第十六話 白いケモノ
まるで雲の中にいるような、白い靄がかった空間にいた。
ああ、きっとこれは夢だ。直感でそう思ったとき、あの憎たらしい声が響いてきた。
『オリヴィア……オリヴィア……聞こえてる?』
ショタ神、もとい創造神デミウルが、夢の中で私に語りかけてくる。
なぜいつもの朽ちた祭壇ではないのだろう。姿も見せず声だけなのもどうしてなのか。
会えたら次こそは一発殴っておきたかったのに、と悔しい気持ちでいると、私の心を読んだのか『助っ人を送ったから、殴るのは勘弁してよ』と苦笑する声が。
(助っ人って、誰のこと?)
色々説明の足りないポンコツ神なので、きちんと確認しておきたかったのに、『もう時間だね』という言葉にまたかとため息をつきたくなった。
『これで約束は……守ったからね……』
デミウルの声が遠退いていく。
(次こそ絶対殴ってやるから、首を洗って待ってなさいよーっ!)
白い靄ですべてが埋めつくされる直前、犬の遠吠えのような声が聞こえた気がした。
それから間もなく自室のベッドで意識が浮上し、思わず貴族の令嬢らしからぬ舌打ちをかましてしまう。
「あのショタ神め……」
(私が苛立つってわかってて、わざと説明省いてるな、絶対)
◆
ヒールの歩き難さにかまうことなく、ズンズンと森を進む。
せっかくの優雅な午睡を味わう予定が、さっきは最悪な目覚めだった。あれだけ言ったというのに、また中途半端なことをしてくるとは。
(助っ人って誰のことよ。名前とか、見た目とか、どういう助っ人とか、いつ出会うとか、説明できることは山ほどあるでしょうが)
ショップレビューをつけられるとしたら完全に星1だ。ボロクソな低評価を書きこんでやりたい。
「待ってくださいよお嬢さま~! どこまで行かれるおつもりなんですか~」
私の日傘を持ったアンが必死に追いかけてくる姿に、そういえばひとりではなかったと足を止めた。
落ち着こう、と長く息を吐く。イライラしていても仕方ない。ストレスは美容の大敵だ。助っ人についてはデミウルが送ると言ったのだから、いずれ会えるのだろう。それまでは私はできることをしていればいい。
私がするべきことはふたつ。デトックスとスキルアップだ。
そのために、離れの裏に広がる森へと散策に出かけることにした。侯爵邸の敷地なので人はいないし、自然のままなので様々な植物が自生していると踏んだのだ。
「けっこう奥まできちゃいましたけど、大丈夫なんですか?」
いつもの散歩のコースを外れ、どんどん森に入っていく私に、ついてきたアンは不安顔だ。
「大丈夫よ。近くで獣が出たなんて話はないんでしょう?」
「それはそうですけど……」
「あっ! あった、ダンデライオン!」
明るい黄色の花を見つけ、しゃがみこむ。アンに「ドレスが汚れます~!」と注意されたが聞こえないフリをした。
ダンデライオンは日本で言うと西洋たんぽぽ。そう、道端でよく見かけるポピュラーなあのたんぽぽだ。
私がダンデライオンをひっこ抜き、持ってきたカゴに入れると、アンはまた何かおかしなことをし始めたぞという目をした。
「そんな風に花を引っこ抜いてどうするんです? 離れの庭にでも植えるんですか?」
「ちがうわよ。デトックスに使うの」
使うのは苦味成分のあるダンディライオンの根の部分だ。肝臓や胃を強化してくれ、便秘解消、母乳の出を良くするなんて効果もある。利尿作用も高く、むくみにいい。
ハーブとして使え、根を炒ってから抽出するとタンポポコーヒーになる。この世界でコーヒーを見たことがないので、紅茶に飽きてコーヒーが飲みたくなったら、これで代用したい。
「よく見かける花がデトックスに使えるんですか!」
目が金貨のように輝き出すアン。
商売をするのはいいが、王都中のダンデライオンを根こそぎ引っこ抜いて集めそうで怖い。
「帰ったらまた厨房を借りて、これでお茶を淹れてみるから、アンも手伝って」
「了解しましたお嬢さま!」
相変わらず現金なアンに笑いながら、辺りを見回す。
他にもデトックスに使えそうな植物はありそうだ。デトックス関連以外の植物には詳しくないが、前世では見たことのないような植物もたくさん生えている。もしかしたらこの世界特有のものの中にも、デトックスに使える植物があるかもしれない。
(お父さまにお願いしたら、植物図鑑とか買ってもらえないかな)
解毒薬というものもこの世界にはあるはずなので、勉強すればそれを自分で作れるようになるかもしれない。
もし作れるようになったら、ぜひ王太子・ノアにも渡したいなと思っていると、不意に頭の中にピロンと電子音が響いた。
【毒草:エイデラの葉(毒Lv.1)】
紫のすずらんのような小さな花をつけた植物に、警告ウィンドウが表示されている。
(見つけた毒草―! しかも毒レベル1! 食べられる!)
