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彼を知るたびに

 私は手を伸ばしてそっと桃に触れた。ぷちん、と桃が枝から外れると女官たちの悲鳴と、王の随伴の男たちのどよめきが上がる。私は着物の裾を上手く持ち上げて地面に飛び降りた。


「サンタラ!」


 クォム・セイ王が駆け寄ってくる。王は私を上から下まで見下ろして、どこも怪我をしていないことを確認すると、本当に愉快そうに高らかに笑った。


「ははははっ、これは驚いた。あははははっ!」


 狼狽える男女をよそに、王はくつくつと笑いながら私の手を引いて歩き出す。まさかそれを振り払うわけにもいかず、私は王に連れられて都の中心へ向かっていた。


「あの、王……?」

「そなたは会う度に新しい顔を見せてくれるな、サンタラ姫。最初は鮮やかな装いに冷たい顔をした異国の姫だった。刺客の死に悲鳴も上げず、驚きもせず。うら若き乙女が大した胆力だと思った」


 ワゾンとティワンの文化の差を私は知らないが、ワゾンでは人に家畜に限りなく、死は日常の一つだった。もちろん、目の前であのように罪人が首を斬られることが常とは言わないが、海域を荒らす賊の類の処刑は王家の義務の一つであったから。


 私は何も言っていいかわからず、大股で歩く王に合わせて足を早め、そそとついていく。


「今朝は我が国の当世風衣装に華やかな化粧で、そなたの美しさがさらに引き立てられていた。我が国に慣れようと、またそれを表向きにも見せてくれる心遣いが嬉しかった。そればかりか、そなたは後宮の使用人たちの魂を慰める碑に参ってくれたと聞く。それもまた我の心を喜ばせてくれた」

「はい、碑があると聞いて、案内してもらいました」

「うん。そして今はまた、易々と高所から飛び降りる芸当を見せてくれたな。そなた本当は武芸者でもあるのではないか?」

「いいえ! 私に武具は扱えません。ただ、攻撃を避ける訓練だけは受けていました。壁を登れたのは、木々が身近だっただけで……」


 私の言葉に王は「そうかそうか」とまた笑った。


「我がワゾンへ行くときがあれば、ぜひそなたが木登りを教えてくれ」

「……よろしいですが、ワゾンはこちらと比べて、とても暑いですよ。男たちは皆、下しか履いていないくらいです」

「ははは! 我も剣の稽古のときは上を脱ぎ捨て半裸になるぞ。今度見に来るか?」

「えっ! いえ、その」


 狼狽えて口ごもるとさらに笑われた。つい、想像してしまったのだ。彼がワゾンの太陽の下、他の男たちと同じく腰から下だけ布を巻きつけただけの姿でいることを。


 きっと似合うに違いない、彼は強くて凛々しいから。肌を守る油を塗って、日に焼かれた彼は、今よりもっと素敵に違いない。


 そんなことを思っていると、王が急に立ち止まり、私はもう少しで彼にぶつかるところだった。ハッとして見上げると、優しい光を帯びた黒い目に心を絡め取られる。


「我はまだ仕事の途中だ。送ってやれないがせめてここで茶でも飲んでいくといい。すぐに用意させる」

「かようなお心遣い、大変嬉しく思います」

「うん、冷たいものがよいか」

「温かいほうが嬉しゅうございます」

「わかった」


 断るのもおかしな話だと思い、私はありがたくお茶の誘いを受けた。通された部屋は小さな庭に面しており、卓がいくつか並んでいた。休憩室なのだろうか。


 遅れて王の随伴と女官たちもやってきた。彼女たちはふぅふぅ息を切らしており、私は茶を持ってきてくれた使用人に、彼らのための水を頼んだ。


 待っても王が来ないので、私は部屋の入口に立つ随伴の者に尋ねた。 


「王はどちらへ?」

「王は役人たちと仕事の話をしておられます」

「ティワンでは、王のところへ仕事を運ぶのではなく、王が役人のいる場所へ赴くのですか?」

「我らが太陽、偉大なるクォム・セイ王だからでございましょう。王は我らには見えないものを見ていらっしゃるのではないかと愚考します」


 随伴の者は武人であって役人ではない、この質問は役人に聞けということだろう。ワゾンではすべてを女王(トア)が決めていた。だからこそ、女王(トア)は同じ場所にいないといけなかった。神事や祭事、他にも女王(トア)でないと判別できないことが起きた時以外、よほどのことがなければ女王(トア)はいつも王宮の『女王の間』にいた。


 ふっと、女王(トア)の横顔を思い出す。母と子とはいえ、忙しい女王(トア)と過ごした時間は少なく、行事などではいつも女王(トア)の足元に視線を置くよう教育されていたため、私が思い出せる女王(トア)の顔は正面からではなかった。


「サンタラ姫様、そろそろ戻られませんと、湯浴みの時間になってしまいます」

「もうそんな時間だったか。王にご挨拶できずに申し訳ないが、戻らねばならない。いただいた茶の礼をよろしく伝えてほしい」


 私は使用人にそう伝え、王宮に与えられた部屋に戻った。女官が持ち帰った桃を見たリュウは、悪戯を見つけた乳母やの顔をして笑った。


「桃園には入らなかった」

「そのようでございますね。冷やしてお持ちしましょう」

「……怒った?」

「いいえ。しかし、お怪我のないようにお気をつけくださいね。慣れない衣装では思ったように動けないかもしれませんから」

「うん」


 リュウが怒っていないことにホッとする。その後はまたあの大きな風呂に入り、手足や身体を揉まれ、磨き上げられ、王との食事に備えた。


「薄く紅を引いておきましょう。唇と、目許に」

「リュウ、私は上手くやれるだろうか」

「もちろんですとも。まずは食事を楽しみ、心を楽にされてください。そうすれば会話にも花が咲くことでしょう」


 リュウに後押しされ、私は設けられた宴席に座った。弦楽器と鼓の奏でる美しい調べに聞き入っているうち、部屋に王が入ってきた。立ち上がろうとする私を手で制し、彼は私の隣に座った。


「待たせたか」

「いいえ。美しい楽の音を聞いていると、時間の経つのを忘れてしまっておりました」

「それは良かった。では、食事も楽しもう」


 そう言ってセイ王は笑った。

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