ピンクの青春
「よし、走り込み始めるぞー。ハイッオーハイッオー」
グラウンドに篤司の声が広がる。
俺たちの他に練習しているのは女子ソフト部だけだ。
体育館に向かうバスケ部がボールをつく音。女子のやけに高い笑い声。校舎の三階からわずかに漏れ出てくるサックスの音色。様々な音が入り混じる放課後。
篤司の横に並び、共に2列を率いながら圭太はまるでオーケストラのような、やけに調律のとれた演奏を聞いていた。
「高井が部を離れた」
1ヶ月前、監督からそう言われた。突然だった。
「えーそれに伴い、キャプテンは篤司、お前が務めろ。高井はいないが、今まで副キャプテンとしてやっていたことをそのままやればいい。過度に気負う必要はないぞ」
「はい!」
「それから圭太」
「はい」
体中から嫌な汗が噴き出た。
「今までは高井が中盤の底を務めていたが、次の選手権はお前で行く。えーみんなこれk・・」
圭太の耳にはもうなにも入ってこなかった。
高井とは中学のサッカー部から一緒にプレーしていた。高井は中学の頃からずっと上手かったし、キャプテンとしてチームを引っ張るキャプテンシーもあった。でも高井が本当にすごいのは、勝ちへの情熱だ。甘いマスクで、普段の気のいい性格からは考えられないほど勝ちにこだわっていた。
ヒートアップしすぎてしまうところもあるが、それでもみんな高井のことを尊敬していた。俺もその1人だ。同じ中盤のポジションで俺は試合に出られなかったが、基礎練習はいつも高井と組んでいた。
準備、片付け、集合。何から何まで率先して行う高井の背中を、いつしか俺は追いかけていた。
「お疲れー」
「おーお疲れー」
練習が終わり外も暗くなっている。サッカー部と女子ソフト部の部室の明かりだけが頼りだ。
「今日の練習もキツかったなあー」
篤司はそう言いながら裸になりシーブリーズを塗りたくる。
「選手権の前日ぐらい早めに終わったらいいのに。」
「ほんまになあ。休むのも大事」
「これが終わったら俺らも引退かあ」
しんみりしようとした篤司を現実に引き戻す。
「てか、篤司、体仕上がってるな。」
「おう。俺が最前線でボール納めんと話が進まんからな。圭太も、選手権はスタメンやもんな。頼むぞ〜」
体からまた嫌な汗が出る。
1ヶ月前に高井が辞めてから、みんな、なんとなくその話題には触れずにいた。
何か、決定的な出来事があったわけではなかった。
少しずつ、本当に少しずつ、雨風が大地を削り何年もかけて地層を構成するように、ほんの少しずつ入った亀裂が決定打となった。
練習中はいつも高井の怒号が飛び、みんなの不満は気づかないうちに少しずつ溜まっていた。しがない公立高校で、そんなに本気でやっても仕方がないだろうと思う奴もいたかもしれない。
「じゃあ帰るわ。お疲れー。篤司さん、戸締り頼みます」
「調子良いやつ。お疲れー」
ギリシャの彫刻のような体を披露している篤司を置いて圭太は部室を出る。
部室を出てエナメルバックをかけ直すと、壁にもたれかかり話をしている女子生徒2人に気がついた。
「あ、圭太くんお疲れ様〜。篤司はまだ部室?」
「ありがとう。そうだよ。未希ちゃん今日吹部休みだったんだよね。こんな時間まで待ってたんだ」
圭太は未希と話しながら、スマホをいじり始めたもう1人の女子に気を取られていた。
あれは、確か、高井の彼女。
なぜか体から汗が出る。こんなにも外は寒いのに。
「ねえ、きいてる?まあいいや。明日試合なんでしょ。頑張ってね。」
「ありがとう。未希ちゃんもそんなにスカート短かったら風邪引くよ。じゃあね」
「見んな」と言う言葉を背中で聞きながら校門に向かい、キラキラ光る自動販売機が目についた。
心臓がはっきりと音を立てる。
ピーチネクター。
高井は練習終わりにいつもこれを飲んでいた。
監督から借りてきたボードとピーチネクターを持ってきて、練習終わりよく話をした。
「いいか圭太。4-3-3の中盤の底はチームの心臓なんだ。俺たちが上手くやらなければそれだけでチーム全体が機能しなくなると言っても過言ではないんだ。」
「何回も聞いたって。どうせ試合に出るのは高井で、俺は出ないよ。」
おどけてそう言う。
「まあ聞けよ。俺が、例えば怪我をして、試合に出られないかもしれないだろ」
「悔しいけど、チームのためにそうならんことを祈ってるよ」
「ふふ。GKがボールを持ってるときはセンターバック2枚がペナルティエリアの角まで開くだろ。そこの間に降りてボールの受け手になるんだ。そして」
「ちょちょちょ待って。これもいつも言ってるけど、話すときジュース飲むなって。桃の匂いが気になって話入ってこん。」
そういうといつも、これが美味いんだよ、と言ってニコッと笑っていた。高井が笑うとニコッという音が聞こえる。練習中眉間にシワを寄せ、叫んでいるやつと同一人物とはとても思えない。
何を思い出してんだろう。
高井は、もうチームにいない。
監督から言われたとき、1週間ぐらい経ってひょこっと顔を出すのではないかと思った。とても長い、リアルな夢を見ているんだと思ったこともある。
でも、本当に高井はいないのだ。
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試合前、ピッチで円陣を組む。篤司のオーーッという掛け声と共にポジションにつく。
ピーーー
キックオフの笛を聞きながら、俺たちの日々のように眩しい太陽に、圭太は目を細めた。