第八十三話 異母兄弟 【side ユージーン】
平民街でも貴族街に近い位置にある住宅地は、夜が更けると明かりが減り静まり返っている。
一見平和な風景が広がって見えるが、狭い路地に身を隠したユージーンは、張り詰めた空気を肌で感じていた。
近衛騎士の中でも信用できる精鋭だけを伴い、王太子ノアは目の前の建物の中にいる。周りの家から浮くことのない、ありふれた小さな住宅。そこに一連の事件で使われた毒の流通に関わった、王妃を推す貴族を監禁しているのだ。
公式の捕縛としなかったのは、王妃の横やりを回避する為と、敵を誘い出す為。
ユージーンはノアの身の安全を考え反対したが、ノアの意思が変わることはなかった。幼少期から毒を盛られ命を脅かされ続けてきたというこの国の王太子は、危険を顧みない傾向がある。勇猛果敢が過ぎて、命知らずと言いたくなるほどだ。
このままでは、王位に就く前に命を落とすことになるかもしれない。
付く相手を間違えたか、と思うことは何度もあった。だが、命を懸けてでも倒さなければならない相手がいることも、また事実だ。
そうしなければ、ノアが王位に就いた時に国の安寧を守れない。すでにこの国は、緩やかに腐り始めているのだから。
(それに、王太子側に付かなければ、姉を救う手立ても見つからなかっただろう)
ユージーンの脳裏に浮かぶのは、ノアの婚約者の姿だ。
オリヴィア・ベル・アーヴァイン。氷の侯爵と呼ばれる第二騎士団団長のひとり娘で、聖女より稀有な神子という存在。
イグバーンの宝石と謳われた亡き侯爵夫人の血を色濃く受け継いだ彼女は、以前屋敷の外に出なかったことから、侯爵家に眠る小さな宝石と囁かれていた。成長し、人前に姿を見せるようになった彼女は、最近ではノアと並び立つ姿のあまりの美しさと神子という存在の貴重さから、イグバーンの至宝と言われるようになった。
確かにオリヴィアは美しい。まあ、ユージーンにとっては姉の次に、となるのだが。
美しく気高く、年齢以上の落ち着きを見せるオリヴィア。かと思えば、くだらない思いこみで婚約者と仲違いをしたりもする。
ユージーンはまだ、オリヴィアという存在を理解しきれずにいた。
(彼女の話は、本当なのだろうか……)
ユージーンの姉に会った日、オリヴィアは姉が毒に侵されていると断言したあと、異母兄であるヴィンセントも毒の被害者だと言った。
『ユージーン様。ヴィンセント卿のこの瞳の色は、魔族の子だからではありません。恐らく、毒による症状のひとつです』
ヴィンセントの眼帯を外し、ユージーンに赤い瞳を見せながら、神子は告げた。
俄かには信じがたい話だった。なぜなら、腹違いの兄は魔族の子であると、だから母子を公爵家から追い出したのだと、物心つく前より言われ続けてきたのだ。兄の存在は公爵家の恥部である、と。
母が死に、姉が病んだのもすべては異母兄のせいなのだと、ユージーンは長年ヴィンセントを恨み続けてきた。それなのに、そのヴィンセントもまた毒の被害者であるという。
神子オリヴィアは外した義兄の眼帯を見て、やはりと頷いた。
これが、ヴィンセントが毒の被害者である証拠だと。
『ヴィンセント卿。この眼帯、光魔法の陣が描かれていますね。本で見たことがあります』
義兄は頷き、眠りの魔法だと答えた。
対象を眠らせることで癒しの効果を倍増させる、光魔法のひとつだ。上位魔法なので、使える人間はごく僅かと言われている。
ただ、直接魔法をかけるのではなく、布や紙に陣を描き魔力をこめると、光魔法に限らず効果はかなり弱まる。
『色々試した結果、強力な光魔法を一度かけるよりも、効果が薄れてでも眠りの魔法を範囲限定で長期的に使うほうが私には合っていました』
眼帯が外れれば当然痛みは戻るが、眼帯をつけている間は日常生活に困ることはないと異母兄は言った。ただし、布に付与した効果は時間と共に薄れるので、定期的に魔法をかけ直さなければならない。
