低気圧はきらいだけど
「雨……ていうか、低気圧のときって体調悪いんだよね」
と、わたしがぽつりとつぶやくように言うと、
「わかる。頭痛くなるし、腰とか関節も痛い」
と、雨音は同調してくれた。
「うん、あとお腹の調子も悪くなるし」
「そうそう。下痢ピーになるよね。それに、めちゃめちゃ眠い」
「うん、朝起きられないし、起きたあともずっと眠くてフラフラするよね」
「そ、激眠。何も考えられないくらい眠い。あれなんとかしてほしいわ」
「ほんと、なんとかしてほしい」
雨音は曇ったガラス窓を手で拭き、空をガラス越しに見あげた。
白々しいやる気のない空は、やる気のない雨を振りまいていた。
「あーもう、テンションあがんない」
と雨音は机につっぷした。
「こんな日は猫みたいにごろごろだらだらするのがいちばんだよ」
「なんで、低気圧だと体調悪くなんだろうね?」
と雨音がつっぷしたままわたしに訊いた。
「うーん、進化論的なやつ?」
と、わたしは少し考えて適当に応えた。
「進化論って……キリンが高いところの葉っぱを食べたかったから首が延びたっていうアレでしょ? 何かの授業で習ったよね。もう忘れたけど」
「ちがうよ雨音ちゃん。現在のキリンが首が長い理由は〈高いところの葉っぱを食べたかったから〉じゃなくて〈高いところの葉っぱを食べられる首が長い個体が生き残りやすく、首が短い個体にくらべてたくさんの遺伝子を残せたから〉と答えないとテストでは丸もらえないよ」
「さすが、クラスの成績トップ。でもさあ、進化論とか知ってても社会に出たら役に立たなくね?」
「どうだろうね。でも、世の中の謎が少しでもクリアになったほうが良くない? 気持ち的に安心できるっていうか」
「あ、まあそうかもな。――で、進化論と低気圧がどう関係あるわけ?」
「低気圧ってようは嵐じゃない? 台風とかハリケーンとか」
「うん」
「仮にだよ、低気圧に対して敏感な個体と、低気圧に全然影響されない個体が、いたとするじゃない?」
「うん」
「生き残って遺伝子を残しやすいのはどっちだと思う?」
「うーん……、わかんない」
「嵐が近づいているときに『なんか体調悪いなあ』って家にこもってる人と、嵐が近づいているのに全然気にせずに『うぇ~い』って外に遊びにいっちゃう人、どっちが生き残りやすいと思う?」
「たぶん『うぇ~い』のほうが死にやすいんじゃね?」
「うん。嵐のときに『うぇ~い』って外に遊びにいっちゃった人たちは洪水に流されたり、強風で倒れた樹の下敷きになったりとかして、たぶん生き残れる確率は低かっただろうね。結果的に生き残ったのは『体調悪いよお』って家にいた人のほうだと思う」
「陰キャでヒキコモリのほうが生き残れたってわけかあ」
「そうそう。私たちは陰キャでヒキコモリの祖先から低気圧で体調が悪くなる遺伝子を受け継いじゃったんだね……。少なくとも進化論的にはそう言える、てゆうだけの話だけど」
「てことはさあ『体調悪ぃ~』っていうのは、もともとは嵐を前もって察知する能力だってこと?」
「そうそう、これはご先祖様から受け継いだありがたい能力だったってわけ。もしかすると、ご先祖様たちはその能力を使って〈嵐の予知〉の仕事とかしてたのかもしれないよ」
「お、予知能力者か。ちょっとカッコイイな」
「天気予報が発達した現代ではもはや意味のない能力だけど」
「いやあほんと、いらないわこの能力」
「あはは。そうだね」
わたしがふと空を見ると、雨はやみ、遠くの空には青い部分が見え隠れしていた。
「あ。やんだかも」
「じゃあ、帰ろうか」
と雨音がむくっと上半身を起こし、猫のように伸びをした。
「うん」
わたしたちは教室をあとにした。
今まで話す機会が無かった雨音と少しだけ話すことができたのだから、低気圧も迷惑なだけの存在でもないのかもしれない、とわたしは思った。だけど、わたしは雨音にはそのことは言わず、雨音と並んで階段を降りた。
窓の外には初夏の緑が、輝いていた。