本編その後番外編【海と少年とハネムーン】②
活動報告更新しております! 美麗な3巻表紙を載せました!
「わぁ……!」
走る馬車の窓から見えた景色に、私は思わず声を上げた。
青い海、白い砂浜、遥か彼方の水平線。これだ、私が見たかったものは。私が来たかったのは。
「ノア様! 海です、海!」
子どものようにはしゃぐ私に、ノアはくすくすと笑いながら、一緒に窓を覗き込んでくれる。
ああ、なんて綺麗なのだろう。前世で行った海水浴場とは比べ物にならない。
私たちはいま、交易の盛んな港を有する、ブラウン伯爵の領地に来ている。元々視察の話が出ていたが、まだ先の予定だったのを前倒しにした形だ。
海に行きたいと突然言い出した私のわがままを、ノアが無理をして叶えてくれたのだ。おかげで出発ギリギリまでノアは公務に追われていた。
余計な業務を増やした私に、ユージーンの視線が冷たく刺さった。私も自分の公務と並行してノアの仕事を手伝ったので許してほしい。
「ここの海はお気に召したかな?」
「はい! とっても綺麗……」
どうして海ってワクワクするんだろう。離島で過ごしていた時はそうでもなかったのに。
やはり砂浜か。それとも……一緒に見る人が大事なのか。
スッと通った鼻筋の、ノアの横顔を見つめて微笑む。
「実は、前世では結婚した夫婦はふたりで旅行をする習わしがあったんです」
「ふたりきりで旅行?」
「はい。多分、式に来られなかった人たちに挨拶回りをする、という始まりだったようですが、私の時代ではハネムーン……蜜月と言って、新婚のふたりが蜜のように甘い時を過ごすための旅行でした」
「なるほど、蜜月……」
前世では私は恐らく結婚しないまま人生を終えたのだろう。
生まれ変わってこうして愛する人と出会うことが出来て、更に結婚が叶い、こうして新婚旅行にまで来れた。思い返してみれば、ここまで奇跡の連続だった。
「ノア様、連れて来てくださって、ありがとうございます」
私の言葉に、海に目をやっていたノアが、こちらを見ていたずらっぽく笑う。
「ヴィア。いま馬車の中は僕たちふたりだけだよ?」
「あっ。……ノア」
ノアは私を愛称で呼び、私はふたりきりの時はノアと呼ぶ約束だったことを思い出し、照れくさく思いながら言い直す。
ノアを呼び捨てにするのは、いまだに慣れない。
「よく出来ました」
ご褒美、とばかりに寄せられた唇を、目と閉じながら受け止める。
本当に蜜のように甘い旅になりそうだ。
◇◇◇
白で統一された街並みを駆け抜け、着いたのは小高い丘に建つこれまた白い伯爵邸だった。
栗色の髪に海のように碧い瞳を持つ男性が先頭に立ち、私たちを出迎えてくれる。あの四十代ほどの男性がブラウン伯爵か。
「王太子殿下、妃殿下。ようこそお出でくださいました」
「ブラウン伯爵。すまないな、社交シーズンに」
本来今の時期、貴族は王都で社交に出るのが通例だ。ブラウン伯爵は、私たちの視察に合わせて領地に留まってくれたらしい。
「とんでもない。こうして尊きおふたりを我が領地にお招きできたことは光栄の至り。次の社交シーズンでは自慢をして回ってしまいそうです」
「私もこんなに美しい海をお持ちの伯爵領に来ることが出来て、王都に戻ったら自慢して回ってしまいそうです」
「これはこれは。麗しき妃殿下にそのように言っていただけるとは。どうかご滞在中はごゆるりとお過ごしくださいませ」
私の手を取り、軽く甲に口づけを落とす伯爵。
ただの礼儀作法のひとつだというのに、隣の業火担は素早く私の手を伯爵から奪い取りハンカチで甲を拭ってきた。
やめなさい。伯爵がびっくりしてるじゃないの。いや、引いているのかあの顔は。
「コホン。そのことだが、伯爵。書簡に記した通り、我が妃は静かに過ごすことを好む。仰々しいもてなしは控えていただけるとありがたい」
何事もなかったかのようにそんな注文をするノアに、ブラウン伯爵は若干戸惑いの色を残しながらも頷いた。
