その後SS『闇に紛れる王太子妃④』
オリヴィアの愛称については確か電子書籍の書き下ろしに収録した、はず……?
「トリスタン殿。僕の愛する妻を勝手に連れ出すのはやめてくれないか。国の未来を背負う者として、火竜に仕える竜人族を切るようなことはしたくないんだが」
「切るってどういう意味ですかノア様? 比喩ですか? 直喩ですか?」
「相変わらずの狭量だな、王太子。ヴィアは竜の翼を持つ竜人族だ。鳥籠は似合わない」
「トリスタン様、私は確かに竜人族なのでしょうが、翼は生やせません」
「妻を愛称で呼ぶのもやめてもらいたい。リヴィは空より僕の隣が似合うんだ」
「その狭量を正さなければ、その内手の届かない所まで逃げられるだろう」
「貴殿が連れ去る、の間違いではないか? 妻を拉致する不届き者なら、遠慮なく切り捨て、雷で消し炭にできるな」
視線の衝突で火花が散るのが見えた。火と雷のぶつかり合いだ。
オリヴィアはその場の空気に耐えかねて、気配を殺しスススとユージーンたちの横に移動した。
「どうやって私が王宮を抜け出したことに気づいたんです?」
「妃殿下……いい加減に王族となったことを自覚してもらえませんか。どこの国に寄りにもよって闇市にお忍びで出かける王太子妃がいるんですか」
「うぐぐ……答えになってません! 部屋に監視の密偵でも忍ばせてるんじゃないでしょうね?」
わざとらしく怒った顔で誤魔化すオリヴィアに、ユージーンはそれは深く長いため息を吐き、隣のヴィンセントを指差した。
「ヴィンセント卿は部屋の外にいても気配が察知できるほど鋭敏です。オリヴィア様がトリスタン殿とバルコニーから飛び立った時点で、彼は私に精霊を使い知らせを送ってきました」
「……さすがに空は飛べないので」
ヴィンセントは淡々と言ったが、その瞳はじっとりとオリヴィアを睨みつけている。ように見える。
護衛騎士として置いていかれたことを恨んでいるようだ。
「知らせを受け、今度は私がすぐに精霊を飛ばし、あなた方を追跡しました」
「最初からバレバレな上つけられていたんですね……。でも、ノア様には秘密にしてくれても」
「そんなことをしたら私たちの首が飛ぶか、黒焦げになるではありませんか」
鼻で笑うように答えるユージーンと頷くだけのヴィンセントに、オリヴィアは地団太を踏みたくなった。
味方が誰もいない。毒を摂取したいという欲求は切実なものなのに、誰も理解しようとしてくれないどころか目をそらそうとする。その度悲しい気持ちになり、窓から飛び出してしまいたくなる。
ティアラを外し、ドレスを脱ぎ捨て、ただのオリヴィアとなって空へ。
「……しばらく、遠い国に行っちゃおうかしら」
心の中で言ったつもりが、どうやら声に出していたらしい。
その場にいる全員がギョッとしたようにこちらを見た。
「お、オリヴィア? いま何て?」
「いいな、ヴィア。どこに行きたい? 付き合うぞ」
「おい、勝手なことを言うな!」
掴みかかろうとしたノアをトリスタンが軽く払い、瞬間移動のようにオリヴィアの横に立った。
肩を抱き寄せらられ「好きなところに連れて行ってやる」と良い笑顔で言われ、オリヴィアも笑顔で「ありがとうございます」と返す。
「出来たらメイドのアンも連れて行きたいです。あの子はずーっと私の味方なので」
「父親にも話しておいたほうがいいのではないか? 心配するだろう」
「そうですね! 話しておかないと、自ら捜索隊を率いて国外に行きそうですし」
オリヴィアとトリスタンのやり取りに、ぼう然と立ち尽くすノア。
やがてヴィンセントがノアの肩を叩き、同情するような顔で首を横に振った。
「オリヴィア様は本気でやります」
「う……だが、僕は」
「殿下。いま選択すべきは譲歩一択ですよ。そもそも、あの方を縛り付けるなんて無理な話では?」
神と竜に愛された唯一の女性なのですよ。
ユージーンのこの一言に、ノアは深い葛藤の末に諦めたように肩を落とした。
「オリヴィア……僕が間違っていた。戻ってきてくれないか」
「……戻ったら、私を監禁しませんか?」
「し、しない。そんなことは考えたこともない。一度も」
動揺するノアに、両隣の腹心が『こいつ考えてたな』という顔をした。
オリヴィアも警戒を強め、トリスタンのマントをギュウッと掴む。それにトリスタンがどこか勝ち誇ったような顔をしたので、バチバチと髪の辺りが帯電しかけるのをグッとノアは堪える。
「わかった……鍵をオリヴィアに渡そう」
「鍵、ですか? 一体何の……」
「王妃の温室の――」
「戻ります!」
「食い気味で答えましたね」
「一切の迷いがない……毒に負けた」
