その後SS『負の遺産は宝の山』
毒殺令嬢のSSネタをゆる募!
お仕事の合間に書けたらと思っております~
(たぶん大体コメディになります)
ある春の日の、穏やかな陽気の午後。
ユージーン・メレディスはひとり、王宮の廊下を歩いていた。
午後の仕事の段取りを頭の中で反芻しながら、王太子の執務室に向かう途中、
「ユージーン卿、ユージーン卿!」
背後から、聞き覚えのある声に呼ばれ立ち止まる。
ユージーンは学園卒業後すぐに、父のメレディス公爵の保有していた領地をひとつ継ぎ、伯爵の位を得て、公子ではなく卿と呼ばれることが増えた。
振り返るが、廊下に人影はない。
仕事のし過ぎで幻聴がしたのかと思った時、壁際に置かれた彫像の影から、ひょっこりと顔を出したのは――。
「……オリヴィア様?」
おかしい。また視力が落ちたのだろうか。
この国の王太子妃がドレス姿で床にしゃがみ込み、キョロキョロと辺りを見回し、ちょいちょいとユージーンを手招きしている。
相手がオリヴィアでなかったら、不審者として衛兵を呼んでいるところだ。
「どうされましたか? 王太子殿下はただいま王族会議中で――」
「わかっています。ノア様がいない時を見計らって声をかけましたから」
なぜか胸を張ってそう答えたオリヴィアに、ユージーンは遠い目をしながら眼鏡を指で押し上げる。
「……何か嫌な予感がするので、失礼しても?」
「待って待って! 実は、ユージーン様に折り入ってお願いがあるのです!」
さっさと立ち去ろうとしたユージーンだが、オリヴィアにがっしりと腕を掴まれ逃げられなくなる。
その時ようやく、数歩離れた柱の影からこちらを伺っている存在に気づいた。
王太子妃の近衛騎士、ヴィンセント・ブレアム。
ブレアム公爵の養子であり、ユージーンの異母兄でもある男だが――何をやっているのだろうか。
近衛騎士なら、黙って見ていないで太子妃の奇行を止めてほしい。一緒に奇行に走ってどうするのだ。
「お願い、ですか?」
「そうなんです! ユージーン様にしか頼めないことなんです!」
そうユージーンにすがるオリヴィアは、王太子妃となり増々美しくなった。
豊かな銀の髪は夜空に流れる星の川のように輝き、凪いだ湖面のような水色の瞳はどこまでも澄んでいる。
女性らしい曲線を描く体のラインは、ドレスの上からでも良くわかるほどだが、本人はそういった自身の特別な外見に頓着がない。
だからこんな風に、貴い身となったいまでも気安げにユージーンに触れるのだろう。
「……その、お願いとは一体?」
嫌な予感しかしなかったが、話を聞かなければ解放されそうにない。
強引に手を振り払うことはしたくない、と決めた自分の判断を、ユージーンはすぐに後悔した。
「王妃の温室のカギ、ユージーン様が持っているのですよね?」
「何のことでしょう。では、私はこれで――」
「私を王妃の温室に連れて行ってください!」
ギュッとユージーンの腕を抱き寄せ、オリヴィアはうるんだ瞳でユージーンを見上げた。
ノア様には内緒で、と囁かれ、ユージーンは愚かにもその誘惑めいた言葉に抗うことが出来なかった。
「ここが王妃の温室……!」
王妃と実父のハイドン公爵による国家転覆を狙ったクーデター後、王妃宮は封鎖されていた。
その宮の一画にある温室は、国王すら入ったことがない王妃の秘密の花園であった。
そこで王妃は密かに毒物を作っているという噂が、昔から実しやかに囁かれていたが、まさか王宮でありえないと、あくまで噂であったはずなのだが。
「すごいです! あの時はしっかり見る余裕がなかったけれど、本当に毒草や毒花ばかり!」
仕方なくユージーンが管理していた鍵で温室を開錠すると、入室した途端オリヴィアは声を上げて喜んだ。
「あ! あれは栽培が難しく希少性の高い毒花! あっちには南の国の熱帯雨林にしかない毒の木の実も!」
オリヴィアはドレスを翻し、温室の中を駆けまわる。
