第十八話 安全地帯
正規の手続きを踏まず空から王宮に侵入してしまった私を、ノアはすぐに王太子宮へと匿ってくれた。
部屋に通されここまでの経緯を話すと、天を仰ぎ動かなくなってしまったノア。
私はとりあえず、ノアが再起動するまで黙って王宮の茶菓子を楽しむことにする。出された紅茶もクッキーも、毒が入っていなかったことにほっとした。ノアのステータスが慢性中毒となっていたので、私がいなくなってからも毒を盛られ続けているのではと気が気ではなかったのだ。
「……ありえない」
どうやら復活したらしいノアが、顔を正面に戻し深々とため息を吐いた。
「自邸の敷地内で暴漢に襲われる? 第二騎士団団長の侯爵家だぞ? ありえないだろう」
「そうですよね。普通なら考えられないことです」
「まあ、そもそも普通であれば義理の娘に毒を盛らないな。しかし……これからどうするか。王太子宮にはそれほど長くオリヴィアを匿ってはいられない」
「え? 私、もう少ししたら帰るつもりでいましたが」
とんでもない、と首を振ると、怪訝な顔をされる。
「何を言ってるんだオリヴィア。刺客を簡単に手引きする家になど帰せるわけがないだろう?」
「でも、手引きしたのはお義母さまだと見当がついているので、彼女の動きにさえ気をつければ大丈夫かと……」
「ああ、では君の継母を処分してから帰るということだな?」
(……処分?)
ノアがあまりに清々しい笑顔で言うので、言葉の意味とのギャップに固まってしまう。
(処分というのは社会的に? それとも物理? 物理ですか?)
とびきり美しい天使のような外見だがこの王子、過激だ。
言葉を失っている私に、ノアがふと表情を崩し「冗談だ」と言った。王子ジョークは難解で、私にはとても対応できそうにない。
「オリヴィアはアーヴァイン侯爵夫人の仕業だと思っているようだが、僕はそうは思わない」
「え? お義母さまの指示ではないと……?」
「いや、刺客に指示を出したのはそうかもしれないが、そうするように侯爵夫人に指示を出したさらに上がいるのでは?」
「それって……」
私は驚いて、ノアの整った顔をまじまじと見た。
彼はしっかりと私と目を合わせてうなずく。
「恐らく、王妃エレノアだろう」
確信しているようなノアの言葉に、私は意識を遠くに飛ばしかけた。
(まじかー。私ってばもう黒幕に命狙われてるのかー)
「以前から王妃は僕の命を狙っていた。証拠はないので言えなかったが、先日僕を毒殺しようとしたのも王妃だ。謁見の際、王妃は君に興味を持ったようだったから、心配していたんだ。第二王子の婚約者にしようという腹だったのだろうが、僕が阻止したからな」
ノアは私が思っていた以上に頭がいいのかもしれない。
現状を理解し、敵の動向も把握している。改めて、本当にすごい十三歳だ。命を狙われ続けているせいで、そうならざるを得なかったのだろうと思うと胸が苦しくなる。
「なぜ王妃とお義母さまがつながっていると?」
「侯爵夫人は王妃主催のお茶会の常連だ。君の義理の妹もよく来ているようだぞ。知らなかったか?」
裏でこそこそ繋がっているかと思っていたが、堂々と会っていたのか。
私は離れにほぼ軟禁状態で生活していたため、継母や義妹の行動はまったく把握していないので驚いた。
「あの女は強欲で残酷だ。興味を持ったものでも、手に入らないのなら躊躇なく壊すし、邪魔になるようなら消す。もちろんそんなことにはさせないが……」
ノアは腕組みをし、指でトントンとしばらくリズムを刻んでいたが、やがて「仕方ない」と苦々しげに呟いた。
「アーヴァイン侯爵を呼ぼう」
◆
秘密裏に王太子宮に呼ばれた父、アーヴァイン侯爵は、ノアとお茶をしている私の姿を見て脱力するように息を吐いた。
「つい先ほど我が家の執事から、オリヴィアが敷地内の森で行方不明になったと連絡があったばかりなのですが……」
「申し訳ありません、お父様」
