングステン産業・カジノ産業に20兆円を支出し、成長を後押し。
・商業(第三次産業)に50兆円を支出し、徹底保護し、成長を後押し。
・法人税・住民税など諸々を下げて、企業の進出・起業や国民の活発な購買を後押し。
これらを達成するのが目標であった。
そして、これらの政策の強力な推進によって今後5年間で次のような効果があらわれた。
・資源産出量が約2.5倍に倍増。
・電力・タングステン・カジノ産業市場の巨大化と該当産業企業が約1.5倍に増加。
・商業がとても活発になり、起業数50万・進出企業25万社
・該当効果によって経済成長率が18.5%達成
・1955年(1952年の3年後)に世界経済規模第5位(この時日本の経済規模は3位)
・国民所得も約1万5000ドルから約3万5000ドルへと2倍以上の急成長を遂げた。
ただしこの政策により、渋滞や地下資源採取施設周辺における公害等の経済発展が起こるがゆえに必ず起こる様々な経済問題も発生し、政府は対応に勤しむこととなる。
世界各国は、「どっからその資金が出てるんだ?」と不思議がった。
1945年11月10日ー日本国は、次の法を制定した。
1ー「国家反逆罪」〈法定刑ー死刑のみ〉
2ー「諜報罪」〈法定刑ー死刑のみ〉
3ー「重要土地所有罪」〈法定刑ー死刑のみ〉
また、日本国は、次の法を改定した。
1ー死刑に値する「殺人罪」〈複数人殺害での死刑判決→1人殺害での死刑〉
2ー専属殺人罪の廃止
1945年11月11日ーあるイギリス新聞が取材を敢行。
以下はその内容である。
東亞連邦に潜むロシア帝国の血筋
1946年11月11日ーロンドン・ポスト記者 ジェームズ・ロッテンメイヤー
私は、ミステリアスな軍事国家である東亞連邦に秘密敢行取材をした。
この国は、1945年に1000万の造反した大陸日本軍によって建国された。
歴史においては、前身の満州国から数えても15年程度の歴史しかない。
しかし、文化は非常に複雑で重厚。
また、ユダヤ人の最大拠点地でもある。
この国は、白人とアジア人による移民国家である。
これまでに、約3億6500万人のヨーロッパ人移民を、歓迎して受け入れた。
よって、街中を眺めても日本人か漢人、あとは人口割合約60%を占めるヨーロッパ民族が目に映るとの特異な光景を見る。
さながら、アメリカ合衆国のようにも見えるわけのであるが。
と、まあいろいろと面白い国家なわけだ。
そして、私はハルピンに、今来ている。
ご覧のように、ハルピンは。ロシア人が大多数を占める街である。
ロシア人移民9500万人のうち2300万人が、ハルピンに居住している。
よって、ハルピン市におけるロシア人の割合は、90%とほぼ全員がロシア人である。
さて、この美しい街のハルピンにはこんな噂がある。
「ロマノフェヴァ財閥がこの街を牛耳っており、彼らに逆らうとこの都市では絶対に仕事ができなくなってしまう。」という噂が。
では「ロマノフェヴァ財閥」とは、一体何者であるか。
偶然において、祖国で訳された出版社不明・筆者不明のロマノフェヴァ財閥に関する詳細本があったので、読者と一緒に見ていこう。
内容を下に書き記す。
ロマノフヴァ財閥は、祖をロマノフ王朝に持つ。
ロシア内戦後にハルピンに移住した。
また、現地のユダヤ人と緊密な協力関係を結ぶことで、1918年にロマノフェヴァ・コングロマリット社を設立。
インフラ・鉄道・電力・建築・鉱業・農業などの20のいろいろな分野に進出した。
この拡大ぶりを見た、当時の関東軍と南満州鉄道から設備投資を受け、日本政府からは、10億円もの莫大な助成金も受けて、さらに拡大ぶりを顕著にした。
顧客のニーズに応えられ、柔軟な意見の取り入れを行うことができる等の時勢を的確に見極めれる天賦の商才を遺憾なく発揮し、20の分野のどの事業も発展させた。
わずか、20年弱で北満州地域の一大企業となった。
また、ゲオルギエヴィチ・ロマノフェヴァ自身もロシア帝国第一皇太子である。
なぜ、ロシア帝室がいまだに健在であるのかというと、以下に示す理由がある。