異母兄は養父ブレアム公爵の伝手で、光の御使いと名高い大神官に、眠りの魔法を施していただいているという。
当代の大神官はまだ年若く、通常であればユージーンと同じ学生の年齢らしい。だが生まれた時から光の加護を受けていた彼は、貴族の身分でありながらすぐに神殿に引き取られ、神域で大切に育てられてきた。いわば普通の貴族子息よりも箱入りだ。
体が弱いこともあり、ほとんど大神殿のある神域から出ることはない。その為、国王以上に謁見することが難しい人物なのだ。
姉の治癒を願い、メレディス公爵家からも何度も謁見の申請を出したが、これまで一度として受理されたことがなかった。
(そうか。確かブレアム公爵の亡き奥方が、大神官の叔母だったはず)
大神官の実母は、産後の肥立ちが悪く、そのまま儚くなったと伝え聞いている。ブレアム公爵の奥方が、母親代わりに定期的に神域を訪問していたのは貴族の間では知られた話だ。
神に仕える清廉な神官も、結局は人だ。本当に救いを求める人間より、伝手や縁故、金銭の授受の有無が優先される。それを愚かだとは思わないが、虚しさで一瞬胸に穴が開いたように感じた。
そんなユージーンに、異母兄はありえない提案をした。
『俺から大神官に、ユーフェミア公女の祈祷をお願いしてみよう』
無表情に、淡々と言った異母兄を、ユージーンは頭がおかしいのではないかと本気で思ってしまった。
この男は、母と一緒に魔族と通じたという汚名を着せられ、メレディス公爵家から追い出されたのだ。母親はすぐに亡くなり、ひとりきりになったヴィンセントが、ブレアム公爵に見出されるまで味わってきただろう苦労は想像に難くない。
メレディス家を恨んで当然だろうに、異母兄はそういった感情を欠片も見せずに、姉を救ってやろうと言うのだ。
『冗談でしょう? そんなことをして、あなたに何の得があるというんです』
『損得は関係ない。ユーフェミア公女は俺にとっても半分血の繋がった姉だ。……公子にとっては腹立たしいかもしれないが』
当然のようにそう言ったヴィンセント。頭がおかしいというより、バカなのだとユージーンは理解した。
ヴィンセント・ブレアムという男は、自分と母親を不幸にした家族を案じる、大馬鹿者なのだ。
その時の気持ちを思い出し、笑ってしまいそうになった時、嫌な魔力の気配を感じ、ユージーンはバッと上空を仰ぎ見た。
「いかがいたしましたか、公子」
「シッ。……何かいる」
ノアに付けられた近衛騎士二人を制止し、ユージーンは目を凝らす。
貴族を監禁している家の屋根の上。夜空に浮かぶ月を背に立つそれは、細く骨ばった牡鹿のように見えた。立派な角があったからだ。
だが次の瞬間、牡鹿にはありえない巨大な羽を広げたそれは、こちらを見て笑った。裂けたような口からは、鋭い牙が光って見えた。
「魔族だ!!」
ユージーンの叫びに騎士たちが臨戦態勢に入るよりも前に、ユージーンは精霊を召喚し風の刃を屋根の上の魔族に向けて放った。
だが衝突する直前に魔族が姿を消し、あまりの速さにユージーンは見失う。風魔法が屋根を掠め、激しい音とともに飛び散った。
「気を抜くな! まだ近くにいる! ひとりは王太子殿下の元に――っ」
言い終わらぬうちに、真上に邪悪な魔力が現れた。
獣と人を混ぜたような雌型の魔族が、鋭い足の爪をユージーンに向かって振り下ろす。
まずい、とユージーンが左手で身を守ろうとしたその時、突然目の前に黒い影が割りこみ、銀に輝く剣で魔族の爪を防いだ。
「……くそっ。あなたに助けられるとは」
颯爽と現れユージーンを守ったのは、魔族の子と呼ばれた眼帯の騎士、ヴィンセントだった。
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