孤立
通された部屋はとても大きかった。後から知ることには、建物の一角まるごと私のために割り当てられており、普段過ごす居間と寝室、装いのための被服室、小さな浴室、女官の寝室、さらに女官のための休憩室まである。
宦官と女官たちが待つ居間にようやく辿り着いて、私は膝から崩れ落ちた。
「サンタラ姫、お疲れ様でございました。……王のお着物はこちらでお預かりいたしましょう。ほれ、お前、これを綺麗にしてまいれ。そこなお前は姫に早う掛け物を持ってこい」
「宦官ソ・ゴ、ティワンがこんな場所だとは、私は聞いていない……」
「普段であれば警備はもっと堅固でしょうから、気にする必要はないかと思われますな」
私の非難めいた言葉に、宦官は言い訳を述べる。自分のせいではないと言いたいのだろう、私だって宦官のせいだとは思っていない。でも、目の前で人があのように……!
「どうして……」
「我らを迎え入れたときにでも入ったのでしょう」
「は……?」
それでは、まるで、私のせいであるような……。
「大勢が門に入ったときには、多少誤魔化しがあるものです、気になさらずとも良いでしょう」
「……私は、来ないほうが良かったのでは」
「何を仰いますやら! 王が変われば権力図は変わります、姫と婚儀を為す為さざるに拘らず若き王の命を狙う者は出ましょう。先王である彼の父君が存命なのですからな」
「……そんな」
「ワゾンとしては誰が王でもよろしいのです。ティワンもまた同じく、あの若き王が倒れてもティワンの王の側にワゾンの姫があれば、それでいいのです」
私はあまりの驚きに言葉を失った。確かに政略結婚に違いないが、それでも、まさか相手すらどうでも良いとは。
「なぜ。王が変われば、結婚も上手くいかなくなることも、あるのではないのか」
「いいえ。刺客がティワン内部の手の者であるなら、彼らとてワゾンとの協調を失いたくはないでしょう。北方の騎馬民族を相手にしている間、西方へ睨みを利かせるのにちょうどいい存在ですからな、ワゾンは」
ティワンは何度も北方の騎馬民族の侵攻を受けながら、それを跳ね返してきた歴史を持つ。私の結婚が、西方の新興国を見据えてのこととは知らなかったが、確かに女王は彼らの船を疎ましがっていた。
「では、この結婚はなかったことにはならないのか」
「もちろんでございます。姫の安全も保障されております。ワゾンは一のものを差し出し、一のものを受け取るのみ。姫は王の正妻としての勤めを果たされ、代わりに望みのものを王にねだればよろしい」
「一つの働きに一つの報い、か」
「さようでございます」
宦官の言葉に、自分が人間ではなく血の通わない道具にでもなったようでゾッとする。未婚のままキャオマ(※女王を補佐する王族の娘)になるのは嫌だったのに、名誉な役割を与えられても心が晴れない。
しかも私は代替品なのだ。私のことを「愛らしい」と言ってくれたクォム・セイ王……私は、彼に倒れてほしくないと思った。あの言葉がただ私を喜ばせるためだけの偽りのものだったとしても、私にそんな風に微笑みかけてくれたのも、喜ばせようとしてくれたのも、彼ただ一人りだったから。
「ひとまず顔合わせが無事に済んで良うございました。最初のお役目を果たされましたな」
「うん、そうだな」
「では、我々は明日の朝ここを発ちます。後のことはすべて世話係にお任せいたします」
私は思わず口をぽかんと開きっぱなしにしてしまった。まるで、頭をガツンと殴られたかのように。行ってしまう、のか。こんなにもあっさりと。私をここに置き去りにして。
「な、なぜ……?」
「姫の婚礼式展までには、まだまだ期間がありますゆえ。一度戻って女王にご報告もせねばなりますまい。もちろん、式典には出席させていただきますとも! そのときは女王の随伴で参ります」
「女官たちも……?」
「残りたい者は残れば良いと存じます」
私はその部屋に集まる女官たちの顔を見回すと、誰もが私から視線を外して下を向いている。私は心の臓の辺りに嫌な冷たさを感じながら、声が震えないよう気をつけながら口を開いた。
「誰か、ここに残りたい者はいるか?」
答えは沈黙だった。私は宦官以下全員に下がるように言い、寝室にこもった。喪失感がひどく、夕食もろくに喉を通らなかった。私には人望がない、それはわかっていた。今までもずっと、私はいないものとして扱われてきたようなものだったから……。
次の日、朝食の前に宦官たちは出発した。私は彼らのこれまでの働きに感謝の意を表敬し、旅の無事を祈ってやった。たとえ内心では「裏切り者よ」と恨んでいても、それを表に出さずに送り出すのが上に立つ者の務めなのだ。
その儀礼を終え、私は一人後宮の隅で庭の池を眺めていた。
「髪が、まだまとまらない……」
ワゾンにいた頃は櫛を通して髪を結い上げたら、しばらくすると勝手にまとまってくれた。昨日、クォム・セイ王に目通りした際も髪の毛がサラサラと流れすぎて飾りの花がいつ落ちてしまうかと気にしてばかりいたように思う。
「海が恋しい」
溜め息ばかりが出てきてしまう。太陽の光が、温かさが、海が恋しい。せめて水に浸かりたい。あの風呂は良かった、大きくて、深くて、浮かぶこともできそうだった。
この部屋についている風呂は小さくて、湯船は身体を沈めるほどしか深さがない。言えばあちらも使わせてくれるとは思うが、そこまでして良いものかもわからない。
一日をどう過ごしたものかと思案していると、私の部屋の前にやって来た女が声を掛けてきた。
「ワゾンの宝、サンタラ姫様。今日からサンタラ姫様の身の回りのお世話と、お勉強を指南させていただく者を連れて参りました。お部屋に入ってもよろしいでしょうか」
「……入ってくれ」
「はい、失礼いたします」
入ってきたティワンの女官たちは、落ち着いた雰囲気で微笑みながら、私に深々と頭を下げた。