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『門』をめぐる戦争と優しい寓話  作者: 実茂 譲
パランテロ先生
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パランテロ先生

 クラウディオとイヴが初めて顔を合わせたのは開戦から一年が経とうとしていたときだった。二人が殺し合わなかったのはそこに第三者がいたからだった。彼の名前はアルフォンソ・パランテロ。もう、九十を超えている老人で教師だった。彼の学校は大昔から、三つの村の子どもたちをみていた。そのため、三つの村の住人は小さな子どもから村長や神父まで、みな彼の教え子だった。その三つの村の住人が殺されるか逃げるかして誰もいなくなると、彼は飼っているインコと一緒に細々とキャッサバを食べながら、生きていた。牡牛よりも強かった若いころに結構な広さの土地を山刀で開拓していたので、彼とインコが食べていけるだけの穀物と家畜を育てることはできた。

 クラウディオとイヴはこの二週間、味方の兵士をナイフか絞殺器具で殺害する幽霊のような兵士を追っていた。それぞれの陣営から死神と恐れられたその兵士の正体は他ならぬクラウディオとイヴ自身なのだが、二人はパランテロ先生のキャッサバ畑で偶然遭遇したのだった。敵を察知する能力はちょっとしたレーダー並みなのに、お互いの存在に気づかなかった。粗末なキャッサバ畑で顔を合わせたのはパランテロ先生の手にしていた熱く濃いコーヒーのせいだったのかもしれない。コーヒーはこの物語の鍵となる存在なのだ。

 パランテロ先生はクラウディオとイヴを見たとき、どこか怪我をしていないかを見た。教師という細かい気を配る職業がそうさせたのかもしれないし、たとえ殺人機械のような子どもであっても、子どもが苦しむ姿は見たくないというある種のヒューマニズムのせいかもしれない。

 そういえば、『門』をめぐる戦争に様々な主義思想が奉じられたのは前述したが、ヒューマニズムだけはどこの交戦団体にも取り上げられていない。

「キャッサバに砲兵隊の大佐が紛れ込んでいないか確かめたいのだが、確かめてもいいかね?」二人が手にナイフを持ち、向かい合うところへパランテロ先生は言った。「砲兵隊に限った話じゃないが、ラテンアメリカで戦争が起こると、決まって大佐と呼ばれる生き物が激増する。海兵隊の大佐だとか、空軍の大佐だとか。軍楽隊の大佐だったら歓迎するが、砲兵隊の大佐はあまり歓迎できない。というのも、砲兵隊の大佐はだいたいが能無しと相場が決まっているから、自分の部隊の大砲をポケットに入れて歩いて知らぬうちに無くしてしまう。あんな大きなものをどうやったら無くせるのか不思議だが、その昔、政治家と呼ばれた畜生にも劣る外道どもは国を無くした。それに比べると、砲兵隊の大佐はまだかわいいものかもしれない。大砲を無くした砲兵隊の大佐は戦争の役に立たない大佐なのだが、それでも自分が戦争に関わっていることをアピールしようとして、手持ちの砲弾を地雷に改造して、あちこちの土に埋める。この元砲弾の地雷というのが、普通の地雷など犬の屁ほどにも思えるほど強力だから、うっかり踏んだ日にはおっ月さんまで吹き飛ばされてしまう。だから、わたしはわたしのキャッサバ畑に砲兵隊の大佐がかがんで砲弾を仕掛けていないか、確かめたいのだ」

 クラウディオとイヴはこの老人は狂人なのかもしれないと思い始めた。

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