シュバッと手を挙げ元気よく答えたオリヴィアに、ユージーンが眼鏡を押し上げながら呟き、ノアが更に肩を落とす。ヴィンセントはただ頷くだけだ。
「いいのか、それで? 閉じ込められていることに変わりはないぞ」
「トリスタン様、いいんです。不自由でも愛を選択したのは私ですから」
「そうか。……シルヴィアもそうだったのだろうな」
亡き母のことをどこか寂しげに呟くトリスタンに、オリヴィアは少し胸がキュッと収縮した。
直接訊ねたことはないが、トリスタンは母を愛していたのだろうか。同胞として以上の想いを抱いていたのだろうか。
「……そうかもしれません。でもお母様が今も生きていたら、きっとトリスタン様と森を散策したり、空を飛んでちょっと遠くの国までお出かけしたりしていたんじゃないでしょうか」
「どうかな。お前の父親が許すかどうか」
「あ~。地の果てまでも追いかけてきそうですね。でも私も一緒だったら許してくれたと思いますよ!」
そこまで言って、オリヴィアはトリスタンにそっと耳打ちした。「時々逃げたくなるときがあるんです。そういうときはまた付き合ってくださいね」と。
いたずらする子どものように笑ったオリヴィアに、トリスタンも笑って「次はもっと上手くやるか」と返してくれた。
「では、帰りましょうかノア様! そして温室の鍵をください!」
満面の笑みでノアに駆け寄ったオリヴィアだが、冷たい微笑みを貼り付けたノアにガシリと抱き寄せられ拘束される。
「もちろん約束は守るよ。ただし、鍵はふたつに増やしておいた」
「え……」
「ひとつはオリヴィアにあげる。もうひとつは僕が持っているから、温室に入りたいときは僕に言うこと」
「ええー!? そんな! それじゃあ私が鍵を持つ意味がないじゃないですか!」
「ふたりでひとつずつ分け合うというのは素敵なことだろう? ロマンチックだね」
「どこがですか⁉ ひどい! これは詐欺です! 前言撤回、やっぱりトリスタン様と――」
言いかけた言葉はノアの唇に吸い込まれていった。
無理やり振り向かされ重ねられた唇は、乱暴かと思えば驚くくらい優しかった。
「……これ以上、他の男の名前を呼ぶのは許さない」
「ノ、ノア様」
「最後まで聞くように。鍵は増えたし、温室に入るのは僕と一緒じゃないといけない。でも、一日にひとつ、僕の前でと約束できるなら毒の摂取をしてもいいよ」
「本当ですか⁉」
「仕方ない。僕の知らないところで毒を摂取して倒れられるよりずっといいからね」
そう言ってため息をついたノアに、オリヴィアは今度は自分から口づけをした。
こんな怪しげな場所で目立つだろうとか、トリスタンたちの前で恥ずかしいとか、そんなことはどうでも良くなるくらいノアが愛おしくなってしまったのだ。
「愛していますノア様!」
「……僕のほうが愛してるよ」
熱い抱擁を交わすふたりに、トリスタンたちはややあきれの強い冷めた目を向ける。
あれは突拍子もない行動を衝動的に起こしがちなオリヴィアをコントロールする作戦だと、オリヴィア以外は全員気づいていた。
今後オリヴィアが毒を摂取するのは、あの温室で、ノアとふたりの時だけと決定したのだから。どこかへ毒採取に出かけたり、毒を持ちこんだり、毒を作り出したりする可能性がなくなった。それは周囲の警護する側の人間にとっても大変ありがたいことだったので、誰も口を挟むものはいない。
「明日、早速温室に一緒に行ってくれますか?」
「構わないよ。ところでオリヴィア」
「はい?」
「何やらたくさん買いこんだようだけど、見せてもらえるよね?」
「…………!」
魔王様の微笑みに、オリヴィアは震えながらユージーンたちを振り返る。しかし彼らはそろってバラバラに視線を逸らし、オリヴィアの救援信号を無視した。なんと、トリスタンもである。
味方を失ったオリヴィアは、涙目で袋を抱え首を振る。
「こ、これはダメです、滅多に手に入らない貴重なものでっ」
「オリヴィア?」
「だってだって、この市自体が珍しいのに」
「オリヴィア?」
「これでもかなり厳選したほうで……!」
「オリヴィア?」
「う、うわーん!!」
どれだけオリヴィアが言い募ろうとも魔王様の笑みが崩れることはなく、闇市の戦利品たちはオリヴィアの手を離れ、闇に葬り去られることになったのだった。
それからは、秘密の温室で政務の合間のひとときを、仲睦まじく過ごす王太子夫妻の姿が毎日見られるようになったとか。
予想外に長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました!
『元、悪女ですから』~以下略~にもたくさんブクマ&☆☆☆☆☆評価をありがとうございます!