第百二十九話 忘れ去られし一族の使命
オリヴィアのルーツのお話(※トリスタン視点)
【side: Tristan】
オリヴィアの母親、シルヴィアと出会ったのはトリスタンがまだ子どもの頃。
古都の傍にある森の中でのことだった。
両親が亡くなり、北の山奥から古都にやってきたトリスタンは、古都の森を数日かけて探索した。ひと通り探索し終えるとやることがなくなり、泉のほとりで寝転び微睡んでいた時、現れたのがシルヴィアだった。
「まあ。この森に、まだ仲間が住んでいたなんて」
彼女は水色の瞳を大きく見開き、木の根元に寝転ぶトリスタンを見下ろしてそう言った。
森を吹き抜ける、風のような声だと思った。
「……お前も森の民か」
トリスタンが尋ねると、シルヴィアは嬉しそうに微笑んだ。
「そうよ。小さな同胞さん」
木苺でいっぱいのカゴを手にしながら、シルヴィアは辺りをキョロキョロと見回した。
「あなたひとり? ご家族は?」
「両親は死んだ。だからここに来たんだ」
「そう……。じゃあ、あなたは別の所に住んでいたのね。どうして古都へ?」
トリスタンは身を起こし、シルヴィアの後ろにある泉を眺めながら「……見てみたかっただけだ」と答えた。
「見てみたかった?」
「古都の森は、森の民のはじまりの地だと父が言っていた。だから、死ぬ前に一度見ておこうと思った」
そう、そうだ。自分は古都を見てみたかっただけだ。
両親はいつも、古都についてをまるで夢のように話していた。憧れを抱く子どものように。だからトリスタンは、ひとりきりになって気づけば古都に来ていたのだ。
「死ぬ? あなたは死んでしまうの?」
シルヴィアは不思議そうに首を傾げて言った。
それはそうだろう。トリスタンは病気もケガもない、健康体だった。子どもだったが狩猟技術には長けていたので、食うに困ることもなく、見た目に問題はまるでなかったはずだ。
けれど、問題は表層ではなくもっと奥、見えにくい場所にあった。
「……生きる理由がない。私はひとりになった」
言葉にして初めて、トリスタンは納得した。
古都の森に来た。隅々まで見て回った。他にはもうすることがない。
目的は達成されたのだ。あとはもう、ここでゆっくりと朽ちていくのだろう。
両親は我々には大事な役目がある。それを忘れるなと死の間際まで口にしていたが、あまりトリスタンにとってそれは重要ではなかった。
山奥からここに来る旅の中で、自分の目で見て世界を知った。とても平和で、竜や一族がいなくても人間は穏やかに問題なく暮らしている。
だったら自分が最後の竜人族となっても、何も変わらないのではないだろうか。
それなら自分がひとりきりで生きる理由ももうない。
トリスタンはそれを悟った途端、急に体がズシリと重くなるのを感じた。
今目を閉じたら、きっともう動けない。
それも悪くないかと、瞼を閉じかけた時だ。そよ風のような笑い声がしたのは。
「ばかね。理由がなくても生きていいのよ」
優しい言葉に目を見開くと、シルヴィアが笑っていた。
ただ、声の感じよりもずっとずっと寂しげな笑顔だった。
思わず手を伸ばし、慰めたくなるくらいに。
けれど実際そうする前に、シルヴィアは笑顔にかかった影を自分で消した。
「それにあなたはひとりじゃないでしょう? 私がいるもの」
「は……?」
「一緒に行きましょうよ。私ね、今は古都の大神殿に住んでいるの」
「大神殿に? 何の為に」
ここに火竜はいないのに。
口にはしなかったが、シルヴィアはトリスタンの考えを正確に読み取ったようだった。
「私もひとりになってしまったからよ。私はこの国の生まれじゃないの。でもご先祖様はこの国の森の民だった。両親が亡くなって、自分のルーツを辿ってみたくなったのね」
