待ってくれ! お前たちで勝手に百合百合しててくれ! 俺を間に挟もうとするんじゃない!
静か過ぎると、人間はかえって集中できない。
以前、誰もが持ってる便利な板切れで調べたところによると、人が最も集中できるのは70デシベル程度の音が存在する環境なんだとか……。
だからというわけじゃないが、俺は宿題や自習をする際、大体テレビに録画したニュースを流している。
音量を絞っておけば、やかましくて集中できないという事態は回避できるし、時折、耳を傾けてやれば、世間の動きというものを知ることもできた。
勉強がはかどり、世の中の出来事を知ることもできる、一挙両得なやり方であるといえるだろう。
余談だが、なぜわざわざリアルタイムのニュースではなく、録画したそれを流しているのかというと、俺が好んでいるのはテレビ東京の経済ニュースであるからだ。
情報を仕入れるのは副次効果に過ぎないとはいえ、だからといって、ワイドショーじみた下らないネタを流し聞いても仕方がない。
将来のためにも、しっかりとためになるニュースを見ていかないとな!
そんなわけで、俺が絶対の信頼を置いているワールドにビジネスをサテライトしてくれる某ニュース番組であるが、時には、経済からやや離れた報道をすることもある。
たった今流れている、同性同士の結婚法制化を求めたサイレンントデモに関するニュースもまた、そんな報道の一つであった。
ふうん……新宿駅前で、メッセージカードを掲げたデモねえ。
まあ、個人的には好きにすればいいと思うし、堂々と所帯を持てるようになるなら、それは素晴らしいことなんじゃないかと思う。
かといって、自分が理解のある人間だとは思わないけどな。
俺はせいぜい、無理解であることを理解しているだけであり……。
自分に害がなければ、どうぞお幸せにというスタンスなのだ。
そう……。
「見て、あおいちゃん。
この人たち、すっごい堂々としてるね!」
「本当……。
私には、ちょっと真似できないかも。
オープンにしている人もいるけど、やっぱり、周囲の目が嫌だから……」
「うん! わたしも、変な目で見られるのは嫌だな!」
……背後のベッドに、我が物顔で二人並んで座りながら、ニュースの感想を漏らすようなバカ娘たちのように迷惑をかけてこなければ、どうぞお好きになさってくださいなのだ。
「あのな……」
勉強の手を止め、背後を振り返りながら問いかける。
上京し、都内有数の進学校へ通うことになった俺のため、親が無理して借りてくれたワンルームマンション……。
本来ならば、この俺、花田まさゆきの城であるはずの空間には、今、二人の異分子が紛れ込んでいた。
「たった今、お前らは俺の背後で堂々と同性カップルをなさっているわけだが、その辺は気にならないのか?」
俺の質問に、ベッドに座り……よく見たら、きっちり互いの手を握り合っていた二人の少女は、きょとんとした顔になる。
「別に……まさゆき君には、もう秘密を知られちゃってるし」
「今更、気にしたりはしない」
そう言ってきたのは、それぞれ系統の異なる……まあ、美少女だ。
二人共が、俺と同じ高校の制服に身を包んでおり……。
向かって左側に座っている少女は、明るい色の茶髪をセミロングにしている。
身にまとった空気は、年頃の少女らしいやわらかなもので……。
室内犬のごとき人懐っこい笑みを常に浮かべているのが、そういった印象を加速させていた。
天真爛漫な彼女の名は――白瀬ももか。
クラスでは、それなりに社交的な存在として知られる女の子であった。
そんな彼女と手を繋ぎ、向かって右側に座っているのが、対照的に硬質な雰囲気を放つ少女である。
これぞ大和撫子といった色合いの黒髪は、腰の長さまで伸ばされており……。
猫科の幼獣じみた愛らしい造作の顔立ちをしているものの、いまいち表情筋が乏しいのか、どこか無機質な印象を受けた。
冷たい空気に包まれた彼女の名は――黒霧あおい。
クラスでは、一人で過ごしていることの多い女の子である。
外見も個性も交友関係も正反対な二人であるが、こうして俺のベッドでイチャイチャしていることから分かる通り、実のところ、同性カップルであり……。
こうして、俺の部屋に入り浸っては、表で出来ぬデートを楽しんでいるのであった。
うん――よそでやれ。いや、出来ないからここに来てるんだろうけど。
「お前らなあ……」
今日こそは、何か一言物申してやろうか。
そう思い、口を開きかけたその時である。