ロシア内戦時の末期において、ロシアで最後のスパイ中の明石元二郎大佐の取り計らいにより、ロシア帝室全員が、臨時編成された特別秘密列車に乗り込んだ。
結果として、誰一人として共産主義者やアナーキストどもに殺されることがなく、モスクワから無事にハルピンにシベリア鉄道を経由して到着した。
また、日本軍(関東軍)に匿ってもらい、ハルピンに居を構えたという経歴がある。
また現地のロシア人からは熱烈な愛をもってニコライ2世と共に君主として迎えられた。
事業を展開する時もロシア帝国皇族の肩書は権威が強く皆協力したという。
また旧、ロシア帝国皇族が運営していて北満州地域をインフラ・交通・教育・経済に至るまですべて支配している一大財閥とあってか北満州地域やロシア人コミュニティに対する影響力も段違いである。
北満州地域の住民は、誰も財閥一族には誰も逆らえなかった。
もし、逆らったらとてつもない不利益が家族に襲いかかるからである。
1941年に日本がアメリカとの戦争を開始すると、RCC(Romanofeva conglomerate Corp)はさらなる旧北満州地域並びに全土満州の開発に勤しむこととなった。
さらには、独自の軍隊・兵器を持つようにもなった。
さらに、各種産業への投資を加速させ企業の規模・人員を拡大した。
また、この時にはすでに満州の10ある財閥の一角をなすほど成長していた。
年商は2兆円にも上った。
社員数は75万人を超えていた。
大日本帝国の政治にまで影響力を及ぼしていた。
1943年ー大半の既存の産業の売り上げ順リストにはRCCの名前が入っているという状況の中において、東京で開かれた「大東亜産業発展計画大綱策定公聴委員会」にゲオルギエヴィチ・ロマノフェヴァ統帥が招かれた。
この場において、今の東條英機内閣は、ゲオルギエヴィチ統帥に対して、「満州国土強靭化」に心血を注ぐように進言。
日本政府から20億円規模の補助金が与えられ、実行に移した。
(後でソ連邦が攻めてきた時、侵攻するのに苦戦したのはこれのおかげだと言われている。)
1944年ー造反大陸日本軍(当時)が造反した時に、彼らも一緒に造反。
これには彼らの3つの考えが影響している。
一つ目は、ロシア帝室である我々は、戦争に負けてしまうと必ずソ連で処刑されるだろうと考えたから。
二つ目は、彼らは、自身を深く保護してくれた大日本帝国と気を遣ってくれた皇室を深く愛していて、連合国との停戦は、皇室を破壊すると考えたから。
三つ目は、自分たちを助けてくれた唯一の救世主の大日本帝国が落ちぶれると考えたから。
東亞連邦に改名した後においてでも、在東のすべての財閥は、東亞連邦と日本に対し狂信的に忠実であった。
(特にRCCは、連合国軍が日本を大改革している時に自らの軍隊を天皇陛下や皇族を救うために日本に向けようとしたぐらい忠実的であった。)
また、国家の庇護を受けてるからといって、中小企業を潰すような驕り昂る行為は絶対にしなかった。
なぜなら、「そんなことをするくらいなら、少しでも国のためになることをしよう。」と財閥・大企業同士の暗黙の了解があったからだ。
このルールは、世界的に見ても優しいがその代わりに奇妙である。
そして、全て(新興・老舗問わず)の東亞連邦の財閥や大企業は、このルールを今も守り続けている。
最後にRCCは、東亞連邦の積極的な経済政策と徹底的な保護制度によって安定した成長と安定を続けている。
これからどうなるのか見ていきたいものだ。
と列記したが、お分かりいただけただろうか。
さてと、実に実に長い話だった。
しかし、まさか旧ロシア帝国の皇族が財閥運営をしていたとは、驚きである。
さて紙面下に掲載してあるのが入手したRCCの旗である。
Romanofeva conglomerate corporationの旗
地味にかっこいいのはなんだろうか。
実に男のロマンをそそらせる旗である。
まるで、昔、ドイツへ家族旅行で行った際に見たナチスの旗のようなカッコ良さである。
ちなみに言っとくが、私はその当時17歳であるからな?
