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第九話 信頼と服毒

 なんと美しい少年だろうか。

 星空のような瞳はもちろん、青味がかった艶やかな黒髪、幼さを残しながらもすっきりとした頬のライン、眉からの理想的な鼻筋。

 まるで芸術品のような完成された美が、目の前で光り輝いている。


 確か彼の名前はノア。ノア・アーサー・イグバーン。

 イグバーン王国の第一王子で、現王太子。この国で王の次に尊く高貴な存在だ。


「……見たところ貴族の令嬢のようだが、ここは立ち入り禁止の王太子宮だよ」


 変声期前の透きとおった声は落ち着いていた。

 私はハッとして、胸に手を当て王族への最敬礼をとった。


「大変失礼いたしました。父と王宮に来たのですがはぐれ、こちらに迷いこんでしまいました」

「父……。君の名は?」

「オリヴィア・ベル・アーヴァインと申します」

「ああ、アーヴァイン侯爵の。では君が噂のオリヴィア嬢か。たしか今日は謁見の日だったね」

「噂、ですか……?」


 はて、と首を傾げる。

 噂とはいったい何のことだろう。私のことが、王宮で噂になっているのだろうか。そういえば、騎士たちもなぜか皆私のことを知っているようだった。

 まさか、すでに第二王子との婚約の話が上がってでもいるのか。二度目の人生では、絶対あの王子とは婚約したくない。彼だけでなく、他の攻略対象者や聖女をはじめとしたゲームの登場人物とは極力関わらないと決めているのだ。毒殺される運命を回避するために。


「本人は知らないのか。アーヴァイン侯爵家には小さな宝石がひっそりと眠っている、という噂だよ」

「はあ。小さな宝石……?」


 うちに王宮で噂になるほどの宝石などあっただろうか。

 もしかしたら継母が新たに購入したのかもしれない。何にしろ、宝石には興味がないので気にしないことにした。


「顔を上げて楽に」

「ありがとうございます、王太子殿下」

「こちらにおいで」


 呼ばれておずおずと歩み出る。

 西洋風のあずまやの前まで行くと突然、頭に電子音が響き、ビクリと肩が跳ねた。

 現れたのは、三度目となり見慣れつつある真っ赤なテキストウィンドウ。それがあずまやの下のテーブルに置かれた、王太子の紅茶に表示されていた。



【紅茶(毒入り):ランカデスの角(毒Lv.2)】



(レベル2——⁉)


 まずい。毒のレベルが私の毒耐性レベルより上だ。

 つまりいまの私のスキルでは恐らく、紅茶に盛られた毒を無効化することができない。下手をしたら命を落とすこともあるかもしれない。

 少なくとも常人が飲めば死ぬ。一度目の人生で、実際に口にした王太子は亡くなっているのだから。

 レベルが1とはいえ、毒耐性がある私が飲めばわからないが……。


「なるほど。確かに似ているな」


 私の焦りになど気づかず、王太子はぽつりと呟いた。

 何かを懐かしむような響きを不思議に思い、つい彼をじっと見つめてしまう。


「君のお母上のことだよ」

「母を、ご存知なのですか?」

「少しね。美しい人だった……」


 王太子の青い瞳に見つめられると、夜空に吸いこまれていくような錯覚に陥った。

 一歩、彼に足を踏み出しかけたとき、ビュウと強く風が吹く。


「すまない。引き留めてしまったね。左を行けば、やがて宮殿が見えてくる。回廊から中に入れば誰かしらいるだろう。謁見の間まで案内してもらうといい」

「あ、ありがとうございます……」


 私は少し感動した。

 王太子、美しいだけでなく親切な人だ。次期国王なのにまったく偉そうにせず、けれど威厳のようなものがすでに備わっている。

 一度目の人生で婚約者だった、現第二王子とはえらい違いだ。あの人は俺様で人の話を聞かず、誰に対しても偉そうにする人だった。


(って、感動してる場合じゃないわ。あの毒入り紅茶、なんとかしないと)


