第三十六話 近くて遠い、婚約者
聖女セレナの誕生から五日が経った。
私を取り巻く環境は日々悪化している。王太子をはじめとした王族を騙した悪女だと、どんどん中傷はエスカレートしており、アーヴァイン侯爵家の令嬢という貴族的序列さえも抑止力として機能しなくなりつつある。
「なぁオリヴィアサマ? もう王太子殿下との婚約はなくなったも同然なんだろ?」
「寂しいなら、俺たちが慰めて差し上げますよ」
「残念ながら偽聖女を結婚相手に迎えることはできないけどな」
名前も知らない男子生徒たちに絡まれることが増えた。
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる彼らに、内心ため息をつく。
前世アラサーの記憶を持つ私にとっては、こんなからかいは屁でもない。中傷も一度目の人生で数えきれないほどあり、慣れたものだ。
無視をするに限る、と男子生徒たちの前を素通りしようとしたが、腕をつかまれ阻まれてしまった。
(うわ。めんどくさ……)
気持ちが顔に出てしまっていたらしく、男子生徒が「そんなに嫌な顔されると傷つくなぁ」と白々しく言った。
「俺ら、オリヴィアサマの味方だぜ?」
「ちょっとゆっくり話せるところに移動しましょうか」
嫌らしい目をする彼らに、まずいなと少し焦りが生まれる。
周囲の生徒は見て見ぬふりどころか、この状況を面白がっているようで、ちらちらとこちらを伺いながら笑っている。
貴族は面子を重んじるので、失敗や醜聞には厳しい。一度傷がつけば、いくら高位貴族でもそういった扱いを受けることになるのだ。
(つまり、私はいまこの学園で一番ナメられてるのよね)
仕方ないとは思うが、だからと言って何をしても構わないと勘ちがいされては困る。
また騒ぎになると父に迷惑をかけるかもしれないが、シロを呼び出すべきか悩んでいると、「オリヴィア!」と聞き覚えのある声に呼ばれた。
顔を上げると、遠くからノアがこちらに駆けてくるのが見えた。
ひどく焦ったような、怒っているような彼の姿にほっとしたとき、ノアの行く手を阻むように数人の生徒が彼を取り囲む様子が映った。
(あれは……ノアの側近候補たちか)
学園にはご学友という名の王族の側近候補がいる。一度目の人生でもギルバートの傍には側近候補の生徒たちが常にいた。
彼らに囲まれたノアが「離せ!」と声を荒げ、いまにも精霊魔法を繰り出しそうな雰囲気なのが伝わってくる。
そうなる前にシロを呼び出そうとしたとき、私と男子生徒たちの間に突然壁ができた。
「無礼な手を離しなさい!」
そう叫び、男子生徒の手を払いのけたのは——。
「ケイト?」
「はい! オリヴィアさまの美を崇め隊隊長、ケイト・オベットです!」
満面の笑みで振り返ったのはやはり、恥ずかしい名前の親衛隊隊長だった。
他にも女子生徒が四人、ケイトと同じように男子生徒から私を守るように立ちはだかった。
「な、なんだよ」
「俺たちはオリヴィアサマをお慰めしようと……」
「まあ、なんて身の程知らずなこと!」
「本当ですわ! あなたたちごときをオリヴィアさまが相手にすると思って?」
「百回生まれ変わって出直していただきたいですわね」
「あら、百回じゃ足りません。千回は必要ですわ」
「一万回の間違いではございませんこと?」
言いたい放題の親衛隊たちに、男子生徒がたじろぐ。
ケイトはその隙に私の手を取ると、まるでエスコートするかのように歩き出した。
「行きましょうオリヴィアさま」
「そうです。このような輩に構っていても何の得もありません」
「ええ。時間のムダですわ」
令嬢たちにとどめを刺された形の男子生徒は、呆然自失となり立ち尽くし、追いかけてくることはなかった。
ふんわりと柔らかな甘い香りのする令嬢たちに囲まれ、私は肩から力を抜く。
「ありがとう、みんな。おかげで助かりました」
「礼など不要ですオリヴィアさま!」
「そうです! 親衛隊として当然のことをしたまでで……」
「あら。お友だちとしてではなくて?」
「おおおおおおお友だちとしてもです! もちろん、はい!」
顔を真っ赤にするケイトたちに、くすりと笑いがもれる。
この状況の学園で唯一の救いは、私が聖女ではないとわかっても態度を変えなかった彼女たちの存在だ。
一度目の人生では友人と呼べる存在がいなかった。家でも学園でも社交の場でも、私はいつだってひとりぼっちだったのだ。
今回はデトックスで健康を手に入れ外見を磨いてきたが、それがこんな風に人間関係に良い影響をもたらすとは。
いまの私はひとりではない。だから大丈夫だ、としっかり顔を上げる。
(それにしても……親衛隊、増えてない?)