職務中の父に連絡がいったということは、いまごろ侯爵邸では大騒ぎになっているのだろう。
迷惑をかけてしまった、と落ちこんでいると、隣に座った父に頭を撫でられた。
「お前が無事でよかった。怪我などはしていないな?」
「はい。大丈夫です」
「大丈夫ではない。事態は深刻だぞ、侯爵」
ノアが森で私が殺されかけたことを話すと、父は青褪め、それからすぐに怒りを押し殺すかのように震え出した。
「私の屋敷に侵入したうえ、娘を害そうとした不届き者がいると……?」
すぐに見つけ出し殺さねば、と父が剣を手に立ち上がろうとするので、慌てて止めた。
「お、お父さま! お父さまは騎士団の団長です! 私刑はいけません!」
「そうだぞ侯爵。仲間や指示を出したものを聞き出さなければ。殺すのはそのあとだ」
「ノアさま⁉」
このふたり、普段落ち着き払っているくせに極端ではないか。
「それに侯爵。不届き者を始末するとなると、そなたは身内を自らの手で殺さねばならなくなるが、その覚悟はあるか?」
「ノアさま、そのお話は……」
「もう隠しておくことはできないよ、オリヴィア。侯爵に事情を説明し協力してもらわねば、君を守りきるのは難しい」
「いったい、どういうことなのです……?」
戸惑う父に、ノアはこれまでのことをすべて話してしまった。私の置かれた環境、受けて来た虐待、先日王宮で倒れた真実についてもだ。
父は次第に顔色を失い、絶句していた。それはそうだろう。実の娘が後妻に虐待を受け、毒まで盛られていたのだ。いくら『氷の侯爵』でも衝撃を受けないはずはない。
「まさか、イザベラが……」
私を抱きしめ、父は「すまない」と苦しげに吐き出した。
「お前がそんな目に遭っていることに気づきもせず、私は……」
「私……お父さまには、嫌われているのだとずっと思っていました」
「バカなことを! ……いや、そう思わせてしまったのは、すべて私のせいだ。すまない、オリヴィア。お前と距離を置いたのは、嫌っていたからではない。その逆だ。愛おしくて、距離を置いたのだ」
父は私に、亡くなった元妻、つまり私の実母である前侯爵夫人を心から愛していたのだと話してくれた。
母の身分が低く、結婚するために王族派の貴族に頼み母を貴族の養女にしたこと。本来アーヴァイン侯爵家は政治的に王族派でも貴族派でもなく、中立の立場を取らなければならないこと。そのため母が亡くなったあと、貴族派の後妻としてイライザを迎えなければならなかったことを。
「オリヴィア、お前は母親に瓜二つだ。そんなお前が可愛くないわけがないが、イザベラたちを蔑ろにするわけにもいかない。だが目の前にいればお前にしか目がいかなくなってしまう。だから私は距離を置くしかなかったのだ……すまなかった」
「もう、もういいですお父さま。お父さまに嫌われていないとわかっただけで、充分です」
「嫌うわけがない。愛している、オリヴィア」
「お父さま……!」
一度目の人生で、私に最後まで冷たかった父の姿がゆっくりと消えていくのを感じた。
あんな目を向けられるようになる前に、こうしてきちんと言葉を交わしておけばよかったのだ。いや、もう後悔はしない。そのためにいま私は生きているのだから。
父との熱い抱擁に涙ぐんでいると、コホンとノアがわざとらしい咳ばらいをした。
「君たちの親子愛はよくわかった」
「はい、殿下。オリヴィアを守るためでしたら、私は何でもいたします。まずは後妻のイザベラを諫め——」
「待て待て待て。早まるな。まだ向こうを刺激するのはまずい。何よりも大事なのは、オリヴィアの身の安全だ」
「と、言いますと……?」
「此度の一件、僕は王妃エレノアが関わっているとみている」
ノアの発言に、一瞬父の表情が固まる。
だがすぐに復活し「イザベラの家は王妃の実家の傍系です」と神妙にうなずいた。
「王妃が関わっているとなると、王太子宮に匿い続けるのも得策とは言えない。考えたのだが……侯爵領のどこかに、オリヴィアを隠すことはできないか?」