――ぐう。
……という、情けない音が俺の腹から漏れた。
どうやら、物申しようとする主に、我が内臓器官の方が先に何か伝えたいらしい。
「あはは、漫画みたいな音が鳴った!」
「ももか、笑っては悪い。
でも、確かにもういい時間。
そろそろ、夕食にした方がいいかもしれない」
「へいへい……」
どうにも、毒気を抜かれたというか、間を外されたというか……。
そのような思いに支配されつつ、俺は立ち上がる。
幸いにも、ご飯はすでに炊き上がっており……。
簡単な夕食くらいは、すぐに作れる手はずが整っていた。
「補給物資、冷蔵庫に入れてあるからね!」
「ももか共々、今日もご相伴に預かる」
「まあ、これもいつも言ってるけどな。
あんまり、期待するなよ」
言いながら、冷蔵庫の中身を調べる。
こればかりはこだわりというやつで、少し大きめのサイズを購入した冷蔵庫の中には、二人の買ってきた食材がビニール袋ごと放り込まれていた。
そう……。
こいつらは、人の部屋を逢引の場としているばかりか、ついでに飯までたかっていくのである。
まあ、そのおかげで、俺は食費が浮いているんだけどな。
おかげで、バイトに時間を割いたりする必要もなく、小遣いを確保できているわけだ。
「ハムに、ピーマンに……お、卵もあるな。
しかも、ちょっとお高い赤卵じゃないか」
「へへー。
まさゆき君、わたしね。オムレツが食べたいな!」
「私も……。
まさゆきのオムレツは、格別」
かわいらしい声のステレオでリクエストされては、仕方があるまい。
「んじゃ、今日の夕飯はオムレツだな。
ちゃちゃっと作るから、ちょっと待っててくれ」
俺は材料を手に取ると、台所の方へ移動したのである。
都内のワンルームというと、しょぼくれた電気コンロしかない上、まな板を置くスペースもない物件が多いが、そこはこだわって探したのがこの部屋だ。
さすがに一口しかないが、ちゃんとガスのコンロだし、狭苦しくはあるが包丁を扱うスペースも確保されていた。
「それじゃあ、調理開始といくか」
俺はワイヤレスイヤホンを着け、スマホからお気に入りの音楽を流しながら、調理し始めたのである。
--
いわゆる、ルーティーンというやつなのだろうか?
調理をする時、まさゆき君はいつも音楽を聞いている。
それはつまり、こちらの会話が聞こえないということであり……。
わたしは、共に彼のベッドへ腰かけるあおいちゃんに語りかけた。
彼には、聞かせられない言葉を。
「一ヶ月……だね」
「ん……あの日から、ちょうど今日で一ヶ月」
聡明なあおいちゃんなので、当然、そのことは覚えていたのだろう。
わたしの言葉に、こくりとうなずいてくれる。
一ヶ月前……。
あの日に起こった出来事を、わたしたちは忘れない。
あの日は、わたしたちが破局の危機を迎えた日であり……。
そして、まさゆき君と出会った日でもあるのだ。
喧嘩の原因は、わたしが家族にあおいちゃんとの事を伝えたこと。
家族にすら、自分が同性愛者だと伝えていないあおいちゃんと異なり、わたしは家族にのみはそのことを話し、受け入れてもらえている。
だから、家族にはあおいちゃんと付き合っていることを話していたのだが……。
そのことが、あおいちゃんの怒りに触れた。
このことは、完全にわたしのすり合わせ不足だったと思うし、今は反省している。
わたしたちのような人間にとって、カミングアウトというのは、本当に繊細な問題であり……。
あおいちゃんにとっては、例えわたしの家族であろうと、自分が同性愛者だと知られるのは耐えられないことであったのだ。
と、冷静に判断できるのは、時間が経った今だから。
あの時は、家族にくらい祝福してもらいたいわたしの気持ちがあおいちゃんに伝わらなかったことへ憤り、口論となり、挙句の果てに、喧嘩していた路地裏から走り去ろうとしたのである。
走り去ろうとして、ぶつかった。
その路地裏は、ちょうど、まさゆき君が暮らすこのアパートへの近道であり……。
学校帰りにスーパーへ立ち寄った彼は、食材が色々と入ったビニール袋を手にしつつ、路地裏へ入って来たところだったのだ。
そこは、まさゆき君とて男の子。
女の子一人のタックルを受けたくらいで転ぶようなことはなかったが、手にしていたビニール袋は落としてしまったのである。
「ご、ごめんなさい……。
えっと……君は、花田君?」
「そういう君らは、同じクラスの……白瀬さんと黒霧さんか?
