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貢物

 セイ王との会話は実りあるだけでなく、楽しいものでもあった。あっという間に時は過ぎ、名残惜しみながら私は王を見送った。優しきセイ王、私のような醜い娘を侮ることなく、気遣ってくださる。政略結婚であるから、きっと向こうにも遠慮があるのだろう。


 ワゾンのためにはセイ王の寵愛を受け、同盟を末永く維持しなくてはならない。無事に婚儀を終え子を儲ければ、それが男子なら、きっと私は義務を果たせたと言える。


 どうかこのままセイ王が私に優しくあってほしいと願う。リュウの言葉を信じれば、数年もすれば私はもう少しマシな見てくれになるはず。それまでは知識を蓄え話術を磨き、セイ王の興味を私自身に惹きつけなければならない。


 彼が別の妃を迎えるのがいつになるのかわからない、だからこそ、私は急がなくてはならないのだ。とはいえ、その婚儀もあと二月は後のこと、焦っても良いことはないと、私はリュウによる様々な手ほどきを受ける日々を過ごしていた。


 それはまさに、新たに生まれ直すような心地だった。生活習慣も、備えておくべき知識も作法も何もかも違った。幼い子に教えるようにリュウは辛抱強く私に知識を染み込ませ、私もそれに大いに応えた。新たなことを知るたび、こちらに来たばかりの自分がどれほど大目に見られていたかを思い知らされる。


 世界の大きさも初めて知った。西の彼方には私の知らない国が山ほどあった。東にも南にも豆粒ほどの国が数え切れないほどあり、北は誰も住めない不毛の地を縫うように、騎馬民族が広く長く季節ごとに家を変えて駆け巡っている。


「私は世界を知らなすぎる」

「すべてを覚えておく必要はございませんよ、サンタラ様。ティワンにはこの世にあふれるほどの知識が集められている、それだけのことでございます」


 リュウには私のことをサンタラと呼ぶように言った。私が姫であるのもあと少しの間だからだ。そう、もう一月もの間、私は彼女に教えを乞い妃に相応しい教養を身に着けているところだ。私は自省の気持ちを込めて息を吐き出した。

 

「しかし、セイ王はこれらの知識を血肉にしておられる。私もそれにならいたい」

「王の知識はお小さい頃からの年月の賜物。サンタラ様はまだ始められたばかりですのに、素晴らしい成績でございますよ」

「しかし、まだ足りないのだ。私にはこれしかないのだから……」

「恐れながら申し上げます、サンタラ様。なぜそのように焦っておられるのでありましょう。わたくしの目から見る限り、王もサンタラ様も、互いに互いを慈しみ、心を添わせようとしておられますのに」


 セイ王が私を?

 そう考えると胸がきゅうと締め付けられるような心地がする。だが、それを信じて良いものか。


 ワゾンにいた頃、姉さまの嫁いだ三ノ島に遊びに行ったことがある。そこで少し年上の少年たちに「醜い娘よ」と囃し立てられたのだ。見知らぬ人たちに萎縮していた、まだ十になったばかりの私を囲んで、彼らは実に楽しそうだった。


 その日から男が怖いのだ。どんなに笑みを浮かべていても、本当の心では何を思っているやらわからない。私の味方をしてくれていたアルエラ姉さまも本心では私を見下し侮っていた。私の淡い恋心を知りながら、ツェグは私をからかいまるで幼子にするようなあしらい方をした。


「私は……」


 セイ王の笑顔の裏など考えたくはない。だが、どうしても頭から離れない。少年たちの声も、ツェグの残念なものを見るような目も。そして何より、私と彼との間には、まだ何もない。何もないのだ!


「私にはワゾンへ貢献する義務があるのだ。妃として身を立て、男児を生み、次代の王へと育て上げねばならない。そのために私は完璧でなければ! 王の寵愛を……私だけに向けなければ、私は、私は……!」

「サンタラ様」


 いつの間にか握りしめていた拳に、リュウの少し冷たい手が触れる。リュウは私の手を包み込むようにしながら、私の身体をその胸に抱き寄せた。


「!」

「サンタラ様、ご無礼をお許しくださいませ。ですが今は、どうかこのまま……」


 その声に私の目からは涙があふれていた。リュウに取り縋り、私は泣いた。これまで誰かの前で泣いたことなんて、数えるほどしかないというのに。どうしてリュウの前だと、こんなにも弱くなってしまうのだろう。思う存分に涙を流して、泣きじゃくることしかできなくなった私の背を撫で、リュウもまた濡れた声で言う。


「重いものを背負われて、ずっと気を張っていらっしゃったのですね。ですがそれも、お仕舞いにいたしましょう。もう何も気にする必要はございません」

「リュウ? どういう意味?」

「ティワンの王妃は(まつりごと)からは遠い位置にあるのです。王は将たちの意見の取りまとめ役であり、王妃はそれらの決定に関与はいたしません。王の子が王になるとは限らず、また、王位を継承してもその意思はティワンの政治には関係ないのですよ」


 リュウの言葉を頭が理解するのに時間がかかった。まるで頬を張られたかのような衝撃。私の手はリュウを拒絶した。


「どう、して……」 

「サンタラ様」

「そんな……それでは、私がここにいることに何の意味が……! 何の価値が!? これでは本当に、ただの貢ぎ物ではないか!」

「サンタラ様!」


 私は制止の手を振り切って走り出していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] サンタラの気持ちが溢れる今話。 過去の屈辱が彼女の心を縛り付けている。 気持ちを持っていかれます。
[良い点] リュウのフォローとサポートがいつもすごい好きなのです。 だけど今回はとんでもないことに! あああ、どうなるんだろサンタラ姫!! [一言] もうめちゃくちゃ好き! 絶対本格的な公募に出してい…
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