少年心にぐさっと刺さっただけであり、私のことをナチだとかほざくなよ。
さて、話題を変えて、次は「マリア・ロマノフェヴァ」である。
ゲオルギエヴィチがOTMAとアレクセイの兄であることはさっきの誌面で新聞にわざわざ書いていないだけで確認済みである。
しかし、実はゲオルギエヴィチの息子もアレクセイなのである。
旗の下部分にいるツァーリ・アレクセイと書かれたのがその証だ。
ゲオルギエヴィチは1946年6月15日にアレクセイにRCC財閥統帥の座を早期に譲位し、アレクセイは2代目RCC統帥となった。
そしてその財閥新統帥アレクセイには11人の子供(娘10人・息子1人)がいる。
もちろんRCCは男系重視なので統帥の座は息子に継がれることになり、統帥継承権も息子が第一位であるが、いざという時に長女にも統帥継承権第一位が付与されている。
この長女こそが「マリア・ロマノフェヴァ」誌面に書かれている情報を見ると、、、なるほどここにわかったことを列挙していく。
マリア・ロマノフェヴァ
父親
アレクセイ・ロマノフェヴァ
母親
アナスタシア・ザルテンゴーダブルグ
兄弟
下に10人の妹や弟がいる。
家柄
ロマノフ王朝
概要
彼女は年長者として帝王学や数多の学問を学んでいる。
恋愛をしたことや異性と喋ったことがない箱入り娘。
現在は、両親が買い与えてくれた新京の別荘で一人で暮らしている。
特技
ピアノ・バレエ・ヴァイオリン・裁縫・家事全般・バレー・ダンス・琴・マラソン・絵描き・ハープ・料理作り
身体的特徴
顔は幼くまるで天使で美少女である。
本当に可愛い。
既に高身長であるが、身長はいまだに伸びている。
発育が早く既に大人のロシア人にも負けないレベル。
また、典型的なモデル体型。
運動や頭脳面
頭脳は格段に出来が良い。
運動神経は格段に良い。
性格
優しく温和である。
とまあ、意外と普通な子である。
今どこに住んでいるかわからないため聞き込み調査をすることにした。
では、あそこの貴婦人に聞こう。
すみません。
ロシア人の女性「はい、なんでしょうか」
マリア・ロマノフェヴァちゃんってどこに住んでいるか知っていますか。
ロシア人の女性「ああ マリア・ロマノフェヴァちゃんね。
マリアちゃんは今新京の別荘に暮らしているらしいわよ。」
あ、ありがとうございます。
とまあここではなかったらしいていうかみんな優しかったな。
まあ、僕の外見がロシア人によく似ているから満州新聞の記者と思われたのだろう。
一回私がイギリス人だと知ったらどうなるのか聞いてみるか。
お嬢ちゃん今いいかい?
ドイツ人幼女「ja、なんでしょうか?」
年齢をお聞きしてもいいかな?
ドイツ人幼女「ich bin 12 jähre!」
あゝ12歳ね。
(ドイツ語は知っているのである。昔学んだからなぁ)
ドイツ人幼女「ええ、なんで分かったのー?おにいさん凄いねー」
あゝありがとう。
いやーそれにしても君はとても天使のように可愛らしいね。
ドイツ人幼女「ええやめてよっ、てれるじゃん。」
でも君、もし私がイギリス人だと知ったらどうする?