なんか、二人とも酷い顔してるけど、喧嘩かい?」
彼はそう言って、尻もちをついたわたしが怪我してないのを確認すると、落としたビニール袋の中身を確かめた。
確かめて、こう嘆いたんだっけ。
「あー……。
卵、バッキバキにヒビが入っちゃってる。
ギリ中身は漏れてないけど、こりゃ、保存しとくのは無理だな。
今日中に、使い切っちゃわないと」
「ご、ごめん!
卵、割れちゃったんだね……」
「その……私たちのせいで……ごめん」
内容が話せるような喧嘩でもなく……。
ひとまず駆け寄ってきたあおいちゃんが、わたしと一緒に謝ってくれた。
そんなわたしたちに、彼はこう言ったのである。
「ああ、いや、気にしなくていいよ。
どうにかして、使い切るからさ。
卵焼きにして、冷凍したりとか」
「でも、迷惑かけちゃったんだし……。
とりあえず、卵は弁償するよ」
「うん……私も、半分出す」
「えー……。
いや、本当に気にしなくていいんだけどな」
財布を取り出したわたしたちに、彼はかえって困ってしまったようだったが……。
次の瞬間、名案を思い付いたという風にこう言ったのだ。
「じゃあさ、君たち飯食っていきなよ。
俺んち、この近くだから。
卵を始末するの、手伝ってくれ」
「ええ!?」
「いや、それは……」
大して知りもしない男の子の家に、上がり込む。
女子としての本能から、わたしたちは難色を示したが……。
「あーあー……もったいないなあ。
そもそも、金銭の問題じゃないんだよな。
せっかく、鶏を育ててる人たちが苦労して生産した卵なんだしさ。
ギリ美味しく食べられる状態の時に、食べてやるべきなんだよな」
……今になって思うと、とんでもない大根役者ぶりである。
彼は、彼なりにわたしたちのことを気づかい、仲直りの機会を設けるために、食事へ誘ったのだろう。
ただ、喧嘩の直後――というよりは最中――で頭の茹で上がっていたわたしたちは、彼への負い目もあって押し切られ……。
「ええっと……じゃあ、お邪魔しようかな」
「ん……ももかが、それでいいなら」
二人して、彼の部屋に上がり込むこととなったのであった。
まさか、一人暮らしだとは思わなかったので、家の人がいなかったのには驚いたけど。
そして、まさゆき君もまさゆき君で、成り行きからわたしたちがパートナーであると知って、たいそう驚くことになったのである。
それから、この奇妙な……居心地の良い関係が続いていた。
回想を切り上げ、あおいちゃんに語りかける。
「いつまでも、ずっと仲良くしていたいね。
……三人で」
「ん……三人で」
彼のおかげで仲直りできたパートナーは、無表情にそう言いながらうなずいてくれた。
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「できたぞー」
出会った当初に比べると、ずいぶんと砕けた口調でまさゆきが食事を持ってくる。
そもそもは、彼が一人で使うための座卓なので、三人分の食器を並べると、それで一杯になった。
皿に盛られているのは、あの時と同じ――オムレツ。
そして、作り置きしていたコールスローに味噌汁と、白いご飯である。
毎回、一口しかないコンロで味噌汁までよく用意するものだと思う。
そこは、きっと彼のこだわりなんだろう。
「わは、美味しそう!」
紙皿を使ったひと月前とは異なり、私たちが持ち込んだ皿や茶碗に盛られた料理を見て、ももかが目を輝かせる。
「じゃあ、食べるか」
彼もいそいそと食卓に着き、それで食事が始まった。
「「「頂きます」」」
私は汁物が付いている場合、まずそれから食べ始める癖があり、今回も味噌汁を最初に選ぶ。
今日の実は、もやしだ。
私の家――滅多に食事を共にしない家では、もやしを味噌汁には使わないので、なんだか他の家庭を覗き込むような気分になる。
そっと一口すすり込むと、これがなんとも温かく――美味しい。
もやしを口に入れると、少しだけお味噌の染みたそれがシャキシャキとした食感で、それも嬉しかった。
別に、何一つ特別な材料を使っているわけじゃない。
お味噌は、プライベートブランドの安いダシ入りのやつだし、実だって一袋28円のもやしだ。
でも、彼が私たち三人だけのために作ってくれたお味噌汁は、世界で一番の品だと思えた。
「このコールスロー、美味しい!