毒草を食べられることに喜ぶ自分に、少々複雑な気持ちになったが仕方ない。
レベルを上げるためには毒を摂取しなければならないのだ。レベル1なら経験値を得られるだけで害もないし。美味しいし。と自分に言い訳をする。
だがアンの前で毒草を採取するわけにはいかない。何とかひとりにならなければ。
「あー……ええと、アン?」
「何ですか? お嬢さま」
「ダンデライオンをもっとたくさん採りたいから、もうひとつカゴを持ってきてもらえる?」
「ええ? このカゴだけでも結構な量だと思いますけど。それにお嬢さまの傍を離れるわけには——」
「ハーブにしたら半分あなたにあげるから」
「はい喜んでー!」
居酒屋店員のような返事をすると、アンは一目散に屋敷へと駆けていった。
本当に扱いやすくて助かる。
「アンが戻ってくる前に、ちゃっちゃと採取しますか」
ハンカチを広げ、そこにぷちぷち摘んだエイデラの葉を集めていく。
レベルを上げるためにも、多めに採っておいたほうがいいだろう。
「……ちょっとだけ、かじってみようかな。葉っぱの先をほんの少しだけ」
誰にでもなく言い訳をしながらエイデラの葉をかじると、瑞々しく爽やかな甘さが口の中に広がった。
「んんっ! 何これ、果物みたい~! 毒の入ってた料理とはちがって、素材そのものの美味しさって感じ。これ何枚でもイケちゃうわ~」
【毒を摂取しました】
【毒を無効化します】
【毒の無効化に成功しました】
【経験値を20獲得しました】
美味しく食べてレベルアップできるなんて、まったくデミウルはなんと罪な設定にしてくれたのだろう。おかげで毒草を食べる手が止まらないではないか。
だがそろそろアンが戻ってくるかもしれない、と毒草をハンカチで包み胸元に隠したとき、背後でガサリと草のこすれる音がした。
「アン? 戻った、の……?」
振り返ると同時に、笑顔が固まった。
藪をかきわけ現れたのは私付きの侍女ではなく、いかにも破落戸といった身なりの怪しげな男たちだった。明らかに侯爵邸の使用人ではない。
「だ、誰っ!」
男たちは顔を見合わせ「こいつか?」「銀髪だ、間違いねぇ」と確認している。
すぐにピンときた。継母だ。継母がこの男たちに、私を狙うよう指示したのだろう。金さえ払えば何でもやりそうな連中だ。手引きもなしに侯爵邸の敷地に入れるわけがない。
目的は何だ。私を拉致でもする気か。
身構える私の目の前で、男たちがギラリと光る得物を取り出した。まさか、と血の気が引くのと同時に、頭に電子音が響く。
【ナイフ(毒塗布):ジャコニスの鱗粉(毒Lv.1)】
前にも見た毒で、レベルにもほっとしたのは一瞬だった。
毒はいい。いや、良くはないが、耐えられるレベルだからまだいい。だが、毒に耐えられたとしても——。
(ナイフで刺されたら死ぬ! 普通に死ぬ!)
私に与えられたのは毒スキルのみで、物理攻撃を防ぐ力は一切備わっていないのだ。
「あっ! 待ちやがれ!」
迷う余地はなく、私は屋敷に向かって駆けだした。
だがドレスにヒールという姿で破落戸たちから逃げきれるわけもなく、あっさりと捕まってしまう。
「やめて! 離して!」
「へへ。俺らも生活がかかってんだ。悪く思うなよ」
男が私に向かって、ナイフを振りかざす。
こんなところで死ぬのか。せっかくやり直したのに、一度目の人生以上に短い人生なんてあんまりだ。
(あのショタ神、詐欺だって訴えてやる! 呪ってやる!)
「死ね!」
ナイフが風を切る音がした。
刺される、と目をつむり痛みを覚悟したが、一向にその痛みが訪れない。
痛みを感じる間もなく死んだのだろうか、とおそるおそる目を開けると、想像もしない光景が待っていた。
「な、なんだコイツ……⁉」
まるで私を守るかのように破落戸たちとの間に立っていたのは——。
ピンと立った耳、左右に揺れるふんわりとした長い尻尾、すらりとした四つ足の、美しい毛並みの白い獣だった。