ドイツ人幼女「あなたイギリス人なの?
もしそうなら絶対許さないけど」
いやー、それはちょっと後で教えるかなー
ドイツ人幼女「今すぐ答えろ、答えないならここで殺しちゃうけど、てかもういいよね。殺しても ちょっとナイフ取り出すから待っててね!イギリス人なら仕方ないよね?」
Entschuldigung.
Ich bin Ägypter.
Töte mich bitte nicht.
ドイツ人幼女「あら、そうなのごめんなさいおにいさん。
連合国のひどい奴らじゃないなら全然いいわ」
あ、ありがとう。
ではこれで
ドイツ人幼女「うん。また会おうねー」
いやーびっくりした。
もう、これは自分の国籍を言うのは無理である。
怖すぎだ。
よしもう新京へ行こう。
チケットはもう一応買ってあるからいこう。
ー新京ー
よし、新京に着いた。
ここが、東亞連邦の首都か、こりゃ大都会である。
私の故郷であるロンドンは、これの遠くに及ばないであろう。
人口6500万人の大都市。
いやあ、蜃気楼のような都市だ。
中国に返還されればこの都市も蜃気楼のように破壊されるのであろうか。
さて言われた住所に行って「マリア・ロマノフェヴァ」に取材を挑もう。
よしここか、インターホンを鳴らそう。
(ピンポーン)
あれ出てこない。
(ピンポーン)
あれ?
もしや、中で死んでるんじゃないのか。
近くの日本軍の憲兵所へ行ってみるか、
あれ?
あの身長が女子にしては高い子がそれかな?
憲兵と話しているみたいだが。
あのーすみません。
excuse me?
「っはい!なんですか?」
あなたの名前をお聞かせくださいませんか?
「マリア・ロマノフェヴァです。」
ところで隣の日本人は誰ですか?
「俺は佐々木敏孝だ。一体誰であるか。」
私はイギリっけほけほエジプトの新聞社です。
マリア・ロマノフェヴァさんに取材をお願いしたくて。
佐々木「そう言う事であるか。
おい生意気な小娘。
行ってきてやったらどうだ?」
マリア「えぇーでも憲兵さんと一緒にいたい。」
佐々木「わかった。
私も着いていくから、、それならどうだ」
マリア「うーん憲兵さんがそう言うなら、、、」
ありがとうございます。ではどこで取材しましょうか?
マリア「わたしのいえでいいでしょー。
じゃあいこうー」
(とても警戒されているな。
まあロシア人は自分が心を許したものや愛している者にしか、柔らかい表情を見せないと言われているからな。)
(扉が閉まる。)
では、取材を受けてくれてどうもありがとう。
私が聞きたいのはいくつかあるが答えてはくれないか?
まず一つ目、ゲオルギエヴィチについてだ。
彼は旧ロシア帝国第一皇太子だが、ロシア内戦時には赤共(ソビエト共産党のこと。)から追跡を受けたと書いてあった。
あなたはその孫娘だ。
ソビエトユニオンについてどう思う。
マリア「大っ嫌いよ!
あの国家は出鱈目の国家なの。
本当は今からでもロシア帝国にもできるのよ?
私たちの家族は、全員が生き残って誰一人死んでいなく、この国で続いているしね。
ひいおじい様のニコライ2世陛下だって今もハルピンの郊外で余生を過ごしているのよ。
正当性は私たちの方にあるの。
それをあのすたーりんとか言う男は引き渡すよう東亞連邦に要求してきたのよ。
東亞軍の方の中に、私たちの境遇を気にかけてくれる人がいて拒絶してくれたけどね。
東亞軍に負けて150万平方キロメートルの土地を奪われたくせに生意気よっ!
