もふもふ1
朝の目覚めはいつも、生温い涎と舌の感触で始まる。
「シルバー…起きた。起きたって!もう舐めないの」
輝かしい笑顔を浮かべて尻尾を振っている犬、もとい魔獣と呼ばれている彼に苦笑いを浮かべながら、ルチア-ナは身体を起こした。
「おはよ、シルバー」
ワンっと元気よく一声鳴いたシルバーの頭を撫でながら、ベッドをおりる。
着替えをしている間、ずっと傍にいて尻尾を振っているシルバーは見た目だけなら前世でいうハスキーに似ている。
ただその毛皮は美しい白銀で、その額にはちょこんと角が生えている。
この世界には普通の動物の他に、魔獣と呼ばれる動物が存在している。
魔獣には種族別の呼び名がなく、全てまとめて魔獣と呼ばれていた。
基本的に魔獣は瘴気が濃い、一部の森や山を生息地としていて、普段は街や村にはおりてくることはない。
獰猛な個体が多いという話だったが、シルバーは赤ん坊の頃に拾って育てているせいか、人懐こく、甘えん坊で、狼の魔獣のくせに顔つきは狸顔で、真ん丸の瞳はハスキーにしか見えない。
階段を下りて行くと、この家でもっとも古株で、一番初めにこの家にやってきた柴犬のサスケがいた。
階段の一番下で、姿勢よく待っている。
「お早う、サスケ」
頭を人撫でしても表情を崩すことはないクールな性格の相棒だが、その尻尾は微かに揺れている。
「今ご飯用意するね」
リビングに行くと他の魔獣や落ちてきた
動物たちが朝の挨拶にやってくる。
足元に細い尻尾を絡ませて額をすりすり挨拶してくる黒猫のキキに、ウサギ型の魔獣のココ、パグのゴン蔵、外にいた子達も一斉に窓に近づいてきた。
魔法を使って手早く朝ご飯の支度をして、ついでに自分の朝ご飯も簡単に作る。朝は少しバタバタ忙しいが、ルチア-ナはこの生活をこのうえなく愛していた。
大好きな動物たちに囲まれ、煩わしい人間関係に悩むこともなく、優雅で有意義な生活。
昔、ルチア-ナは前世でいうブラック職についていた。
プライベートの時間など一切なく、眠れぬ夜を過ごし、毎日疲労と疲弊に愛されていた。上司の無理難題、怒号、部下や同僚が使い潰されていく毎日に、ある日ルチア-ナはプツリと糸が切れてしまった。
忍耐と懸命をゴミ箱に捨て、全て決着をつけたルチア-ナは、上司の制止を振り切り職を辞し、国を捨てた。
国まで捨てることにしたのは、あそこにいれば連れ戻されてしまうからだ。
そして、仕事もそうだが、何よりあの国自体に嫌気がさしてしまった。
失望するのはいい、ただ、このままだと生まれ故郷自体を憎んでしまいそうだった。
心が病むと、いずれ身体にも影響する。
あの国にいたルチアーナは、いつもゆっくり死んでいたのだ。
だからこそ、解放された今は毎日が幸せで楽しかった。
「前世でも知る限りブラックの上位にいたよね」
ミルクを飲みながら遠い目をする。
そう、ルチアーナは前世の記憶があった。
この世界とは全く違う、近未来の世界。前世の記憶を元にいえば異世界転生というやつだ。
前世のルチアーナがいた国は平和で、見た目には激しい身分差もなく、誰もが学を修めることができる。
その世界で、ルチアーナは犬を飼っていた。詳しいことまでは覚えていないが、学生だった自分は動物が大好きで、家族で沢山のペットを飼っていた。
この世界とは違って魔法や魔力などといったものは存在しないが、科学というものが発達していた前世は、ひどく穏やかな毎日を送っていたように思う。
まあ、転生しているということは前世で亡くなったからだとは思うが、その辺りの記憶はないので特に気にしてはいない。
というよりも、前世の記憶を取り戻したのもここ数年の話で、ルチアーナにとってそれは最初夢物語のようなものだった。
最早ルチアーナの人格として十数年生きているのだ、今更記憶が戻ってもその記憶がルチアーナの意識や人格を塗り替えることはなかったが、少なからず影響は与えた。
だからこそ、あの国の異常性にも、己の職業がブラックということにも気づけた。
「逃げるが勝ちってね」
あいにく他人より多い魔力量とそれを多彩に使いこなす能力があったルチアーナは、さっさと国から逃亡し、人間があまり入ってこない瘴気の濃い森に異空間を繋いで、自分以外の人間が入ってこれないようにした。
最初は一人で田畑を耕しながら生活していたのだが、ある日突然柴犬がグッタリと庭に横たわっているのを発見した。
それが柴犬のサスケとの出会いである。
栄養状態が悪かったサスケを看病して数週間、他にも怪我をした魔獣や動物たちが落ちてくるようになった。
そのことから考えると、どうやら元いた世界とどこからか歪に繋がってしまった結果あちらの世界で怪我をしているか、弱った動物たちがなんらかのタイミングでたまたまこちらの世界に落ちてきてしまうことが判明した。
あちらの世界の人間がこちらに落ちてきたという噂も聞いたことがないので、ルチアーナが作ったこの箱庭が原因だろう。
魔獣も同様で、本来なら箱庭には入れないようになっているのだが、怪我をした個体や弱っていてこちらに危害を加えられないと箱庭が判断した個体を招き入れているようだった。
己で作った箱庭だが、いまいちよくわかっていないことが多い。




