慈悲
アルベルト神父がクラウディオを呼び出した。作戦陣地のバラックに神父の司令部があり、キリストの磔刑像が通信機器のそばにかかっているのだが、その通信機からはひっきりなしに戦況を知らせる報告が入っていた。
「新しい任務ですか、神父さま?」
アルベルト神父はキャンペーン・デスクに肘を乗せ、椅子に深く腰掛けたまま、うなずいた。アルベルト神父はストイックな聖職者で、他人の不幸に快楽を見出すことを許さず、己が不幸に快楽を見出すことはもっと厳しく糾弾する性格で、妥協というものが苦手だった。その結果、彼の聖戦機構は壊滅の危機に瀕していた。彼は自身の組織を通じて、『門』を手に入れることで神の御心の為さろうとしていることを実現する手助けができると信じていた。だが、それも叶いそうになかった。つい先日、飲酒をした部下の神父をクラウディオに処刑させた際、他の神父たちが粛清を恐れて、アナーキスト系の組織に逃げ、寝返ったのだ。
アルベルト神父は自殺することにした。自殺することで自らの魂を地獄へ堕とし、『門』を手に入れられなかった自分を罰するのだ。
「お前はわたしの息子も同然だった。クラウディオ」アルベルト神父は実弾を込めたマグナム銃を手にして話し出した。声は低く、内陣の霊験や教会の尖塔の孤独が感じられるしぐさでクラウディオの頬を撫でた。「子羊よ。お前を遺して死ぬことを許してほしい」
「おれには誰かを許したり、憎んだりする権利はありません」
「そうか。わたしもそうすべきだったのかもしれない。もう、遅すぎるが」
周囲のジャングルから銃声と手榴弾の爆発音がきこえ始めた。アルベルト神父に忠誠を誓う最後の部隊がこのバラックとともに包囲殲滅されつつあった。
アルベルト神父はマグナムの銃身をくわえて引き金を引いた。手から銃が躍るようにして落ち、アルベルト神父の頭はその後ろがきれいに吹き飛んだ。形のよい高い鼻から蛇口でひねったような大量の血がどくどくと流れていった。クラウディオはそれを見ても、悲しいとは思わなかったが、楽しいとも思わなかった。まず、包囲された状況から逃げ出さなければいけなかった。クラウディオはリミッターを外すことにした。
その晩、自分たちが勝ったと思い、バラックへ突撃しようとした反アルベルト神父派の戦闘員たちは黒い翼と鉤爪を持った怪物のような闇の塊に襲われて全滅したが、その死骸はみな皮膚が紫の斑点だらけになり、まるで体内の水分を急激に失ったように痩せ、縮み、よじれていた。
奇しくも、同じ晩、イヴもまた一人になった。
前線基地に帰還してみると、もぬけの殻だったのだ。よく見ると、有刺鉄線と塹壕に囲まれた区域に死体が思い思いの姿勢で倒れていて、流れた血は黒く固まり始めていた。転がる死体は年齢性別を問わず、生き残ったものたちは逃げてしまったようだった。彼女は自分が寝起きするバラックへ入った。プルードンとバクーニンとローザ・ルクセンブルクの肖像画が見守るトタン葺きの小屋のなかは簡易ベッドがひっくり返され、個人用トランクが真っ二つに引き裂かれていた。部屋の奥にはイヴがよく組んで任務を遂行したウィレムという少年兵が息絶えようとしていた。
「何があったの?」
「大人たちの口喧嘩」蒼ざめた顔のウィレムは皮肉っぽく笑った。「ただ、今回はシャレにならないほどの喧嘩をしたらしい。つまり、一線を越えたんだ。大人その1が大人その2を撃ち、その3がその1を撃ち――ってやってるうちに大人たち全員が撃ちあい始めた。それがおれたちにも伝染して殺し合いが――」
ウィレムは苦痛に顔を歪めた。彼に向けられた自動小銃の弾をウィレムは何とか避けた。途中腹を蹴り上げられるような感覚に襲われた。相手を殺したが、自分も五発もらっていて、内臓が破裂していた。バラバラに千切れた各組織が引き裂かれた傷口からどろどろと流れ出していた。イヴは後ろにまわり、優しくウィレムを抱きかかえてやると、その頸骨を一息にへし折った。
夜が明けると、陣地は乳白色の柔らかい光に包まれた。一人の少女が組織を離れて、旅立つときに差すにはこれ以上ないくらいのふさわしい光だった。イヴは ふと、パランテロ先生が風と光について話していたことを思い出した。