まるでお菓子の家を発見して喜ぶ子どものようだ。
実際にはここにあるのはお菓子ではなく毒物ばかりだが。
「は……! あれはまさか……毒の鉱石と、そのそばにしか生えない毒の苔では⁉」
ロックガーデンのような一画を見つけ、オリヴィアは飛び上がったあと、勢いそのままにユージーンを振り返った。
「ユージーン様! ここは天国ですか⁉」
「いや、むしろ地獄では?」
目をキラキラと輝かせ頬を紅潮させるオリヴィアとは逆に、瞳の輝きを失い、紙のような顔色でユージーンは答えた。
四方八方が毒だらけのこの場所で、こんなにも無邪気にはしゃげるオリヴィアは、ユージーンにとって理解の及ばない異界の人間のようである。
息をするだけで毒に侵されそうな空間から、ユージーンは一刻も早く逃げ出したい。
しかしオリヴィアに温室のカギを渡すわけにもいかず、早くもオリヴィアを連れてきた己の判断を後悔した。
「もう。ユージーン様はこの毒物たちの価値を全然おわかりでない!」
「わかりたくもありませんが、貴女にとってここが楽園だということはよくわかりました」
オリヴィアにこの温室の情報を伏せていた王太子ノアの判断は正しかった。
後で雷を一、二発撃たれるくらいは覚悟しておかなければ。
「はぁ……ユージーン様は相変わらず嫌味なくらい冷静ですね」
「取り柄と言えばそれくらいなので」
「そういえば、ユーフェミア公女様に隣国の王弟殿下から婚約の打診があったとか――」
「ありえませんね! 我が姉はご存じの通り身体が強くないので国外に出るなど以ての外! 早々に王太子殿下のお名前を拝借し外交ルートを通じて云云かんぬん!」
「シスコンも相変わらずですね……」
姉の名前を出した途端にカッと両目を見開き饒舌になるユージーンに、今度はオリヴィアがあきれた目を向ける番だ。
姉弟愛は素晴らしいが、ユージーンに未だ婚約者がいないのは、確実にこのシスコン具合のせいだろう。
「ヴィンセント卿はどうなんです?」
「何がでしょう」
オリヴィアの問いかけに、それまで気配を消して毒の実がなる木の陰に立っていたヴィンセントが静かに応える。
「ユーフェミア公女の縁談について、何か思うところはないのですか?」
「俺は何か言える立場ではありません」
だろうな、とユージーンは異母兄の無機質な答えに鼻を鳴らした。
しかしそんな異母弟をチラと見ると、ヴィンセントは続けてこう言った。
「……ですが、公女が幸せであればいいと思っております」
微かに目元を和らげたヴィンセントに、オリヴィアは微笑み、ユージーンはもう一度鼻を鳴らした。
「そうですか。こんなに想ってくれるご家族がいて、ユーフェミア公女様は幸せだと私は思いますよ」
「……オリヴィア様」
聖母のごとき慈愛に満ちた表情で言ったオリヴィアだが、
「さりげなく温室のカギを懐に入れようとしないでください」
うっかり感動しかけたユージーンの隙をつき、胸元にしまってある鍵に手を伸ばしてきていた。
なんて手癖の悪い、とあきれながらユージーンがオリヴィアの手首をつかむ。
「チッ」
「今、舌打ちしました? 王太子妃が?」
王太子妃になってから、オリヴィアは変わった。
横柄になったとかではなく、何というか、取り繕わなくなった。
おそらくこういう、貴族の令嬢らしからぬ言動のほうが、彼女にとっては自然体に近いのだろう。
今まで随分と分厚い猫の皮をかぶっていたのだなと、ある意味感心したユージーンだが、夫であるノアはというと「どんなオリヴィアでも可愛い。むしろ可愛いオリヴィアが増えたみたいで大変良い」などと良い笑顔で言っていたので、王太子夫妻の仲には何の問題もないのだろう。
「オホホホ。何のことでしょう? そういえば、そろそろノア様の会議が終わる頃じゃないかしら。ユージーン卿、もうお戻りになったほうがよろしいのでは? ここは私がカギをかけておきますから、どうぞお行きになって?」