お祖父様もロシア自治国では皇帝?なのにその皇帝陛下に対して、あのような無礼で無知な態度。
今でも絶対許せないわっ!!」
なるほど。
あなたは、ロマノフ朝の皇族であるわけですか。
では、次の質問です。
日本についてはどう思いますか。
これは、あなた方二人にお伺いする。
(用紙の都合上であるが、丸区切りで行きたいと思う。丸区切りはこの記事だけであると思うので、読者諸君には理解と配慮を強く求める!)
佐々木「日本は美しい祖国だ。
私は、東京府麹町の生まれなんで。
だから、よく浅草の繁華街まで、私の12人の親友と一緒に出かけて、一緒に祭りを楽しんだものだ。
また、私と親友たちは東京帝国大学に入学していたから、順風満帆な学生生活を送っていたんだよ。
しかし、今も総理の座にあって来年の12月らへんか?
任期満了で退陣する東條英機内閣が「学徒出陣」を発令し、私と学友は南方の蘭領インドネシアのJava島とサイパン島に派遣された。
java島ではインドネシア人によくされてもらえ、親友たちと馬鹿騒ぎをした。
とてもいい記憶だ。しかしその後のサイパン島の戦いを思うとお天道様が最後の楽をさせてくれたんだと思う。
それくらいサイパン島の戦いは苛烈を極めた。
今思うだけでも涙が、、すまん。
そして、私たちはJava島からサイパン島に転向し、転向した直後の1944年6月15日から7月1日までサイパン島の戦いが起きたのだが、私たち日本軍はたった4万3000人程度の兵力だった。そこに10万くらいのアメリカ軍が上陸してきた。
私たちは家族と故郷を守るためと思って奮戦した。
しかし、結果は大惨敗だったよ。
4万3000人のうち9割くらいが戦死した。
私の親友12人も、私をのぞいて全員死んだ。
12人のわたしの親友たちは全員、私に「応援してるから、俺たちの分まで頑張れよ。」といって亡くなったんだ。
彼らは私と同い年。
これから未来ある若者たちだった!
それなのに私は、、私がっ、!かれらをしなせて、生きながらえてきてしまった!
私がきちんと空にも監視の目をむけていたらっ!
かれらはしなずにすんだのにっ!」
(しばらくの泣き声)
佐々木「すまん、、取り乱した。
それで、日本軍のアメリカ船に偽装した秘密輸送船が来たものだから、てっきり次の戦場に行くのだと思った。
「次の戦場で突撃攻撃を敢行し、彼らの後に続こう。」
彼らの言葉を聞いた直後で、そんなことを彼らが望むはずがないのにそのようなアホなことを本気で思った。
船の指揮官が大本営から特別な放送があると言うので、そのラジオを聞いた。
そうして聞いていたら、日本と連合国軍が停戦という名の敗北宣言を受諾したっと言うラジオ放送だった。
俺は茫然自失となった。
「は?」と。
周りの生存者たちも船の指揮官もその様子で、皆、絶望の目をしていた。
だが、しばらく時間が経った後、私と指揮官、そして生存者たちは猛烈に怒りと憎悪に駆られた。
私のっ!12人の学友たちを奪って、彼らの夢を人生をも潰したのは!東條ら、貴様らの無茶な戦争のせいでは彼らは死んだのに、この頃に及んで何を抜かしているんだっ!っと。
この気持ちは今でも絶対に変わらない!
俺は連合国もめちゃくちゃ憎んでいる!
だが、あいつはもっと憎んでいるっ!
もしあいつがここにいたら、私はこのサーベルで滅多刺しにしている。絶対にだ!