 ちょうど王太子がティーカップに手を伸ばしたので、慌てて身を乗り出した。


「あの!」

「……何かな?」


 行かないのか、という目を向けられ怯みそうになる。

 早く立ち去らないと、意図的に王太子宮に侵入したと思われかねない。


「そ、その紅茶ですが、もう冷めてしまっているのでは? 淹れ直させたほうが……」

「これは冷めても苦味の出ない茶葉で淹れている。書物を読むと、どうしても冷めてしまうからね」


 問題ない、とカップのハンドルに指をかけようとする王太子に、私は更に一歩前に出る。


「つかぬことをお伺いしますが、その紅茶を淹れたのはどなたでしょう?」

「……なぜそんなことを聞くのかな?」

「えっ。その……こ、紅茶の淹れ方を習ってみたい、から?」


 つい疑問形になってしまった私に、王太子が疑惑の眼差しを向けてくる。

 失敗した。完全に怪しいと思われた。


「アーヴァイン侯爵家の嫡女がメイドの真似事をしたいと?」

「い、いえ。そういうわけでは……」

「もう行きなさい。君も陛下をお待たせするわけにはいかないだろう」


 穏やかだった王太子の表情が冷ややかなものに変わる。

 声音も有無を言わさない響きがあった。さすが次期国王、などと感心している場合ではない。王太子がとうとうカップを持ち傾けようとしたので「ダメ!」と声を張り上げた。


「それを飲んではいけません!」


 王太子の手がぴたりと止まる。


「……何?」

「カップをお戻しください。その紅茶は、毒入りです」


 青い瞳がカップに落ちた。

 だが王太子がいくら目をこらしても、カップの中は普通の紅茶。この赤いウィンドウは私にしか見えないのだ。


「なぜ、君にそんなことがわかる?」

「それは……」

「この紅茶を淹れたのは、王太子宮に勤めて五年になる侍女だ。その侍女が毒を盛ったと、今日初めて会った君が言う。不審なのはどちらかな?」


 王太子は嘲笑するように言った。

 私は完全にしくじったことを悟った。王太子の機嫌を損ね、信用を得る機会を失ってしまったのだ。


「ここで会ったことは忘れよう。早々に立ち去ってくれ」


 もう星空の瞳は私を映すつもりはないようだった。

 別に私のことは嫌ってくれてもいい。でも王太子は私を信じてくれないと死んでしまう。そして王太子が死ぬと、私も数年後には死ぬかもしれないのだ。

 どうしたら信じてくれるだろう。毒で命を狙われているのだと。

 今日助かったとしても、きっとこれからも命の危機は続くのだ。王太子には生きていてもらわなければ困る。そのために私ができることは——。


「失礼しますっ」


 いままさに紅茶を飲もうとしていた王太子から、カップを奪う。

 驚いた彼が止めるより前に、私はカップの中身を一気に飲み干した。


(ああ! やっぱり毒が泣きたくなるほど美味しい……!)


 得も言われぬ甘い芳香と、深みのある味が口の中いっぱいに広がり、一瞬幸福感に酔いしれたが——。


「う……っ!」


 冷めた紅茶が喉を通った直後、内臓に焼けるような熱さを感じ、口元を押さえる。


「お、おい。オリヴィア嬢——」


 王太子が駆け寄ろうとしたとき、ごぽりと私は吐いた。

 指の隙間からあふれ出たのは、赤黒い液体。鉄臭さに包まれた瞬間、私は地面に崩れ落ちた。


「オリヴィア嬢⁉」


 手足がしびれ、全身がガクガクと痙攣し始め、ぐるんと視界が反転した。喉が、食道が、胃が、焼け爛れていくようだ。体の自由がきかない。


 ピコン!


【毒を摂取しました】

【毒を無効化します】

【毒の無効化に失敗しました】



(失敗すんなー!!)


 叫びたいのに、口から出るのは咳と血ばかり。

 霞む視界の中、王太子殿下が何か叫んでいるように見えたけれど、彼の声は聴こえない。体の機能が死んでいくのを感じながら、私は思った。



(やっぱり、毒を甘くみちゃ、いかんかっ、た……)






 ピコン!







【毒の無効化に失敗したため、仮死状態に入ります】



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