「そう言って、カギをくすねる気満々ですね? ダメですよ。王太子殿下に、ここのカギは決してオリヴィア様には渡してはならないと言われておりますので」
キッパリと要求を跳ねのけたユージーンに、オリヴィアは「も~~~!」と癇癪を起す子どものように叫んだ。
「ユージーン卿もノア様も、全然わかってません! この温室の価値をいちばん理解している人間がカギを管理するべきでしょう!」
「いちばん理解しているからこそ、カギを渡すのは危険なのですが」
「……でも、いずれここの主になるのは、未来の王妃である私ですよ?」
「それまでには王太子殿下がここの取り壊しを決めるのではないですか?」
少し前にノアが国王に、今後新たに妃を迎える予定はあるのか聞いていたのは、閉鎖中の王妃宮をどうするか決めるためだろうと思っている。
その証拠に、ノアが新たな宮の建設を計画しているようなのだ。
恐らく、元王妃の悪行の印象が強いので王妃宮を取り壊し、自分が国王になった際に王妃になるオリヴィアの為に、新たな王妃宮を建てようと考えているのだろう。
そして十中八九、新たな王妃宮からはこの秘密の温室は消えているはずだ。
「ひどい! こんな宝の山なのに取り壊すなんて!」
「ここを宝の山だと言える貴女が私は心底怖ろしいです」
いくら創造神に毒の能力を与えられ、毒では死なない体だとは言え、毒と聞けば手当たり次第に収集し、嬉々として食べてしまうのだ。
神を疑うわけではないが、仮死状態になることもあるというのは、夫としては心配して当然だろう。
ユージーンだって、心配しないわけではない。
誰にも言うつもりはないが、オリヴィアを憎からず想ってもいる。
もちろん主君の伴侶を奪おうとは考えてはいないし、いまは気持ちに折り合いもつけているが、オリヴィアが自分にとって特別な女性であることはかわらなかった。
「こうなったら……えいっ!」
「あっ! オリヴィア様!」
突然、おもむろに目の前の花壇に生えていた背の高い花の花弁をむしり取ると、オリヴィアはそれを躊躇なく口に放り込んでしまった。
止める暇もなかった早業に、ユージーンは慌ててオリヴィアの手をつかむ。
「その辺に生えている毒草を食べる淑女がどこにいるんですか⁉」
「ふぉふぉにひまふ~~~!」
「食べながら喋らない! 早く吐き出してください!」
「むぐ。……もう飲み込んでしまいました」
ケロっとしたオリヴィアの言葉に、ユージーンは愕然とする。
いくら毒では死なないとはいえ、こんな風に思い切りよく食べられるものなのか。
「冗談でしょう……?」
「とっても瑞々しくて、爽やかな香りが広がって、大変美味しゅうございました」
なぜか恥じらうように語るオリヴィアに、ユージーンは眩暈を覚えた。
これはとても自分の手に負える相手ではない。
「……ヴィンセント卿。なぜ止めない」
オリヴィアが毒花を摂取しても、木の影からちらとも動かない異母兄をユージーンは睨む。
しかしヴィンセントは平然とした顔で答えた。
「オリヴィア様が毒物を摂取する姿は見慣れている」
「護衛騎士がそんなもの見慣れるな!」
どうやらオリヴィアがノアに隠れて、定期的に毒物を摂取しているらしいとわかり、ユージーンの気が遠くなりかけた時、
「待ってください、ふたりとも!」
突然オリヴィアがユージーンの服の袖を引いて叫んだ。
「オリヴィア様?」
「あ……あれは……」
オリヴィアが震える指で示したのは、鮮やかな黄緑色という珍しい花だ。
華奢な脚の銀の棚に、黄緑の花の鉢植えが五つほど並んでいる。
「この花、初めて見るわ! 国内で流通しているどの図鑑にも載っていなかった。異国の植物かしら? 毒なのは間違いないけど、久しぶりにウィンドウ表示が伏せられてる。ということは、新種の毒花!」
やたら早口でまくし立てるオリヴィアの目は、ギンギンになっていた。
呼吸が荒いのは先ほど摂取した毒物のせいではないのだろう。残念ながら。