昨日より、ちょっと大人な味だね!」
「粒マスタードと黒コショウを効かせてあるんだ。
イイ感じに味変できてるだろ?」
ジェスチャーまで交え、本当に美味しそうに食べるももかを見て、まさゆきが少し得意げにする。
そんな二人を見て、私もコールスローに手を出した。
なるほど、昨日のはマヨネーズベースのオーソドックスなそれだったが……。
今日のは、マスタードと黒コショウという、性質の異なる辛さが加わった刺激的な味だ。
マスタードの粒が、アクセントの役割も果たしていて、これなら無限に食べられるかもしれない。
「えへへ、あおいちゃんも気に入ったみたいだね!」
「ん……美味しい」
自分でも表情の乏しいと思う私であるが、ももかはそんな私の感情をいつもよく汲み取ってくれる。
「ちょっと辛いかと思ったけど、気に入ってくれたならよかった」
「このくらいが、ちょうどいい」
まさゆきにも、うなずく。
美味しさを共有できると、味わいがさらに増したかのようだった。
そうして、いよいよ挑むのはメインディッシュ――オムレツだ。
少しだけ……本当に少しだけケチャップがかけられたオムレツに、そっと箸を入れる。
そうすると、飛び出してくるのは果汁めいたたっぷりの卵液であり……。
内部に収まっていた、ざく切りの玉ねぎやピーマン、ハムといった具材だ。
こぼれ出た具材を、切り取った卵で巻き付けて口に運ぶ。
――美味しい。
それしか、言葉が浮かばない。
まさゆきのオムレツは、プレーンなそれではなく、醤油やダシの素が加えられており、卵液はそのまま卵ソースとしての役割を果たす。
それが絡んだ具材は、食感を強調するべくざく切りにされていることもあって、ご飯のお供としての存在感が十二分に存在した。
白いご飯をかき込む……のは、はしたないのでやめにして、そっと一口を食べる。
まさゆきは、決して炊き立てのご飯を食べようとしない。
最低でも、三十分は蒸らしてから食べるそれは、余分な熱が逃げ、甘みを引き出されており、和風なオムレツと実によく合った。
「ん~! 美味しい!」
私とは違い、遠慮なく白米をかき込んだももかが、満面の笑顔でそう告げる。
「ん……ケチャップも、味変になって良い感じ」
和の色が強いこのオムレツだが、ケチャップを付けると、不思議なことにそれだけで洋食としての性質を取り戻す。
それにコールスローを合わせると、たちまち洋風の食事になり……。
そして、もやしの味噌汁で和に回帰するのだ。
洋と和……二つが組み合わさったこのオムレツは、私たちとよく似ているかもしれない。
何がどう、とは、あえて言葉にしないけれど……。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさま」
「……ごちそうさま」
それぞれ、タイミングは異なるものの、そう言って手を合わせる。
とても……。
とても満ち足りた気分だった。
それはただ、お腹がいっぱいになったからではないだろう。
ふと、ももかと目が合う。
まさゆきには分からぬように、互いに目で会話をした。
ひと月前……。
私たちは、彼と出会い、このオムレツと出会い、そして、今へ至っている。
さっき、ももかと交わした会話ではないが……。
この時間が、いつまでも続けばいいと思えた。
お読み頂き、ありがとうございます。
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