ほんとすみません。うちの業火担が。
「え、ええ。勿論でございます。街を挙げての歓待を考えておりましたが、両殿下に心安くお過ごしいただくことが何よりも重要です。この度のご訪問は邸の者のみに通達し、街の者には知らせておりません。ただ、仕入れや警備がいつもと違うことで、お客様がいらっしゃると察する民もいるかもしれませんが……」
ブラウン伯爵の答えに、ノアは満足そうに「十分だ」と首肯する。
「我が妃は海辺や街の散策を望んでいる。警備は大変になるが、穏やかに過ごさせてやってほしい」
「仰せのままに」
「伯爵のご配慮に感謝いたします」
私が微笑むと、伯爵も先ほどのノアの失礼な態度を忘れたかのように何の含みもない笑顔を返してくれる。
うん。伯爵いい人だわ。貴族らしくないと言えばそうだけれど、裏表をあまり感じない人物だ。
あの貴族同士の腹の探り合いのような会話は苦手なので、私は安心して肩から力を抜いた。
一応私も生粋の貴族なのだけれど、しかも最近王族の仲間入りをしたのだけれど、まだまだ慣れそうにない。
その後、若い伯爵夫人と三歳になったばかりという小さな子息を紹介され、和やかに挨拶を交わした。
伯爵のブラウンの髪と、夫人のハシバミ色の瞳を持つご子息の愛らしさにデレデレになる私に、夫人が微笑まし気に「妃殿下も楽しみでございますね」と言った。
「両殿下の間に生まれるのは、きっと精霊のごとく美しきお子様でしょう」
「私たちの間に……?」
ノアと顔合わせ、同時に顔を赤くした。
私たちの子ども。そうか。確かに私たちは結婚して夫婦になったわけで、子どもができてもおかしくないのだ。まだ自分が子どもを産むなんて想像もできないけれど、いつかは……。
ギュッとノアに手を握られ、私はますます顔が熱くなり俯いてしまう。伯爵夫妻の温かい視線を感じて、しばらく顔を上げられそうにない。
私が黙っていると、夫人は今夜の歓迎パーティーの準備があるからと、使用人を引きつれ先に邸に戻っていった。
残された私たちも、話をしながら伯爵邸へと足を踏み入れる。
「そういえば、伯爵にはもうひとり子息がいたのではなかったか?」
「は……え、ええ。十六になる嫡男がおります。王太子殿下に覚えて頂けるとは……」
「十六ということは、学園に入学したのだろう? 子息は王都か? 確か学園もいまは夏季休暇中だろう」
「は、はい。息子もこちらにおりますが、何というか、その……」
歯切れの悪い伯爵に、私とノアは顔を見合わせた。
話を聞くと、伯爵子息は学園への入学手続きは済ませたものの。一度も学園に登校せず、領地に引きこもったままなのだという。
食事の席にもろくに顔を見せず、会話を避けるかのように日中は街に出かけたまま、夜まで帰らない毎日が続いているそうだ。
不調なのか、悩みがあるのか、聞き出そうとしても黙り込んだまま。幼い頃から体が丈夫なほうではないらしく、無理に王都に向かわせるわけにもいかず、困り果てているらしい。
「多感な時期ですもの。おかしなことではございませんわ」
「そう言っていただけると……」
学園の新入生なら年齢は十六歳。そのくらいなら、前世であれば親に反抗もするし、学校に行きたくないと引きこもることも珍しくはない年ごろだ。
ノアも頷き「心配だろうがな」と伯爵の肩を叩き慰める。
「食事の席に子息を無理につかせる必要もない。鷹揚に接してやれ」
「ありがたいお言葉ですが、そういうわけには……」
「良いではありませんか。出席しなかったとしても、私たちがご子息を悪く思うことはないのですから。ねぇノア様」
「その通りだ。我々のことを気にし過ぎる必要はない。こちらは勝手にふたりで楽しく過ごさせてもらうさ」
私の頭にキスを落としながら茶目っ気たっぷりに言ったノアに、伯爵もようやくほっとしたように「ありがとうございます」と頭を下げたのだった。
業火担なのでね…