「もしかして、王妃はここで品種の掛け合わせもしてたのかしら? 毒への飽くなき執念のようなものを感じるわ」
「奇遇ですね。私も同じようなものをオリヴィア様から感じます」
遠回しに「怖い」と伝えたつもりだったが、未知の毒に夢中になっているオリヴィアにはまるで届かなかった。
「ユージーン様! この毒花、食べてもいいでしょうか……?」
「そんな興奮した顔でこちらを見ないでください!」
「どどどどうやらこの毒花、蜜と花粉と、中にある種も毒のようなのです!」
「その毒花がオリヴィア様にとって魅力的であることは十分伝わりました。伝わりましたので、その鉢を下ろしてください。今すぐに!」
どんどん息が荒くなり、いまにも花にそのままかぶりつきそうな勢いのオリヴィアに、ユージーンの中にある淡い思いがどんどん薄くなっていくのを感じる。
「ちょ、ちょっとだけ……味見だけでも……!」
「待て! 待て、ですよオリヴィア様! ここの毒の摂取許可は王太子殿下から下りていません! 雷の雨が降りますよ!」
いよいよ危機を感じユージーンがノアの名前を出せば、オリヴィアは我に返ったように顔を上げた。
「はっ! ……でも、ノア様に言ってもきっと許してはもらえないし……」
「お願いですから早まらないでください! 私の首が飛ぶ!」
「けど、ちょっとだけでも……」
「貴女は未知の毒を摂取すると仮死状態になりますよね⁉ なのになぜそんなにも躊躇いがないのですか!いま王太子殿下を呼んできますから、絶対に食べないように!」
以前はもう少し躊躇いというか理性があったはずなのに、なぜタガが外れたようになってしまったのか。
ユージーンは頭痛を覚え、顔をわずかに歪ませた。
オリヴィアのタガが外れた原因が、毒スキルのレベルアップの度に追加されるようになった、毒の旨味UPやら毒摂取量に応じた経験値二倍やらの、創造神による結婚のご祝儀であることなど、知る由もない。
「ヴィンセント卿! 絶対にオリヴィア様に毒を食べさせないように!」
「いや、俺は……行ってしまった」
オリヴィアをヴィンセントに押し付けるようにして、ユージーンは王太子を呼ぶべく温室を飛び出して行った。
異母弟があんなに必死な顔で全力疾走している姿は初めて見たと、ヴィンセントは無表情の下で感動しながら見送った。
戦闘時の反射速度は常人と比べ物にならないほど速いのに、こういった日常での対人コミュニケーションではどうしてもワンテンポ遅くなるヴィンセントである。
初めて異母弟に頼まれごとをされた、とヴィンセントは彼なりに気合を入れてオリヴィアに振り向いたのだが――。
「オリヴィア様。ユージーン公子もああ言って――あ」
時すでに遅し。
オリヴィアは黄緑の花弁から滴り落ちた黄金色の蜜を、その口で受け止めた所だった。
「……! なんてとろりと濃厚な甘み! まるでこの世のあらゆる甘味を煮詰めて漉して……うぐっ」
恍惚とした顔で毒の食レポを始めたオリヴィアだったが、その表情のままバタリとその場に倒れこんだ。
息をしていない。これは完全に仮死状態に入ったやつである。
「……」
あまりにも昂ぶり狂喜するオリヴィアに若干恐怖を感じてしまい、うっかりその身体を受け止め損ねてしまった。
近衛騎士としてあるまじき失態ではあるが、それよりも異母弟に頼まれた直後にこれだ。しかもこの後王太子が来るはず。
この惨状をどう説明するべきか。
「どうしよう……」
途方に暮れるヴィンセントの肩を、どこからともなく現れたポメラニアン神獣がぽんと叩き、慰めるのであった。
暗殺の恐怖に怯えることのなくなったオリヴィア、
ノアの目を盗んでこっそり毒ライフを楽しんでいるようです。
思った以上にギャグ路線に振り切ったな、と思った方は
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