っすまん。
それで指揮官もとてつもなく怒っており、皆手につけられようがなかった。
その2時間後くらいに満州国方面から放送が飛んできた。
内容は「修正カイロ宣言受諾に断固反対する!徹底抗戦せよ!この志を同じくする者よ!満州に集え!」だった。
私たちは一抹の希望と悲しさを感じ、全員で満州に向かった。
そして合流した。
ちなみにサイパン島の生存者は、全員がジャワ島や輸送船で過ごしている際にとても仲良くなり、亡くなった12人の学友たちともとても親しくなり、12人の学友たちと私と一緒に同じ釜の飯を食い寝床を共にした戦友たちだった。
彼らにその訃報を伝えると彼らは全員涙して、「守れんくてすまんかった。」と学友たちの死を悲しんでくれた。
こうして、今も私が自決せずにいられるのはその戦友たちと日本にいる家族が私を言葉や手紙などで励ましてくれたからなんだ。
そして満州について1週間ぐらいしてこの生意気な小娘と出会ってな。
生意気だがきちんと優しく可愛らしくてな。
私もこの子に癒されて、このようなかわいい子を守るために戦争で命を落とすなら、あいつらもゆるしてくれるだろうか。
あいつらも普通に日本で生活したかっただろうに、、、っっ!
(またしばらく咽び泣く声)
っまた恥ずかしいところを見せてしまった。
すまない。
私の夢は、もう一度サイパンに行ってあそこに骨として眠る学友たちの骨を日本に持ち帰ってやりたいことだ。
それが罪の人間である私が天国に行ける近道であろう。
そして、私がなんとしても人生を賭けて言いたいのは、戦争は何があっても、どれだけ動機が正しくても絶対に始めてはいけないという事。
なぜなら、それは両国の国民に大きな悲しみと深い禍根を与えて、憎悪を残すという事なのだから。
私より若い兵士もいた。
何が、嬉しくて。
花の青春時代に、戦争で人を殺すのか。
あぁ、本当にもうやめてくれ・・っっ!。」
マリア「大丈夫よ佐々木、泣かないでいいからね」
私も従軍していた時、ノルマンディー上陸作戦やヒュルトゲンの森での戦いなどに参加した。
とても辛かったという君と同じ気持ちだ。
しかし、とても辛かったのだがここで負けてはいけないと考え、イギリス人としての誇りを強くもって引き続き参加したのだ。
だから、君もここで負けてはいけない。
私は、27歳だが最後まで人生を有意義なものとして生きていきたいと思っている。
君は、まだたったの25歳なのだろう?
もっと、勇気を持ち自国を守ったという自信を持って生きてゆかねば!
どのようにして、君の友人たちに顔向けできるというのか!
・・これからは楽に生きろ。
私もたくさんの人を殺した。
なのに、英雄扱いされ戸惑っていたが、私と同じような境遇の人を見つけて救われたよ。
もう、君たちは気づいていると思うが、私は歴としたイギリス人だ。
君の好きなようにすれば良い。
佐々木【敬礼】
マリア「本当なら、ナイフを取り出してあなたを今すぐ殺しているところだわ。
だけど、憲兵さんは無駄な殺生は嫌がる。
それで、あなたは戦争で苦労して憲兵さんの苦労を和らげた人なのだから許すわ。
これが普通のイギリス人なら殺すけどね。
私は連合国が大嫌いで恨んでいるから。」
ああ、どうもありがとう、、
佐々木「君はイギリス人なのか、お互い苦労したな、、」
(意外であるが、イギリス人には好意的な佐々木やマリア・ロマノフェヴァだった。しかし、東條英機総理やアメリカについてはどう思っているのだろう。聞いてみたいと思う。)
ところでアメリカや東條英機については今のお二人はどう思っているのか。
マリア「今すぐにでも、破壊して、皆殺しにしてやりたいわ」
佐々木「どっちも我が怨敵だ!」
なるほど、、今回はどうもありがとう。
またしばらく時間が経ったら、またあなたたちを取材しに来ると思う。
だからその時もどうかよろしく。
彼ら「「わかった」」
これにて今回の新聞取材を終了することとする。
お読みくださり、ありがとうございました。