イグバーンの生まれではないことを除けば、それはトリスタンとまったく同じだった。
その時のトリスタンの感情をどう言い表せばいいのか。自分でも判断しきれない感情だが、顔に出ていたのだろうか。シルヴィアはトリスタンの顔を見て、今度は朗らかに笑った。
「私たち、似たもの同士ね」
*****
懐かしい、遠い過去の記憶を思い出し、トリスタンは暗闇の中で目を細めた。
今も目を瞑ると、シルヴィアの風のような声が聞こえてくる気がするのは、それだけトリスタンにとって彼女が特別だったということだ。
「我々は竜人族。かつて森の民と呼ばれた、竜と人とを結ぶ存在だ」
後ろを歩く、シルヴィアとよく似た娘に真実を告げる。
シルヴィアがただの人間と番い、生み落としたただひとりの娘、オリヴィア。
彼女は予想していたのか、黙ってトリスタンの話を聞いていた。
「竜人族は見た目は人に近いが、竜の血を受け継いでいるとも、竜の眷属であるとも言われている」
「それって……人ではない、ということですか?」
緊張した声が後ろからかけられた。
トリスタンは階段を降りていた足を止め、オリヴィアを振り返る。
「……お前はほぼ、人だな」
「私は?」
「昔の竜人族は、もっと竜に近い形態を取ることが出来た。爪や、鱗、翼を意識的に出すことが可能だった。血が濃ければ濃いほど顕著だったそうだ」
「竜に変身出来た、と? 本当にそんなことが?」
「ああ。竜か人か、どちらでもあり、どちらでもないのか。はっきりとはわからない。ただ、竜人族は竜と意思疎通ができ、竜のように精霊に恐れられている」
「精霊に……あっ。だから私、魔法が使えないの?」
驚く声に、シルヴィアは本当に娘に何も教えなかったのだなと、トリスタンは理解した。
もしくは、教えられるほどオリヴィアが成長する前に亡くなったか。
シルヴィアが貴族に嫁いだ後、トリスタンは一度神殿を出ている。国中を回り同族を探したのだ。残念ながら、見つけることは出来なかったが。
そうしている間にシルヴィアは娘を生み、トリスタンの知らないうちに亡くなっていた。
「竜人にとって、火竜は仕えるべき主であると同時に、慈しみ守るべき子のような存在でもある。故に常に寄り添い傍にいた」
「守るべき子、ですか。火竜が……」
「昔は古都を囲む森に住んでいたが、竜がイグバーンの初代国王と契約を交わし、棲み処を王都に移した。当然竜人たちも古都の森を出て、現在の王都近くの森に移り住んだが……」
トリスタンが言葉を止めると、オリヴィアは「何か、あったのですか」と真剣な様子で尋ねてくる。
彼女にとっても自分のルーツはとても重要なことなのだ。かつての自分がそうであったように。
だからトリスタンは、正直に、包み隠さず話さなくてはならない。
「わからない。王都に移った後の記録が途絶え、火竜の姿は消え、森の民はバラバラになった。私の両親は国の北に位置する山奥に住んでいた。他にも他国に出た者や、今もひっそりと暮らしている仲間はいるかもしれないが、所在は不明。私たち以外はもういない可能性もある。そうなると、お前や私は数少ない生き残りということだ」
「生き残り……」
「家族以外で初めて会った同族が、お前の母だった。それ以降新たな同族に出会うことはなかった。お前がふたり目だ」
もしかしたら、どこかには隠れ住んでいるのかもしれない。
だがトリスタンは見つけることを中断した。それよりも、シルヴィアとの約素を守ることが重要だったからだ。
いつか、その時が来たら。どちらかが役目を果たそうと。いつか来るその日の為に、役目を言い伝えていこうと。
「オリヴィア。我々には、成すべき大事なことがある」
もうちょい続きます!! オリヴィアに鱗は生えません!!




