第六十三話 悪役令嬢の失敗と、騎士の微笑み
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王太子宮から侯爵邸に戻り、私は自室でひと息ついた。
着替えてから部屋の外にいたヴィンセントを呼び、ティータイムに付き合ってくれとお願いする。
ティータイム、と言っても飲むのは紅茶ではないのだが。事件について色々聞き疲労を感じていたので、そろそろ飲み頃だと思っていたアレを用意した。
「……これは、酒ですか?」
縦長のグラスに入った気泡を含むドリンクを見て、ヴィンセントが目をぱちぱちさせる。
「お酒ではありません。これは酵素シロップを使った、デトックス炭酸水です」
私がドヤ顔で紹介しても、ヴィンセントの表情は変わらない。
まるでピンと来ていない様子で黙って私の言葉の続きを待っている。本当に大型犬のような人だ。
「コホン。ええとですね、酵素というのは、私たちの体の代謝や消化を助ける働きをする大切な物質のひとつです。酵素は発酵によって増えるので、リンゴを発酵させシロップを作ってみました。これはそのシロップを炭酸水で割ったものです」
リンゴのスライスを砂糖で漬けて、直射日光の当たらない涼しい場所に保管する。日に何度かスプーンでかき混ぜることを一週間ほど繰り返し、細かな泡がたくさん出てきたら完成だ。
「便秘やむくみを改善してくれ、肌にも良いし疲労にも効きます。ヴィンセント卿は毎日私の護衛でお疲れでしょうから、ぜひ」
私が勧めると、ヴィンセントは恐る恐るといった風にグラスに口をつけた。
「……飲みやすいですね」
「良かった。お味はいかがです? 苦手ではありませんでした?」
「いえ。美味しいです」
もう一度グラスを傾けたあと、ヴィンセントはしばらく沈黙した。軽食に、と全粒粉と活性炭を使ったビスケットも出したのだが、それがまずかっただろうか。黒さを誤魔化すために、フルーツやチーズを載せたのだが、まずかったか。
美味しいのにな、と思いながらひとりで黒いビスケットを食べていると、やがてヴィンセントはグラスに視線を落としたまま口を開いた。
「もしかして。お気を遣わせてしまいましたか」
「え?」
「ユージーン公子のことです」
半魔、とヴィンセントを侮蔑したユージーンを思い出しながら、ビスケットを炭酸水で喉に流しこむ。
「……随分と、敵意を持たれているなとは思いましたが」
特別気を遣ったわけではないが、気まずさはあった。ストレートに尋ねるのはためらうくらいには。
だがどうやらヴィンセントの方から話してくれるつもりらしい。無口な男なので語りたがらないのではと思っていたのだが、意外だ。
ヴィンセントはひとつ頷き、グラスを置いた。
「彼に憎まれるのは仕方ありません」
「ユージーン公子と、何かいざこざがあったのですか」
「彼は俺を、魔族の子だと思っているので」
おもむろに、ヴィンセントは私の目の前で黒い眼帯を外した。
現れたのは血のように真っ赤な瞳だ。まるで牢獄塔で襲いかかってきた魔族のような。
驚きはない。王太子宮でユージーンがヴィンセントを半魔と言ったとき、私は靄がかかった記憶の底から、この赤い瞳を思い出していた。ヴィンセント・ブレアムは、赤い瞳を眼帯で隠す、ミステリアスなワケあり騎士だったのだ。
だが思い出せたのはすべてではない。引き揚げられた記憶はまだ穴だらけだ。
「……片目だけが赤い原因は?」
ヴィンセントは黙って首を振る。
「母は病で息を引き取るときまで、神に祈りを捧げるような敬虔な人でした。魔族と密通するなどありえません。ですが、生まれた俺の目が赤かったばかりに……」
貴族だったヴィンセントの母親とヴィンセントは、家を追い出され平民に身をやつしたそうだ。身に覚えのない不貞で夫も貴族としての生活も失った母親は、次第に伏せがちになり、そのまま亡くなったという。
ヴィンセントは平民として騎士となり、そこで剣の才を見出され、第一騎士団団長のブレアム公爵の養子となったそうだ。
「あなたの目が赤いことだけが、ユージーン公子に憎まれる理由ですか?」
「……彼の母親は、魔族に殺されているのです」
母親が、魔族に。
何か思い出せそうで、思い出せない。じりじりする。
「そして彼の姉は、目の前で母親が殺されたことで心を病んでしまい、寝たきりに」
「でも、あなたが殺したわけではないのに」
「しかし、彼は母親の死と姉の病が俺のせいだと思っています」
「なぜそんな思いこみを……」
ヴィンセントは赤い目を伏せ呟いた。
「俺は、彼の異母兄なので」
(そ……そうだった———!!)