一体何人いるのだろう、と笑顔の下で考えながら教室に向かうのだった。
◆
教室内では、生徒たちは主に三分割するように席についていた。
ひとつは聖女を中心とした取り巻き集団、ひとつはノアを中心とした側近候補集団、そして私を中心とした親衛隊集団だ。
一度目の人生でもやはり派閥はあった。主に王室派と貴族派だったが、ここまであからさまではなかった気がする。
私はノアを避け、ノアは私に近づこうとするが周囲に阻まれている。側近候補の生徒たちにしてみれば、私の存在はノアの立場を危うくする爆弾のようなものなのだろう。
聖女セレナが私たちを心配そうに見ていることには気づいたが、だからといって彼女と特別親しいわけでも、親しくしたいわけでもないのでそのままにしている。
聖女の存在はノアにとってはもろ刃の剣だ。私の代わりにセレナがノアの婚約者になれば、王太子としての立場は安泰だがこれまで以上に王妃に命を狙われることになるだろう。
できればノアの安全のためにも、セレナにはノアではなく、一度目の人生同様ギルバートルートに入ってもらいたい。
(……なんて、そんなのただの言い訳か)
窓の外を眺めるふりをし、自嘲する。
ただ、私が嫌だからだ。ノアを想い身を引こうとする自分と、ノアを誰にも奪われたくないと思う自分がせめぎ合っている。
昼食の時間となり、ノアに声をかけられる前に足早に教室を出る。
「オリヴィア、待ってくれ。話を——」
「いけません、殿下」
「もう殿下がお心を砕かれる必要はありません」
ノアと側近候補たちの言い争う声は、ケイトたちが「行きましょうオリヴィアさま!」と明るい声で遮断してくれた。
背を押されながら振り返ると、星空の瞳はじっとこちらを見ていた。
捨てられた仔犬のような、傷ついた、寂しげな色をしていた。
「今日は天気がよろしいですわね」
「昼食は食堂ではなく別の場所でとるのはいかがでしょう?」
「外で食べるのも楽しそうですわね!」
はしゃぐケイトたちの会話に救われながら廊下を歩いていると、不意に「オリヴィアさま!」と呼ばれた。
振り返ると、こちらに駆けてくる聖女の姿が。嫌な予感がして後ずさりすると、私とセレナの間にケイトたちが素早く立ちはだかった。
「……聖女さま、何か御用でしょうか?」
ケイトたちに守られてばかりもいられないので、自分から声をかける。
親衛隊たちは「オリヴィアさま……」と心配そうに私を見たが、セレナは逆にほっとしたような顔で微笑んだ。
「あの、どうしても言わなくちゃと思ったことがあって」
「私にですか?」
「はい。オリヴィアさま……王太子殿下とお話されたほうがいいのではないでしょうか?」
ピクリと眉が寄るのを止められなかった。
胸にじわりと嫌なものが広がっていく。これは恐らく、嫌悪と怒りだ。
けれど私の口からそれらが飛び出してしまう前に、代わりに言ってくれる人たちがいた。
「あなたがそれをおっしゃるの!?」
ケイトに睨まれ、セレナは肩を跳ねさせながらも続ける。
「私のような者が言うのはおかしいかもしれませんが、おふたりのこと見ていられなくて……」
「おかしいと思うなら黙っていればよろしいんじゃなくて!?」
「いったい誰のせいだと……」
「無神経にもほどがありますわ!」
主人公セレナのことが嫌いなわけではない。聖女らしく心優しい子なのだろうと思う。
けれど、彼女にだけは先ほどの言葉を言われたくなかった。
「あっ! オリヴィアさま……!」
ケイトの呼び留める声を背中に聞きながら、私はその場を逃げ出した。
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