衝撃でイスから転げ落ちるところだった。
一体どうしてこんな重要なことを忘れていられたのだろう。
前世でも【救国の聖女】ファンの間では、ふたりの関係がヘヴィすぎて、兄弟揃って闇深いと話題だったのだ。私はヴィンセントの、メレディス公爵とユージーンに対する複雑な感情が垣間見える度沼にずぶずぶハマっていった。ユージーンのあからさまな拗らせ具合にはあまり惹かれなかったのだが。
ヴィンセント推しだったのに、設定を忘れていた自分が腹立たしい。
いや、ユージーンがヴィンセントを憎しみのこもった目で睨んでいるのを見たとき、【救国の聖女】でもふたりの仲が悪かったことは思い出した。そして半魔という言葉で、ヴィンセントが眼帯の下に秘密を隠していることも思い出した。それなのに記憶の欠片が紐づけられず、すべてが断片的にしか思い出せないこの状況がもどかしい。
これは早急にデミウルに話を聞く必要がある。ついでにお仕置きも必要か。
「神子様がご存知でないのも無理はありません。俺がメレディス公爵家の出だと知っているのは、養父とメレディス公爵、そしてユージーン公子だけなので」
ヴィンセントは眼帯をつけ直しながら言った。
黒い眼帯の内側に、何か紋様が刺繍されていたように見えたが、ブレアム公爵家の家紋だろうか。一瞬のことでわからなかった。
「俺を解雇しますか」
「え? なぜです?」
「半魔の騎士など、お嫌では」
ヴィンセントは私と目を合わせようとせず、俯きがちに言った。
その姿が叱られるのをわかっている賢い犬のようで、胸になんとも言えない柔らかな感情が広がった。
「解雇などいたしません」
はっきりと私が告げると、ようやくヴィンセントは顔を上げた。
無表情だが、露わになっている片目には、戸惑いが浮かんでいるように見える。
「ヴィンセント卿は魔族ではありませんし、片目が赤いことは騎士としての実力に何の関係もありません。王太子殿下が信頼されたあなたを、私も信頼します」
「……俺がメレディス家の出身だと知る者は少ないですが、俺の片目が赤いことを知る者は多い。神子が半魔を護衛にしている、などと揶揄されることになるかもしれません」
「他の誰が何を言おうと関係ありません。あなたはあなたです」
自分の赤い片目と生い立ちに引け目を感じながらも、聖女を守る立派な騎士となったヴィンセントは、前世で最推しだったのだ。赤い目を含め、ヴィンセントはヴィンセントなのである。
つい前世のオタク魂が蘇り、力をこめて言ってしまい気恥ずかしさを感じたとき、目の前でゆっくりと、ヴィンセントが笑った。
微かな笑みだったが、無表情からの変化は衝撃的で、一瞬固まったあと私は重大なことを思い出した。同時に、自分がとんでもない失敗を犯したことも理解する。
(『あなたはあなた』って、主人公の聖女がヴィンセントに伝える選択肢の中でも、好感度爆上げのセリフじゃん……!!)
悪役令嬢の私が言ってどうすんだー!!
とテーブルをひっくり返して叫びたかった。だが一度放った言葉はもうなかったことにはできない。
内心頭を抱えて苦悶していると、ヴィンセントは席を立ち、おもむろに私の前に跪いた。
「不肖、ヴィンセント・ブレアム。オリヴィア・ベル・アーヴァイン様を全身全霊を以てお守りすることを、創造神デミウルの名の下に誓います」
私の手の甲に誓いの口づけをしたあと、ヴィンセントはもう一度柔らかく微笑んだ。
(これ……主人公セレナが受ける聖なる騎士の誓い……!)
まさかの好感度アップイベントをクリアしてしまった私。
嬉しそうなヴィンセントの姿に、彼と聖女に心の中で何度も謝罪した。
罪悪感が募りすぎて胃が痛い。しばらく消化に良い料理を料理長に頼まなければ。
その日の夜、私はショタ神に早く出てこいと呪詛を吐きながらヨガをした。
どうやらアンにその姿を見られていたらしく、翌朝部屋にはデミウル像が三体ほど増やされていたのだった。
前回あとがきを書き忘れました。
あとがき待ってました!! という稀有な方は、
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